【 波間に吼えるライオン 】
◆D7Aqr.apsM




44 :No.12 波間に吼えるライオン 1/5 ◇D7Aqr.apsM:07/06/10 21:49:03 ID:yXi0zTAD
 港からの潮風がカフェの店内を抜けていく。ロイはまだ水に濡れているオールと、旗を抱えて店内に入った。
「おう、ロイ。そうか。レースが近いんだな。練習か?」
 ラジオのボリュームをさげ、マスターが厨房から声をかけた。ドライフルーツが入ったパンケーキの焼ける甘い匂いが漂う。
 この港でレースとえいば、十七歳以上の男子による、ボートを使ったレースの事だった。港から外海へ出た先にあるカモメ岩までを競う。
「はい。遅れて済みません」ロイは店の奥にオールと、ぞんざいに棒に巻き付けた旗を置いた。自分の黒いエプロンを腰に巻く。
「それでどうだ? 調子は?」
「難しいです。僕たちの艇はかなり古くて――正直、ちょっと変わってるので」
 それぞれのチームが乗る船は、その地域が用意するものだった。だから、山の手の金持ちが住む地域は、最新鋭の
すらりとして軽い船を毎年用意してきた。ロイ達の地域はまさにこの港町で、あまり豊かではないが故に、船は年季の入ったものだった。
「そうか。船もそうだけど、その――勝てそうか?」マスターの目が厨房で光る。
 レースは速さだけを求められるのでは無かった。元々、今は無き王立海軍の競技として行われてきたこのレースは、
艇同士の戦闘も認められていた。もっとも、四人乗りの手こぎボートに火器は無い。せいぜい、舷側をぶつけ合うくらいだが、
昔はオールでの殴り合いもあったらしい。
「全然だめね。港で見かけたけど――あんな乗り方なら海には出ない方がいいわ」
 店の入り口から声が響き、ロイの開きかけた口が閉ざされた。
 ざっくりとしたシャツとジーンズ姿の少女がそこに立っていた。長い金髪を無造作に後ろで束ねている。
「二回転覆させられて、最後は敵に乗り移られて海に追い落とされるなんて、酷すぎるわ。修道院の尼さんでももっとマシね」
ブーツの踵を鳴らしながら、店に入ってくる。自分と同い年くらいだろう、とロイは思った。
「い、いらっしゃいませ」 言い返しそうになる自分をおさえて、ロイはかろうじて店員としての体裁を保った。
「エスプレッソ。ダブルで。――それから、店員。自分の艇の旗をあんな風に置くな。馬鹿者。程度が知れるというものだ」
 指さされた方を見ると、壁に立てかけた旗は倒れ、床に転がっていた。慌てて旗を拾い、一度広げてから畳み直した。
 少女の緑色の瞳が見開かれた。
「さっきは掲げられていなかったけれど……その絵は――誰が?」
「まあまあ、シンシア。そうつっかかるなよ。それより久しぶりじゃないか。五年ぶりかな? 今回は楽団の指揮かい?」
 マスターが話し始めたのをきっかけに、ロイはコーヒーを用意し、テーブルにそっと差し出した。
「絵を描いたのは僕です。倉庫で見つけた、昔の新聞の切り抜きにあったマークで――気に入ったので」
「……そう。さっきは悪かったわ。あなた、はじめてだったのか。でも、あの操船は酷い。悪いことは言わない。艇長を変えなさい」
 シンシアは砂糖を断り、そのままエスプレッソを飲んだ。
「変えるにも人がいませんし。それに、その……勝ち負けだけじゃあないですから」
 ロイはかろうじて声のトーンを保った。シンシアは「そう」とだけ答え、コーヒーカップの縁をそっと撫でた。

