【 隙間の月 】
◆hemq0QmgO2




44 :No.43 隙間の月 ◇hemq0QmgO2:07/06/17 20:47:10 ID:s3iEwa6p
 朝と夜の隙間の月が薄雲の奥で白く漂っている。黒から紺、紺から紫へと色を変える空の下に
十二月の風が吹いて落ち葉を鳴らす。葉子はたった一人、線路沿いの小さな公園の薄汚れたブランコに座って、
丈の長いコートに手を突っ込み、鼻頭を赤く染めながら、やがて来るだろう青と白を待っていた。
 葉子はその薄い唇までをマフラーに埋めて、いつか読んだ小説で主人公が吐き捨てた文句を思い浮かべた。
「自分の公園を持ってる大人なんて、少し叙情的に過ぎるよ。甘い酒に痴れるように郷愁を貪って、情けない」。
 ほっとけ、と葉子は心の中で毒づいた。甘い酒に酔って、情けなくて、何が悪い。大人がなんだ。
しかめっ面でウンウン唸っているだけで中身は子供と何一つ変わりゃしない。私は二十歳だけど、二十歳なだけだ。
フラれて泣いて、自分の場所で、朝を待つ。十でも四十でも六十でも、私なんてそれだけだろう。
 葉子は自分で考えているよりずっと美人で、心の優しい娘だったが、いささか勘が鈍すぎた。
勘が鈍い、ということに自分で気が付かないほど、勘が鈍かった。こと色恋沙汰において、
勘の鈍さは彼女の足を引っ張った。近付くにしても、浮気をするにしても、隙だらけなのだ。
 いつも男の方から葉子に近付き、充足すると去っていく。男が去る時、優しい彼女は毒の一つも吐けない。
「そう。じゃあ、サヨウナラ」
 ゾッとするほど静かな声でこれだけ言ってしまうと、後は一人で悲しみ、酒を飲んで、その繰り返しだった。
 今日何本目かの南武線が公園の脇を滑るように走り抜けた。葉子はマフラーをほどき、冬の朝の清潔な空気を
大きく吸い込むと、白いため息に変えて吐き出した。相変わらず月が漂っている。まだ薄暗い紫色の隙間だった。
「行方も知れぬ、恋の道かな」
 葉子は呟いて、ハッ、と突き放すように笑った。ブランコの鎖が軋んで情けない音を立てた。
公園の入口で猫が「なあう」と鳴いた。砂場をさくさくと踏み、ブランコの前にやってきて、葉子の顔を
まじまじと見つめる。痩せた白猫だった。葉子の顔を見ながら、もう一度「なあう」と鳴いて、走り去った。
 葉子は慰められたような気持ちになって、ゆっくりとブランコを漕いだ。軋むブランコも痩せた猫も、
わざとらしくて、笑えた。「ありがとう。もう充分だよ」と言わんばかりにブランコから飛び降りると、
マフラーが落ちた。拾い上げて辺りを見渡す。ぼやけた薄い色、月。どうやら夜の最期だった。
 葉子はマフラーを巻いて歩き出した。蜃気楼のような月を見上げ、毛糸の奥で小さく唱える。
「おはよう」
 途端に、青と白に包まれた。月は隙間に消えてしまった。(了)



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