【 呪い山 】
◆xH05ifMtvA




37 :No.36 呪い山 ◇xH05ifMtvA:07/06/17 16:51:08 ID:bcoanGxO
 指先で掻き分けられそうな濃霧が満ちた。夜に霧とは洒落ている、さすがは呪いの霊峰
よ、などと胸では笑ったが、唇を割る気は湧かなかった。
 輪に七夜も足りぬ無様な月と、湿気にけぶる初夏の星では、古く神土を宿した御山を暴
くことなど到底できぬ。誰か焚いたかいつから燃ゆるか、忘れかけたころに見える、ぼう
とした篝火ばかりがこの世の光であった。
 盲いたかと思えば、妙な間合いで陽炎が彼方に立っている。あちら側へ足をさしかけたこ
ろ、まだまだだと叱るように火を寄こす。鋭利に過ぎる古人の距離感のむごさに、さしもの
背筋がしんと震えた。
 振り向き振り向き登るうち、暁星のごとき村落の灯は、ついに山襞を掠めて沈んでいった。
頂は空をへだつものとてない影のような濃闇に呑まれている。
 霧をおして流れた風に、枝葉が打ち合って無惨な悲鳴を上げる。木立の間隔か枝葉の質
か、いっこう理由は定かにならぬが、それがまるで呪文のように聞こえる。ゆえに地図に記
された名ではなく、呪い山と呼ばれている。
 呪うための山か、呪われた山か、いずれの意味とも限るまい。麓から一切の道を徒歩の
まま、寝食を断って頂に至る。さらば現世のしがらみの一切から解脱し呪法を授かるという。
むろん、なかばで絶えれば呪いは己に返る。邪教も邪教、仏法の経典を借りねば説も作れぬ
三流である。それと知りつつ登りはじめた理由は、はて、なんであったか忘れ果てた。
 湿りを帯びた土のにおいに混じって、かーん、かーんと、透明な音が澄んで響いた。鐘楼
であろう。ふと気になって下を見れど足はなく、横に手はなく身に腹もない。痩せ胸ばかりが
闇に溶けず、ほのかに白く残っている。
 化石のようだとは思うまい。
 悪夢のようだ。
 いよいよ至ったかと安堵もつかの間、呪うべき文句の的となる、憎悪の標を失していた。
なるほど解脱、邪教は邪教らしく、これは大した呪い山だ。意識が垂れ尽きるまえに、せめ
てもの呪いに呵呵と嗤った。
 ああ、むべなるかな。
 ああ、むべなるかな。
 だれぞ悲しき、これぞいわくの呪い山。



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