【 黎明 】
◆D7Aqr.apsM




55 :No.14 黎明 1/5 ◇D7Aqr.apsM:07/05/27 23:09:52 ID:xMt+xUox
 夜明けにさしかかる空は色を奪われた世界。漆黒の闇でもなく、溶かされたような
朱でもなく。ただ、そこには重い灰色だけがある。
 その灰色の夜の底で、――僕は一人の少女と出会った。

 街はずれにある公園。中央の広場に、彫像が置かれている。
 西洋の甲冑をつけたそれは、大きな剣を履いていた。よろいの胸元に、うすく曇ったクリスタル。
 明け方とも言えず、夜とも言えない。ただ、ひたすらに明ける前の夜。狭間の時間。
 その彫像の前に、ワンピースを着た少女の姿があった。僕に気がつくと、彼女はいつもどおりに
じっと見つめたあと、何事もなかったかの様に像に向き直った。
 彼女は、まったく口をきかなかった。
 夜が明けるまでの間。それまでの間だけ、彼女は彫像の前に立つ。そして、いつのまにか
どこかへ行ってしまう。僕が何かに気を取られ、彼女から視線を外すと、もう彼女はどこかへ
行ってしまっていた。まるで魔法みたいに。夏に聞く怪異のように。しかし――それが故に、
その魔法は僕を虜にし――結果的に僕は恋に落ちていた。公園を見下ろす場所にある病院の
一室を抜け出し、毎晩のようにこの場所へ通った。音のない、灰色の夜の底に。体はうそみたいに軽かった。
 僕が何を話しても、彼女は反応してくれない。しかし一度だけ、僕を諫めた事があった。
僕が何気なく彫像の剣の柄に触れようとしたとき、彼女は青ざめた顔をして、静かに首をふったのだ。
 その、柄に触れようとした時の感覚を、僕は今でもはっきりと覚えている。
 石で出来ているにもかかわらず、真剣になど一度も目の当たりにしたこともないにもかかわらず、
それは――それは僕にとって本物のように思えた。抜き放てば、そこには新月の光に濡れる、
白銀に輝く刀身があらわれるかのように。
 
「ねえ」僕は彼女に話しかける。今までなんとなく聞きそびれていた質問。「名前は、なんていうのかな」
 僕は彼女の横に並び、彫像を見上げながら尋ねた。
 いつもどおりに。
 僕は質問を繰り返し、彼女はそのどれにも答えない。無視しているのではないというのは雰囲気で
わかった。ただ、彼女に僕の言葉が届いていない、ということだけが実感できた。
 僕は言葉を続けようとしたその時。
「離れろ。――還る場所があるなら、還れ」
 月よりも冷たい声が背中から響く。僕は凍りついたようにゆっくりと振り返った。

56 :No.14 黎明 2/5 ◇D7Aqr.apsM:07/05/27 23:10:11 ID:xMt+xUox
 灰色の世界の中を、その女性はゆっくりと僕に近づいてきた。膝まで届く長いブーツ。タイトな
ジーンズにシャツ。無造作に背中へ垂らされた長いブロンドヘアが整った顔立ちを縁取っている。
華奢な体つきの中に見える、柔らかい曲線。
 しかし。その両腕は無骨な籠手で肘までを覆われていた。
 歩を進め、腕が動く度に、がちゃり、がちゃりという金属音があたりに響く。
「解っているとは思うが。それは、人ではないぞ」
 普通に話すには遠い場所で、その女性は立ち止まった。肩に背負っていた長細い荷物を降ろす。
「そ、そんなことは――でも、あなたに何の関係が」
「関係は、ある。お前に説明するいわれも、その時間もない」
 女性から感じる明らかな敵意。僕はいつでも少女をかばえるように、一歩、踏み出した。
 降ろした荷にかかる布がするすると解かれていくのを目で追う。
 おとぎ話で見る、中世に使われていたという、長剣。簡素な革と鉄の細工が施された鞘から、
刀身が抜き放たれる。ジャっという、金属が滑る音。女性は長い柄を両手で持ち、切っ先を
右後方に下げ、構えた。

「どうして」僕の渇いた喉がうわずった声を出す。「なんで――」
 思わずよろけ、背中に固い感触を覚える。彫像の剣。柄が背中にふれる。
 背後で少女が小さく身じろぎする気配。
「やめておけ。 石の中から剣を引き抜くなど、人のすることではない――もっとも」
 女性の踏み出した足が、公園の石畳を踏みつける。
「貴様が人かどうかは怪しいところだが。こちら側へ自ら来るというのなら、容赦はしない」
 がちゃり。
 女性が剣を握り返すと、籠手がその牙を打ち鳴らす音が響いた。
 息を飲む、静かな声。振り向くと、少女は、目を見開き、ただ――抜き放たれた剣を見つめていた。
 胃の中に、鉄の塊を押し込まれたような焦燥感が僕を襲う。
――言葉は届かないのに。あんなものに。
 女性に背を向け、背中に当たっていた柄に、僕は両手をかけようとした。
「邪魔だ」
 耳元で囁かれた。
 優に二十歩以上は離れていたはずなのに――。

