【 迷い子 】
◆NCqjSepyTo




6 :No.02 迷い子 1/4 ◇NCqjSepyTo:07/06/02 18:06:35 ID:g9Ku8zyN
 通いなれた学校からの帰り道、目を瞑っていても通りに並ぶ建物の配置を思い浮かべることが出来る。
小学校から十二年間通い続けたこの坂道も、通学路として歩くのは今年で最後かもしれないと思うと少し感慨深い。
高校最終学年、つまりは受験生。そんなぼくでも学校での授業を終えて家に着くまでのこの短い時間だけは、煩わしい勉強のことを忘れることができる。
でも、後数ヶ月もしないうちにこの道も単語帳片手に歩くことになるのだろう。
少しでも気を抜くと頭の中に浮かび上がってくる受験という不安を振り払い、ぼくはゆるやかで長い上り坂を見つめた。
 左手にコンビニが見えてくると、その三軒先には小さな本屋があり、電柱の横を通ったら犬を飼っている家がある。
だれかれ構わず吠えかかって来る犬で、幼い頃のぼくを犬嫌いたらしめた大きな原因でもある。しかしそれも昔の話。
その犬も今ではすっかり年を取り、いつの間にか自分の餌のことにしか興味がなくなってしまったのか、人に向かって吠えることは殆ど無くなった。
少し寂しい気もするが、ぼくにとってはその方が有り難い。そんな事を考えていると小さな笑いがこみ上げてきた。
そこからもう少し先に行くと坂道の頂上があり、今はその向こうに夕日が輝いている。その先すぐに、ぼくの家がある。家に着く前にぼくは、少しだけ寄り道をすることに決めた。

7 :No.02 迷い子 2/4 ◇NCqjSepyTo:07/06/02 18:06:53 ID:g9Ku8zyN
 コンビニで新発売のペットボトルジュースと肉まんを買った後、本屋の軒先で少し立ち止まって並んでいる本を物色する。
赤本とか、我が国最高学府の学生推薦の参考書とか、昔のぼくには全く関係の無かった本にばかり目が行く。
そう、ぼくはもう漫画雑誌を読むような年じゃないんだ。
その現実を改めて目の前に突きつけられたような気がした。
少しの間だけでも勉強のことを忘れてリフレッシュしようと思っていたのに、結局そのことを考えてしまう。
そんな自分に辟易して再び歩き出そうとしたぼくの視界に、背の高い人影が映った。
電柱の向こう、犬を飼っている家の少し手前。
その人が夕日を背にしていたため顔は良く見えなかったけど、男性だということは何となく分かった。
うちの近所にあんなに背の高い人は居ない。この入り組んだ住宅街で迷子にでもなってしまった旅人だろうか。
そう言えば地図を持っているようにも見える。
ぼくが坂の上に向かうと、彼はぼくに気付いたのか近寄って話しかけてきた。
「あの、すいません」
 なんでしょう、とぼくが返すと彼は続けた。
ぼくはこの辺の地理を熟知しているから、その時の声には自信が溢れていたと思う。
「あしたは、どこですか」

 その瞬間、ぼくは頭を思い切り殴られたような感覚に陥った。
明日は、どこだ。明日は、どこだ。
明日なんて何処に行けばあるというのか。否、ぼくには全く持って分からない。
ぼくは今まで夜眠れば当たり前に明日が来るものだと思っていたし、十八年間そうやって生きてきた。
そして明日というものを享受してきた。
でもそれは間違っていたというのだろうか。
そもそも明日とは何なんだ。自分で探して、選んでくるものなのか。
だけど、ぼくには明日を探して旅をした記憶は微塵も無い。
じゃあ何故ぼくは今まで毎日のように明日を得ることが出来ていたのだろうか。
ぼくは無意識のうちに明日をどこかで選択してきていたというのか。
無意識のうちに自分を切り捨て、未来を選んできたのだろうか。
ぼくには、ぼく自身でも知らない明日があったというのか。
ぼくはこれからもそうやって生きていくのか。そうやって生きていくしかないのか。
どうすればいいのか。どうすれば知ることが出来るのだろうか。

8 :No.02 迷い子 3/4 ◇NCqjSepyTo:07/06/02 18:07:09 ID:g9Ku8zyN
 いや、昔何かの本で読んだことがある。
自分は自分の人生を生きていると思っていたのに本当は誰かの夢の中の登場人物に過ぎなかった、本の中のキャラクタに過ぎなかったというお話を。
ぼくは自分の意思で生きて来ていたつもりだったのに、それは既に決められた人生だったのか。
誰かの目が覚めて、本が閉じられたらそこで全てが終わってしまうような。
“明日”なんてものは何処にもなくて、そこにはただ“今日”の繋がりがあるだけで。
ぼくの意思は何処にもなくて。
 それではこの男もぼくと同じ登場人物なのか。
いや、違う。ぼくは不思議な確信を持って一つの答えを導き出した。
彼はぼくに本当のことを伝えるためにやって来た神の使いなんだ。これが所謂天使というやつなんだ。
きっとそうだ。ぼくは誰かの夢の中に生きているだけで、それが今日終わりを告げるんだ。
だから「明日はどこか」なんて抽象的な質問を投げかけて、暗にそのことを教えようとしているんだ。
今までの十八年間、何の疑いも持たせず日々を過ごさせておいて、今更その生活を取り上げようというのか。
だとしたら、神は何て残酷なんだ。
 ぼくはがっくりとその場に膝を落としてしまった。
それでは、ぼくが今まで何気なく生きてきたこの日々は何だったのだろう。
ぼくが生きてきた毎日に何の意味があったのだろう。
もう、ぼくには未来が無いんだ。もう、明日は、永遠に来ないんだ。
 そこまで考えるともうどうしようもなくて、涙が自然と溢れてきた。
学校のつまらない授業も嫌でたまらなかった受験もほかほかの肉まんの匂いも読まなくなった漫画雑誌も吠えなくなった犬も、何気なく生きてきた日々全てが、その何もかもが愛しく思えた。

9 :No.02 迷い子 4/4 ◇NCqjSepyTo:07/06/02 18:07:27 ID:g9Ku8zyN
 いきなり地面に膝を着いて泣き出してしまったぼくに驚いたのだろうか、男性が慌てて言葉を繋げる。
「おーのー、どうもごめんなさい、どうかかおあげてください、ぷりーず」
「あした、わかりませんか。わたし、かんじ、むずかしいでーす。あした、あした、あした……ち……おー! あしたち! あしたちでーす」
「あなた、あしたちは、どこですか」
彼が差し出してきた地図に太字で足立区と書かれていたので、ぼくは駅の場所を教えてあげた。
彼は片言の日本語で何度もお礼を言うと夕日に向かって歩いていく。
ぼくは夜へと向かう町の中で一人、紅の光に美しく映えた彼の青い瞳を思いながら道理で天使に見間違うわけだ、と呟いた。
少しだけ疲れていた、そんなある日の夕方のお話。


終わり



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