【 世界の終わりにいちごミルクを飲んで 】
◆lnn0k7u.nQ




49 :No.13 世界の終わりにいちごミルクを飲んで 1/5 ◇lnn0k7u.nQ:07/06/10 21:57:32 ID:yXi0zTAD
 今日で世界が終わるらしい。朝起きたらどのテレビ局も臨時ニュースで騒然としていた。なんでも巨大な隕石が猛スピードで
地球に向かっていて、衝突すれば地球上のありとあらゆる生物が死滅するそうだ。もちろん人間も全員死ぬ。だから総理大臣も
大統領もNASAも教祖も専門家も、みんながみんな「大変だ」と騒いでいた。みんな死んじまうもんなあ。でも実際にみんなが騒
いでいるとは限らないと思う。例を挙げるなら、俺の家はいたって平凡な、いつも通りの朝だった。
 早朝、アラームが鳴っても起きない俺を母さんが「また遅刻するわよ」と呼びに来た。それに付け加えて「今日で世界が滅び
るんだから、最後くらい間に合うように行きなさい」とか言うもんだから、朝から完全に調子を狂わされてしまった。リビング
へ下りてテレビを見ると、本当に世界が滅びるらしいので、みそ汁をすすりながら「大変だ」と思った。同じ食卓についていた
妹も「大変だねー」と声に出して感心していた。
 飯を食った後もいつもの日課で、飼っているニワトリの『青色一号』に餌をやった。昔買ったカラーひよこのうち、一匹だけ
立派に育ったやつだ。卵は産まないし、コケコッコーとも鳴かないし、青色は抜け落ちてしまったし、今となってはただの穀潰
しである。
「一号も死んじゃうんだね」妹が横で寂しそうに呟いた。「自由にしてあげようよ」
 自由にしたところで、こいつは飛べないから何処にも行けない。でも大切な妹の気持ちを尊重して、学校へ行く時に一号を玄
関から連れ出してやった。すると一号は生まれて初めてコケコッコーと鳴いて、ぺたぺたとアスファルトを駆けてどこかへ行っ
てしまった。
「さよなら、元気でね、青色一号」妹は涙声で手を降り続けた。
 元気でねって言っても多分、一号は今日死ぬと思うよ。一号だけじゃなくて、俺も、お前も、母さんも、全人類も、みんな今
日死ぬと思うよ。
「もう時間よ。行ってらっしゃい」玄関から母さんがひょこりと顔を出して、俺たちを送り出した。

 うちの人たちは代々、間が抜けている血筋なのだと思う。今日で全てが終わりを告げるというのに、誰もそれを気に掛けてい
る様子は無かった。父さんは早くから会社へ出かけちまったし、俺と妹はいつも通り学校へ登校。母さんも今ごろはきっと皿洗
いをしているだろう。明日は二度とやって来ないけど、今日も洗濯はするんだろうなあ。
 自転車で駅を通り過ぎた時、そこにいつもの喧騒は無くて、悲しいほどに生気が感じられなかった。もちろん電車もバスも動
いていなかった。みんな自分たちのことで精一杯なのだ。悔いの残らないように、今日を自由に生きているのだ。
 自分が死ぬと分かっている最期の一日に、人々はどのように過ごすのだろう。恋人・家族・友人と一緒に最後まで? やって
みたかったことを実現? なんとか死なない方法を探す? 答えは人それぞれだ。今俺が学校を目指して自転車をぶっ放してい
るのも、きっと自分で下した一つの答えなのだと思う。きっと、そう思う。
 そして、不思議なことに同じようなことを考えていた奴らがいた。
 ――キンコンカンコーン。

