【 成長を刻むコト 】
◆IbGK9fn4k2




50 :No.13 成長を刻むコト 1/5 ◇IbGK9fn4k2:07/05/27 23:03:05 ID:xMt+xUox
 ふと気付けば、真っ直ぐ真っ直ぐに草原を歩き続けていた。足元の草は一様に足首ほどまでの丈で、歩く事を
妨げはせず、どこにあるかわからない太陽が空を夕焼け色に塗り潰していた。
 どうしてこんなところにいるのだろうか。普段通りの病院からの帰り道、夕焼けに顔半分を照らされつつ、家
の前の路地を曲がったところまでは記憶にある。しかし、ここはどこなのだろうか。後ろを振り返っても前を見
ても、同じように草原が続いていて、町の面影などかけらも無い。疑問に思いつつも足は自然と前方に見える一
本の樹、この世界で唯一人そびえ立つ樹へと向かい、動き続けている。
「これは……大きいな」
ほう、とため息が零れた。遠くからも大きいのは見て取れたが、すぐそばから見上げると、遠くから見ていたよ
りもその大きさを実感させられる。何の木なのかは判らないが、ただの大木ではないような気がして、どこかの
神木であるかのように見えた。
「人間、どうしてこんなところにいるんだ?」
不意に他人の声がして、辺りを見回す。いない。
「こっちだ馬鹿者」
改めて見上げると、一番下の太い枝に少女が腰掛けていた。黒い服の少女はどこか不機嫌そうな表情のまま僕に
問いかける。
「そうそう、そこのお前。どうしてここにいるのかと訊いているのだ」
「…………」
自分でもわからない事を答えろとは無茶な事を言う。答えるに答えられない僕に対して少女は、
「いい度胸だ。だがしかし、五秒以内に適切な回答をしない場合は、六秒後にはお前の存在はこの世界から消滅
していると思え。一秒、二秒、三秒……」
微笑みながら物騒な事を言う。
「……いや、気付いたらここに居たんだけど」
僕の呟きに、少女が小首を傾げ、
「四秒、五……。気付いたらここに居た? 迷子か?」
足を軽く振った反動で二メートルほどの高さから軽々と飛び降りて、僕をまじまじと見る。
「とても術者には見えぬしな、言うからには本当に迷子なのだろうな」
何やらわけのわからない事をぶつぶつと呟いている。
「えっと……術者って何? それと迷子って? この樹と何か関係あるの?」
すると少女はばつが悪そうに頬をかいて、俯き加減に、
「あー、何も知らないんだったな。別に教えようとも問題のないこと故、教えてやるが……」

51 :No.13 成長を刻むコト 2/5 ◇IbGK9fn4k2:07/05/27 23:03:28 ID:xMt+xUox

 少女が言うには、この樹はここら辺一体、つまりほぼこの町全体に生きる命達の時間を司る樹だそうで、彼女
達の間では時間樹と呼ばれているらしい。時間を司るという性質上、時間樹を見れば、いつ誰が何処で生まれる
か死ぬか、その全てがわかる上に、悪用すればそれらを操作する事すらも可能だそうだ。時たま、それを目的に
黒魔術やら錬金術やらを極めた連中が襲撃してくるとか。大丈夫なのだろうか?
「無論だ。その為に私が居る。……それに、昔ほど強い奴はいないし、数も多くないしな」
少女は、呆れたように言った。彼女はこの樹の管理人で、人間の一生などとは比較にならないほどの時間、この
樹を守り続けてきているそうだ。他にも、この空間は普通の人間には立ち入れない空間で、僕は偶然に迷い込ん
だのだろうこと、数十年に一度程度の頻度でそういうことがあり、それは大抵夕方である事など、実際にこんな
場所に居なければ信じられないようなことを教えられた。
「さて、人間はそろそろ帰るがよかろう」
樹に背中を預けながら話をしていた少女が、こちらの時間とあちらの時間は同じではないからな、と付け加えた。
「うん。あ、そうだ……君の名前は?」
ふと疑問を口にする。
「死神である私に名は無い。誰も私を呼ぶ必要が無いからな」
少女はそう答えた。表情が読めない。僕の眼の前にいる少女、腰のところをベルトで絞った黒いローブを着、長
い黒髪を無造作に一つに束ね、透き通るような白い肌で、僕のほうを見ると自然と見上げるような視線になるほ
どの小柄な少女は、自分のことを、死神、そう言った。
 死神、死の神、少女はどういったつもりでその言葉を口にしたのだろうか。僕がその真意を測りかねて、何も
言えないでいると、少女はくすりと笑い、
「どうしても呼びたいのならばトキと呼ぶがいい。刻むと書いてトキ。昔、私のことをそう呼んだ、お前のよう
に馬鹿な奴がいた」
さあぁ、風が二人を優しくなでるように吹いていく。
「トキ、また会えるかな?」
不思議とそんな気がした。それに対してトキは微笑んで、
「さあな? 人間。お前次第だ」
ぐにゃりと視界が曲がり、一面真っ赤に染まり、僕の意識は沈んでいって、気付けば家の前に立っていた。

