【 君に、贈る 】
◆tGCLvTU/yA




42 名前:君に、贈る1/4 ◆tGCLvTU/yA [] 投稿日:2007/06/24(日) 23:26:04.50 ID:8vFyfveA0
 我が家の食卓はただいま、三人の人間で構成されている。
 まず我が妹、春香。心配そうに俺じゃない方の男を見つめている。血の繋がってない義理の妹だけど、自慢の妹だ。
 そして冴えない男が二人。偉そうに腕を組んでいる俺と、顔に「緊張」と極太マジックで書かれている妹の彼氏であろう男。
 両親がとっくに他界している我が家で、食卓を囲むのが三人になるというのは本当に久しぶりだった。
「――妹さんを、僕に下さい」
 長い沈黙が場を支配し、俺が切り出そうとしたところで彼はようやく意を決したらしく、それだけ言って頭を深々と下げた。
 まあ、春香が滅多にしない神妙そうな面持ちで男を連れてきた時点でこうなることはわかってはいた。だけど、改めてその
言葉を聞くと、全身に電流が走ったような感覚がする。やっぱり、衝撃的だった。
 驚きこそしたけど、春香の結婚についてとやかく言う権利なんか俺にはありはしない。
「はあ、どうぞ」
 あっさりとした返答に彼はどうやら拍子抜けしたようで、こちらを見てちょっと固まっている。弱ったな、春香は一体どん
なイメージを彼に伝えていたんだろう。

 しかし、春香は男に興味がないものとばかり考えていた。
 冷静に考えてそんなことあるはずないのだが、普段の男っ気のなさや、家には俺しかいないとはいえ常にジャージで過ごす
といった体たらくだ。結婚なんか遠い未来の話だろうとぼんやりと思っていたのに。
「しっかし、お酒弱いな。彼」
 まさかビール一杯で潰れるとは思わなかった。弱い弱いと飲む前から言っていたけど、悪いことをしたかもしれない。
「うん、でも今日は頑張った方だよ。いつもは口つけただけで顔真っ赤にするのに」
 食器やらを片付けながら春香が言う。なるほど、酒豪のお前とはまるで正反対というわけか。
「いつからなんだ? 付き合い始めたの」
「ん……高二の秋くらい、かな」
 普段あまり使わない頭を使って計算を試みる。春香は今二十二歳だから、つまり五年くらい付き合ってたわけか。
「お前さぁ、一回くらい家に呼べよ、なんで結婚する直前まで知らないんだ? 俺」
 こいつのことだ、どうせ気を使ったとか言い出すに決まってるんだろうけど。
「んー、気を使ったんだよ。ほら、兄さんは彼女もいないから私と裕也くんがいちゃいちゃするのとか見たくないでしょ?」
 それ見たことか、と内心で苦笑する。大いに余計なお世話だな。確かに彼女はいないし、いちゃいちゃするのを見るのは
非常に腹立たしいが。
「……否定はしないけどさ、でも、お前がどんな男と付き合ってるか気になるじゃん」
 春香の食器を洗う手が、ぴたりと止まった。

43 名前:君に、贈る2/4 ◆tGCLvTU/yA [] 投稿日:2007/06/24(日) 23:27:14.25 ID:8vFyfveA0
「裕也くんってさ、似てると思わない?」
 彼の顔を見てみる。さっきは頼りなさそうな印象だったけど、よく見るとなかなか整った顔立ちをしてる。だけど、俺の
記憶の中の誰にも彼は似ていない。
「やだな、顔じゃないってば」
 俺の反応が面白かったのか、食器洗いを再開してくすくすと笑う。
「わからんな。誰に似てるんだ?」
「兄さんに」
 今度は、俺の動きがぴたりと止まる番だった。改めて彼の顔を見る。ぐーぐーと眠っているけど、俺はこんな無邪気な寝
顔はきっとできないだろう。
「似てないだろう、俺には。女の趣味が合わなさそうだ」
「うん、気になること言ってるけど無視するね。でも、裕也くんは兄さんに似てると思うよ。だから好きになったのかな」
 お前も気になること言ってくれるじゃないか。兄としてはどう反応していいか困ったものだ。
 とりあえず素直に喜んでおくか、と呟きつつ俺は席を立って春香の隣に立つ。適当に食器を一枚掴んで、
「手伝うよ」
「うん、ありがと」
 会話が途切れて、沈黙が場を支配し始めた。裕也くんとやらの寝息とカチャカチャと食器を洗う音がなければ完全な静寂
だろう。さて、どんな話題を切り出すか思案していると、
「今だから言うけど、もしかして私の初恋の人って兄さんかもしれない」
 沈黙を破ってさらになんともいえない沈黙を呼びそうなことを、春香は言った。
「……まあ、これほどの美男子だからな」
「そうだね、微妙な男子なんだけどそれでも私は兄さんのことが好きだった」
 さらっと冗談を冗談で返される辺りに妹の成長を見出しつつ、こいつは俺を好きだったと本気で言ってるんだと思い知る。
「あ、もちろん今も好きだけどね。恋愛感情とかはないんだけど」
 そんなに複雑な表情をしていたのだろうか、とっさに春香はフォローを入れる。変に気を遣うのは相変わらずみたいだ。
「お兄さんができるって聞かされた時、正直すごく不安だった。自慢じゃないけど私、環境の変化にすごく弱いから」
 そう言われれば、確かにうちに来て間もない頃のこいつは怯えまくってたな。と、すっかり曖昧になってしまった当時の記憶
でもそれだけは鮮明に覚えている。
「だからね、多分ここを好きになるきっかけを作ってくれた兄さんのこと好きになっちゃったんだと思う」
 そのきっかけが俺にはよくわからないけど、きっとこいつにとって大事なことを俺はしたんだろう。俺にとってほんの些細
なことに過ぎないと思うけど。

