【 祈る言葉すら持たずに彼女は 】
◆D7Aqr.apsM




42 :No.41 祈る言葉すら持たずに彼女は ◇D7Aqr.apsM:07/06/17 20:25:11 ID:s3iEwa6p
 私が幼い頃、一人の女性が家に居候していたのを覚えている。きれいな金髪を長い金髪で、良くお話しを
してくれた。そのころ住んでいたのは祖父の家だった。とても古い屋敷で、昔は貴族が住んでいたのだそうだ。
  彼女は、昔礼拝堂だった場所を書斎のようにして使っていた。私は机を挟んで彼女に向かい合う席に座る。
「お話の続きを聞かせて?」私はエミリーにいつものお願い。
「モリー、宿題は終わったの? ――Well....., say "magic word"」
「もちろん終わったよ。えーと、"Please?"」いつものやりとり。異国の言葉で交わされる約束。人差し指を一本、
ぴんと立ててエミリーはにっこり笑う。語り始めるのは、この世界のどこにもない物語。彼女が創る物語。私はそれが
大好きだった。彼女はいつでも私が約束の言葉を言うと時間を取ってくれた。他の大人達と違って。
 彼女が私の前から去ったのは突然だった。
 黒い服を着た男性が幾人もやってきて、彼女が書いていた紙の束を庭で無理矢理燃やしているのを、私は二階から
見ていた。男の一人が彼女の腕を掴み、車の方へ連れて行こうとする。その姿に、私は何かを感じたのか、階下へ
走った。子供ながらに、何か切迫した物を感じたのだろう。素足のままだった。芝生の感触。
「嫌だ! 行っちゃ嫌だ! エミリーお願い帰ってきて! "Please!" "Please!" "Please!"」
 エミリーは振り返ると、いつものように人差し指を立てて見せた。悲しそうな顔のまま、無理に笑って。
 私は祖父に引き留められ、泣きながらエイミーを乗せた車が走り出すのを見ていて。

 あれから十年以上が過ぎた。私が知ったことは二つ。一つは、思想制限法。「著しく人の思想に影響を与えうる
創作活動の禁止」を行うこの法律。エイミーが逮捕された理由はこれだったのだろう。そして、この法律は今でも
機能し、人々の心に大きな影を落としている。
 そしてもう一つ。あの言葉は、呪文でもなんでもなかった、ということだ。連れ去られてしまった彼女は、二度と帰って
こなかった。寝る前の祈りに、必ず呪文を加えていたけれど、効かなかった。あたりまえだ。あれは彼女の国の言葉で
「お願い」程度の意味しかなかった。昔憧れた本にあった、世界を変えてしまうような力は私には無かったのだ。
――モリー。全員配置についた。
 耳のインカムが鳴る。カフェテリアのオープンテラスの席。通りを挟んで向こう側に、古い石造りの建物があった。
「あなたの思想を守ろう」と大書された垂れ幕。思想制限の基準を策定している、教育庁の建物。
 私は上着の中に吊った銃を意識しながら、立ち上がる。そのまま通りを渡りはじめた。歩きながらサングラスをかける。
ブーツの踵がアスファルトの上でゴツゴツと鳴った。襟元のマイクに呟く。
――よし。状況を開始する。徹底的に恐怖ってものを教え込め。
 銃把を握る。神様はいない。魔法の呪文なんてない。世界を変える事ができるのは力だけだ。
 視界の隅で仲間の姿を捉える。――そして街に銃声が響き渡った。



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