50 :No.13 世界の終わりにいちごミルクを飲んで 2/5 ◇lnn0k7u.nQ:07/06/10 21:57:51 ID:yXi0zTAD
 チャイムが鳴ると同時に教室へ入ると、窓際で抱き合っている男女の姿が目に飛び込んだ。なんともけしからん光景だ。扉の
開く音に反応して、彼らは咄嗟にこちらを振り向いた。お調子者の藤岡と、お調子者の桜井さんだった。こいつら付き合ってた
のか。ああ、そういえば二人ともお調子者だ。フラグは立っていたわけか。
「ふう、間に合ったか」窓際で唖然としている二人の方を見ながら俺は「あっちぃー」と平静を装って顔を扇いだ。二人は訳の
分からないといった表情で俺を見ている。「ああ、今のは急いで来て暑いってのと、君たちが熱々だってのを掛けたんだ」丁寧
に説明してやると、藤岡が咳払いをしながらこっちに近づいて来た。
「お前、今朝ニュース見てないのか?」
「見たけど、別に警報は出てなかったぜ」
「そうじゃなくて……」
「そんなことより、お前たちの恋の警報はいつから鳴り出したんだよ」
「注意報は文化祭の時からかな」
 ああ、やっぱり文化祭の準備で男女間の親睦を深めておくべきだったのか。あの時に頑張っていれば俺にもチャンスは巡って
きたのかなあ。実は俺は桜井さんのことが好きだったんだよ、藤岡、このやろう。しかし、今となってはもう遅い。後悔先に立
たず。それに俺の片思いと同時に、彼らの恋愛も今日限りで終わりを告げるのだ。運命を呪うどころか、むしろ祝ってやろうで
はないか。ざまあみろ。
「つうか、なんでお前は学校に来たんだよ。まさか授業受けに来たんじゃあるめえし」
 藤岡に聞かれて俺は困ってしまった。本当に何をしに来たのだろうか。とりあえず「遅刻しないように来た」と答えてみた。
もちろん遅刻を咎める者などいない。
 その時、窓際から抑えた笑い声が聞こえてきた。俺たちが話している間、ずっと窓から外の景色を見ていた桜井さんだ。抱擁
シーンを見られたのが照れくさかったのだろうか、今まで一度もこちらに顔を向けてくれていなかった。
「やっぱり君は面白いね」桜井さんは振り向いて俺に笑いかけてくれた。「でも、地球が滅びる日に授業は行われないよ。これ
豆知識ね」
 こんな素敵な笑顔を見てしまうと、やはり学校へ来たのは正解だったと言わざるを得ない。君がいてくれて良かった。俺は純
粋にそう思った。
「桜井さんらは、どうして学校に?」
 おおよそ聞かされることは予想できた。俺には辛い内容だということも。ただ会話を繋げることに今は幸せを感じていた。
「藤岡君とは付き合い始めたばかりで、共通の思い出なんて学校くらいしか無いからね。今朝、メールが来て……最後は学校で
一緒に……って……」
 言い終わらないうちに、桜井さんは再び窓の外を向いてしまった。声が震えていたので顔を見なくてもわかった。俺は一歩踏
み出そうとしたが、ハッとして足を止めた。俺よりも先に動き出し、桜井さんの肩を抱き寄せたのは藤岡だった。

51 :No.13 世界の終わりにいちごミルクを飲んで 3/5 ◇lnn0k7u.nQ:07/06/10 21:58:08 ID:yXi0zTAD
 俺はいらついていた。入り込む隙は無い。そんなこと分かっている。彼らにとって俺は闖入者でしかない。そんなこと分かっ
ている。いらつく俺自身にいらついていた。世界もこれで終わりなのだからいいじゃないか。そんな風に割り切れればいいのに。
 廊下を歩いていると時折壁を蹴りたくなったが、八つ当たりはみっともないなと我に返って、そのままタップダンスを踊った。
無茶苦茶なリズムで叩き出される音が廊下に響き渡った。
 あのまま教室に残るのは、お茶を濁すような行為だった。俺は鳥だ。立つ鳥は後を濁さない。そのまま大空に向かって羽ばた
くのだ。というわけで職員室から鍵を拝借して屋上までやって来たのだが、空はうす曇りでパッとしないし、生暖かい風が肌を
撫でて気色悪い。せっかくの世界の終わりなのだから、もう少し清々しい気候であってほしい。生き長らえていてもしょうがな
いので、一足先にここから飛ぶつもりだったが、そんな気も失せてしまった。
「あー、のど渇いたな。ちくしょう」
 ズボンに差し込みっぱなしの財布を覗くと、百円玉が二枚。パックジュースなら二つ買える。しかし、自販機は一階だ。
ったく、俺が動くのはこれが最後だと思え。誰に言うでもなく悪態づいて、俺は飲み物を買いに下りた。
 いちごミルク。自販機に並んだジュースの中で、そいつが俺の目を引いた。昔はよく飲んだもので、好きな食べ物の欄に書く
ほど好きだった、飲み物なのに。しかし、家庭科の時間にコチニールという添加物の存在を知って以来、俺は決していちごミル
クを飲まなくなっていた。幼くして癌の恐怖はあったのである。
 エンジ虫の姿を思い出して一瞬躊躇したが、今さら健康に気を遣ってもしょうがあるまい。それに、久しぶりに甘ったるい喉
越しを味わいたくもあった。百円を投下してボタンを押す作業を二回繰り返す。取出口に落ちた冷たい二本のいちごミルクを持
って、俺はその場を後にした。
 屋上へ戻る途中、再び職員室に寄って、机の上にあったラジカセを拝借する。流行のCDでもあれば良かったのだが、あいにく
教師の抽斗から出てきたのはクラシックの名盤だった。まあ、隕石が落ちるのを見ながらオーケストラってのも雰囲気があって
いいかな。そんなことを考えながら、ラジカセといちごミルクを抱えて、屋上までの階段を猛ダッシュで上がった。疲れきった
ら、すっきりすると思ったのだ。しかし、そんな苦労も見事にぶち壊された。
「ハァハァ……、なんで……、いるんだよ」
 息を切らしてたどり着いた屋上には、一番会いたくなかった奴らがいた。
「いやあ、町の景色を焼き付けておこうと思って」藤岡が言う。そうか、そうか。もうどうにでもしてくれ。
「あ、ラジオだ! 聞こう聞こう!」
 ついさっきまで泣いていたはずの桜井さんが、今はとびっきりの笑顔ではしゃぐ。このわだかまりはなんであろう。可愛いか
ら許すけど。
 ほとんどのラジオ局は電波が停止していたが、一局だけキャスターの鑑のような人物が一人で放送しているところがあった。
落ち着いて淡々と情報を伝える姿に、俺たちは不覚にも感動した。隕石落下は夕方頃になるらしい。つまり地球滅亡まであと数
時間である。