45 :No.12 波間に吼えるライオン 2/5 ◇D7Aqr.apsM:07/06/10 21:49:23 ID:yXi0zTAD
 レース当日。港の桟橋に、二艇のボートが浮かべられていた。ほっそりとした赤い船体は山の手の物。ロイの乗る船は、
ただひたすら防水のための油で黒く染められていた。それぞれ船首に掲げられた旗が海風になびく。二組ずつ行われるレース。
今日の最終組。ロイは両舷に前後して並ぶ四名の漕ぎ手のうち、右の後ろを担当することになっていた。
 艇長のジェイソンが船員に緊張した表情で声をかける。ほぼ同時にアナウンスが港に響いた。港にはひな壇が作られ、
観客がそこを埋め尽くそうとしている。その一角に、白い立て襟の制服を着込んだ楽団があらわれると、わっと歓声があがった。
 ロイは何気なく目をやると、その中にひときわ目立つ人影を見つける。他の団員と同じ制服を着込んだ、金髪の少女。
 シンシアは金髪をなびかせ楽団の前に立つ。右手に指揮棒。腰にサーベルを吊っている。胸に二列、金ボタンが光る。
 客席の前に、スタートの合図の空砲を撃つための、時代がかった大砲が置かれていた。
「選手は自艇に乗り込んで下さい」競技委員が声をかける。ロイはジェイソンと一緒に桟橋から艇に乗り込んだ。
 自分の定位置に腰を下ろし、オールを空に向かって立てる。スタートの合図と同時に水に入れるのがルールだ。
 艇長のジェイソンは船の中央に立っていた。号令をかけるためのホイッスルを口に咥えている。
 横を見ると赤いボートに乗った山の手の連中が見えた。空中に構えられたオールも樹脂で強化され、微妙な曲線を描く
高級品だ。おそらく軸も軽いファイバー製だろう。ロイは相手チームの船員が、ニヤニヤと笑いながらこちらの船を見ているのに
気づいた。にらみ返す。オールを握る腕に力が入る。
 轟音。空砲があたりに響き渡る。レースが始まった。
 
「漕げ! 漕げ! 漕げ! うわっ!」
 いつもどおりのスタート全員でかける掛け声の中でジェイソンの声が――いや、全員の声が、途絶えた。加速を
はじめていた艇が、一気に減速したのだ。まるで座礁したかのように。船尾に過重をかけ、加速を助けていたジェイソンが、
船首に投げ出される。ごん、という鈍い音。
「なんだ? 何が――」全員が海面を見、そして桟橋を見ると、ありえないものが目に入った。
 ロープが桟橋の下にある横木にくくりつけられている。そして、その先は……どうやらこの艇の底につけられているようだ。
港の波にゆられ、桟橋から遠のくたびに、ガクン、というショックが船体に伝わる。
「おい、ジェイソン! 大丈夫か?」
 前席左を漕いでいた船員がジェイソンを仰向かせる。額からの出血が、シャツを真っ赤に染めている。意識がない。
「バックストローク! とにかく岸に戻すんだ」
 無我夢中でロイが叫ぶと、他の船員も我にかえり、オールを手にとった。

 意識が戻らないまま、ジェイソンは救護班に運ばれていった。担架から、ホイッスルが水たまりの中に落ちた。遠くに
山の手の船が見える。ロイの記憶の中で、ニヤニヤと笑っていた船員の顔がよぎる。――まさか。

46 :No.12 波間に吼えるライオン 3/5 ◇D7Aqr.apsM:07/06/10 21:49:41 ID:yXi0zTAD
「なにがあった? 何をやっている! 敵が逃げるぞ!」
 ジェイソンを見送ったまま、立ち尽くしていると、シンシアが走ってきた。
「山の手の奴らだ。ちくしょう……こんなロープを……」船員の一人が桟橋から伸びるロープを蹴った。
「ロープを打ちこまれていたのか? なんだクラシックな手だな。なにより、誰も潜って確認しなかったのが甘いところだ」
 シンシアは拍子ぬけしたようにして、立ち尽くした。ロイは思わずシンシアの肩をつかんだ。振り向かせる。ここは店じゃない。
「なんで――あんたなんかに」 
「ふん? ならお前らは今ここで何をやっている? 艇長を失って、葬式でもはじめるのか? どうしてカタキをとりに
いかない? やられたらやり返せ。汚い手を使われたなら、倍以上にして返せ。二度と手出しできないように」
「カタキって……でも、奴等だって証拠がなければ、何もできないって審判も……」
「証拠? 何を言ってるんだ? 警察にでも突き出すつもりか? そんなのはあと回しだ。――ホイッスルを渡せ。お前らにカタキをとらせてやる」
 シンシアの瞳はらんらんと輝いていた。おそらく夜なら緑色に光るだろう。
 ロイはジェイソンが落としたホイッスルを拾い上げた。ぬれたホイッスルを一振り。水を払い、差し出した。
 シンシアはホイッスルを受け取ると、ニヤリと笑い、サーベルを引き抜いた。ロープに振りおろす。ざん、という音と共にロープが水に落ちた。
「よし、いくぞ! いそげ! 今なら潮を上手く使えば追いつける。全員乗船、両舷全速!」