 次の日、僕は夕暮れを背に負いながら、走り続けていた。路地を見つけるたびに右へ左へと出鱈目に曲がって、
大分前から足が痛み始めたが、それでも走り続ける。前日にトキから訊いたことを頼りに。

52 :No.13 成長を刻むコト 3/5 ◇IbGK9fn4k2:07/05/27 23:03:46 ID:xMt+xUox
『古来より夕暮れ時は逢魔が刻と言って、様々な異界との境界が揺らぐという。また、辻や門、扉や橋はそれそ
のものが境界の意味を持つからな。大方、お前は道でも曲がったときにこっちへ迷い込んだんだろう』
「はぁはぁ……くそっ。そうそう上手くはいかないのかっ」
息を切らせ、それでも走り続けながら、昼間の、病院での会話を思い出していた。

『手術?』
『そう、手術』
いつもの日課、病院への見舞いに行った僕を迎えたのは、見舞いの相手、幼馴染のユイが手術をするという話だ
った。
『今日?』
『そう、今日』
小さい頃から病弱だったユイは小学生の頃から入退院を繰り返す生活で、二ヶ月前からまた入院していた。ユイ
が入院するのはそれこそ日常の一部であったので、話し相手として見舞いに来るのも気が楽だった。しかし、手
術、その単語は僕の胸に重くのしかかってきた。ユイはこれまで何度も何度も入院したが、手術は一度も無かっ
た。それはこれまでの病状が左程悪くなかったという事だが、言い換えると今回は違うという事だ。
『…………』
『…………』
しばしの沈黙の後、僕が先に耐え切れなくなって口を開いた。
『なあ、ユイ……なんか欲しい物は無いか? この手術が終わったら持ってくるからさ』
『欲しい物? ……そうね』
ユイはベッドの上で茶目っ気のある笑顔を見せて、
『婚約指輪とかどう? 勿論二人の分』
『え……婚約指輪?』
驚く僕を見て、ユイは少し残念そうに肩をすくめて、
『駄目? なら無理にとは言わないけど……』
『い、いや、大丈夫。明日絶対に持って来てやるから、受け取れよ? 約束だぞ』
『うん。約束する』

 僕は昔のようにヒーローに憧れる少年ではないし、ユイもお姫様を夢見る少女ではない。そんなこと分かりき
っているはずなのに、あんな物を求めたユイ。嫌だ。胸騒ぎがした。ユイが僕の知らないところで、何かを覚悟

53 :No.13 成長を刻むコト 4/5 ◇IbGK9fn4k2:07/05/27 23:04:04 ID:xMt+xUox
して、何かを受け止めている気がした。それが嫌だった。ユイが一人で戦っているのも嫌だったけれど、ユイが
どこかに行ってしまうかも知れないのに、何もできない自分が嫌だった。だから、せめてのできる事を求めて、
人の生と死を司るあの樹の許へと走った。
 走って、走って、もう幾つ目とも分からない路地を曲がったところで、不意に道が途絶えて、辺りは一面夕焼
け色となっていた。