52 :No.13 世界の終わりにいちごミルクを飲んで 4/5 ◇lnn0k7u.nQ:07/06/10 21:58:25 ID:yXi0zTAD
 俺は屋上でのんびりしたかったのだが、二人のテンションは昼休みの高校生といった感じで、世界が終わるだなんて白昼夢だ
ったのかもしれないとさえ思った。
「いちごミルク飲まないの?」
 桜井さんに聞かれて、俺は惜しみなく「あげるよ」と答えた。
「じゃあ俺にも」
 藤岡がでしゃばってきたので、俺は躊躇無く「自分で買って来い」と告げた。
 あれだけいらいらした気持ちも、今はどうでもよくなっていた。
「実はさ、俺けっこう、桜井さんのこと好きだったんだよ」
 今日で最後なのだし、どんな告白もお構いなしだと思ってぶっちゃけてみたりもした。しかし、まさかこれが喧嘩に発展する
とは思ってもいなかった。
 俺の告白にまんざらでもない反応を見せた桜井さんに、藤岡が急に切れ始めたのだ。別にそこまで気が立つことでもあるめえ
と静止する俺を、容赦なくぶん殴る始末で、手がつけられない。桜井さんも再び泣き出してしまった。
 結局一時間ほどで仲直りしたのだが、その途端に二人はまたいちゃいちゃし始めた。俺はもう唖然とするしかなかった。一体
これはなんの茶番なのだ。
 二人と屋上で過ごしている間、俺には彼らが生き急いでいるように見えた。これから送るはずだった恋人生活を今日一日に圧
縮して、悔いの残らないよう過ごしているようだった。
「そろそろ、しよっか」
 いつのまにか日が暮れ始めた頃、藤岡の問いかけに桜井さんが頷いた。なるほど、残っているイベントなんて、セックスくら
いだもんな。
「じゃあな」
 そう言うと彼らは足早に俺の前から去って行った。屋上に残されたのは、廃人とラジカセといちごミルクだけになった。

53 :No.13 世界の終わりにいちごミルクを飲んで 5/5 ◇lnn0k7u.nQ:07/06/10 21:58:40 ID:yXi0zTAD
『明日世界が滅びるとしたら何をする?』
 極論を前提とした本当にくだらない質問だ。しかし、この答えに人類が真剣に答えなければならない時がついに来たのだ。
 先ほど立ち去った二人は、この問いに対する理想を追求した結果、あのように今日を生き急ぐことになった。隕石が迫る中、
二人は一つとなって、幸福感と喪失感を抱き合わせに朽ちていくのだろう。とてもよくできたシナリオだと思う。
 それに比べて俺は何もしなかったけれど、実はこれで良かったと思っている。最後にふさわしい理想の一日なんて追求しなく
てもいい。隕石なんて気にせずいつも通り過ごせばいい。いつか自分が死ぬだなんてこと、生まれた時から決まっていたんだか
ら、自然の摂理として受け入れてやろうじゃないか。やり残したことなんて無い。いつだって精一杯生きてきたんだ。
 飲まないまま放置されたいちごミルクは、すでに生温くなっている。
 赤く染まり始めた西の空を見ながら、俺は「やっと世界が滅びるのか」と感慨深く思った。一人きりになったこの場所で、よ
うやく俺も終わる時が来たのだ。ラジカセに手を伸ばして、再生ボタンを押す。流れてきたのは聞き覚えのある有名なクラシッ
ク曲だった。曲名は分からないが、荒涼とした風景にうまくシンクロしている。
 続いていちごミルクにストローを突き刺す。一気に半分ほど飲み干して、大きく息をつく。甘ったるい匂いが辺りに漂う。忘
れかけていた味を思い出して、懐かしさに涙が零れ落ちそうになった。このとき初めて俺は死を意識したのかもしれない。
 視界の隅で流れ星が過ぎ去ったかと思うと、いきなり突き上げるような大きな揺れが起こった。それと同時に、真っ赤な夕焼
けが物凄いスピードで空を蹂躙していく。耳をつんざくような地鳴りが響き、もうすぐ自分は消滅するのだと実感した。
 最後にいちごミルクを飲み干そうと、ストローを口につけて吸い上げた。その瞬間、灼熱を帯びた風が体を吹き抜けていった。
目に見える景色が焼け爛れていく。いちごミルクも一瞬にして蒸発したかと思うと、それを持っていた手さえも既に無くなって
いた。
 そして、何も見えなくなった。あまりにも刹那の出来事だったから、肉体の消滅に意識が追いついていないのだと思う。
だから、すぐにこの思考も停止するだろう。教室へ戻った二人はどうしているだろうか。ちゃんと気持ちよくなれたのだろうか。
できれば俺も、童貞ぐらい捨ててから死にたかったなあ。ああ、やり残したことあったわ。
 ――いちごミルクの味がまだ舌に残っている。

                                        了



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