【 明日という字は 】
◆BLOSSdBcO.




70 :No.18 明日という字は 1/5 ◇BLOSSdBcO.:07/06/03 23:26:06 ID:TwCBh9Ol
 明日という字は、嬲るという字に似ている。
 とても不愉快だ。
 私の名は葦原月。月と書いてルナと読む。
 明日という字は、月が日に挟まれ嬲り者にされているようで心底気持ち悪い。
 『月明』と書いて『あす』って読まないだろうか。
 ……無理だろうね。
 『嫐』という漢字が『うわなり』と読む歌舞伎十八番の一つでしかないように。
「ルナ、何を呆けている」
 おっと。隊長の声に我に返ると、少し離れた所にコソコソと動く影が三つ。
「ちょっと物思いに耽ってました。そういう年頃なので」
 言いながら腰のホルスターに手を伸ばし、銃を抜くと同時にセーフティーの解除。影に気取られる間もなく
照準を合わせ、撃つ、撃つ、撃つ。
 再び腰に収めた時には三つの物言わぬ骸が地に横たわっていた。
「上出来だ」
 周囲に気を配りながら隊長が褒めてくれる。珍しいこともあるもんだ。
 ゆっくりと近寄って死体を調べるが、拳銃の他に身分を証明するような物は持っていなかった。
「西の連中ですかね?」
「最近は反政府勢力の動きも活発化している。敵は西だけではない」
 隊長の言葉で嫌な気分になった。
 私達の国が、東西に分断されてから四年。いつまでこんな無意味な戦いを繰り返さなくてはならないのか。
 答えは出ない。
「今日は帰るぞ」
「……はい」
 死体をジープに乗せてシートを被せ、助手席に乗り込む。
 私も隊長も無言のまま、ひび割れたアスファルトの道に車を走らせた。

 五年前、巨大な地震がこの国を襲った。
 死者・行方不明者の合計は全人口の半数、六千万人にも及んだという。
 細長い形の国土には亀裂が走り、大きな地割れが物理的に東西を分断した。
 さらに一年が過ぎる頃、臨時政府が東西別々に成立、それぞれを二つの大国が支援するという異常事態が発生。

71 :No.18 明日という字は 2/5 ◇BLOSSdBcO.:07/06/03 23:26:26 ID:TwCBh9Ol
 その大国同士の対立がこの国に反映されたのは、当然の結果であろう。
 当時留学中であった私は、家族の安否すら確認出来ないもどかしさに、支援を行っている部隊へ志願した。
 かくして、二つの傀儡政権によって悲惨な目にあう祖国へと、私はこの身を投じたのだ。
「結局は、両親が死んでいる事が分かっただけですけどね」
 グラスの中のブランデーを飲み干すと、丸い氷がパキリと音をたてて割れた。
「弟の消息は不明。大学の近く一人暮らししてましたから、両親と一緒ではないと祈るだけです」
 冗談めかして笑いながら言うが、隊長は相槌も打ってくれない。
 割れた氷の上にブランデーを注ぐ。この氷は、溶ける前にくっつけて冷凍庫に入れておけば元通りになる。
 この国も、いつか元通りになる日が来るのだろうか。それとも溶けて消えるのが先だろうか。
「飲みすぎるなよ」
 隊長はそれだけしか言わず、私も何も言えず。
 何度となく繰り返されたやり取りは、いつものように私が酔いつぶれて終わった。

