【 ぼくのいもうと 】
◆D7Aqr.apsM




895 名前:【品評会作品】ぼくのいもうと 1/4  ◆D7Aqr.apsM [] 投稿日:2007/06/24(日) 21:53:58.64 ID:/lQLnLwc0
 誰もいない家で一人、僕は冷蔵庫から牛乳を飲んだ。ひやりとした感覚がおなかに落ちるのを感じながら、コップを流しに置く。
明日は学校へ行かなきゃいけない。のんびりした時間は嫌いじゃあなかったけれど、そろそろちょっと飽きてきた、っていうのも
本当で。だから、学校へ行けるのはそれなりに楽しみだった。そしてもうひとつ、今日は楽しみな事がある。

「お、耕太。久しぶり。もういいのか?」
 がやがやとした空気。僕が僕が教室に入っていくと、クラス委員の牧野が声をかけてきた。ふちのなしめがねが光る。
「ああ、もう大丈夫。 なあ、委員長、ちょっと聞きたいんだけど、英語でシスターってどういう意味だ?」
 牧野はクラスで唯一、英語教室に通っている。何を聞くんだ、という顔でひょいとめがねをかけなおす。
「ん? シスター? 妹とか――」
「おらー! 四年二組の野郎どもー! 席につけー!」
 長い髪を無造作に束ねた担任が教室に入ってきた。涼子先生、相変わらず寝ぐせがすげえ。
牧野も僕も反射的に自分の席に戻る。涼子セン、朝は機嫌が悪い。復帰早々に罰としてクラスの前で
コバナシを披露させられるのはいやだ。大体、「半数以上の笑いがとれるまで許さん」って基準はどうかと思う。
芸人じゃあるまいし。出席がとられる。僕は別のことを考えながら、うわの空で返事をした。

 昔から、弟か妹がほしかった。委員長の牧野なんて、したに弟が一人、妹が一人の合計二人もいる。
奴の家に遊びに行くと、弟に命令を出しながら遊んだり、折り紙を折ってほしいという妹の頼みをきいてやる
姿が見られた。僕にはありえないことだ。一人っ子だから。
 でも。それも今日で終わり。
 うちに、妹がやってくる。
 三日前くらいだっただろうか。夜に目がさめて台所へ降りたとき、両親が話しているのを聞いてしまった。
急な話だけれど――。大丈夫、女の子でもきっと仲良くやるわ。シスター――いい経験に――驚かせましょう――。
そして、今日がその日だった。
 終わりの会が本当におわり、挨拶もそこそこに階段を二段飛ばしでかけ降りる。家まで全力疾走。
途中、スーパーマーケットを通りぬける。近道。長い坂。家の門が見える。ランドセルを玄関に放り出し、
廊下を走る。見たことのないでかい靴。台所から母親の笑い声。
 そこか! ドアをあけ、駆け込もうとすると、僕は派手に何かにぶつかった。顔が痛い。――ジーンズ? 
 顔をあげるとそこには、緑色のでっかい目。そばかす。トウモロコシのひげみたいな、ふわふわの金髪。
「教会の、シスターマリーさん。あ。さん、はいらないのかな。しばらくうちで預かる事になったの。挨拶しなさい」母さんの声が
遠くに聞こえた。「十八歳だから、お姉さんね」そんなの誰も聞いてねえ。

896 名前:【品評会作品】ぼくのいもうと 1/4  ◆D7Aqr.apsM [] 投稿日:2007/06/24(日) 21:54:50.46 ID:/lQLnLwc0
 呆然としていると、握手をされて、そのあといきなり――その、抱きしめられた。しゃがんで。映画で、同じように大人が子供に
するのを見たのを思い出した。あとからこの家に来たくせに。僕は、やたらとふわふわする感触から逃げると、ドアへ走った。
「お前なんか妹じゃないんだからな!」
 自分でも意味がわからない。けれど、とにかく僕は扉を叩きつけるように閉めて、自分の部屋へ逃げた。

