【 趣味の悪いひと 】
◆wDZmDiBnbU




45 名前:No.13 趣味の悪いひと 1/4 ◇wDZmDiBnbU[] 投稿日:07/06/24(日) 17:11:56 ID:aLGQ9ld0
 妹には『良い妹』と『悪い妹』があるらしい。
 友人の種田の弁だ。こいつは本当に勿体ないと思う。黙っていれば優等生で通るというのに、
放課後の学生玄関で堂々と『妹論』をふるうから女子にドン引きされるのだ。高校生活におい
て、女子から忌避されるなんてのはどう考えても地獄でしかないはずなのに、しかし彼には関
係ない。「妹でない女子の存在意義がわからない」とか堂々と言ってしまえるあたりは、まあ
ある意味、かっこいいと言えなくもない、かもしれない。
 種田によれば、妹の良し悪しの判別は実に簡単なのだと言う。二次元は至高の妹、それ以外
はなんの価値もないクズなのだとかなんとか。随分と言いたい放題言ってくれるが、しかし架
空の妹を持ち出されてしまったら反論のしようもない。そうですね、と同意してやったのに、
しかし種田は不満げに身を乗り出してくる。「だがな」と、もったいつけるのは、彼の癖だ。
「世の中には、その不文律を軽々と越えてしまう化け物がいることを忘れるな。我々が油断し
ているうちに、彼女らは二次元の世界から『こちら側』にやってくる。そう、例えば――」
 お前の妹のように、と続いたので、俺は思わずむせ返ってしまうところだった。
 ――こいつは、あんなのが趣味なのか。
 唖然としてしまった俺をよそに、とうとうと夏希の――俺の妹の魅力を語る種田。可愛くて、
活発で健康的で、そして兄を慕っていて、と、まるで見てきたようなことを言う。まあ実際、
夏希は一学年下の一年生だから、確かに種田は何度となく見てはいるのだが。しかしだからと
いって、その種田の批評が的を射ているものだとは、少なくとも俺には思えない。
 夏希が可愛いかどうかは、なんともいえない。世間一般には可愛い部類に入るらしい、とい
うことはわかるのだけれど、しかしやっぱり可愛いような気はしない。活発だとか健康的だと
かいうのは、きっと彼女がバスケ部に所属しているからだろう。当人が「バンビのような」と
ご満悦の脚は確かに健康そのものではあるが、しかしその蹴りを食らう身としては、子鹿とい
うよりグリズリーのように思える。兄を慕って……のくだりは、もはや考えるまでもない。確
かに兄妹仲は決して悪い方ではないのだけれど、しかしその半分以上は「兄の辛抱」が担って
いるということを、種田はまるで知らないらしい。
 妹を持つ兄というものは、例えるなら「おしん」のようなものだと俺は思う。そう思うのだ
けれど、しかしそんなことを言えば種田は怒る。あまりに怒るので「そんなに欲しけりゃやる
から」と夏希を差し出してみても、やっぱり怒る。「血が繋がってなきゃ意味がないだろう
が!」とかなんとか、ものすごい剣幕で上履きを投げつけてくるからもう手に追えない。いく
ら俺がやめろと言っても、彼は、

