【 セミ啼く庭で 】
◆PUPPETp/a.




54 名前:No.16 セミ啼く庭で 1/4 ◇PUPPETp/a.[] 投稿日:07/06/24(日) 19:56:11 ID:aLGQ9ld0
ある晴れた昼下がり。
太陽は燦々と光を放ち、日を浴びた木々はそれに傘を差して庭に木陰を作っていた。
木陰は庭に面した縁側へも手を伸ばしている。
一人の老婦人は、そんな縁側に丁寧に座っていた。猫をひざの上に乗せ、猫と同じように目を細めて。
田舎にあって、広い庭は一つの絵画を見るようであった。
ただ無為自然に、セミの鳴き声が辺りに木霊し、夏の風情をおおいに盛り上げている。
どこか遠くから子供の笑い声が聴こえる。
老婦人は猫の背を静かに撫ぜて、何を思うのだろうか。

彼女の家は近辺の長者として、名を知られていた。
今では彼女の住むこの家が残っているだけになってしまっている。それでも悩みがあると彼女の家に相談に来る人
が絶えない。
そんな家の一子として彼女は生まれる。
父親は厳しさを持って彼女に接してきた。母親を早くに亡くしたこともあってか、どう扱っていいのかわからなか
ったのかもしれない。
早世した母に代わって、乳母が彼女に愛情を持って育てることになる。
乳母にも娘が一人いた。
名をお千代という。
彼女は自分よりまだ年若いお千代を、まるで妹のようにかわいがっていた。
お千代も彼女のことを「姉さま」と呼び、二人はいつも一緒に遊んでいたものである。
乳母はそのことを申し訳なさそうにしていたが、父は微笑ましげにその様子を眺めていた。

だが、いかに平和な家にも騒乱の波はやってくるものだ。
戦争である。
東京ではなく、それより遠い、地方に住んでいる彼女の家にも、その火は飛び移る。
その時の彼女は、まるで花が咲くような乙女だった。
一人の男性に思いを寄せる。それも無理からぬことであった。
しかしその男性は戦争によって、帰らぬ人となった。
そんなときもお千代はそばにいた。
時代の潮流に逆らうことなどできるはずもなく、ただ泣くことしかできない彼女の背を静かにさする。

55 名前:No.16 セミ啼く庭で 2/4 ◇PUPPETp/a.[] 投稿日:07/06/24(日) 19:56:33 ID:aLGQ9ld0
その心に浸り、彼女は平常を取り戻していった。

時は過ぎ、彼女に縁談が持ち込まれる。名家の長子として生まれた者の宿命であった。
父の知人から紹介され、見合いが組まれて、そして結納へと運ぶ。
彼女の目から見ても、男性は好青年だと思えた。
物静かな男性の態度に、彼女は次第に心惹かれていく。
結納までの間、ゆっくりと二人の間に情が芽生えた。
そしてお千代にも時期を同じくして、見合いの席が設けられていた。
長年の間、乳母として家事を取り仕切り、彼女に愛情を注いできたお千代の母へ報いようと、彼女の父は家柄、性
格共に申し分ない相手を選んだと自負していた。
しかし、その縁談によって彼女とお千代の間に深い溝を掘ることとなる。
距離。
それは物理的な距離の問題であった。
まだ交通網の発達していない当時のこと。遠方に嫁ぐということは、今生の別れにも等しいこと。
そのことを知った二人は、共に手に手を取り合い、涙した。
縁談を断ることはできない。できようはずがないことだった。
彼女の父が乳母への恩に報いようとしたことと同じように、乳母も、そしてお千代自身も恩があったのだから。
だから――涙をこぼす。
二人はただ手を取り合うことしかできなかった。

それから二人は文のやり取りをしていた。
月に一通の手紙。それが二人を結びつける、唯一の手段だった。
お千代はどんな暮らしをしているか。気苦労をしていないか。
丁寧な文に、彼女は自身の心をしたためていた。
お千代も同じように、彼女のことを気遣いが溢れていた。
いくつそうやって手紙をやり取りしただろうか。いつしか彼女は子供を授かることとなる。
お千代にそのことを告げるとまるで自分のことのように喜んでいた。
生まれた子供は女子であった。
難産であったが、お千代が書いた手紙を手に取ると、まるでそばに立って手を握っていてくれているようだと笑う。
その言葉を聞いて、彼女の夫は少し困ったような顔を浮かべたものだ。

56 名前:No.16 セミ啼く庭で 3/4 ◇PUPPETp/a.[] 投稿日:07/06/24(日) 19:56:48 ID:aLGQ9ld0
それからは子育てに追われるような日々だった。そんな折、お千代から届いた手紙にはお千代も子供を身ごもった
とあった。
段々とおなかが大きくなり、家事が大変だ。子供がおなかを蹴った。
そんな内容が綴られた手紙が送られてくる。
そして十月十日。
お産が過ぎたころから手紙が届かなくなった。
月に一度送られてくる手紙は、何年も続けていた。
彼女自身も子育てに奔放していたため、忙しいのだろうと思っていた。
だがそれは、半年後に届けられた一通の手紙によって失われることとなる。
お千代が嫁いだ家からの手紙には、産後の肥立ちが悪くと書かれ、そして――。

そして何十年という歳月が流れる。
娘に子供が生まれ「お婆ちゃん」と呼ばれる年齢になり、そして孫にも子供が生まれて、まだ小さいひ孫たちは彼
女を「大婆ちゃん」と呼ぶ。
濡れ羽色の髪をした可憐な女性から、白髪を綺麗に撫で付けた老婦人となり、こうして庭を眺めるのが日課となっ
ていた。
セミの鳴き声がジッと途切れ、音が響いていた庭に一瞬の静寂が満たされた。
「姉さま」
ひざの上の猫を撫でる手を止め、彼女は顔を上げた。
「……お千代?」
そこには、お千代の姿が。二人で手を取り合って別れた、あの日のお千代が立っていた。
笑顔を浮かべたお千代が手を差し出す。彼女は駆け出した。
白髪を撫で付けていた髪は翠の黒髪となり。
枯れていたはずの体には瑞々しい活力が甦り。
差し出された手を取る。
「相変わらず泣き虫ですね」
彼女の目に涙が滲んでいて、それはすぐに頬を伝い落ちる。
「お千代、ごめんなさい。ごめんなさいね……」
「何を謝っているんですか。さ、行きましょう」
あの時と同じように手に手を取って、二人は庭を後にする。

57 名前:No.16 セミ啼く庭で 4/4 ◇PUPPETp/a.[] 投稿日:07/06/24(日) 19:57:02 ID:aLGQ9ld0
二人が消えた庭で、セミが思い出したかのように大合唱を始めた。
引き戸が音を立てて開き「大婆ちゃん」と呼ぶ声がする。
眠るように目をつむる彼女の口元には、小さく笑みが浮かべていた。
ひざの上の猫が大きくあくびをひとつ。

  『完』




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