【 Com'in. Call'in. 】
◆PUPPETp/a.




53 :No.14 Com'in. Call'in. 1/5 ◇PUPPETp/a.:07/06/03 21:52:31 ID:TwCBh9Ol
 明るい日光が、空の中天を回ったころ、長者宅に一人の男が現れた。
 作物を売りに行くことはあっても、人が訪れることが少ない山村である。そんな場所に住人以外の人間が現れた
だけで珍しい。山伏の格好をした男というからまた珍しい。
 山すそには数軒、身を寄せ合うように建つ農村だ。修行を行うような名のある場所ではない。
 そんな村にやってきて「長者のお宅はいずれか」と訪ね歩く。村ではちょっとした騒ぎになっていた。
「わしが長者だが、あんた様はどなたかな?」
 警戒心剥き出しで杖を突く長者。それに対し、山伏は安心させるように笑顔を浮かべる。
「いや、なに。私は山から山を歩いて回る修験者です。村が見えたのでご挨拶のひとつもしようかと」
 男の言葉を聞いても、長者の顔からは不審げな表情は消えない。
「んー……。そう、何かお困りごとはありませんか? 及ばずながらお助けできるかもしれません」
 山伏の言葉に長者の口元がぴくりと動く。山伏はそれを見逃しはしなかった。
「何かおありのようですね」
 看破された長者の顔には苦渋の色が見える。
 村の大事だ。見ず知らずの人においそれと話していいものか。
 だがもしも本当に何とかしてもらえるなら……。
「まず立ち話も何ですので、お入りください」
 足の上に置かれた手が着物を握り、すがるような表情が見え隠れしていた。

「……ほうほう、雨が降らない、ですか」
「んだが、わしらにはどうもできんごとですから、ほどほど困っておるんです」
 山伏はお茶を一口含む。
 お茶の一杯。それに使う水ですら生命線になる。しかしこのお茶でしか礼を示せないのだ。
 農村では雨の一滴が村の命運を左右する。しかし雨どころか、雲が見えることも少ない日が続いていた。
 川は干上がり、畑に水を撒くどころの騒ぎではない。井戸の底に溜まった水で何とか暮らしていた。
「――ならば私にお任せください。山神様にお願いいたしましょう」
 その言葉に長者はハッと顔を上げる。
 雨が降らなくなり、夜ごと集まっては、神にすがるしかないのでは、と言われていたのだ。
「本当だが?」
 長者は乗り出そうとする体を押し留め、山伏の顔を凝視する。
 ピンと張り詰めた希望の糸を切りたくはない。必死であった。

54 :No.14 Com'in. Call'in. 2/5 ◇PUPPETp/a.:07/06/03 21:52:51 ID:TwCBh9Ol
 ――その糸がチリチリと細くなっていくのが、長者の表情から見えるようだ。
「条件というのもおかしいですね。供物がほしいんです。それと場所も」
「供物……?」
 人身御供を捧げろとでも言うのか。
 長者は村民と現状打破を秤にかける覚悟を決めようとしていた。しかしその覚悟は無駄に終わる。
「大層なものじゃありません。いくらかの食料と、あと酒を少々準備してください」
「そ……それだげだか?」
「あとは場所ですね。そう……、山に一番近い小屋をお借りしたい」
 長者はそれを聞くと安心したように一息吐く。だがその場では答えを返さない。返せないのだ。
「小屋は用意する。んだが、食料は――――ちょっと今すぐは返事でぎん」
 山伏は表情を変えない。長者の言葉の続きを待っていた。
「わしんどごだけで間に合うなら今すぐにでもお願いする。んだげど、足りないようなら他の家からも出してもら
わねどならね。んだがら少し待ってけねが」
「わかりました。それでは小屋にだけでも案内してもらえれば――」
 そう言って山伏は立ち上がろうとする。しかし村長はそんな山伏を手で留めた。
「いや、寝床はうちで準備するがら、休んでいってけらっさい。たいしたお構いもでぎんとけれども」
 山伏はその言葉に頭を下げた。

「――ってごとらしいんだが、どうだべ?」
 夜の帳が降り、村の男衆が集まって話し合いの席が持たれた。
 この時期は水が張られ、明るい月を映しているはずの田んぼ。今はその田んぼは乾ききり、ひび割れている。
「んだげど、その山伏は信用でぎんだが?」
「んだ。それが問題だべ」
「どうせ野盗崩れじゃねえのか?」
「食いっぱぐれて山さ逃げて来たに決まっでる」
「んだごと言ってもこのままだど村は水が無ぐなるべ」
「長者、どんぐらいの供え物が必要だがわがるんだが?」
 村の中では焦燥の念が高まっている。だが見ず知らずの男を信用していいのか。
「わがんね。んだげど失敗しても食料がなぐなるわげでもねえべ」
 長者とて、疑念がないわけではない。

55 :No.14 Com'in. Call'in. 3/5 ◇PUPPETp/a.:07/06/03 21:53:06 ID:TwCBh9Ol
 雨を呼び寄せる。そんなことができるのだろうか。だが、もし嘘だったところで食料がなくなるわけではない。
 もしものときは生け贄も――。
 そんな思惑があった。だからこそ家に押し留めた。
「まあ、んだげども……」
 男衆の一人がこぼす。それは他の男たちの気持ちでもあった。
「んだらばお願いするということでいいべが?」
 それに反対の声を上げる男はいなかった。

