【 貞操ラブレター 】
◆lxU5zXAveU




73 :時間外No.01 貞操ラブレター 1/5 ◇lxU5zXAveU:07/06/10 23:47:25 ID:yXi0zTAD
 桜井はシャバの空気を吸い込んだ。半月ぶりの青空だ。汗だくで寝込んでいたせいか、からだが軽い。たぶん
麻疹だった。痒い発疹を盾にいくら主張しても、母親は「風邪でしょ」の一言で相手にしてくれなかった。もし
かしたら、ほんとうに風邪だったのかも知れない。
 一歩一歩、足を動かせるのが嬉しい。スニーカーのゴムが伝える弾力感を楽しみながら、桜井はほとんどスキ
ップをするような気持ちで校門をくぐった。くぐったところで、急に思い出した。先を急ぐ女生徒のポニーテー
ルが撥ねて、白いうなじが見え隠れしている。唐突に立ち止まった桜井を太陽が照らした。もうすぐ夏休みが始
まる。
 夏休みまでに返事がほしいと、桜井はラブレターを書いたのだ。

 再会を喜ぶクラスメートに阻まれつつ、桜井は机についた。暑さだけではない、嫌な汗が脇から流れ落ちた。
(俺が寝込んだのは半月だ。つまり二週間以上前に、国衛はラブレターを読んだはずだ)
 国衛は部活のマネジャーだった。部活仲間の吉村が何度か電話をくれたほかは、桜井と国衛をつなぐ情報はな
かった。
「お・は・よ・う。桜井」
 聞き覚えのある口調に、体がすくんだ。あと一オクターブ高かったら可愛い声だ。振り返ると、内股で膝をす
り合わせた吉村が立っていた。
「おま……! やめろって、そういうのは」
 拳をとばすと、口を片方だけつりあげた吉村がよろめいた。「悪い。お前に伝えなきゃいけないことがある」
「悪い知らせか」
「絶望するほどじゃない。お前にアドバイスした件が裏目に出た」
 ラブレターは吉村の案だった。国衛はモテる。加えて、桜井が休む少し前に国衛が学校を発熱で休み出してし
まい、渡せなかったのだ。桜井が医者に行かなかったのは、国衛からもらった大切なウイルス(そう信じてい
る)をしっかり受け止めた買ったからだ。
「お前は倒れてろ、後は俺がつないでやる……って言ってた件か」
「おう。国衛に聞こうと思ったんだがな。春ころに三年の連中がボコった件、あるだろ」
「ガラス割ったりしたやつか?」
「そうそう。ロッカーも扉外れたりな。とにかくアレは酷かったよな」


74 :時間外No.01 貞操ラブレター 2/5 ◇lxU5zXAveU:07/06/10 23:47:49 ID:yXi0zTAD
 桜井の胃から、急に嫌な予感がこみあげた。桜井たちのいる高校は中堅より少し下といわれている。未だに校
内で生徒の暴力事件をよく聞く。卒業リンチがあると母親に話したら、「いつの時代よ」と大笑いされるような
伝統が未だに続いていた。
「──下駄箱か」
「下駄箱だ。お前が休み始めて、桜井が登校し出すまでに四日あった。最近、風邪か麻疹が流行してみんな休ん
でただろ。生徒が少ないタイミングを狙って、学校が下駄箱を変えたんだ。女子のぶんもな」
 桜井は、机に突っ伏した。つまり、誰かが、病欠していた国衛の下駄箱を開けて、上履きを移動したのだ。ラ
ブレターの入った封筒も見つけただろう。ご丁寧に、桜井のフルネームが記された封筒を。
「そこで俺は、慌てて国衛の下駄箱から、お前の大切な封筒を取り出した」
「すまん! ありがとう!」
 桜井が両手で吉村の手を握ると、吉村が気まずそうに身じろぎした。「いや、違うんだ」

