【 代筆 】
◆/SAbxfpahw




43 名前:No.12 代筆 1/5 ◇/SAbxfpahw[] 投稿日:07/07/01(日) 18:09:52 ID:PHB/wm34
「さやかさん。ちょっと、すまないけど体動かしてくれないかしら」
介護用のベットに横たわる老婆が、親を呼ぶ子猫の如くか細い声で鳴き立てる。
「はいはい、おばあちゃん今行くから待っててね」
昼御飯の支度中だった《さやか》と呼ばれた女は、小走りで彼女の方へと向かう。
 老婆は今にも折れそうなぐらい手足が細く、そして雪の様に白い。
髪も同じ色のセミロングで上品な顔立ちをしている。
「それじゃ、おばあちゃん動かしますよ。一、二のさん! よいしょ」
さやかは老婆を上半身だけ起きやがらせて背後から抱きつき、そのまま後方へ引きベットの手摺に腰掛けさせた。
「いつも、すまないねえ」
「おばあちゃん別に気にしなくていいのよ。これが仕事だから」
老婆が窓の外をぼんやり眺めているのを横目にさやかは昼の支度に戻った。
外は老婆と同じ色をした、ぼたん雪が降っていた。

 さやかはホームヘルパーである。体の不自由な老人の世話や雑用を家族の代わりにする仕事だ。
この仕事は時には下の世話もしなければならないので、就きたがる人は少ない。
その代わり給料が良い、というわけでもない。
しかしさやかは元々世話好きだったのか、この仕事を選んだ。今に満足していた。

44 名前:No.12 代筆 2/5 ◇/SAbxfpahw[] 投稿日:07/07/01(日) 18:10:16 ID:PHB/wm34
 辺りも暗くなり寒さも増す頃、タイムカードを挿して帰ろうとしたさやかは老婆に呼び止められた。
「どうしたの、おばあちゃん」
「私のお父さんどこに行ったか知らないかしら? まだ戻ってこないのだけれど」
ひどく狼狽して老婆は言う。
「もう、おばあちゃん。五郎さんなら、昨日から和歌山の高野山に旅行に行ったじゃない」
「えっ、お父さんが私を置いて一人で行くはずないと思うけれど」
静かな中にも怒りが感じらる口調だった。
「まあまあ、たまには男一人きまま旅でもさせてあげてもいいんじゃないの」
「う――ん。しかたないわねえ。あのひとったら、もう」
どうも不に落ちないようだったが、納得したのかそれ以上、老婆はさやかを引き止めはしなかった。

 彼女の夫は三年前、肺癌で亡くなっている。老婆にはそれが理解できない。
なぜなら痴呆病だからである。
もしかしたら、夫が死んだのを理解したくないのかもしれない。
さやかはそれを知っていて老婆を悲しませたくないから、悪いと思いながらも嘘をついていた。

 次の日。大雪だった。さやかは肩に積もった雪を払い玄関を開けた。
「おはようございまぁす」
朝から威勢の良い声が部屋に響き、その調子のまま老婆の元へと赴く。
 外で完全に払い落としたはずの雪が、まだ少しついていたのか廊下に溢れ落ち水滴となった。
「絵梨、いつ帰ってきたの。嫁いでから全然音沙汰がないから心配したわよ」
さやかは頭を瞬時に絵梨に切り替えて喋る。
「母さんの顔がどうしても見たくなって、帰ってきちゃった」
言いながら首を傾げ舌を出した。
「あらあら、この子ったら……本当はお姑と喧嘩して帰ってきたんじゃないの」
「さすが母さん。勘がするどい」

45 名前:No.12 代筆 3/5 ◇/SAbxfpahw[] 投稿日:07/07/01(日) 18:10:46 ID:PHB/wm34
 絵梨とは老婆の長女で、遠の昔に嫁いでいるが、年格好が似ているのか、老婆は時折さやかを絵梨だと思い込む時がある。
彼女は傷付けたくないと思い、心が痛むが絵梨を演じることにしていた。

 掃除を中断し、柱時計を睨みながら彼女は言う。
「もうこんな時間、お昼作るから待っててね母さん」
「あなたの作る御飯を食べるのなんて、何年振りかしらねえ」
その顔は満面の笑みだった。
「今日は腕によりをかけて作っちゃうから」
「大丈夫? 前作った時なんか油の分量間違えて、料理作らずに火柱作って、台所の壁が真っ黒になったじゃない」
「だっ、大丈夫だって。それに今日は寒いから、暑いぐらいがちょうどいいでしょ」
「全く屁理屈なんだから。よくそんなので嫁にいけたわね」
そう悪態をつきながらも老婆は笑っていた。

「お待ちどうさま。今回は油を使わなかったから、心配しなくてもいいわよ」
料理は年寄りでも食べやすいようにと、お粥と梅干しだった。
 老婆は自力で食べることが出来ないので、さやかが変わりに口にスプーンを運ぶ。
彼女はそれをしながら思う、本当の事を老婆に言わなくていいのかと、しかし言ってしまうと老婆を落胆させてしまう。
暫く葛藤したのち言ったほうが良いと思い、切り出そうとしたが、老婆が『おいしい、おいしい』と料理を食べている姿を見ていると言うに言えなかった。

 理恵でいた時間はあっという間に過ぎ、帰宅時間となった。
「お母さんもう帰るね」
「今日は泊まって行きなさいよ」
「向こうの人達も心配してると思うし、帰るよ」

老婆はまだ何か言いたそうだったが言葉を飲み込み、肩を落としてベットからさやかを見送っていた。
タイムカードを挿す音と老婆のすすり鳴くが痛々しく響いた。

46 名前:No.12 代筆 4/5 ◇/SAbxfpahw[] 投稿日:07/07/01(日) 18:11:06 ID:PHB/wm34
 次の日。珍しく太陽が雪に勝っていた。負けた雪は泣いたようで、辺りは所々水溜まりが出来ている。

「おはようございます。今日は暖かいですね」
「おはよう、さやかさん。確かに暖かいわね」
今日は自分のままでいいのかと、さやかは安堵したと同時に、他人行儀の老婆の態度が少し悲しくもあった。

「そうだ、おばあちゃん宛てに手紙が着てましたよ」
「あら、誰からかしら」


――――
 お元気ですか。わたしは、家事で大忙しです。
 ちゃんと三食きちんと食べていますか。
 お父さんは元気にしていますか。たまには夫婦水入らずで旅行などしてはどうですか。
 そうそう、わたし昔より料理がうまくなりました。もう台所で火柱を上げ壁を焦がすこともなくなりましたよ。
 初雪も降り、だんだん寒くなりました。カゼをひかないよう注意して下さい。
  お返事待ってます。

十一月二十八日
柳瀬絵梨

  親愛なる母柳瀬ヱミ様
――――

47 名前:No.12 代筆 5/5 ◇/SAbxfpahw[] 投稿日:07/07/01(日) 18:11:26 ID:PHB/wm34
 さやかは手紙を不自由な老婆の代わりに読みあげると、彼女は大層嬉しい様子だった。

「お父さん! 絵梨から手紙が来てるわよ!」
老婆の呼び掛けに返事はない。
「……あらおかしいわね。お父さんどこに行ったのかしら」
「おばあちゃんやぁねぇ、五郎さんなら昨日から高野山に旅行へ行ったわよ」

 さやかは時には嘘も必要だなと思った。
 窓越しに太陽もそれを見て頷いているようだった。雪も感動し、さらに泣いていた。
―――完





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