【 あまりにも純粋で潔白な妹 】
◆MKvNnzhtUI




67 名前:あまりにも純粋で潔白な妹 ◆MKvNnzhtUI [] 投稿日:2007/06/24(日) 23:40:36.03 ID:yzfn2MAy0
 妹はベッドの上で静かな寝息をたてている。とても静かで、みるみるうちに辺りの風景に溶け込んでしまいそうな、そんな寝息だ。
不規則なペースで息を吐き、そのたびに胸がわずかに上下する。微かに膨らんだ、小ぶりな胸。純白の処女性に溢れた胸。
その美しさに気をとられ、じっと見ていると、またも、あの感覚が襲ってくる。彼女の胸を見るたびに、襲ってくる、絶望的な圧迫感。
体全体が、沸騰し、汗ばみ、震え上がり、まるで自分が罪人になって、善良なる市民の前に磔にされたような、ふかい背徳感に襲われるのだ。
何の罪も犯していないというのに。圧迫感のあまり、ああ、と声にならない声を出し、目を閉じ、ベッドの柵にもたれこみ、感覚が過ぎ去るのを待つ。
何度もこの感覚に襲われてきたというのに、それでも、彼女の胸に見入ってしまう。まったく、僕は、心底愚か者だ。

 妹に障害があると判ったのは、たしか僕が小学生の頃だった。
 それまでも、少しばかり、知能遅れの線があるように思われていたのだが、三歳になっても、一向に言葉を発する気配が感じられず、
心配になった父が、医者に相談したのだった。生まれつきの、脳の病気で、治る見込みは、まったく無いと言われた。
父は大きな悲しみに暮れ、さめざめと泣くか、酒を飲むか、妹の見舞いに行くかの、まるで廃人同様の暮らしとなり、
三ヵ月後に、交差点でトレーラーに轢かれて死んだ。母は、家で廃人同様の生活をしている父を見るのが辛く思われ、
仕事場と、病院を行き来する生活となった。まだ日の昇りきらぬ早朝に、紡績工場に出かけ、どっぷりと暮れた夜遅くに、
疲れた足取りで病室に戻り、妹の無邪気な寝顔をみたのち、短い眠りにつくのだ。
 僕は、その二人のなかで、ただ一人、宛ても無くさまよっていた。父も母も、まるで僕には関心を寄せてはいなかったのだ。
僕は遠方の親戚に預けられ、小使のように、日夜働かされるようになった。親戚一同は、僕に冷たく当たり、幾度と無く、罰といっては、
北国の肌寒い夜に、家の外に弾き出された。しんしんと染み込む寒さと、胸の中を駆け巡る荒涼感に、僕は、何度も押しつぶされそうになった。

 気持ちが少しずつ落ち着いてきたので、僕は伏目がちに再度妹の方に向き直った。
妹は眠り込んでいる。ぐっすりと、まるで冬のシマリスのように、眠り込んでいる。寝息が聞こえなければ、まるで死人のように思われるほどの、
静かな眠り。こんな風に眠る女を、僕は彼女以外にみた事がない。どの女も、眠る際には、覚醒時の汚辱を消化するのに精一杯で、
こんなふうに、純粋に眠りに意識を傾けてはいない。けれども彼女は、まるで覚醒していなかったかのように、眠っているのだ。
いっさいの覚醒時の出来事も、彼女の眠りを阻害するほどの力を持っておらず、他の女のように、眠りのなかに入り込むことができない。
そう、彼女にとって、すべての出来事は、輝きに溢れ、純粋で、潔白なのだ――。

 はじめての窃盗は、とても心躍るようなものではなかった。
 小学五年のときだったろうか。僕の近所の悪童は、よそ者の僕にたいして、いつも酷いいじめをしかけてきていたのだったが、
その日は、僕が皆のように盗みを働いたことのないのを攻め立て、臆病者、臆病者とはやし立ててきたのだった。
僕は、いつものように、深い憤りを感じつつも、受け流していたのだったが、そのうち、石を投げつけたり、泥をかけてきたりするようになり、