 吉村曰く、封筒には何も入っていなかった──と。
 国衛の下駄箱には、桜井の名前が書いてある封筒しかなかった。中身を誰かが持ち去ったらしい。しばらく吉
村は警戒して、クラスや部活で、生徒の動向を探ろうとしたのだが、誰も噂している様子がない。
 からかうなら、桜井の留守を狙ってもっと声高に楽しむだろう。つまり、桜井のラブレターを持った誰かは、
未だ沈黙を守っているのだ。
「犯人が分からねえ……気持ち悪いと思わんか? というかお前、顔が赤いぞ」
「誰かに読まれた。誰かに読まれた……」
 桜井は教室を見回した。体中の毛穴から、汗が蒸気となって立ちのぼっている。ぱちん、と音がした。頬に鋭
い痛みが走る。
「とにかく落ち着け。俺は国衛に探りをいれた。誰かに告られたりしてないかと。国衛は明らかに動揺してい
た。アレは何も知らないネンネの顔じゃない。自覚があるんだ」
 ぎりぎりまで顔を近づけて、吉村が囁いた。
「さっき、お前が登校してくるのを見かけて、さっそく国衛を音楽室に呼び出す手はずを整えた。お前は、国衛
がラブレターを呼んだのか、そこで確かめろ。前にもいったが、ラブレターなんて話の種にすぎねえんだ。告白
する前から玉砕するんじゃねえ」



75 :時間外No.01 貞操ラブレター 3/5 ◇lxU5zXAveU:07/06/10 23:48:06 ID:yXi0zTAD
 一方的に計画を話して、肩に手を置く吉村を、桜井は見つめた。「……なんで音楽室なんだよ」
「バカ、部活の周りじゃ計画がバレまくりだろ。サッカー部な俺たちに関心の薄そうな音楽室の周辺を狙ったん
だよ。とりあえず皆さんに感謝しろ」
 教室の向こうで、微笑を浮かべた生徒六人が、そろって親指を立てていた。
「事情を聞いて、快く応援してくれた音楽部のグッドルッキングガイたちだ」
「積極的にバラすんじゃねえ!」
 桜井は叫んで、叫んだついでに立ちあがり、走り出した。なんだか教室にいられなかった。国衛のクラスの前
を走りぬけた。できれば今は会いたくない。
 国衛は驚いたような顔をして、戸口に立っていた。
「桜井……どしたの?」
 背中に柔らかな国衛の声が刺さって、桜井はうめきながら振り返った。
 薄い色の、柔らかそうな髪が、白い頬に掛かっている。人形のような目で、唇が桜貝のようだ。
「ひさしぶり、だね。少し痩せちゃった?」
「……うん」
 国衛は躊躇うように爪先を見ていたが、やっと顔を上げた。そして、すぐに表情を曇らせた。俯いて、悲しげ
に顔を歪める。
「吉村から聞いた……ごめん桜井、わたし」スカートがひるがえって、扉が閉まる。
「おおおおおお……」
 桜井はしゃがみこんだ。ファイト、とグッドルッキングガイ達と吉村が背後から声をかける。

 授業が終わって、桜井は職員室に呼び出されて教師の励ましを受けた。「こんなの、すぐにお前なら挽回でき
る。困ったら先生に相談しろよ」初老の教師が微笑むのを見て、桜井は顔を引きつらせた。こうなるともう、何
もかもが慰めに感じられてくる。
「もう、脈なんかねーって!」
「うるせえな。こんな中途半端なままで夏休みが迎えられると思うなよ。おっと、もう時間だ」
 吉村は軍師よろしく、作戦本部と称した教室でふんぞり返っていた。部活使用時に音楽教室にある設備の配置
を音楽部員たちと確かめあっている。机やティンパニ、カーテンや照明スイッチ。
 歩数計算まで綿密に打ち合わせていた。



76 :時間外No.01 貞操ラブレター 4/5 ◇lxU5zXAveU:07/06/10 23:48:23 ID:yXi0zTAD
 ひとつ頷いて、吉村が立ち上がった。配置図をポケットにねじ込んで、教室を出ていくついでに振り返った。
親指が立つ。
「そういうことなら部活に遅れてもいいって、先輩たちも承諾してくれたんだ。十分後に必ずこいよ」
「お前は、何人に話したんだ!」
 桜井は叫ぶ。音楽部員達が微笑んだ。

