【 妹 】
◆IizsX5THsw




57 名前:妹1/4 ◆IizsX5THsw [] 投稿日:2007/06/24(日) 23:31:02.84 ID:916SG0jx0
 デパートが嫌いだった。明るすぎる店内も嫌だったし、流れている音楽も嫌いだった。歩いている人が大人ばかりだったので、
それも怖かった。母はデパートに行く時、必ず私を伴った。母がデパートに行くのは、決まって父が家にいる休日だった。
初めの頃は、そこで母が買ってくれるたこ焼きやシュークリームが好きだったので、そこまで憂鬱ではなかった。
 母は私に、服を買うことを好んだ。私がいらないと言っても、毎週服を買ってくれるのだ。私は子供服売り場をあさる母が見える
ベンチに座っていた。よく磨かれた床に反射する光に、目がくらくらした。顔なじみの店員が母の斜め後ろから、これなどどうでしょう、
という風に掌を表にして商品を示す。気に入った服を見つけると、母は私を呼んで、ハンガーがついたままの服を、私の前で合わせる。
「よさそうね。ちょっとこれ着てみて」
 そう言って、もうすでにくたくたになってしまっている私を試着室に促すのだ。
母が服以外の買い物をしているときは、自由にさせてもらった。
「好きなものを見てらっしゃい」と母は言うのだが、別に見たいものなどなかった。大体は母と見尽くしているのだ。
 私はよく人にぶつかる子供だった。いつも余所見ばかりしているからだと思う。様々な方向に歩いていく人の中で、
うまく自分の方向を見つけることができないのだ。だからいつもふらふら、きょろきょろして、人にぶつかる。私は恐る恐る顔をあげ、
その人の顔を見る。大抵の大人は、私が悪いにも拘らず謝ってくれる。
「ごめんね。大丈夫?」
 何も言わずにさっさと歩いていてしまう人もいる。時々、叱られることもあった。だから大抵、どこかに座ってじっとしていた。
 デパートは嫌いだった。デパートは嫌いだったが、慣れていた。だから、家出をしようと決めて外にでた時、自然とデパートに
足が向いたのは、そういう訳だったのだと思う。とりあえず落ち着ける場所に行きたかった。家にいたらそのうち母や父が帰って
きてしまう。母の顔を見たら、たぶん家出なんてできなくなる。
 外では葉の落ちた枝が風に揺れていた。今日は宝くじ売り場に誰も並んでいなかった。私は食べ物屋のテーブルに座って、
これからどこへ行こうかと考えた。ここにいては母がくる可能性もある。母が家に帰るのはいつも七時くらいだ。家に入って私がい
ないと気付けば、とても心配するだろう。考えがまとまらないので、私はぼんやりと車の流れを目で追っていた。こういう時、
動いている物を見てしまうのは何故だろう。ソースのこげるいい匂いがして、お腹が減ってきた。
 何気なくお店のほうに振り向くと、女の人と目があった。テーブルに肘をついて、つまらなさそうにアイスクリームを舐めながら、
私の目をじっとみつめてきた。色っぽく組まれた長い足の先で、ヒールがぷらぷらと揺れていた。女の人はアイスの残りを無理やり口
に詰め込むと、両手いっぱいの買い物袋を持って私のほうへ歩いてきた。
「何してんの?」
 私は黙っていた。どう答えたらいいのかわからなかったというのもそうだが、何より彼女に見とれてしまったのだ。
詳しい年齢はわからないが、まだ若い人だ。彼女は綺麗だった。アイスをもぐもぐさせている頬が、明るい茶色に染まった髪や
少し派手な服装とは対照的に子供らしく、私は笑ってしまった。
「な〜に笑ってんのよ〜。あんたもしかして生意気系?」

