【 君の記憶 】
◆zpR5a0jQpA




80 :No.20 きみの記憶 1/5 ◇zpR5a0jQpA:07/06/03 23:36:47 ID:TwCBh9Ol
 六月に入ったというのに、夜の公園はかなり肌寒かった。
 いつもそうだった。熱くなった頭を冷やすのは夜の公園。辛いこと、苦しいことがあると、いつもここに来る。
ひんやりとした空気が、心を落ち着かせてくれたりくれなかったりする。しかし、
「寒すぎやしないか、今日は」
 家を出た時点ではそれほど寒くはなかった。むしろ涼しくて、散歩するには最高の夜だったと言っていい。
 ところが公園に入った瞬間。いきなり季節が変わってしまったかのような錯覚に陥るくらいの冷たい風が、
全身を突き刺した。気味の悪い寒気がする。幽霊でもいるんじゃないだろうか。
「アホくさ……こんな寒さでも公園を遊び場できるのはわんぱーく小僧だけだろ。パークだけに」
 一瞬だけ、寒さが強まったような気がした。いや、和らぐべきだろここは。
 さて、会心のダジャレが炸裂したせいでそろそろ風邪を引いてしまいかねない。来て早々ではあるがさっさと
帰って風呂でも浴びようかと踵を返した瞬間、
「――ぷっ」
 堪えきれず、といった感じで俺以外の誰かが噴き出した。驚きよりも、わかる人にはわかるんだなあと思わず
目頭が熱くなるのを我慢できなかった。やっぱり大自然相手には人間のジョークなんて通用しないんだよな、人
ならほら、こんな風に通用する。
 出口に向かっていた足を止めて、笑い声の方へと振り返る。しかし誰もいない。なるほど、篭城戦か。
「あーもう夜か! そろそろ帰らナイトなー」
 文字にすると分かりやすいんだろうけど、言葉だけでは伝わりづらかったかもしれない。それはともかくもう一
度、知らない誰かが噴き出した方向を見る。すると、耳をすまして聞き取れるかどうかくらいの声で、
「夜、ナイト? ……! だ、だめ。笑いが……っ! くくっ」
 予想外に威力に、何より俺自身が一番驚いている。とうとう我慢できず、見知らぬ誰かは公園中に響き渡るくらい
「ぶふっ!」
 と、いう具合に噴き出してしまった。さすが平成の諸葛亮孔明、我ながら見事な策だ。しかし、
「……」
 先ほどの笑い声が嘘のような静寂。まさかまだ隠れてるつもりなのだろうか。しょうがない、ここは平成の諸葛亮
孔明改め、竹中半兵衛が最後の策を成すとしよう。
「さっきから……ぶっぶっと屁をこいてる奴がいるなあ」
 ガサっと、誰かが隠れている辺りの草むらが反応した。よし、あとはとどめをさすばかりっと。
「臭ってるぞ、妖怪スカンク人間」
「ひ、人聞きの悪いこと言わないでよ! あれは笑うのを我慢してただけでっ……あ」

81 :No.20 きみの記憶 2/5 ◇zpR5a0jQpA:07/06/03 23:37:13 ID:TwCBh9Ol
 しなやかな長髪に、ぱっちりとした瞳。真っ白な上にそこそこ整った顔立ち。おかしい。視力には自信があるの
だが、公園灯に照らされた妖怪スカンク人間の姿はどう見ても女の子にしか見えなかった。
「……いや、その。なんていうか、驚いた」
 女の子は顔を恥ずかしそうに顔を俯かせている。
「妖怪スカンク人間は男かと思っていたんだが、女の子だったんだな」
「なっ! ち、違うって言ってるしょうがっ!」
 冷えた頬によく響く、見事な右ストレートだった。
 殴られた左頬をさすりながら、改めて彼女を見る。
 どこを、とは言わないが、見た所小学生卒業一歩手前か、中学生入りたて。と言ったところだろうか。姉妹合わせ
て四人いるが、そいつらの体の発育具合から考えて、恐らく正解だと思う。
「しかし、中学生がこんな時間に公園を散歩とはよくないな。ほれ、さっさと帰れ。スカンク娘」
 そろそろ日付が変わってしまう。そして何よりこの気味の悪い寒さだ。風邪でも引きかねない。俺みたいな大学生
には必殺自主休講があるが、中学生なんかはそんなことも言ってられないだろう。
 しかし、スカンクは俺の優しさに目を細めて不機嫌そうな表情を作るだけだ。はて、と俺は首を傾げる。
「……失礼ね。これでも私、二十歳なんだけど」
「十二歳なら文句なしに信じたんだけどな……」
 どこまでも懲りないのが俺の長所だと言ったのは中学時代の恩師だった。今にして思うと、これは明らかに短所だ。
さあ、来るであろうあの右ストレートに備えて身構えていると、殴るどころか彼女は小悪魔的な笑顔で、
「生きていれば、ね」
 ある意味、さっきの右ストレート以上の衝撃が俺を襲った。生きて、いれば。つまり目の前のこいつは。
「ふん、驚いた? そうよ私は――」
「まさか本当にスカンク女だったとは!」
「幽霊だっつってんでしょ! 最後まで聞きなさいよ! ったく、ちょっとはびっくりしたりしないわけ?」
 確かに全く驚かなかったといえば嘘になるが、俺のダジャレでゲラゲラ笑ってる時点で、ガタガタ震えろってのは
無理な相談だった。しかし、足もあれば顔色も多少白いけど悪くない。どう見ても幽霊には見えなかった。
 俺の訝しげな視線に気づいたのか、彼女は自分の体を上から下まで見て、
「ホントの人間みたいでしょ? でも、今日だけ。明日からは普通の幽霊に逆戻りよ」
 ベンチに背をもたれて気だるそうに彼女は言う。今日だけなのに何もない公園で時間を潰していいのだろうか。
「――待ち合わせを、ね。してるのよ」
 その物憂げな横顔だけは、年相応に見えた気がした。雲に隠れた月の出ていない夜空を眺めて、彼女はため息を吐いた。