 一年から三年までの一般教室のある本館から、運動場へ降りる階段を挟んで別館がある。外から見る音楽室の
窓は薄暗くて中がよく分からない。蛍光灯さえも暗い階段をのぼって辿り着いた先で、桜井は立ち止まった。
 ──どうせ振られる。分かってる。でも好きなんだ。
 吉村が手を尽くしてくれたことは、否定できない。せめてそれに報いようと、桜井は扉を開けた。圧迫感のあ
る温かい空気が桜井を包み込んだ。
 教室は真っ暗だった。「誰か、いるのか」ニ、三歩踏み込むと、背後で急に扉が閉まった。闇が広がる。肩に
何かが触れたかと思ったら、急に腕を掴まれた。
「国衛、か?」
 意外なほど強い力が、桜井を引き寄せる。両の頬を温かい掌が包み込んだ。
「読んでくれたのか? 俺……俺が書いた」
 桜井の顎に、息がかかる。闇の中で、桜井は手探りで両頬の掌から腕を辿った。かかる息が強く、温かくな
る。桜井は闇の中で、上下感覚を失った。国衛に見下ろされているような感覚で、桜井は自分が急に子供になっ
たような気が下。
「俺、お前が好きなんだ……くに」
 ──柔らかい感触。唇だ。
 桜井は両目を閉じて、闇の中で見つけた、柔らかい頬を両手で包み込んだ。首の後ろが引きつれるようで、息
を呑む。女子がこんなに情熱的になるなんて、今まで知らなかった。なんてテクなんだ。
 後ろで、物音がした。扉の付近だ。でも吉村とグッドルッキングガイが阻んでくれる。もう少し。もう少し、
唇を触れ合わせていたい。
「……ねえ、どうして真っ暗なの?」
 不安げな国衛の声がして、カーテンを引く音がした。
 ──そうだな、もう恥ずかしがらなくていいよな。もう俺たちは恋人なんだし。
 目を開けた桜井の顔を、吉村の真剣な顔が見つめていた。


77 :時間外No.01 貞操ラブレター 5/5 ◇lxU5zXAveU:07/06/10 23:48:38 ID:yXi0zTAD
「のおおおおおおおおおお!」
 桜井は両手で吉村を突き飛ばして、床に崩れ落ちた。どきどきする。腰が抜けて、膝が震えた。口を拭う。唇
は思ったよりも乾いていた。濡れていたのは、頬だ。涙が出ていた。
「すまん桜井……ちょっと可愛すぎて我慢ができなかった」
「おま……お前は!」
 ふるえる指で吉村をさす。痙攣するように涙がこみ上げてきたが、それどころじゃない。慌てて振り返って、
国衛を見あげた。窓を背に、国衛がうつむいていた。
「違う……違うんだ」
「いいの。分かってた。吉村が、そうだってこと」
 人形のような透き通った目から大粒の涙が零れた。国衛は教室を出ていった。
 呆然と座りこんだ桜井に、吉村は便箋を見せた。
「お前、知らなかっただろ? 犯人は俺」
「なんで……お前は味方じゃ」
「俺がお前に言ってほしい言葉を、一から教えたんだ。こんなラブレター、勿体無くて他のやつに見せられる
か」
 吉村に腕を引かれて、桜井は立ち上がった。国衛を追いかけようか迷って、吉村を見上げた。
「……どうしたらいいんだよ?」
「そうだな。とりあえず、俺をワタシに直せ。可愛いんだからよ」
「ウソだ」
 ──だって俺は女の子らしくないって、ずっと言われてて、だから。
 暗闇でされたように、また吉村の掌が桜井の頬を包んだ。今度は明るすぎて、近づく吉村の顔に耐え切れな
い。桜井が身じろぐと、吉村が唇の片端を吊り上げた。
「……ん。ボクでもいいな」
 沸騰しそうな頭のまま、桜井は吉村の脇腹に拳をめり込ませた。

【了】



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