45 名前:君に、贈る3/4 ◆tGCLvTU/yA [] 投稿日:2007/06/24(日) 23:28:10.72 ID:8vFyfveA0
「だからね。私はすごく感謝してるんだよ、貴大くん」
「……懐かしいな、その呼び方。なんか恥ずかしかったからすぐ止めさせたんだっけ」
 というか、今も充分恥ずかしい。いや。改めて聞かされる今のほうが倍恥ずかしいかもしれない。
「私も懐かしいよ。なんかこういう風に呼びたくなっちゃって」
 春香は少しだけ照れ笑いを浮かべたあと、
「だけど、もう終わり」
 一呼吸を置いてさらにそう付け足した。
「終わり? ああ、結婚するからか」
 俺が手を洗い終えると春香は蛇口を捻り、水を止めた。食器洗いはもう終わったみたいだ。後は食器を片付けるだけだな。
「うん、それもそうなんだけど――私、今日でここ出てくよ」
 ああ、やっちまったと思ったときにはもう遅い。がしゃん、という嫌な音がして食器が割れた。
「もう。何やってんの兄さん……」
 はあ、とため息をついてせっせと片付け始める春香。いや、お前が何やってんの。というか何言ってんの。
「いや、皿割ったのは悪い。けど、出て行くって――」
「うん。だってほら、お嫁に行くってそういうことでしょ? 早い方がいいかなって」
 それにしたって早すぎる。だけど、高校時代は超のつく優等生で俺の評判を相対的に落としてくれたこいつのことだ。出
て行くと言うからには、もう準備もしているのだろう。
 そういえば、こういう奴だったんだ。困ったことがあるとすぐ俺に相談するくせに、俺の助言とはいつも正反対の行動を取る。
もっとも、今回はその相談すらないのだが。
 困った、言葉が、出ない。
「今日で、とか勝手だよね。ごめん。だけどここにいたら多分いつまでも兄さんに甘えちゃうだろうから」
 情けない。これではどっちが年上でどっちが年下かわからない。はあ、と俺は重くため息を吐く。
「そうだな。その方が俺もすっきりするよ。毎日毎日ラブラブされちゃたまんないからな」
 今更ながら、こいつは彼だけの女になるのだと実感する。胸いっぱいに悔しさが広がってきた。
 精一杯の負け惜しみを言ってやる。もっとも、当の本人は酒に潰れて寝てるのだけど。
「はは、そうだね。針のムシロってやつ? まあ、私は聞かれても見られても何にもやましいことはないんだけど」
 俺的には気まずいことがいっぱいありそうなのはきっと気のせいじゃないだろうな。楽しみなのは生まれてくる子供だけだよ。
 そこでふと、春香が腕を広げてきた。手招きのおまけつきで。抱きしめろ、という中学生の頃まで使ってた合図だ。
「ほら、最後に」
 すっかりやらなくなったけどこいつがまだ中学生の頃、今とは別人にか弱い女の子だったころはこうして励ましてやったものだ。
 
48 名前:君に、贈る4/4 ◆tGCLvTU/yA [] 投稿日:2007/06/24(日) 23:29:18.01 ID:8vFyfveA0
 はあ、とため息をつく。先程より、比較的軽めの。
「お前も、なんだかんだで根本の部分では変わってないのな」
 やっぱり不安なんだ。新しい環境へと移り変わることが。ここに来る時がそうだったように。
「妹を励ますのは兄貴の役目だもんな、ここでは」
 一歩だけ春香に近づいて、両腕を背中に回す。すると、まるで決められた動作のように春香は俺に体重を預けてくる。顔を胸にうずめてくる。
 そういえば、まだ言ってない言葉があったな、と思い出す。
「――結婚、おめでとう。これから先、色んなことがあると思うけど兄ちゃんだけはお前の味方だから」
 そう、励ますのも兄貴の役目なら妹を守るのも兄貴の役目。我が家の兄というポジションは多忙なのだ。
「――ずるいな、兄さんは。私が兄さんを好きなった時と同じセリフ言っちゃうんだもん」
 思い出した。そうだ、こいつがここに来てからちょうど一ヶ月経った頃だろうか。見るに見かねた俺が今と同じことやってやったんだ。
 これだったのか。殴られるの覚悟してやったんだよな、確か。
「あー、やっぱりここが一番落ち着くなー。兄さん、私の家になってよ」
 そういって、春香の両腕が俺の背中に回る。顔を胸にうずめてるせいか声がくぐもって聞こえる。
 兄らしいことは何一つしてやれなかったかもしれない。こいつの支えになることはしていたかもしれないけど、それでもきっと
良い兄とは言えなかっただろう。だけど、それでも。
「もし、お前が子供を生んでお母さんになっても、その子供がさらに子供を生んでおばあちゃんになっても、お前は俺の妹だから。
世界にたった一人の、俺の家族なんだ。だから、辛くなったいつでも帰って来い。お前の家は、ここにあるから」
 この家は、一人で住むには少し広すぎる。四人が半分になって、また半分になる。それだけのことなのに。
 この胸にこみ上げる寂しさに泣きそうになる。いや、もしかしたら泣いてるのかもしれない。だって、
「ごめん、兄さん。もう少しこのままでいいかな。今の顔、見られたら厳しい、か、も」
 鼻をすすりながら精一杯捻り出した春香の言葉に、
「――ああ、俺も今はちょっと見られたく、ない」
 こんなにも安堵してる俺がいるんだから。


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