 シンシアの操船は巧みだった。艇長の操船だけでここまで違うのか、とロイは驚いた。セオリーでは港の中をなるべく多く通り、
外海の距離を少なくするが、シンシアは逆をとった。最短で外海に出た。
「港の中じゃあ潮は死んだも同然だ。 海は外海。潮をつかって奴等に追いつくぞ」
 シンシアは船首に立ち、細かく指示をだした。タイミングを見計らって波の頂上に乗り、滑り降りるようにしてスピードを稼ぐ。
 艇は波に翻弄され、揺れたが、シンシアは一度も危なげな様子をみせない。サーベルを身体の前に突き、両手を乗せ、前を見据えている。
「そろそろいいか。身体も暖まってきたな? よし。作戦を説明する」シンシアは初めて船員を振り向き、座った。
「内容は簡単だ。衝角戦を行う。最大戦速で奴等の横っ腹に突っ込むんだ。どてっ腹に穴を開ける」
 シンシアはコンコン、と船首を叩きながら言った。
「突っ込むって、そんな無茶な」フロントの船員が思わず声をあげた。
「何が無理なもんか。 ロイ、この船の特徴は?」
「古い――重い、それから、頑丈、ってところかな?」
 シンシアは満足そうに笑顔を見せた。
「そう。その通り。奴等の船は見たところ軽さと速さに重きがおかれている。ファンシーなカットグラスみたいなもんだ。比べてこの船はどうだ?
海賊の使うジョッキみたいに年季が入ってる! バーカウンターに叩きつけられ、乾杯の度に打ち合わされる! 勝負はついてる。
違うか? 必要なのは、諸君のスピードとちょっとした根性。一発目を外したら、二発目はない。逃げられたらお仕舞い。――期待していいか?」

47 :No.12 波間に吼えるライオン 4/5 ◇D7Aqr.apsM:07/06/10 21:49:56 ID:yXi0zTAD
 ロイがオールの柄を船底に打ちつけた。肯定の合図。全員がそれに続く。シンシアが立ちあがる。
「よし、なら行こう。奴等を地祭りにあげるんだ。そろそろ頃合だしな。もう五分もすれば奴等が見えるはずだ」」
 不思議なぐらい体力が残っている事にロイは気がついた。練習ではもうクタクタになっているはずなのに。
 シンシアが振りかえる。ダブルブレストになった上着のボタンを外し、上着の中から包みをとりだした。
「練習の時よりも疲れは薄いだろう? 今日は上手く波に乗れたから。――で、さらに景気付けだ」
 ロイはその包みに気がついた。あれは、うちの店の。
「喰え。今はなき王立海軍御用達、カフェ・ソードフィッシュ特製のパンケーキだ」
 前から順にパンケーキと水筒がまわされた。蜂蜜につけられた果物の甘味がのどにしみる。

 細かく潮を乗り換え、しばらく過ぎると、 波間に赤い船体が見えた。
「まあ、なんというか。こうして見てみるとなんとも馬鹿馬鹿しい色に塗ったもんだな」
 シンシアは一人ごちた。
「もう少し近づいてから仕掛ける。いいな?」
「Ay Sir!」オールを漕ぐ手は休めず、全員が答える。
「いい返事だ。さあ、はじめよう。奴らにツケを払わせろ」
「Ay Sir!」 ロイは叫びながら、波の向こうに揺れる、赤い船体を睨みつけた。