 私の属する部隊はあくまでも復興支援が目的となっている。それ故、治安維持部隊のような武装が許可されて
いない。隊長はライフルも持ってるけど、私のような下っ端には護身用の拳銃だけ。
 とはいえ、東西の対立の中で生じる様々な問題は数多く、自力で対処するしかないものもある。
 そして今、私達は海岸線を巡回していた。このところ活動を妨害するような動きがあるからだ。
 ハンドルを握るのは隊長、車の運転が出来ない私は助手席に。
 何か異変がないか流れる景色に目をやる。ほどんど真っ暗で見えないけど。
 ふと、大昔の色あせた記憶が蘇った。まだ私達の国が一つで、父と母と弟、皆一緒にいられた頃の記憶。
 家族四人でどこかに出かける時、私はいつも助手席に座った。運転している父を見るのが好きだった。後ろを
振り向いて母と話すのが好きだった。いつも騒がしい弟だったけど、それでも好きだった。
 皆いなくなってしまった。
 私だけ、おいてけぼり。
 皆と過ごした昨日に戻る事は出来ず、皆を忘れて明日に進む事も出来ず。
 私だけ、いつまでもここにいる。
 眩しい太陽に挟まれて、暗い暗い夜空に一人きり。
 私は自分の名前が嫌いだ。
「――ルナ」
 気付いたら、隊長の横顔を見つめて泣いていた。

72 :No.18 明日という字は 3/5 ◇BLOSSdBcO.:07/06/03 23:26:43 ID:TwCBh9Ol
「だっ、大丈夫です。ちょっと感傷に浸る美少女を演じてみただけですから」
 恥ずかしい。慌てて袖口で涙を拭い鼻をすする。
 しかし隊長はそんな私を気にせず、車を停止させてエンジンを切った。
「人影が見えた。確認するぞ」
「あ、はい」
 二人して車から降り、堤防から身を乗り出して砂浜に視線を送る。頼りない月明かりの中で見る限り特に
変わったところはないようだが……
「あの岩場に一人いる。向こう側にも隠れているかもしれん」
 隊長の目は異常だ。この暗闇の中で一キロほど離れた岩場が見えるなんて。
 だが、信頼出来る。
「警告は?」
「必要ない。撃て」
 冷たいようだが、ほんの僅かな油断や躊躇いが死に繋がる。その様を幾度となく目にしてきた私に反論する
つもりはなかった。
 拳銃を取り出し、装弾の確認をしてセーフティーを外す。弾の予備はあるが、出来れば一人だけで終わりに
してほしい。無駄な血は流したくないから。
 砂浜に降り立ち、陰になった堤防沿いにゆっくりと忍び寄る。隊長はその場からバックアップだ。
 気付かれないように時間をかけ、相手が見える位置まで辿り着いた。岩場の上に一人しゃがんでいる。何を
しているのか確認しようとしたが、肩に担がれた短機関銃を見て諦めた。治安維持部隊が持つものとは違う。
敵だ。
 認識と行動は同時に行われた。迷わず照準を頭に合わせ、トリガーを引く。マズルフラッシュに照らされた
一瞬で周囲の状況を確認。見える範囲に敵はいない。
「武田!」
 しかし、倒れた敵に岩陰からもう一人が駆け寄った。その頭にも照準を合わせ、
「――え?」
 私は凍りついた。
「くそったれ、どこに居やがる!」
 立ち上がり周囲に銃口を向ける敵。馬鹿だなぁ。そんなに目立ってたら良い的じゃないか。
 頭の中で冷静に考えながらも、私の体は動かない。
 敵が日本語を喋った。ただ、それだけ。

73 :No.18 明日という字は 4/5 ◇BLOSSdBcO.:07/06/03 23:26:58 ID:TwCBh9Ol
 それだけの事が、反射的に戦えるまで鍛え上げられた私の戦闘態勢を解かせる。
「あなた、日本人なの?」
 本当に私は馬鹿だ。何でそんな事を聞いたのだろう。
「そこかっ!」
 向けられる銃口。その意味を理解出来ない。
 敵が何か叫ぶように大きく口を開け、引き金にかけた指に力を込め、そして
『呆けルナ』
 通信機から謎の言葉が聞こえたと思ったら、岩場に立っていた敵が倒れる。
「えっ? 隊長?」
『死にたがりは自分の手で死ね』
 そう告げると通信が切られた。視線を隊長が待機しているハズの車に向けると、動く人影がかすかに見えた。
まさかあそこから狙撃したというのか。いくら隊長だけライフルを持っているとはいえ、遠すぎやしないか。
「……化け物」
 駄洒落はオヤジギャグだったけれども。
 頭を掻きつつ、再び集中して岩場を登るが、もう敵はいなかった。どうやら二人で何かしらの潜入工作を謀った
らしく、短機関銃のほかに大量の爆薬が置いてあった。