46 名前:No.13 趣味の悪いひと 2/4 ◇wDZmDiBnbU[] 投稿日:07/06/24(日) 17:12:12 ID:aLGQ9ld0
「これは妹の分! これも妹の分!」
 と、次々に下駄箱から、他人の上履きを引きずり出してくる。逆上すると周りが見えなくな
るのが種田の悪いところだ。その彼が、ようやく動きを止めたのは――。
「あ。兄貴」
 という、俺にとっては聞き慣れた声が、校内の方から響いたせいだ。
「……おう。部活か?」
 からだを払いながら声の方に目をやると、案の定そこには夏希がいた。手には部活用のバッ
グらしきものがある。らしき、というのは、その鞄がブンブンと振り回されていてよく見えな
いせいだ。こういうがさつなところは女の子としていただけないな、と俺は思うのだが、しか
しそれよりもいただけないのは、
「当然。年中ヒマな帰宅部は楽でいいよねー」
 なんて、言わなくてもいい軽口をわざわざ叩いてしまうところだ。返答に窮した俺は、とり
あえず足元の上履きを拾って、下駄箱の適当なところへと突っ込む。「あ」という間抜けな声
が響いたのは――たぶん俺が移動したせいで、夏希にも種田の姿が見えるようになったせいだ
ろう。俺と同じく、“年中ヒマな帰宅部”であるところの種田が。
「ど、どうも。いつも兄がお世話になってます」
 そういうときは謝るもんだがな、と思ったが、どうせあとで蹴られることになるので言わず
においた。種田は種田で、誰のものかわからない上履きを手にしたまま、ぎこちなく頭を下げ
ている。「……じゃあ」という短い締めの言葉のあと、遠ざかる足音が聞こえた。あの「じゃ
あ」の感じだと、結局は蹴られる羽目になりそうだ。どうせなら説教しておけばよかった、と、
今更ながら後悔する。下駄箱に靴を戻し終えたあとも、種田はしばらく固まっていた。

 あの様子じゃたぶん聞こえてなかったさ、と、俺は隣を歩く友人に声をかける。
 校門を出てからしばらく歩いたが、やはり種田はぎこちないままだった。他人の上履きをそ
のまま持ってきてしまうほどの、そのショックはわからなくもない。「お前の妹はどうこう」
とふざけていたところに、当の本人が来てしまったのだから。
 確かに種田の悪ノリは度をすぎることもあったけれど、でも俺は決して嫌いじゃなかった。
こんなふうに元気のない彼を、ただ見ているのは気分のいいものじゃない。俺はいろいろと考
えた末、「もし本人に聞こえていたみたいだったら、どうにかフォローしておくからさ」と、
まるで自信のない約束を告げた。一体どうフォローするのか、そう突っ込まれたらどうしよう

47 名前:No.13 趣味の悪いひと 3/4 ◇wDZmDiBnbU[] 投稿日:07/06/24(日) 17:12:29 ID:aLGQ9ld0
か――なんて、俺の心配は、まったくの見当違いだった。
「……いいやつだよな、お前。でも、そうじゃない」
 いつになく真剣なその声に、俺は少し首を傾げた。どういう意味だろう。そう訊ねるよりも
早く、種田が続ける。
「さっき、彼女を見て気づいた。俺は本気で、お前がうらやましいと思ってる。妹とか、そう
いうの抜きで」
 一瞬、意味がわからなかった。いや、あるいはわかりたくなかったのかもしれない。妹を抜
きにしたら、彼にとっては何の意味もない存在になるのではないか――なんて、この期に及ん
でそんなことを考えるほど、俺も馬鹿じゃない。なんと声をかけていいのか、わからなかった。
「……すまん」
 そう謝る種田に、俺は「別になにも悪いことはしてないだろ」というのが精一杯だった。そ
うかもな、という返事が聞こえて、そのまま種田はふらふらと、少し先にある公園へと入って
ゆく。パンダの遊具の上に腰掛けるから、俺はそのとなり、ゴリラの上に腰を下ろす。
「でも、心配すんな。どうせ俺に、告白する勇気なんてねーよ。出来たところで、どうせ」
 自嘲気味、というのか、おどけて、というのか。いつもの笑顔のように見えなくもないけれ
ど、でも、それが普段の冗談と違っているのは明らかだった。握りしめられた誰かの上履きが、
ぐにゃりと大きく歪んでいる。友人として、かける言葉はいくらでもあるはずだった。でも俺
は何一つ、彼に答えてやることが出来ない。
 種田は、いいやつだ。俺の大事な友人だし、俺はこいつのいいところを山ほど知っている。
その彼に好きな相手がいるのだったら、友人として、俺はそれを応援してやりたいと思う。夏
希はおすすめできない、なんてのは、きっと俺が兄だから思うことだろう。第一、種田自身が
好きだと言っているのだから、そこにはもう俺の口を挟む余地なんてない。そしてその思いが
成就するかどうかは、夏希と近しいところにいる、俺が握っているようなものかもしれない。
 なんとかしてやりたい。そう思う反面、成就してほしくないとも思う。俺はどうすればいい
のか、そもそも、どうしたいのか。まったくわからなくて、腹が立つ。言葉もないまま、時間
だけが過ぎていった。遠くでバイクの音が聞こえる。だんだんと近づくその音に、俺はなんと
なく顔を上げた。少し居心地の悪いこの空気を、外に向けたかったのかもしれない。