69 名前:あまりにも純粋で潔白な妹 ◆MKvNnzhtUI [] 投稿日:2007/06/24(日) 23:43:40.43 ID:yzfn2MAy0
とうとう堪忍袋の尾が切れ、なんだい、盗みなんて簡単さ、いますぐ、やってきてみせようと宣言してしまい、そのまま、悪童たちの口車に乗せられ、
八十くらいの老婆と、若い娘のいる、駄菓子屋まで連れてこられたのだった。その駄菓子屋は、盗みにたいして、格段恐ろしいことで知られており、
僕は、気が気ではなかったのだが、一度言ってしまった事を、今更実行しないと、後になってどんな仕置きがくるものかと思うと恐ろしく、
とぼとぼと、店先に近づいていった。あいにく、店には誰もおらず、僕は、端にあったカラフルな箱にゆっくりと手を伸ばすと、
箱の中の癇癪玉を握り締め、烈火の如き素早さでそのまま路地を走りさった。空き地に出ると、僕を見張っていた悪童たちは、しきりに僕を賞賛した。
僕は、悪童たちに認められたという満足感と、あの善良そうな老婆と、まるで妹のように潔白な娘から盗みを犯してしまったという背徳感に、
押しつぶされそうになったのだった。

 窓の外は、いつのまにか日が沈み、いまでは、少しずつ星がその姿を現そうとしていた。初夏の涼しげな風が、時折、病室の窓から入り込み、
僕と妹をその爽やかな腕で撫で回していった。妹は、相変わらず、純粋な睡眠に意識を任せている。時計を見ると、もうすぐで約束の日雇いの仕事
の時間である。僕はベッドから離れると、そのまま妹の寝顔を確認し、(今度は胸元に目線を向けないようにした)病室から立ち去ろうとした。
 その時だった。ふいに僕は凄まじい感情の渦に飲まれた。あまりにも渦の力が強かったために、足が震え、僕は、そのまま病室の床に倒れこむ。
平衡感覚が崩れ、震えながら手をつく。嫌な臭いのする汗が、額から、床へと垂れる。僕は、突然の感情がなんであったのかをやっと認識した。

 それからの僕は、まさに落伍者であった。
 中学に入ると、さらに悪い仲間と付き合うようになり、酒にも、煙草にも、薬にも、手を出していった。気に入らないことがあると、先公をぶんなぐり、
窓ガラスを破って、暴れまわった。何度も親戚が呼ばれたが、親は一度も会いにこなかった。それが憎らしくて、また、暴れまわった。
中学を卒業すると、怪しげな貿易商の下働きとなった。幾度と無く、危ない仕事に手を出した。殺されそうになったことも、殺したことも、何回もあった。
女を買い、朝から博打をした。薬はさらに量を増し、廃人となり、どろどろとぬかるみへと嵌っていき、もはや、八方塞りだった。
 ある日、母が死んだという知らせがあった。
 僕は、貿易商に、仕事をやめるといった。もっと、まっとうな仕事について、妹を、養わなければならないと。貿易商は、にたりと笑って、そんなことは
できないと通告し、真っ暗な部屋に閉じ込め、朝な夕な暴行を加えた。何度も血を吐き、あらゆる骨を折られた。
もはや芋虫のようになった後、路地裏に捨てられた。
 帰ってきた僕をみて、妹は、ひどく驚いたようだった。僕は心配ないと告げ、二日間寝たのち、新たな仕事を探しに行った。
辛いことがあるたびに、妹の無邪気な笑顔に励まされた。薬も必要ではなくなった。僕は、更正していった。

 溢れ出た嫉妬の渦は、僕を制御できなくしていた。ベッドに駆け寄り、眠っている妹の首に手をかけ、そのままぐいと力を込めた。
妹ははっと目を覚ました。突然の兄の行動が飲み込めないようである。眼を見開き、苦しげに哀願する。震えが手に伝わってくる。潔白な者の、最後の抵抗。
 だが、僕はその潔白さに嫉妬しているのだ!そうだ、今までのすべての感覚は、この、やり場の無い嫉妬だったのだ!

71 名前:あまりにも純粋で潔白な妹 ◆MKvNnzhtUI [] 投稿日:2007/06/24(日) 23:45:15.37 ID:yzfn2MAy0
僕はなおも力を込める。首が折れんばかりの音を立てる。震えが止まり、やがて、妹の首はがくりと倒れた。
 妹の死体の前で、僕は、ただ、嗚咽した。嫉妬が、僕を満たした。




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