【 死のうとも 】
◆Lldj2dx3cc




35 名前:【品評会作品】 死のうとも (1/4) ◆Lldj2dx3cc [sage] 投稿日:2007/06/24(日) 23:21:36.04 ID:H86xwoJf0
 時は夜。場所は月を仰ぐ荒城。
 いちおう酒場とされている部屋で、暴れるものは誰一人いない。
 みんな底抜けに陽気だ。
 だって、殴りあったりしようもんなら死んでしまう。
「俺たちゃ、ゾンビだからな」
 ジョークのようにたびたび聞こえる言葉は、額面どおりそのままの意味だ。
 殴りゃ腕がもげるし、殴られりゃ首が飛ぶ。痛かないが、死んだりくっつけたり、そのあとがどうにも面倒だ。
 だからみんな歌い、踊り、笑いあう。死人にゃ、暗くなる必要なんてないんだ。
 仲間の腐ったすっぱい匂いにさえ慣れちまえば、ここはパラダイスだった。

「十三号、なんか面白い話してくれや」
 五十一号と五十二号が呼んでいる。
 連番で仲のいいやつらだ。生前はガチホモだったんじゃないだろうか。
「オーケー、ヒヨっ子ゾンビども。ここの流儀を教えてくれようじゃねぇか」
 ここでの掟はたった三つだ。
 詮索しないこと。詮索と言っても、生き返ったときには全生活史健忘、つまりなぜだか生前のことなんかもうさっぱり思い出せないのだが。
 落ち込まないこと。免疫もなにもあったもんじゃないと思うが、悲観するやつぁ、腐りやすい。
 愛し合わないこと。セックスは時に暴力よりも激しいという前例がある。――もっとも、今も昔もここは男やもめなのだが。

 きれいにオチがついたところで、二十号が妙な顔つきでやってきた。
「なんたら健忘やら免疫やら、ほんと十三号はなんにでも詳しいなぁ。生前はやはり医者かな」
「おいおい詮索は――」
「本人が覚えてないことは詮索とは言わんだろう。それにこれは、公正な賭けの対象だ」
 二十号の肩を見越すと、向こうのテーブルでは古参の面子が下品に笑っている。
 これだからジョンブルはと苦笑する。
 ちなみに俺の正体について、大統領にベットしているのは一人、つまり俺だけだ。
 いろいろと物知りな俺は、とりわけ正体を賭けられる対象になっていた。

37 名前:【品評会作品】 死のうとも (1/4) ◆Lldj2dx3cc [] 投稿日:2007/06/24(日) 23:22:34.91 ID:H86xwoJf0
 夜明けの気配を感じて、バカ騒ぎから一人外れると、俺は荒城を寝室へと歩いた。
 ふと、懐かしいような、死んだ心臓を叩き起すような妙な昂ぶりに襲われて、久しぶりに息を吸った。
 そう、匂いだ。嗅いだことのある、爪の間に染み付くほど感じた、確かに生前の一属性であったに違いない匂いだ。
 場所はじじいの工房の前だった。俺たちの記憶を奪い、第二の生を与えてくれたクソじじいのゾンビ工房の前だった。
「じじい! この匂いは……」
 自分自身わけもわからず、腕がもげんばかりの勢いでドアを弾き飛ばす。ムッと匂いが濃くなった。
 ゾンビよりも緩慢な仕草で顔を上げるじじいも、今は視界の端でほとんどフレームアウトしている。
 ただ、新しいゾンビだけが見えた。女だった。長い髪に、清潔な衣服を着ている。
 新鮮な死体だったのか、垢じみた匂いも、酸い匂いもしない。忘れかけていた女の芳香が、強い。
「後沿いまでゾンビたぁ、とことん酔狂なじじいだぜ」
 酔うまいと強がりに口にした冗談は、それすら自分の腐った匂い以上に、女の匂いがする呼気だった。
 叩き起された心臓が痛い。軋みを上げる奥歯が腐れ落ちそうだ。
 なぜだかわからないが、今にも当り散らしたいような戸惑うほどの衝動は止められなかった。
「ご主人様、彼は、なにものですか?」
「十三号や、お前はこの部屋でなにも見なかった。いいな。この部屋でのことは忘れよ」
「へっ! “ご主人様”だとよ! まったくいい身分じゃねぇか、それにきれいなべべ着させてもらってよ! 俺の売った……」
 怒りは急にブッツリと途切れた。冷たい脳細胞に、電撃が走る。
 なにを口走ろうとした? なにを売った? なにを思い出そうとしているんだ?
 継ぎかけた言葉は、ビールの泡のように揺れて失われてゆく。
 ただ、強い苦味と、懐かしい匂いだけが消えない。
 裂けるほど見開いた目頭になにかを幻視しようにも、おぼろげな火花は確かな像を結ばない。
「忘れろ。忘れろ。忘れろ。十三号。そして思い出せ、ここはユートピアだ」