 それから、戦いの日々が始まった。
 父さんと母さん、そして僕。三人の家に、あの女がやってきてからすべてが変わった。いつものように風呂からあがってタオル
一枚で居間にいったら、奴がいた。母さんに怒られた。「女の子の前でなんて格好を!」 でも、奴は短パンとTシャツで、家の中を
うろうろしてるのに! その、なんというか、いろいろ……おっきくて、こっちがはずかしいのに! しかも、やたらと僕に話し掛けてくる。
一度なんてかってに部屋に入ってきた。僕が漫画を読んでいて、名前を呼ばれたかと思ったら、いきなり肩越しに本をのぞきこんでた。
いい匂いがして、目なんてガラス玉みたいにきれいで――。ちがう。そうじゃなくて。人の部屋にかってに入ってきやがって。漫画を
みたそうにしていたから、何冊か貸してやったら帰った。
 ご飯を食べる前、奴はなんかぶつぶつと呪文を唱えた。目を閉じて。まつげがすごく長くて――。ちがう。僕はガイジンが
納豆を食べて困るのをテレビで見たのを思い出したから、持ってきて、目の前で混ぜてやった。奴は不思議そうにみていたけれど、
僕がご飯にかけて食べると、いきなり真似して食べた。ちょっと変な顔はしたけれど、それでも食べた。母さんはそれを見てゲラゲラと笑って、
そのあとで英語で何か話していた。
 次の日。晩ご飯に信じられないものが出た。にんじんだ。生の。切っただけの。カレーの中に入っているならともかく、棒みたいな形に
切っただけのにんじんなんて! 悪魔の食い物だ、と思っていたら、奴はボリボリとそれを食べて見せた。そのうち、一本を僕に差し出してきた。
にんじん嫌いの、この僕に! 僕はなんとか飲み込んだ。母さんは爆笑していた。グルか。グルになっているのか! 
 一度――本当に一度だけ、間違ってマリーが風呂に入っているのに扉をあけてしまったことがあった。洗い場で髪の毛を洗っていたマリーと
目があった。いつもふわふわして蜂蜜みたいな色をしたそれは、ぺったりと頭にはりついていて、まるで洗われた猫みたいに
かわい――。ちがう。僕は慌てて扉を閉めて逃げた。ちょっと、本当にすこし、悪いことをしたし、わざとじゃないって事だけいいたくて、
夜、マリーの部屋にいった。英語はわからなかったから、ごめん、とだけ言って頭を下げた。その、いろいろ見ちゃった気もするし。ぶたれるかな、
と思っていたら、初めて会ったときみたいに抱きしめられた。すごく柔らかくてふわふわして――。ちがう! とにかく! 許してもらえたらしい。
とりあえず、意地悪はもうやめようと思った。そのときは。
 次の日、僕が風呂に入っていたら、いきなり扉があいた。タオルを巻いただけのマリーが立っていた。びっくりして湯船の中に隠れると
マリーは背中にかくしていた手をこちらに見せた。水鉄砲。空気を圧縮して水を飛ばす、すげえ奴。二十メートルくらい飛ぶんだ。あれ。
中に入っていたのは冷水だった。ひとしきり僕を撃ちまくると、マリーはもう一丁を僕に投げてきた。いい度胸。僕らは撃ちあった。
戦いのあいだ、マリーがどんな格好だったかは、覚えていない。覚えてないってば! その日は二人でのぼせて、脱衣場で倒れた。
母さんに怒られた。父さんはわらっていた。

