【 空色の 】
◆dZqslLbx4A




5 :No.04 空色の   ◇dZqslLbx4A:07/06/16 00:22:27 ID:j9Nnjijy
 飛んでいた。
 ひゅひゅんと耳を切る風音が心地よい。透き通るような青い空を颯然と。黄色い太陽が悠然と。ふん
わりとした琥珀色の雲を飛びぬけることに空然と。隣には、恍惚を通り越す敬虔な笑みを浮かべた、幼い
天使。急激な気圧の変化に、期待で胸が、大きく膨らむ。風が心地よい仕草で、私を高みへと舞上げる。
 この世界は、私を優しく包み込んで離さない。現実での嫌悪感をも思い出せなくなるくらいに、私を
愛おしく掻き抱く。空色の世界に浮かぶ父の面影が、私に優しく微笑みかける。遠い昔に父に教えら
れた、空色の呪文。優しい世界。ユメ、のような、世界。空色の世界。私の、世界。あまりにもほわほ
わとしたこの世界が優しくて、逃げ出したことなど忘却して、それでも最後には悲しい現実を、選び取
ると言うのは。真冬に氷水を打ち掛けられた哀れな老犬のように尾を丸めて逃げ出した私にしてみれば、
随分と虫のいい話では、あるのだろう。私は。立ち向かいたかった、はずなのだ。私に覆い被さる、現実
という深紅の怪物に。ただそれ以上に、私の心がずさずさに切り裂かれることに、耐えることが。耐え
抜くことが。出来なかったのだろう、それでも、私を擁き続けるこの甘美な微睡みに、決別するのだ。
 ありがとう、私の世界。ありがとう、お父さん。いつも私に、立ち向かう勇気を。空色の勇気を、与
えてくれて。私は爽やかな風の傍らを駆け抜けた。颯爽と空に翻り、呪文を唱え、暗転。

 墜ちていた。
 びょうびょうと耳を切裂く風音に気が狂う。突き放すような碧い空を呆然と。嘲る葵色い太陽が赫然
と。ごんわりとした虚白色の雲を突抜けることに愕然と。隣には。慟哭を通り越し痙攣の笑みを張り付け
た、可愛らしくあどけなかったはずの少女。急激な気圧の変化に、機体が大きく爆ぜ始める。屋根がこ
そぎ落ち、大気の爆圧に曝され、私の体は空へと引き裂かれる。
 もう存在しないはずの腰骨を砕かんばかりの恐怖が、じりじりんと赫く染まった半身を強張らせる。
ぐるりぐると墜ち続け、次第に現実が深紅に染まり始める。小爆発を続け、ばりばらんと形を歪ませ、
ゆっくりと墜ちてくる旅客機を頭上に舐め上げながら、とろとろに熔けた、鉛のような雲に吸い込ま
れる。明滅する意識の微睡みへ逃げ込み、呪文を――、暗転。

 吹き抜けるような青い空も。黄色い太陽も。世界の全てが私を優しく包み込む空色の世界。私の眼上
をゆたりとたゆとう琥珀色の柔らかい雲が、その大きく広げた乳白色の領域から爆煙を上げて落下しつ
つある紅蓮に彩られた鉛色の鉄塊を吐き出し、じりんじりん疼く下腹部の鈍いしびれと喪失感が心を蝕
み、ぐるりぐらりと遠いてゆく空色の世界は深紅に侵食され、妖しく禍禍しくその輝きを増し続け、
――、暗転。 ――、暗転。――、暗転。 ――――――おとうさ――――――、



BACK−鳴かせてみせようホトトギス◆vkc4xj2v7k  |  INDEXへ  |  NEXT−「魔法の言葉」◆RfDa59yty2