82 :No.20 きみの記憶 3/5 ◇zpR5a0jQpA:07/06/03 23:37:30 ID:TwCBh9Ol
「待ち合わせ?」
「そう。大切な友達とね、約束したわけよ。またここで会おうね、ってさ」
 その友達の話になった途端、彼女の顔がこれ以上ないってくらいの笑顔へと変わる。まあ、その約束のために一日だけ
人間もどきになるくらいだ。よほどその友達のことが好きなのだろう。
「その友達はさ、知ってるのかよ。お前が死んでること」
 なんとなく、言葉を選ぶのに慎重になってしまった。自分らしくないな、と苦笑しながら頭を掻く。
「え? んー、多分知らないでしょうね。その子海外に行っちゃったから。葬式にも来てなかったみたいだし。ちなみに
私が死んだのはその約束をした日なんだけどねー」
 なんというか、全く笑い話に聞こえないというのに、そこまで明るく話されると彼女に釣られて笑ってしまいそうだ。
 しかし、そこでふと沸く疑問が一つ。
「あのさ……今日だけ、なんだよな。その姿でいられるの」
 非常に言いづらいのだが、時計を見るともう――
「ん、そうだけど。今日だけよ、今日だけ」
 日付が変わるまで、もう十秒もなかった。タイムリミットの明日があと数秒でやってくる。思わず目を瞑ってしまった。
聞かなければ良かったという後悔が頭の中を渦巻く。再び目を開いた時、彼女はもうここにいない。わずか十数分の付き合い
だったけど、それでもなんだか物悲しい。
 日付が変わった。そして目を薄っすらと開くと――
「……何してるの? あんた」
 理解できないものを見ているような顔で立っている彼女が、そこにいた。
「あれ、なんで」
 公園の時計を見る。長針はもう0時を回っていて日付はもうしっかりと変わっていた。もしかして、彼女の話は丸々嘘だった?
「な、なによ」
「いや、消えてないなってさ……明日には、厳密に言えばもう今日だけど幽霊になるんじゃなかったのか?」
「ああ……そういうこと」
 身構えていた彼女がすっと警戒を解く。そして辺りを見回し適当なベンチを見つけるとそこに腰を下ろした。来い来いと手招いて
いたので、俺もとりあえずベンチに腰を下ろすことにする。
「さっきも言ったけどさ、私が死んだのってその約束したすぐ後だったのよ。交通事故だった」
 どう答えるべきかわからないので、とりあえず頷いておく。推測でしかないけど、恐らくその約束は彼女の友達が海外へ行く直前
にしたものなのだろう。そうでないと葬式に来れないというのはおかしい。
「その日からが、ずっと私の今日なの」

