【 願いとお願い 】
◆otogi/VR86




30 名前:No.09 願いとお願い 1/4 ◇otogi/VR86[] 投稿日:07/07/01(日) 17:57:18 ID:PHB/wm34
 昨日祖父が亡くなった。癌だった。
 佐々木次助、享年九十。男ならよく生きた方だろう。体は弱っていたがボケもせず、死後に起こるであろう面倒を全て片付けた上での大往生だ。
 祖父は九十の誕生日を病室のベッドの上で迎えることになる。個室の病室かつ末期患者だったため多少無茶ができた。
少ないながらも祖父の血縁者全てが集まり、日当たりの良い清潔な部屋に五人入る。病室に変わりはないのでそれだけでいっぱいになってしまった。
ささやかに祝い、体に障るからとそそくさと帰ってきた。みんな遠からず来るであろう今生の別れを覚悟していたようだ。
 容態が急変し、急に訪れた最期のときを看取ったのは父と祖母、私からみると大叔母さんに当たる祖父の妹の三人だった。

 私は正直なところこれで良かったと思っている。大好きな祖父が全身を襲う激痛に悶え苦しんでいる様をただただ見続けるのは苦痛だ。不謹慎だが早く楽になって欲しいとすら考えていた。
 その願いは叶ってしまったわけだ、今日はお通夜になる。
 祖父の写真を眺めていると生前のことを思い出される。おじいちゃん子だった自分は量が多すぎるようだ。
 元気な祖父と最後に会ったのは米寿のお祝いの席だ。赤いちゃんちゃんこに身を包んだ祖父はニコニコ笑いながら僕にこう語った。
「かかか、おじぃはひ孫を抱くまでは死なんぞ。」
 うんうん。その調子だよ。
「だから早いところいい相手を見つけんか!いないなら心当たりがあるぞ?」
 余計なお世話だよ、僕はまだひとりでいたいんだ。
「ほれ、その僕って言うのもいい加減にやめんか。自分の姿を見てみろ」
 そんなこと言われてもしょうがないじゃないか。慣れない口調を使うのは会社だけで十分だよ。
「ひ孫を抱くのはしばらくお預けのようじゃのう、かっかっか!」

 ごめん、結局ひ孫は抱かせて上げられなかった。


 記憶にある内で初めて祖父に会ったのはいつだったろうか。あれは幼稚園の入園式だったか。
 大きな大きな手のひらで私の頭をぺしぺし叩き、心地よいだみ声で笑う。
「しばらく見ん内にようけ大きなったなぁ」
 白いポロシャツにクリーム色のズボン、薄くなった髪の男を当時の自分は祖父だとわかっていたようだ。
幼稚園の制服が恥ずかしかったのか返事 をした覚えがない。
「そんな態度じゃ友達なんかできんぞ?いつもみたいにしてればええ」

31 名前:No.09 願いとお願い 2/4 ◇otogi/VR86[] 投稿日:07/07/01(日) 17:58:13 ID:PHB/wm34
 私は他人と話すのが苦手だ、幼いころから変わっていない。残念ながら友達はあまりできなかった。

 一番印象に残っているのはある夏の日。祖父の家に縁側に並んで座り、早い月を見ながら素朴な疑問をぶつけたときのこと。
 なんでおじぃには妹しかいないの?
「どうした?やぶから棒に」
 次って字は一番じゃないって意味でしょ?ちょっと変だなって思って。
「ああ、そのことか。昔戦争があったのは知ってるだろう」
「おじぃにはお兄ちゃん一人に弟が二人いたんだ。」
「だがなぁ……帰って来れたのはワシひとりだったよ」
「ああ、言い忘れてたがそのときはまだ独り身でな。ひいじいさんの家にいたんだよ。」
「帰ってきたはいいが家が焼け落ちててなぁ、ひいばあさんもやられとった」
「親戚も根こそぎやられててな、妹と再会できたのは奇跡だと思うよ」
 何と言っていいのかわからずにいる僕をよそに、祖父はただひたすらに淡々と紡ぎ続ける。
祖父は笑っていた。僕はその笑顔を眺めながらお茶を啜ることしかできなかった、十とそこそこの年齢の僕ができることなんてそれくらいしかなかった。

