【 小さな追求 】
◆cWOLZ9M7TI




78 :時間外No.02 小さな追求 1/3 ◇cWOLZ9M7TI:07/06/10 23:56:35 ID:yXi0zTAD
朝方の駅のホームには、電車を待つ人がまばらに立っていた。
一本早い電車にしたためか、周りにはいつもほどの人影は見られない。
ここにいる彼等同様、私も電車を待っていた。
黄色い線の内側に立ち、ただボーっと向こう側のホームを見ていた。
隣に誰かきた気配がした。
私はいつも電車の先頭にのるようにしている。
特に理由はないのだが、ずっとそうしてきたから今更他の車両には乗る気が起きない。
趣味や主張など、そういったものをまったく持たない私の、数少ない「こだわり」というやつだろうか。
だから乗り場では、先頭車両のドアが目の前にくるこの位置が私の定位置だ。
隣に立っている人も先頭に乗るつもりなのだろう。
私の心の中に、まったくもって無意味な競争心が発生した。
電車の位置は少しずれる。他の駅ではそうじゃないのかも知れないが、ここのは毎朝そうだ。
そうなると、もし彼の前で丁度電車のドアが止まった場合、そこから一番に乗り込むのは当然彼だ。
せっかく最初にここについていたのだから、どうせなら一番乗りしたい。
我ながら小さい男だと思った。
この程度のことで競争心を掻き立てるくらいならば、それを仕事に生かしたい。
競争心に駆り立てられるまま、私は隣にたったライバルの顔をそっと覗いた。
目が合ってしまった。
その瞬間、気の弱い私の中の競争心は、蒸発して消えた。
一人で勝手に気まずくなり、肩身が狭くなった。
男だった。彼は、私と同じく背広を着ていた。
平日の朝の駅なのだから何の不思議もない。
なんだか彼がこちらを見てるような気がした。
――気のせいだろう。
気が弱く、先ほどの事でいつもよりも更に小さくなっている私の心が「私を見ている男」の幻想を作り出してるのだ。
私は一人であぁだこうだと理屈をこね、そういう結論を導き出した。
結論が出たのならば確認したくなる。
気が小さいくせに、好奇心だけは旺盛な自分の心に促されるまま、私はまた隣のライバルをチラリと覗いた。
幻想は現実となった。
また、目が合ってしまった。

79 :時間外No.02 小さな追求 2/3 ◇cWOLZ9M7TI:07/06/10 23:56:51 ID:yXi0zTAD
ひどく後悔した。
二度も目を合わせてしまった。
今度は私の心に恐怖が湧きだした。
なぜ、彼は私を見ているのだろう。
1度なら偶然だろう。しかし2度はどうだ。
気の小さい私の心は、あっというまに恐怖で満たされた。
訳が分らない。何か私の顔についているのか。
また視線を感じる。
今度の幻想は先ほどよりもより現実味を帯びている。
知り合いだろうか。
もしくは仕事関係で知り合った方だろうか。
ならば挨拶の一つでもせねばなるまい。
しかし、どうにも彼の顔は、私の頭の中のどの顔とも一致しない。
覚えてないのに挨拶してしまってはそれこそどつぼだ。
誰だ。
私は少ない交友関係を全て頭の中に再生し、リストを作っていた。
だめだ。どれとも合わぬ。
取引先ならば忘れるはずもない。
とびきり「失敗」に敏感な私には、取引先の方々の顔は絶対に覚えてる自信があった。
しかし。
昔の、古い取引先の方だったらどうだろうか。
すぐに私の中の脆い自信は音を立てて崩れた。
今は会うこともない方ならば、記憶から消去されててもおかしくはない。
ここは一つ、勇気を振り絞って挨拶してみるべきだろうか。
――いや。
ここでの最良の策は、向こうから声をかけてくるのを待つべきだろう。
だが気まずい。二度も目が合ってしまっている。
今更「気づかなかった振り」を決め込むのは無理があるだろうか。
――いや、声をかけるよりマシだ。
私は、このなんとも息苦しい空間で、電車がくるまで必死に耐えることを選択した。

80 :時間外No.02 小さな追求 3/3 ◇cWOLZ9M7TI:07/06/10 23:57:07 ID:yXi0zTAD
何分たっただろうか。
時計を見るとまだ3分もたっていなかった。
一分が一時間に思える。
ならばここを離れればいいものを、私の中のつまらぬ執着心とこだわりが、ここから退かせてくれなかった。
電車がくるまであと7、8分はある。
相変わらず、彼は私を見ているのだろうか。
もう彼の方を見る勇気などない。
今はただ耐えるだけだ。
この状況を終えることができるなら、彼に一番乗りを譲ってもいい、とさえ思ってる。
その彼がいる反対側の隣に、もう一人誰かがたった。
彼―彼女かもしれぬが―もまた、先頭車両に乗り込もうとしているのだろう。
また、あのつまらぬ競争心が浮かんだ。
私は凝りもせず二人目のライバルの方をみた。

目が合った。

眩暈すら起こしそうになった。
彼もまた私の知り合いだろうか。
そうに違いない。
最初のライバルの幻想は以前私に視線を向けている。
新しいライバルの幻想ももちろん、私に視線を向けている。
とんでもないことになった。
ホームが地獄のように見えた。


私は、電車がくるまでの五分間、記憶の海にもぐり、疲弊しながらも彼らの正体をずっと探り続けた。





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