 長者と山伏が先頭に立ち、村人が食料を持って後に続く。日が傾き、空が赤々と燃えていた。
 山にいくらも入らぬうちに小屋へとたどり着いた。それはあまりに小さい、古びた小屋だった。
「山に一番近い小屋っちゅうとここになるんだがええが?」
 山伏は「ええ」と言うと、小屋の戸を開ける。
 天井が星空になっていた。雨が降れば雨漏りに苦労したことだろう。
 村人の山伏を見る目には疑心暗鬼を含まれていた。だが食料を運び込まないことには何も始まらない。
 当の山伏は、そんな視線に気づいていないのか、飄々としたものだ。
「酒をもらえますか?」
 運び終わったのを見ると小屋の外、四方に酒を撒く。その度に村人たちからは声が漏れた。
 そして残った酒を一息、口に含む。リスのほお袋のように膨れた顔を小屋の中に向けるとプーッと吹き出す。
 山伏は口の周囲についた酒を舌で拭い、長者へと向き直った。
「これから私は小屋に篭って山神様と話し合います」
「い……いつ雨が降るんだべ」
「それは山神様の機嫌次第ですが、上手くいけば明日にでも」
 長者はその言葉に笑みが隠しきれず「あ……明日」とこぼす。しかしその言葉に続きがあった。
「ただし、私が小屋に入ってからは決して戸を開けないように」
「ど、どうしてだが?」
 山伏は笑うように口元を歪ませる。
「鶴になって飛んでいってしまいますから」
「鶴……?」
「まあ、それはともかく……そうですね、明日も今日と同じ暮れ六つの刻にいらしてください」
 そう言い残し、長者の返事を聞かずに山伏は小屋の戸を閉めた。

56 :No.14 Com'in. Call'in. 4/5 ◇PUPPETp/a.:07/06/03 21:53:22 ID:TwCBh9Ol
 その態度に、村人たちは不安から怒りへと感情を変える。閉めた戸を開けようとする者もいたが、失敗されては
元も子もない。長者が何とかその場をなだめたが、村人たちの気持ちにしこりを残すこととなった。

 明くる日。
 暮れ六つになり、長者と数人の村人が小屋の元へと訪れた。
「いかがだべ? 雨は降らんみたいだげんど、山神様の機嫌はどうだべが?」
 小屋の外から長者が声を掛ける。
 小屋の中から山伏が声を返した。
「……まだご機嫌が悪いようです。また明日、同じ刻に来てはもらえないか」
「……んだが」
 村人の目には敵意の色が濃くなっていく。

 また明くる日。
 長者と数人の村人が小屋へとやってきた。
「いかがだべ? お天道様は陰らないみたいだげんど、まだ機嫌が悪いみたいだが?」
 また小屋の外から長者が声を掛ける。
 また小屋の中から山伏が声を返した。
「……まだご機嫌が悪いようです。申し訳ないがまた明日、同じ刻に来てはもらえないか」
「……んだが」
 村人の目には殺気の色が見え隠れしていた。

 そして明くる日。
 長者と数人の村人が小屋へとやってきた。
「いかがだべ? まだだべが?」
 また小屋の外から長者が声を掛けた。
 だが小屋の中から山伏の声が返らない。
「もし? どうだべ、まだ山神様の機嫌は直らんみたいだべが?」
 長者は山伏に声を掛ける。しかし山伏は声を返さない。
 連れ立ってやってきた村人たちの目にはありありと殺気の色が見えた。
 声を掛ける長者を押しのけ、開けてはいけないと言われていた戸に手をかける。

57 :No.14 Com'in. Call'in. 5/5 ◇PUPPETp/a.:07/06/03 21:53:38 ID:TwCBh9Ol
「開けちゃなんねえって――」
 しかし村人の耳に長者の言葉は届かない。
 勢いよく開かれた戸は、もう古くなった小屋を揺らす。
 天井から煤けた埃が落ち、穴から差し込む太陽の光を燦々と明るみに出した。
「――いねえぞ!」
 戸を開けた村人は大声を張り上げ、他の村人へと告げる。
「あいつはやっぱり食いっぱぐれの野盗崩れだったんだ!」
 村人の爛々と輝かせる目は血走っていた。
「あの盗人野郎を逃がすんでねえ!」
 長者はふらつきながらも立ち上がる。その目は開け放たれた戸を映す。
 小屋の中には供物として用意された食料があった。明らかに食い荒らされ、持ってきたときより明らかに少なく
なった食料。持てるだけ持って逃げたであろう食料の残りカスがそこにはあった。
 村人が叫ぶ。
「山狩りだ!」

 赤く染まっていた空が、徐々に黒く染め直されていく。
 男たちは手に手にたいまつを持ち、山を登っていた。
 行く手を遮る草木も、踏みしめる落ち葉も見てはいない。
 その目は逃げ出した山伏だけを捉えようと辺りを見回していた。
 ――山伏だけを見て、たいまつの炎を、燃え移った草木を見てはいなかった。
 男たちは山を登り、種火は木々を伝う。
 黒い空は紅く燃え上がる。
「お、おい。……おい! 山が燃えてるぞ」
「山火事だ!」
 気づいたときにはすでに遅く、消すための水も、退路を確保する時間もなかった。
 男たちは火に焼かれ、煙に巻かれることなる。

 炎は天高く舞い上がる。それは雲となり、そして雨を作った。
 神が光臨した。村は水を手に入れたのだから。だがそれを喜ぶ人間はいない。



BACK−エスケープ◆2LnoVeLzqY  |  INDEXへ  |  NEXT−運の悪い男◆jhPQKqb8fo