 女のゾンビが現れたことは、すぐに知れ渡った。
 こっちにゃ出てこないが、じじいのそばに仕えている女ゾンビがいる――鼻が利くのは俺だけではなかったのだ。
 愛し合ってはならないという掟すら忘れるほど、浮かれぶりは一様ではなかった。
 俺だって伊達にここまで腐らずに生きてきたわけじゃない。愉快な仲間たちと女ゾンビを肴にバカ話に興じて笑いあったりもした。
 けれど、忘れることは出来なかった。ビールの泡は、消えても消えてもどこからともなく現れる。
 忘れてはならないことがある。あの瞬間発火した的外れな怒りは、死んでも忘れてはならないことを忘れていた自分への憤怒だ。
 心臓が止まっても、身に余すところなく刻まなければならない記憶と引き換えに、こんな場所でのうのうとゾンビになって笑いあっている。

38 名前:【品評会作品】 死のうとも (3/4) ◆Lldj2dx3cc [] 投稿日:2007/06/24(日) 23:23:50.41 ID:H86xwoJf0
「おいおい、なに腐ってんだよ」
 声をかけてきたのは、件の英国紳士二十号だった。ふと気付いてわき腹を掻くと、ごっそりと肉が剥がれ落ちた。文字通り腐ってやがる。
「十三号、死ぬなよ。素性もわからず死んじゃ、賭けも最後の審判もノーサイドになってまたゾンビになっちまうぜ」
 思わず笑った。確かにイングリッシュ・ジョークはアメリカン・ジョークよりは上等だ。
「思い出さなきゃならないことがあるみたいなんだよ」
 そう言って、わき腹から覗いた肋骨を指先でコツコツ叩いた。
「ほう、グッド・ニュースだ。大統領様の隠し財産のありかでも思い出したか」
「そんな痛快なもんじゃないさ」
「だとすりゃ、ふーむ……こんな話があるな。お前が生前堅気じゃなかったんじゃないかって話だ」
「おいおい、大統領閣下に対して失礼じゃないかね、君」
 二十号が笑う。うまいウィットにではなく、バカ話に肩をすぼめる笑い方だ。
「大統領は流石に与太だろうが。それはそうと、弁護士の卵ってのはどんな人間だと思う?」
「そんなもん、弁護士の子供かロースクールの学生くらいだろうさ」
「いやいや、答えはな、ヤクザもなんだよ。なぜなら彼らは刑務所にいる間、ずっと暇だからずっと読書しているというのさ」
 ハーハハハハハと高笑いしているのは紳士二十号だけだ。残りのゾンビどもはどうにも寒々しいピエロを笑っていた。不覚にも俺も笑った。
「お前、即席のジョークは全然うまくないのな」
 紳士二十号のあだ名が、道化二十号に変わった瞬間だった。