897 名前:【品評会作品】ぼくのいもうと 3/4  ◆D7Aqr.apsM [] 投稿日:2007/06/24(日) 21:55:37.00 ID:/lQLnLwc0
 そして。ある日。
「ただいまー」
 誰もいない家に声が響く。僕の家は共働きだった。マリーはまだ学校か、教会に行ってるはずの時間。
 マリーは、この街に留学生として来ていた。普段は高校に通って、放課後とかは教会に行っていた。留学の世話をしてくれた恩返しなのだと
母さんが言っていた。わかったような、わからないような。
 台所の方で、がたん、と何か倒れるような音がした。――なんだ? 泥棒? 怖さをおし殺して音を立てないように靴を脱ぐ。見ると、マリーの
靴があった。あれ? 家にいるのか? そういえば朝、制服に着替えずに母さんと寝巻き姿で話しているマリーを見たのを思い出した。僕は
朝錬があるから、家を出るのは早い。学校、休んだのかな。
 そうっと台所の扉を開く。床に、金色の髪が広がっていた。マリー。なんで台所で寝てるんだろう? さすがガイジンは訳がわからん。
――違う。なんか変だ。
「おい」僕はマリーをゆすった。体が熱い。「風邪ひいた?」
 マリーがゆっくりと身体を起こして、僕の顔を見た。違う。風邪じゃない。これは――。
 顔に、赤いぽつぽつができていた。このあいだの僕と同じ。麻疹だ。
「――――」
 マリーは笑って見せた。立ちあがろうとして、座りこむ。部屋へ行こうとしている。僕が手を取ろうとしたら、止められた。伝染る、
と思っているんだろうか。
「おい、マリー。僕は大丈夫なんだよ! もうかかったんだ! 大丈夫、わかるか?」
 マリーはぼんやりとした顔をして僕をみていた。伝わってない。テーブルの上に薬を飲んだ跡。ちくしょう、風邪薬なんかじゃ治らないのに。
母さんと父さんの携帯に電話した。出ない。取りあえず留守電にメッセージを残す。マリーはぐったりとした様子で居間のソファーに
横になっていた。つれていくしかない。医者に。僕が。
「マリー。医者に行こう。医者。わかるか?」
 きょとんとした顔で僕を見ていた。ちくしょう、英語なんてわからねえよ。僕は腕に注射を打つフリをした。マリーがゆっくりと肯く。
なんとかわかったみたい。タクシーを呼ぼうと、電話を取ってから気がついた。この病気は伝染る。タクシーの人に伝染ったら。
僕のときは、母さんが車でつれていってくれた。あたりまえだけれど、僕は運転できない。――歩くしかない。
 着替えるのも辛そうなので、僕は母さんのコートをマリーに着せた。横から支えて歩く。ゆっくりと、ゆっくりと。半分背負うようにして。
信号を二つ越えたところにある、小沢医院。普段なら五分もかからないのに、こんなに遠いなんて。早足にならないように、マリーのペースに
合わせて、ゆっくりと歩く。マリーが何か呟く。それが痛い、なのか大丈夫、なのかもわからない。何で僕は英語がわかんねえんだよ。
 医院の前の玄関。マリーがよろけた。支えようとしたけれど、無理だった。僕もいっしょに転ぶ。下敷きになった。マリーが何事か
つぶやきながら、僕の上からどいて、しゃがみこむ。僕はマリーのコートの乱れを直して、玄関前の石段に座らせた。靴を脱いで、駆け込む。
「すみません! あの、麻疹だと思います! 熱が! すぐに治して!」

898 名前:【品評会作品】ぼくのいもうと 4/4  ◆D7Aqr.apsM [] 投稿日:2007/06/24(日) 21:56:28.13 ID:/lQLnLwc0
 受付の看護士さんはきょとんとした顔をしていた。後ろから先生が顔をだす。
「おー。耕太君、どうした? 元気そうに見えるけど?」
「僕じゃないんです。外に、麻疹で!」
 それだけ言うと、僕は玄関に走り出した。マリー。大丈夫だろうか。あとから先生達がついてくる。 
 マリーは壁にもたれるようにして座っていた。先生がおう、と一言いって、顔をのぞきこむ。
「いつからだ?」
「わからないんです。たぶん、朝くらい。お願いです! 治してください! お金は必ずあとで持ってきますから」
 先生はしゃがみこんでマリーに話し掛けた。外国語。マリーが辛そうに答えている。少しだけ安心した表情。
 看護士さんが後ろで話していてるのが聞こえる。――ガイジンの場合、ってどうなるの? 処理がわからないわね。
 どうしてかわからない。でも、僕は振りかえって怒鳴った。
「ガイジンじゃねーよ! 妹だ!」
 にらみつけた。看護士さん達は、おどろいた顔で、僕をみた。黙りこむ。
 先生はマリーを抱き抱えると立ちあがって、僕に向かって笑いかけた。
「よし、君の妹か。なら、きっちり治さなきゃな。細かいこたぁ後だ。いくぞ」
 病院へ入る。途中、看護士さんにいくつも指示を出す。何が何だか解らないけれど、取り合えず治してもらえるみたいだった。
 廊下を照らす蛍光灯の光の中、抱き抱えられたマリーがうっすらと目をあけて、僕をみると、ゆっくりと目をつむって、また開いた。
ウィンクだったら、片目でするものなのに。不器用なやつ。

 三日後。彼女は、熱が下がると退院して家に帰ってきた。やたらと元気だ。あの、弱りきった姿が思い出せないぐらいに。
休みのあいだ、マリーは僕の部屋の漫画を片っ端から読んでいった。母さんいわく、多分日本語は読めていないって話だけれど。
なにが面白いんだろう。少しずつ日本語を覚えていった彼女は、ようやくなんとか僕と話ができるようになったところで、
国に帰っていった。僕は空港で見送った。マリーは顔をくしゃくしゃにして、泣きながら出国ゲートに消えていった。
僕は泣かなかった。うるさいな、泣かなかったってば! 家でお風呂に入るときに、水鉄砲をみて少しだけ寂しい気分に
なったけれど。僕は泣かなかった。
 今でも、時々マリーからは手紙がくる。手書きの、英語と日本語が混ざった変な手紙。書き出しはいつも同じ。
――おにいちゃん、元気ですか?

<ぼくのいもうと> 了



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