「スマンスマン、昔のことだ。辛気くさい話をして悪かった」
 話を聞き終え

32 名前:No.09 願いとお願い 3/4 ◇otogi/VR86[] 投稿日:07/07/01(日) 17:58:50 ID:PHB/wm34
━━我が最愛の孫へ

 お前がこれを読んでるということはワシはひ孫を抱けていないのだろうな。この爺不幸者め。
 冗談はさておき、ワシはお前が豆より小さかったときから知っておる。お前が産まれたときは人生の内でお前の父親が産まれたときの次に嬉しかった。
父親が産まれたときは死んでもいいと思ったが、お前が産まれたときは生きてて良かったと思うたよ。
 お前とはいろいろな遊びをしたなぁ。ベーゴマやメンコ、虫捕り等しかできんかった。女の子らしい遊びをしてあげられんで悪かった。旦那ができん原因はもしかしたらワシかもしれんのう。

 お前がワシに懐くようになったきっかけもようくわかっておるぞ。
お前は優しい子じゃ。ワシはもう自分の中で区切りができておったが、お前の優しさはその傷跡さえも消してくれるようじゃった。
神も仏もいないと思っとったが、世の中捨てたものでもなかったようじゃ。

 物を書くのは不慣れ故そろそろ筆を置こうと思うが最後にいい男の見分け方を伝授しておこう。
めったなことでは涙を流さない男は強い男じゃ。
 無感動なやつがいいわけではないぞ?
男の涙というものは流すものではなく、堪えるためにあるものなんじゃからな。

 書きたいことは山ほどあるがいくら書いても足りん、この辺りで終わりにするとしよう。
 泣いてはいけないよ。死ぬのは当たり前のことだし、何よりお前の泣き顔を見たくはない。
お前がワシを笑顔にしようとしてくれたようにワシもお前には笑顔でいてもらいたい。
一方的な約束ですまんがワシを見送るときは笑っていてくれ。おじぃの最後のお願いじゃ。
これからはワシに向けてくれていた愛情を自分のために使いなさい。

 両親を大切にしなさい。石に布団は着せられぬと言うぞ。
くれぐれも体に気をつけなさい。壊してからでは間に合わないこともある。
いい旦那を見つけなさい。そして早く子どもを産め。
いつも笑顔でいなさい。経験上『笑う門には福来る』は本当じゃ。
今までありがとう。お前はワシを愛してくれたが、その何倍もワシはお前のことを愛しとったよ。


━━九十の誕生日を迎えるにあたって。おじぃより。

33 名前:No.09 願いとお願い 4/4 ◇otogi/VR86[] 投稿日:07/07/01(日) 17:59:19 ID:PHB/wm34
 読み終えた便箋を丁寧にたたみ、封筒に戻す。祖父の字の汚さと震える腕、浮かべた涙で読みづらいことこの上なかった。
 僕にあてがわれた寝室を抜け出し、仏間に向かう。真新しい線香が四本並んでいたが気にせず五本目をあげる。

 ごめん、おじぃ。僕はおじぃの最後のお願いすら叶えてあげられそうにない。

 明日はお葬式だ、もう寝よう。背を向け部屋を出ようとしたときに、ふいに誰かに声をかけられたように感じた。振り返ってももちろん誰もいない。
 さすがに気のせいか。おじぃに声をかけられるなんてことはもう二度とあるはずがないんだ。
私が立ち止まっててはおじぃが安心できない。歩き続けるんだ、おじぃもそれを願ってる。

それでいいんだ。それはおじぃのお願いではないけれど、おじぃの願いなんだよ。

 今度ははっきり聞こえた気がする。もちろん気がするだけだ。
でも、間違いではないと確信が持てる。

 歩き出そう。葬式が終わって日常が戻ってきたら彼氏を作るのもいいかもしれない。

 歩き出そう。おじぃの顔さえも忘れてしまうほどの楽しい思い出をたくさん作るために。

 歩き出そう。いつか来る別れのときを笑って迎えられるように。








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