 目が覚めると、まだ薄暮時だった。カーテンが残照にさらされて、冷たい部屋の中に発光している。
 仲間の陽気にあてられて、いつしか止まっていたわき腹の腐敗が再発している。
 寝ぼけた頭で、俺はまた死ぬのだと思った。
 さほど遠くない未来に、もう二度と生き返ることない形で。そんな予感があった。
 思えば俺がそうかも知れないのと同様に、みんな訳ありの連中だったのかもしれない。
 大統領の死体が消失したなどということがあれば、大事件だ。つまり俺は大統領ではない。もっともこんな話自体、所詮つまらない与太でしかないのだが。
 安ピカレスクに踊らされた小悪党か、どうしようもない犯罪者か、はたまた生粋のアウトローか、いずれにせよ、大統領よりはこの反魂の荒城にはそっちの方がお似合いじゃないか。
 酒の肴にはなる推理だ。俺は起きることにした。
 廊下へ出ると、忘れかけた崩壊の予感が、急に肌を粟立たせた。
 覚えている、男が女を求める衝動的な匂い。
 走った。場所など考えるまでもない。一秒でも早く、記憶から逃れるような速さで。

39 名前:【品評会作品】 死のうとも (4/4) ◆Lldj2dx3cc [] 投稿日:2007/06/24(日) 23:24:31.19 ID:H86xwoJf0
 飛び込んだ部屋ではすでに、楽園の崩壊が始まっていた。
 呼吸を必要としない鼻腔に、甘いような苦いような粘っこい匂いが詰まった。
 女ゾンビを、仲間たちが輪姦していた。
 股間を怒張させているゾンビもいれば、それがもげてしまっているゾンビもいる。
 女の方は組み敷かれ、魂が抜けたように自分に乗って腰を振る男を眺めている。
 周囲にはなんだかよくわからない汁と肉片が飛び散っていた。
 それは、何度も、何度も、何度も何度も見知った情景だった。
「なんて、ことだ」
 誰かがこっちを見た。
「おい、お前も仲間に入りたいなら順番は守れよ。みんな待ってるんだ」
 記憶を封印していた膜がべりべりと音を立てて破れる。
 この崩壊を呼んだのは俺であるような錯覚に襲われる。
 違う。それは、過去の記憶だ。
 何人もの女を売り、そのたびにこの光景を目の当たりにしてきた。そうしなければ生きられなかった。
 俺は女衒だった。
 激しいピストンに肉片を散らす女ゾンビが、象徴的に幾人もの女と重なる。
 日々の糧を、そして明日の商売を回すために、酷いところを選んで彼女らを売り飛ばした。その方が、高く売れる。
 上等な衣服を着て、ご主人様などと呼べるような綺麗なところになんて、一度も売ったことがない。
 なすがままに揺さ振られる女ゾンビの目玉がごろりと抜け落ちて、一瞬腐った俺を映す。それが、最後の膜を引き裂いた。
『お兄ちゃん、どうして』
 絶叫しながら女ゾンビへと駆けた。目玉をかかとでひねり潰し、頭を蹴り飛ばす。
 腐った首はあっけなく折れて、水っぽい音を立てて転がった。同時に俺の脚ももげた。
「お前ェ、なにすんだよ!」
 挿入したまま罵声を浴びせるゾンビを突き飛ばし、妹の体を掻き抱き、そのままへし折る。
 周りのゾンビから殴り蹴飛ばされ、そのたびに体が崩れる感触がある。
 あの時も、できることならば殺してやりたかった。
 信じた兄に裏切られたことも知らぬまま、蹂躙の恐怖も知らぬまま消してやりたかった。
 罵詈雑言と、崩れゆく肉体の音が聞こえる。けれどもう、苦しみも恐怖もない。
 忘れてはならない痛みを抱えたまま、死ぬことができる。
 そうして俺はようやく、妹に頭を下げられることができるのだろう。              (了)




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