 波の頂上にかけのぼり、その谷底に赤い船体を見下ろした時、初めてロイとシンシア達は鬨の声をあげた。
「いけっ!」 銀の光が走る。抜かれたサーベルが振り下ろされた。
 赤い船の乗員は、ぎょっとしてあたりを見回し、ここにいるはずのない船を見つけた。
 慌てふためく敵船を視界に捉えつつ、一糸乱れぬオール捌きで、船は水の斜面を駆けおりる。
 波の音、オールが水面を打つ音、耳元でうなる風。自分の息。叫び声。
 船尾、ロイの横に飛び移り、シンシアが叫んだ。
「一人も生かして返すな! 捕虜は取らぬぞ! 戦いの作法も解らぬ奴らなぞ皆殺しだ!」
 
 衝突の瞬間は、時間がやけにゆっくり流れるように感じられた。
 こちらの船にオールを突きたてようとした船員がはじき飛ばされる。
 つづいて、ぴんと張った紙を叩き破った時のような、甲高い破壊音をロイは聞いた。
 視界から海が消え、空に覆い尽くされる。オールから水を掴む感触が消える。
 躰を突き上げるようなショックと同時に、盛大な水しぶき。舳先が水中に没し、海水が一気になだれ込んできた。

48 :No.12 波間に吼えるライオン 5/5 ◇D7Aqr.apsM:07/06/10 21:50:12 ID:yXi0zTAD
 潮風が店の中を抜けていった。夕暮れ。
 勝利を祝うどんちゃん騒ぎで、店は大騒ぎだった。ロイは主賓だなんだと席につかされたが落ちつかず、結局はエプロンを
手に取り、給仕をしていた。今は、グラスを片手にホースで店の外に打ち水をしながら一息ついている所だ。
 山の手の船はまっぷたつに裂けて沈んだ。船員達を船尾に付けたロープから下げた状態で、シンシアとロイの船は
ゴールにたどり着いた。競技委員は、何も聞かず、彼らの勝利だけを告げた。
「艇長、ジェイソン――だったか? たいしたことなくてよかったわね」
「うん。ありがとう。それから、レースにも勝たせてくれて。――でも一つだけ、聞いてもいいかな?」
「どうして、艇長を引き受けたか、かな?」
 シンシアは海を見たまま、言った。髪が夕日をのせて風になびく。
「旗――よ。あなたが描いた、あの……紋章。あたしはあれを付けた船を負けさせる訳にはいかない。それだけ」
 ロイはふと思い出した。古い新聞の記事。この店の倉庫で見つけたそれは、丁寧に切り抜かれ、スクラップされたものだった。
 色あせた写真は、甲板の上屈強な水兵と楽団を従えた、まだあどけない金髪の少女。そしてその後ろに広げられた旗の紋章は
青い獅子。記事のタイトルは――確か。
「『お姫様の戦艦』――まさか、貴方が?」
 ロイはシンシアに向き直った。シンシアは、「昔の事よ」と言いながら肩をすくめる。王立海軍は王政が終わると同時に解散していた。
「ロイ、戦うなら勝ちなさい。それも徹底的に。勝ちをめざして勝てないのは仕方ないわ。でも、戦う事に意味がある、
なんていうのは嘘よ。これが今回の教訓。わかった?」
「Ay Sir. ――艇長」
 グラスを片手にロイが敬礼すると、シンシアはそのグラスを奪って中身を飲み干した。空になったそれをかかげ、夕日に透かす。
「これ、まだあるかな?」
「倉庫に一ケース残ってるはずです。気に入りましたか?」
「大いに。よし、行こう」
「殲滅戦ですね?」
「あたりまえだ」
 拳を正面からぶつけ合う。ロイはドアを開け片手を使って促すと、シンシアはにっこりと笑いながら店に入っていった。




<波間に吼えるライオン> 了



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