 バイクはどうやらスクーターだった。少し離れたところ、公園の入り口に止まっている。ハ
ンドルに買い物袋を二つ下げて、シートの上には髪の長い女性。ヘルメットに白衣というおか

48 名前:No.13 趣味の悪いひと 4/4 ◇wDZmDiBnbU[] 投稿日:07/06/24(日) 17:12:46 ID:aLGQ9ld0
しな姿の彼女は、どうやらこっちを――というよりも、種田の方を見ているようだった。
 彼女はヘルメットを外し、そして大きく息を吸い込むと、あり得ない言葉を叫んだ。
「なんだぁー? 青春かー、少年?」
 図星、というか、そのまんまだ。となりで種田が顔を上げる。パンダにまたがったままの姿
勢で、いままで聞いたこともない大声を出す。
「なんだよお前! 帰れよ!」
 どうやら種田と彼女は旧知らしい、と思ったのは、種田の乱雑な言葉遣いのせいだ。彼がこ
んな話し方をするのを、俺はいままで聞いたことがない。案の定、バイクの女性は、俺の方に
視線を移して――長い髪を揺らしながら、深々とお辞儀をした。
「どうも、バカな弟がいつもお世話になってます」
 少し距離があるせいか、大声には違いなかったのだけれど、でも落ち着いた、上品な挨拶だっ
た。俺はなんて答えたらいいのかもわからず、ゴリラに座ったまま、ぎこちなく会釈を返した。
それを遮るように、パンダの上から大声が響く。
「ネコ被るなっつってんだろ気持ち悪りい! だいたいなんでこんなトコいるんだよ!」
「なんでって、研究で泊まり込みだから、買い出し。あーそうだあんたジュース飲むー?」
「いるかボケ! 帰れ! 死ねバカ!」
 ジュースをくれると言っているのになんて言い草だ、と思ったけれど、本気で上履きを投げ
る種田にそんなことは言えない。砂場に突き刺さる上履きに、「こわー」と呟く種田の姉。手
早くヘルメットをかぶりながら、再び俺の方に視線を向けて、会釈する。今度は動くことすら
出来なかった。ぱっちりと大きな彼女の目が、真っ直ぐに俺を刺したような気がした。
 遠ざかるバイクのエンジン音と、種田がパンダを殴る音だけが、公園に響く。
「くそ。なんなんだアレは! なにしに来たんだあのバカ」
 そんな種田の文句も、もう俺の耳には入らない。俺はただぼんやりと、遠くの空を見つめな
がら、「お前の姉ちゃん、美人だな」と呟いた。ハァ? なんて、返事が聞こえた気がする。
 なんだか敗北感のような、満足感のような。この気持ちは決して彼にはわかるまい。あるい
は、ずっと前から知っていたのか。種田が急に駆け出して、砂場に刺さった上履きを蹴る。
「お前、趣味悪りーよ!」「お前がだよ!」
 夕焼け空に弧を描く、その誰かの上履きを追いかける。どこかの民家の敷地に落ちて、ガチャ
ン、と音がした。すぐさま、反対方向に駆け出す。マンガかよ、だなんて、笑いながら――俺
たちは、趣味の悪い二人は、夕暮れの町のなかを、ただどこまでも、走る。    <了>



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