【 ラストオーダーは私に 】
◆NCqjSepyTo




24 :No.06 ラストオーダーは私に 1/4 ◇NCqjSepyTo:07/06/10 18:10:08 ID:yXi0zTAD
 夕飯時を過ぎたとは言え、駅から近いこのお好み焼き屋は沢山の人で溢れ返り、店中どの鉄板から
も美味しそうな匂いが立ち上っている。
お好み焼き屋って旨い商売だな、調理は客任せだし。
ぼくは目の前でジュウジュウいっているごくシンプルな豚玉を見つめながら考えた。でもきっと、平
凡な会社勤めのぼくには到底分からないような苦労が沢山あるのだろう。この豚玉の向こうにはどれ
だけの人の努力と苦悩が存在しているのだろうか。
隣だろうとはす向かいだろうと、他人の家の芝生は得てして青く見えるもんだ。ぼくは小さくため息を
ついた。
目の前に座っている由香が、ぼくのため息に反応してこっちを見た。その前には豚イカめんたいチー
ズ餅ミックススーパーDXという物凄い名前の代物があり、彼女はそれを嬉々として箸で突きながら、
焼き加減を確かめている途中だった。
名前に引けを取らない値段のするその一品を、今日の夕飯がぼくの奢りということもあり彼女は迷う
ことなく注文したのだ。
彼女とは大学時代からの友人で、何の因果か同じ会社に就職したぼく達は、月二回程度一緒に飲みに
行くことを習慣にしている。
「康平、ひっくり返さないと焦げちゃうよ」
 その言葉にぼくはハッとして起こし金を持つと、手早くかつ慎重にそれを裏返した。
由香の分厚いお好み焼きは焼き上がるまでまだまだ時間が掛かりそうだ。それでももう待ちきれなく
なったのか、その上には鰹節がふわふわと踊っている。
今日はいつもとは違う。言わなくてはいけないことがある。青海苔の瓶を手に取ったぼくは改めてそ
のことを思い返し、努めて冷静であろうとした。

25 :No.06 ラストオーダーは私に 2/4 ◇NCqjSepyTo:07/06/10 18:10:25 ID:yXi0zTAD
 他愛も無い話に花を咲かせながらお互いのお好み焼きが半分ほどになったところで、ぼくはようや
く本題を切り出すことが出来た。思ったより時間が掛かった。
「大学の時さ、ぼくの友達で渡辺っていただろ」
 ぼくがなるべく平静を装って声を掛けると、彼女は一瞬考えたようだったがすぐに返してきた。
「あー、居たねえ。薬学部の人だったよね」
「そうそう。アイツさあ、まだ学校に残って研究続けてるんだ」
頑張るねえと言いながら彼女が大きな一切れを口に入れるのを待って、ぼくは更に続けた。
「それでさ、渡辺、偶然作っちゃったんだって。凄い物」
 何を? と由香が興味深そうに首を傾げるので、ぼくはわざとらしく身を乗り出して彼女の耳元に
口を寄せた。
「媚薬。惚れ薬」
彼女は驚いたようにゴクンと喉を鳴らしてイカを飲み込んだ後、零れそうなほど見開いた目でぼくの
ことを見つめた。
「飲ませた人のことが好きで好きでたまらなくなるんだそうだ」
「そしてそれが今ここにある」 
 ぼくは勿体振って懐から薬包紙の包みを取り出して見せた。折り方は以前に渡辺から教わっていた
ので完璧だ。そんなちっぽけなことで信憑性は格段に増す。
掴みは上々だ、多分。

26 :No.06 ラストオーダーは私に 3/4 ◇NCqjSepyTo:07/06/10 18:10:41 ID:yXi0zTAD
 お好み焼き一枚とつまみの類を一通り食べ終わるとあらかた腹は膨らみ、後は飲み物のグラスが増
えて行くだけだった。先ほど惚れ薬の話をした後急に彼女は不機嫌になってしまい、話しをまとめる
どころじゃない。お互い酒にあまり強くないので注文したドリンクの殆どがお茶やジュースだったに
も関わらず、彼女はまるで悪酔いしたオヤジのように管を巻いている。
「惚れ薬なんて邪道よ、邪道。そう思わない?」
「康平はそんなものから本物の、真実の愛が生まれるとでも思ってるの?」
 真実の愛、か。君の口からその言葉を何度聞いたろうとぼくは視線を落として自分の烏龍茶を見つ
めた。右手を揺らすとカランポチャンと綺麗な音がする。
ぼくが記憶している限り、由香はいつも真実の愛とやらを求めていた。もしかしたらそれは彼女の両
親が早くに離婚したことに起因しているかもしれない。だけどそうやって真実の愛を追い求めて、手
に入れたと錯覚しその度に酷く傷付き失って来たのをぼくは知っている。そしてそのせいかは分から
ないが、君がここの所男を作ろうとさえしないことも。
ぼくはずっと君を見てきたんだから。
惚れ薬だって欲しいと思ったことも一度や二度じゃない。
 ぼくは、勝負に出ることにした。
「そうやってオバサンみたいなこと言ってると、すぐに老ちまうぞ」
 ぼくが挑発するような言葉を発すると、興奮気味の彼女はすぐに引っかかってくれた。
「何よ、大体それ本当に効果あるの? 渡辺君に一杯喰わされたんじゃない?」
 ぼくは思わずニヤッと笑うと、薬包紙の包みを解いて彼女の飲みかけのオレンジジュースを引き寄
せた。白い粉がさらさらと光っている。
「じゃあ、試してみようか?」
 瞬間、彼女の表情が強張るのが分かった。空気が固まる。
その時、テーブルの脇から呑気な声がした。
「ラストオーダーのお時間になりますけど、いかがなさいますかあ?」
 もうそんな時間になっていた。ゆっくりとぼくが断ろうとするより早く、彼女が口を開いた。
「クリームあんみつと特製クレームブリュレ、一つずつお願いします」
 ぼくの手元を、じっと見つめたまま。

27 :No.06 ラストオーダーは私に 4/4 ◇NCqjSepyTo:07/06/10 18:10:58 ID:yXi0zTAD
 結論から言うと、ぼく達は寝た。
あの後甘味を食べ終えた彼女に、小さな泡をふつふつと発しているオレンジジュースを害は無い
からと言い聞かせて一気飲みさせた。彼女は苦いと言いながら一度顔をしかめて見せ、その後ぼくに
笑いかけた。
「でも不思議よね、そんな薬があるなんて」
 ぼくの思考を遮って、隣で寝ている由香がしたり顔で言う。
「薬から本当の愛は生まれると思う?」
 そして彼女は切なげに、濡れた瞳でぼくに尋ねた。
と、ここでネタばらし。
「プラシーボだよ」
 ぼくがそう言うと、彼女は顔を真赤にして布団の中にもぐりこんだ。
ぼくは彼女の後を追うと、耳元で囁く。
「でも、気付いてたんでしょ?」
 これには彼女も苦笑い。そして小さく頷いた。これでおあいこだ。騙そうとしたぼくと、騙された
振りをした君と。
「後悔している?」
 続けて聞くと、今度は首を横に振った。これは、否定の返事。そしてそれは、ぼくの気持ちに対す
る肯定の返事。
ぼくは彼女を抱きしめた。小柄な彼女だけどとても温かい。
「もう二度と騙したりなんてしないよ」
 少し速めの鼓動が段々テンポを落とし、ぼくのそれと同調していくのが分かった。
ほらね、ぼく達に必要なのはきっかけだけだったんだ。
君がずっと追い求めていた愛なんて、もうとっくに生まれていたんだから。


終わり



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