58 名前:妹2/4 ◆IizsX5THsw [] 投稿日:2007/06/24(日) 23:32:09.84 ID:916SG0jx0
 彼女の両手を塞いだ荷物が重そうなのと、お詫びに、私は椅子を引いてやった。彼女は荷物をどさりとテーブルに置くと椅子に腰掛けた。
「感心感心。で、なにやってんの?外ばっかり見て、迷子にしちゃ落ち着いてるわね」
 迷子と言われて、私は少しむっとした。
「家出」若干気取って私はそう答えた。
 彼女は一瞬呆気に取られたような顔をしてから噴出した。失礼だ。
「ああ、ごめんごめん。これでおあいこだって。怒らないでよ」
 そう言って彼女は私の頬を人差し指で突いて、また笑いだした。この人は私を馬鹿にするためにわざわざ来たのだろうか。
「家出か〜。大変だね〜。悪い大人に気をつけなさいね。あんたいくつ?」
 悪い大人といえば目の前にいる彼女がそうではないだろうか。「十一歳。五年生」
「学校はどうするの? お金ちゃんと持ってる? 泊まる所は?」
 学校どころか、私は何も考えてなかった。そもそも本気で家出する気があるのかさえ疑問だ。
「お腹は? 減ってない?」
「減ってる」そこははっきりしていた。
「そっか、そっか〜。つまり無計画的な家出か〜。うんうんいいよ、青春だな〜。よし!
今の全部、私がなんとかしてあげる! 交換条件つきだけどね。ついておいで」
 そういうと彼女は荷物を持って、さっさと歩いていってしまった。
「交換条件?」私は慌てて、彼女を追いかけると、そう訊ねた。
「うん、あんた名前は?」
「千沙子」
「そう、それじゃあ、ちーちゃんって呼ぶから。あんた一日、私の妹やりなさい」

 赤と青の光が薄暗い部屋の壁を滑っていく。テレビ画面からは流行の歌が流れていた。どこからか、大きな笑い声が聞こえてくる。
ソファーは少しべたべたしていた。部屋の雰囲気に少しどきどきした。彼女は入り口に設置させた電話で注文をしている。
「よし! 注文終わり! 早く歌いなよ。あんたが来たいって言ったんだよ、カラオケ」
「ユミさん、何か歌ってよ」彼女はユミという名前だった。
「あ〜、ちょっと〜。ユミさんはやめてって言ったでしょ? 今日は、お姉ちゃんって呼びなさいよ」
「……お姉ちゃん」私が照れながら言うと、彼女は満足気に笑った。
「よしよし。何で自分で歌わないの? 照れてるの? あんたいつもは何歌うの?」
「カラオケ来たことない」
「は? マジで? カラオケ好きなんだと思った」

60 名前:妹3/4 ◆IizsX5THsw [] 投稿日:2007/06/24(日) 23:33:00.71 ID:916SG0jx0
 デパートをでたあと、私はユミさんの車に乗った。どこへ行こうか聞かれたとき、私はカラオケに行きたい、と答えていた。
何となく、大人っぽい雰囲気の所に行きたいと思った。自分の行った事のない、学校の友達とは行かない、大人が遊ぶような場所。
「まぁ、それじゃあ、私の歌を聞きなさい。必殺、尾崎と長渕のコンボ!」
 彼女の歌は下手だった。私は、運ばれてきたポテトをつまみながら楽しそうにしている彼女を眺めた。気になることがあれば、
そのたびに彼女に聞いた。この人だれ? この歌はいつの? お姉ちゃんはカラオケによく来るの? そんなに行くのに何で歌が下手なの?
「あんたも何か歌いなさいよ」
 分厚い収録曲一覧表を二人でめくりながら、これは知らない、あれは知っているとやるのは楽しかった。
「翼をください」を歌うことにした。この間、音楽の授業で歌ったやつだ。こんな歌まであるなんてカラオケはすごい。
初めは緊張して声が出なかったが、二番からはちゃんと歌えた。歌い終えると、お姉ちゃんは拍手をしてくれた。
赤の光が彼女の顔を這ってゆき、それはどきっとするほど綺麗だった。私は変にどぎまぎして、早く次の曲を
入れるよう、お姉ちゃんを急かした。自分の声の余韻を消してしまいたかった。
 それから私とお姉ちゃんは、いろんなところへ行った。始めてビリヤードをやった。台がたかくてうまく打てなかったけど、
楽しかった。ゲームセンターにも行って、化粧品店にも行った。恥ずかしくてすぐに落としてしまったが、薄く化粧をしてもらった。
ペットショップでは二人でフェレットに触れた。ランジェリーショップにも行った。どこに行くにしても、お姉ちゃんは必ず私の
意見を尊重した。私が大体のイメージを伝えて、彼女が具体的なアドバイスをしてくれた。私のイメージとあう所もあれば、
まったく違うところもあった。自分で選択する、ということが嬉しかった。家ではそれができなかった。千沙子にはまだはやい
といって両親は何もさせてくれなかった。「千沙子の好きなシュークリームだよ」といって袋を提げてやってくる父に、
何度か腹をたてた。シュークリームが好きだったのなんて、もう何年も前の話だ。離婚する両親の、どちらが私を育てるか、
それすらも二人だけで決めてしまうつもりなのだ。
 遊び疲れた私達はお姉ちゃんのアパートに帰った。お姉ちゃんの部屋は予想外に綺麗だった。二人で鍋の準備をするのは楽しかった。
私が包丁を握るのは初めてだというとお姉ちゃんは驚いた。
「本当に〜? お母さんの手伝いとかしないの?」
「したいけど、危ないからって握らせてくれない……」
 ご飯を食べ終わると、八時になっていた。お母さんもお父さんも家に帰っている。私のことを心配しているだろう。
「そろそろ帰る?」
 私の心配を見透かしたようにお姉ちゃんは言った。帰るべきなのも、自分が本当は帰りたいと思っているのも分かっていた。
しかし、それではお姉ちゃんに申し訳ない気がしてはっきりと答えることができなかった。
「ちーちゃん、こっちおいで」そういってお姉ちゃんは寝室に入っていった。「二人で三十分だけ寝よう。そしたら送っていくから」
 布団に入ると、お姉ちゃんは優しく私を抱いてくれた。香水の匂いがした。
「そういえばお姉ちゃんは何で私が家出したか聞かないの?」