57 :No.14 黎明 3/5 ◇D7Aqr.apsM:07/05/27 23:10:26 ID:xMt+xUox
 女性の剣が、僕の胸を貫いて、そのまま、彫像のクリスタルに切っ先が食い込んでいた。
 何も、――――何も感じない。
 熱さも、冷たさも、痛みも、衝撃すら。

「ダイヤが光るのは、多面体にカットされた石の中へ一度入った光が、何度も反射を
繰り返し、外へ逃げにくいからだ、という話を知っているか?」
 僕は首を巡らし、そこにいるはずの少女を見ようとした。
「過去に……この世界を王が統治し、支配していた程の過去に、主から命を受け、その身を石に
封じ込めた少女がいた。時は流れ、異国の島国にその石は運ばれ、奇しくも騎士の
胸を飾ることとなったが――その形を変えられたために、光は徐々に漏れ出すようになってしまった」
 首を巡らした先に、その少女は立っていた。
 無言のままに、僕を見つめている。
「月の光が弱まり太陽もまだ上がらない、星だけが空にある、この灰色の時間にだけ、彼女は
この世界にその身を結ぶ」
 ただ、その瞳は酷く、酷く、哀しそうに見えた。
 胸を貫く剣を押さえる事も出来ず、僕はだらりと垂れ下がっていた手を、少女の方へ伸ばした。
「術を解き、重ね、強化するために、やってきたが……お前のようなものが関わると、彼女の存在がゆがんでしまう。
だから還れ、と言ったのだ。――――生き霊め」
 がくん、と体が揺れた。
 剣が引き抜かれる。僕は支えを失って石畳の上に崩れ落ちてしまう。
 かろうじて仰向けに転がった。
 空が、見える。
 生き霊? 僕が?
 東が、朱く染まりはじめている。鉄を溶かしたような朱が、灰色を焼き尽くしている。
 夜が、明けた。
 それでも、少女はそこにいた。
 剣を下げた女性は、伏し目がちに僕を見下ろしていた。
 少女が女性に何事かいいつけた。聞いたことのない、異国の言葉。
 こくり、と女性は頷いた。剣を、鞘に収めながら口を開く。
「『言葉は解らなかったけれど、いつも来てくれた事には感謝している』とおっしゃられている」

58 :No.14 黎明 4/5 ◇D7Aqr.apsM:07/05/27 23:10:44 ID:xMt+xUox
 緑色の瞳が僕を見つめていた。祈りをささげるかのように、両の手が胸の前にあわせられていた。
 手を伸ばそうとする。けれど、もう自分の手の輪郭すらぼんやりとしてしまっている。
 お祈りなんかより、君の笑顔が見てみたかった。
 そんな事を言おうとした時、僕は自分自身が拡散していくのを感じた。

::: 

「サーシャ。お迎えありがとうございます。ずいぶん探させてしまったのではないですか?
それに、ここはずいぶん王国からは遠いようですね」
 労をねぎらわれた剣士は、ひざまづき、頭を垂れた。白いブラウスの上で金髪が柔らかく光る。
「エレノア様、――申し上げなければならないことが」
「サーシャ。王は、既に逝かれたのでしょう? それは解ります」
 エレノアは彫像を見上げながら遮った。
「それよりも、今はこれからを考えましょう。……とはいっても、王もいなければ、王国も
ないのですよね?」
 はい、と短くサーシャは答え、そして続けた。
「私の剣は、王に捧げたものです。それは同時にエレノア様のものでもあります。
王国は、既に失われて久しく……しかし、王と臣下である騎士がいれば、事は足りません
でしょうか?」
「ずいぶん、かわいらしい王国ね?」
 エレノアはにっこりと微笑んだ。

 止まっていた空気が風に払われ、公園の木々を揺らす。
 空には、刷毛で掃いたような雲が幾筋か浮かんでいた。
 風にワンピースの裾をもてあそばれながら、エレノアはぐるりと公園を見回すと、一つの窓を見つける。
 いつもいつも、少年が公園を見下ろしていた窓。
 ついに、ここへ降りてきてしまったときは驚き戸惑ったが、それでもうれしく思わなかった、と言えばそれは
嘘だった。
 こちら側の世界に、彼はそれほど踏み込んでいない。踏み込ませないように、かかわりは最小限に
おさえたつもりだった。それでも彼は、最後に自ら剣にふれてしまっていたけれど。

59 :No.14 黎明 5/5 ◇D7Aqr.apsM:07/05/27 23:11:08 ID:xMt+xUox
 サーシャはきれいに彼の想いを斬っていた。多分、目覚めるころには何も覚えていないだろう。
 公園を見下ろす事もなくなるのかもしれない。
――少しくらいは、その胸に寂しさが残ったりするものかしら?
 完全に忘れられてしまったら、それはちょっと悔しい気がした。
 立ち上がったサーシャがエレノアの手をとった。
 歩き始める。
 太陽が空にのぼり――世界は光に満たされた。
 かつての王国がそうであったように。
 まるで、宝石のように。



黎明 <了>
fake +stoned princess and knight



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