「おや、人間。また会ったな」
この日のトキも同じ格好で、腰をベルトで絞った黒いローブ、無造作に束ねた黒髪、唯一つ違うことに、その右
手には鈍く光る大鉈が握られていた。
「トキ、何をするつもりなんだ」
悪い考えが僕を突き動かして、自然と語気が強まる。それに対してトキはいかにも興味なさそうに、
「今宵打ち時の枝があるからな、それを落とそうというだけだ」
軽く言い放つ。
『この樹が時間の象徴とはなかなか文字通りの意味でな。枝の一本一本がそれぞれ人間一人一人の時間に対応し
ている。枝分かれして出来たときがその人間の誕生で、枝が落ちるときがその人間の死なのさ』
トキの言っていたことを思い出し、背筋に震えが走る。
「まさか……ユイの枝じゃないだろうな?」
トキはこれまでの態度が嘘だったかのような冷たい微笑を浮かべた。
「知らないな。誰か女のものだったとは覚えているが、そもそも死神が死人の事を考える必要はないだろう?」
あまりの台詞に、咄嗟にトキと時間樹の間に立ちふさがって、
「させない。ユイは殺させない」
トキは相変わらずの冷たい微笑みのまま僕に説く。
「そこを退くがいい、人間。不要な枝を打たなければ樹全体に悪影響を及ぼす。たった一本の枝を残しただけで、
樹そのものが枯れ果てるかも知れないんだ」
「……でもっ」
「退かないのならば、容赦はしないぞ」
すたすたと歩み寄るトキの気に圧されるように後ろへと後ずさる。
しまった、間合いに入れられた。そう思ったところで木の根に躓き、尻餅をついてしまい、一瞬遅れて頭上を風
が走る。追撃を避けようにも身動きがとれず、そのままトキを見上げていると、返しの刃は僕の首すれすれでピ
タリと止まった。

54 :No.13 成長を刻むコト 5/5 ◇IbGK9fn4k2:07/05/27 23:04:21 ID:xMt+xUox
「怖くは無いのか?」
手を微動だにさせないまま、トキが不思議そうに訊く。
「怖いよ。むしろ怖くて身動きが取れないくらい」
腰を抜かしそうなほど怯えているのに、妙に真面目に答えている自分が自分でも可笑しくてしょうがない。トキ
もそれを思ったのか、前と同じような呆れたような表情をして、ため息をつきつつ、
「そうか……聞いた私が馬鹿だったよ。思い出した、人間ってのはそういう生き物だったな」
す、と大鉈を下におろして、左手で小さな包みを投げた。反射的に受け取る。
「受け取れ、餞別だ」
「え、と、ありがとう」
素直に礼を言うと、照れ隠しだろうか、トキは少し顔を背けながら言った。
「礼ならいらん。さっさと行け、お前を待ってるぞ」
誰が、そう訊く前に、ぐわぁーんという音をさせながら世界がぼやけて、やがて真っ白になった。軽い浮遊感が
あって、それが途切れたところで僕は前へと一歩踏み出した。

 見慣れた場所に立っていた。病院の四階、エレベーターホール。窓から見える太陽の位置から察するに、今は
十時頃だろうか、計ったように面会時間が始まっていた。歩きながら、手に持っていた物について考える。小さ
な袋の中に、二つの、大きさの違う木彫りの指輪。大方、記憶に無い昨日の夕方のうちに自分で買ったものだろ
う。立ち止まり、深呼吸をして扉をノックする。


「ふぅ……」
あの人間の記憶を消して送り返したあと、大鉈を放り捨てて、体を投げ出して草原に寝そべる。
「我ながら大芝居だったなー、死神だなんて。……あながち嘘でもないけど」
随分長い事やっているけれども、自分達の仕事は人間が文字を持つ前から変わらない。一つの面は終わるべき枝
を切る死神。もう一つの面は咲くべき花を咲かせる恋の天使。生かしたいのか殺したいのか、酷く矛盾している。
「でもそれが、樹を育てるってことなんだろうね」
誰に語りかけるでもなく、自分に言い聞かせるように言う。首だけ動かして時間樹の方を見ると、咲きかけてい
た蕾が一輪、花開き始めている。それは二本の枝が触れ合い、咲かせているように見えた。
 それを見ながら、古い友人の事を思い出していた。妙にお人よしで、自分に名前をつけた人間のことを。
『この樹の成長を刻み続ける、トキってのはどうだ? 子供の身長を柱に刻むみたいにさ』



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