61 名前:妹4/4 ◆IizsX5THsw [] 投稿日:2007/06/24(日) 23:34:00.34 ID:916SG0jx0
「別に〜、理由なんていいじゃん。したいからしたんでしょ」
 そもそもお姉ちゃんは何で私に声をかけたのだろう。月の青い光が窓から差し込んで、私とおねえちゃんの上半身包んだ。
私は何だか泣きたくなってくる。
「ねぇねぇ、あんたおもしろいもの見せてあげるから、ちょっと待ってなさい」
 そういってお姉ちゃんは布団から出ると、一枚の写真を持ってきた。
「ほら、これ。半年前の私」
 黒い髪に地味なメイク、地味な制服。お姉ちゃんの指差す先に、あのデパートの子供服売り場で働く馴染みの店員さんがいた。
「あんた全然気がつかないんだもん。私なんかすぐわかったよ。あ〜、お母さんと毎週くるあの子だ〜、って」
「うそ! 最近見ないからやめちゃったんだと思ってた! 生きてたんだ!」
「やめたよ〜。赤ちゃんできたから〜。って地味に酷いなあんた」
 お姉ちゃんのお腹は膨らんでいるように見えなかった。まだ、目立たない時期なのだろうか。
心の中の疑問にお姉ちゃんはあっさりと答えてくれた。
「流れちゃったの。仕事までやめたのにね〜」
 私は何と言ったらいいのかわからず黙っていた。
「今は友達のやってる店を手伝ってる。アパレル関係」
「やっぱり服なんだ」無理やり笑おうとしたが、うまくいかなかった。
「そうそう。だからね〜、今日本当は妹じゃなくて娘がほしかったんだ〜。一日限定だけどね」
「私、娘でもよかったのに」
「あんた、私をいくつだと思ってるのよ」お姉ちゃんはぷりぷりして言った「あんたと私の年齢差じゃ妹が自然よ」
 私はアイスを頬張る彼女を思い出して笑った。しかし、笑いもすぐに強張ってしまう。
「いいのよ。そりゃ、残念だけどね。私だってすごい悲しんだのよ。しばらく食事もできなかったんだから。
でもいつまでもめそめそしてるわけにはいかないでしょ? 私そんなに恵まれてないわよ」
「そのときにあってれば、私がお姉ちゃんをやって慰めてあげたのに」
 お姉ちゃんは少し驚いた顔をして、私の頭を撫でてくれた。涙は自然に溢れてきた。
「生意気」そういって頭を撫で続けてくれた。
 次にいつ会うかは決めなかった。でも大丈夫、私達はいつでも会える。私はポケットに手を入れた。
お母さんお父さん心配かけてごめんなさい。お母さん、明日デパートにいこう。明日はお父さんと一緒に行こう。お父さんお母さん、
みんなで暮らそう。料理も覚えるんだ。私、妹がほしい。妹ができたら、私の着れなくなった服をあげよう。新しい服も
いっぱい買ってあげよう。すごくかわいくしてやるのだ。私とってもいい服屋さんをしっているの。明日、デパートに行こう。
私が決めた。お姉ちゃんの携帯の番号が書かれた紙を強く握ると、家のドアを勢いよく開けた。


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