83 :No.20 きみの記憶 4/5 ◇zpR5a0jQpA:07/06/03 23:37:51 ID:TwCBh9Ol
 力なく笑ってそう言う。自身が死んでしまったその日から、彼女はまだ明日を一日も迎えてない。それはつまり、生きているとい
うことでも死んでいるということでもない。その日から彼女はずっと止まったままなのだ。
 彼女にとってはまだ今日でしかないのだろうけど。
「それに思い出せないのよね。約束の日。約束したのは鮮明に覚えてるんだけど……でも、今日あたりだったような気がするんだよ
なあ。0時。確かそんな風に約束した気がするんだけど……ま、忘れてる可能性もあるわよね」
 ベンチに座って浮いた足をブラブラとさせてあっけらかんと言うけど、それではお前自身があまりにも報われないんじゃないのか
と言ってやりたい。彼女はもう何年今日に縛られているんだろうか。
「なあ、もしその友達が約束を忘れてたとしてお前はどこまで待つんだ? いつになったらお前の明日は来るんだ」
「さあ? あの子が来ないなら、きっといつまでも私の今日という日は終わらないわ。ま、それでもいいかもって思うのよねー。ほ
ら、それならずっとこの姿のままでいられるわけだし?」
 冗談なのやら本気なのやら。まあ、会ってわずか数十分の俺が彼女に何を言ったところで、心に響くということはきっとないだろう。
それに、彼女を今日から脱出させるのはその友達の役目なのだろうし。
「強いな、スカンクは……悪かった。さっきはバカにしてた」
きっと彼女は縛られているんじゃない。信じてずっと待ってるんだ。
「強いかどうかは知らないけど……ま、やっと私の偉大さが分かったわけね。もっと敬いなさい? スカンクのくだりを全力で訂正して」
 そうやって、ふふん、と胸を張ってる姿なんかは外見の年齢と全く変わらないように見えるんだがなぁ、と苦笑する。まあ実年齢は二十歳
よりは若いし、これが彼女の本来の姿なのだろう。
「うん、それは無理だな。だってほら……布団だがふっとんだ」
「ぶっ! ちょ、ちょっと……いきなりはっ、くくっ反則でしょ?」
 こんな使い古されたダジャレでも彼女のツボに入ってしまうだから、しばらくはスカンクの看板は降ろせないだろう。恐らく今日くらいまで。
「さて、俺はそろそろ帰るかな。 風邪引くといけないし」
 そういって、俺はベンチからよっこらせの掛け声と共に立ち上がる。
「……そう。ま、楽しかったわ。暇だったらまた来なさいよ。多分いつもここにいるから」
 心なしか別れを惜しむような声に自然と顔が緩んでしまう。だけど、最後の言葉には少しだけ違和感を感じる。
「いつも、か。そんなことないと思うけどな。それじゃあスカンク」
 これだけは、彼女の目を見て言うべきだと思った。出口へ向かう足をふと止めて、一度だけ彼女に向き直る。
「また、明日会えるといいな」
 彼女は少しだけポカンとしたような顔をしたあと、すぐに笑顔を作って、
「ええ、また明日」

84 :No.20 きみの記憶 5/5 ◇zpR5a0jQpA:07/06/03 23:38:09 ID:TwCBh9Ol
 夜の公園と昼の公園では姿形が全く違うような錯覚に陥る。まあ、昨日が特別そうだっただけかも知れないが。
「よっこらしょっと」
 昨日と同じベンチに腰を下ろす。時間は丁度十二時。あれからもう十二時間経過したわけだ。
 くまなく公園を探したが、彼女の姿はやはりなかった。いくら人間同然の幽霊とはいえ、流石に昼間は自重しているようだ。
「ま、別に会えなくてもいいんだけどな……。猫が寝転んだ」
 うん、昼の陽気もなんのそので背筋を急激な寒気が襲った。やはり反応がないとこんなもんだろう。
「――ぷっ」
 前言撤回をせざるを得ないスピードで、俺は笑い声の方を向いた。確信はなかったが、こんなので笑うやつなんてあのスカンク
娘しか――
「あ……その、ごめんなさい」
 違った。昨日のあいつと全く同じ場所で笑っている女性はあのスカンクとは似ても似つかないくらいの美人だった。
「あ、いえ……こちらこそ。聞き苦しいものを」
 そう言って一礼すると、彼女も律儀にペコリと一礼して時計を見ながらそわそわし始めた。待ち合わせでもしてるのだろうか。
「あの、誰かと待ち合わせしてるんですか?」
「え? あ、はい。ちょうど五年前くらいになるんですけど……ここで約束したんです。また会おうねって」
 体中に、電撃が走るような感覚がした。
「今日の十二時ねって約束したんですけど……やっぱり忘れてるのかなあ」
 あの女、意外とドジだな。0時と十二時を勘違いするだろうか、普通。
「もしかしたら、勘違いしてるかもしれませんね。0時と十二時を」
 彼女は俺の言葉にぴたりと動きが止まって手を顎に当てると、思案げにうーんと唸る。
「有り得るかも……彼女、ちょっとおっちょこっちょいで変な子ですから」
 あと貴方みたいに変なギャグで笑う子なんですよね、と付けたしたいところだ。
「連絡先がね、変わっちゃったみたいで……連絡が取れないんですよね。そっか、もしかしたら0時と勘違いしてるのかも」
 しかし、0時に会うってのもおかしな話だ。これから夜が更けるって時に会うなんて。そこが彼女らしいのかもしれないが。
「まあ、もしかしたらですよ。一度0時に行ってみてあげてください。それじゃあ、俺はこれで」
「あ、はい……家も近いんで来てみます。ありがとうございました」
 女性のお礼を背中で聞いて、顔も向けずに手をひらひらと振る。うん、人生で一度は経験したいシチュエーションだ。
 ま、何はともあれ彼女の記憶は正しかった。これでようやく、今日が終わっていくのだろう。もう会えないだろうけど、
そして、今はここにいないのだろうけど。また会いたいな、という微かな願いを胸にもう一度。
「それじゃ――また明日」



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