 帰路。荷台に敵の死体と武器を積み、狭い車内は無言の重苦しい雰囲気で満ちていた。
「……何を呆けていた」
 沈黙を破ったのは隊長の方だった。通信機越しの第一声を思い出して顔がニヤケるが、声は真面目に聞こえる
ように力を込める。
「相手が、日本語を喋ったんです」
「――そうか」
 この国が東西に別れ対立した原因は、その復興支援に対立する二つの大国がいるせいだ。非常事態の混乱を
収束する為、と派遣された軍隊は未だに国内に留まり、東西の境界を挟んだ睨み合いが続いている。
 今まで私が排除してきた敵は、西側の背後にいる国の人間だった。
 互いに傀儡国家の樹立を目指す彼らは、自分の側の支援だけではなく反対側の攪乱すら行う。そうすることで
自分たちの側への支持を集めようとしているのだ。
 だがしかし、元々一つだった私達の国の人間が、いかに分断されたとはいえ反対側の人間を傷つけるような
事はしない。そう信じていた。

74 :No.18 明日という字は 5/5 ◇BLOSSdBcO.:07/06/03 23:27:16 ID:TwCBh9Ol
「何で、でしょうね」
 何で私達は争わなくてはならないのだ。同じ人間同士じゃないか。
「明日の為だ」
 吐き捨てるような言葉に、驚いて隊長の顔を見た。
 これは今までにも何度かあったやり取り。その度に隊長は「戦争だからだ」と答えていた。それが今日は違う。
「地球は放っておいても回る。太陽が沈んで月が巡り、また太陽は昇る。
 だが、時代はそうじゃない。時代を動かすのは人間だ。太陽を沈めるのも、暗い夜を照らす月となるのも、
また新たな太陽を掲げるのも、全て人間がやることだ。
 俺達はこの夜を一刻も早く明けさせる。その為に、出来る範囲での最善を尽くすだけだ」
 いつも無愛想な隊長の顔が、少しだけ綻んでいる。口元が優しく微笑んでいるように見えるのは気のせいか。
「私にも何か出来ているんでしょうか?」
 窓の外、黒い海に光が射した。月を覆っていた雲が晴れたのだ。
「名前の通りになれるよう、挫けルナ」
 そう言った隊長の顔は、白い月の光に照らされながら、真っ赤になっていた。
「くっ――ふふ、あはははは!」
 天丼で来たか。隊長の思惑通りに笑いが込み上げてくる。
 隊長は拗ねたように唇を尖らせたが、やがて一緒に笑い出した。隊長の笑い顔を見るのは初めてだ。
 慣れない事をしてまで私を慰めてくれた隊長に感謝。
「そうですね。私は弟を探し出すまで、死ぬわけにはいかないんです」
 私の正義は生き残る事。たった一人の肉親が生きていることを信じて。
 私がそう言うと、笑っていた隊長が急に真顔に戻った。何だろう?
「ルナ。お前の弟のことだが……」
「何か知っているですかっ!」
 まさか、ここでお約束パターン?
 つかみ掛からんばかりの勢いで隊長に詰め寄ると、
「――俺がその弟だ」
 調子に乗った大人がいた。車内の空気は急速に冷え、私は無言でシートに座り直す。
 隊長が気まずそうに咳払いをする横で、窓の外を向いてニヤける私の心は温かい。
 声に出さず、自分の名前が好きになれた喜びを噛み締め、隊長にお礼を言った。
                                                        <完>



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