【 受け継がれる道 】
◆jhPQKqb8fo




45 :No.12 受け継がれる道 1/5 ◇jhPQKqb8fo:07/05/27 22:53:44 ID:xMt+xUox
 サキは眠っている。
 時折浮かぶのは、希望の微笑み。
 サキは眠っている。

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 「結論から申し上げます、博士。―――あと三ヶ月。今度こそ、変更はございません」 
 丁寧に織られたじゅうたん、磨き上げられたアンティークの本棚、くつろぐことを優先した椅子と机。誰もが羨むようなその応接間で椅子に座り向き合う
二人の若い男は、しかしその場にそぐわない重い雰囲気をまとっていた。
 「博士、」
 白衣を着た男は再度その愛称を口にする。年の頃は二十代前半であろうか、きりっとした目元は知性と深みをたたえ、まるで年を経た仙人のようであった
が、今はその目もつらそうにゆがんでいた。
 「あなたに対してこう申し上げなければならないことが、私には悲しくてなりません。しかし、あなたに対して嘘でごまかすことは私には出来ませんし、
仲間たちも同じ気持ちです。自分がこれほどまでにふがいないと思ったことはありません…」
 うなだれる男。博士と呼ばれた男は体の前で手を組み、目を閉じながら聞いていたが、やがて目を開けると微笑みを浮かべた。
 「いえ、あなた方はよくやってくださいました。自分の体は自分が一番良くわかっております。残念ですが、これも私の運命、ということなのでしょう」
 告げられた言葉に対して、あくまでやわらかく返す博士。そうして立ち上がり、振り向いて背後の窓から空を見上げる。その瞳には諦めや絶望ではなく、
ただただ穏やかさだけがたゆたっていた。
 「世の秩序を少しばかり曲げてきた私が、このような最後を迎えるというのも、なかなか皮肉が利いていて悪くない。そうは思いませんか?」
 問われた白衣の男は立ち上がり、博士に詰め寄って、搾り出すように尋ねた。
 「博士、確かにあなたの体は、現在の医学ではどうしようもないほどの病巣となっております。私ども以外の医者であってもそれは覆らないでしょう…。
ですが、あなたなら覆してしまえるのではないですか?」
 博士は振り向くと、その口元を苦笑の形にした。
 「それは買いかぶりというものです。私は一介の科学者。それ以上でもそれ以下でもありません」
 「そんな!博士は今まであらゆる不可能を可能にしていらしたではないですか!私が幼い頃には考えもしなかったようなことが現実になっている、博士は
その導き手となられた方ではないですか!私だって、」
 白衣の男、博士の主治医は自らの胸に手を当て、
 「かつては私の年でこのような若さを持つものなどいなかった!体が不自由になり、入院する人がほとんどでした!今私がこうやって元気に医学の道を歩
めるのも、博士のおかげなのです!」

46 :No.12 受け継がれる道 2/5 ◇jhPQKqb8fo:07/05/27 22:54:04 ID:xMt+xUox
 博士は自らの主治医に目を向けると、再び苦笑した。
 「確かにその通りかもしれません。ですが、それでも寿命を大幅に伸ばすことは出来なかった。もう少し時間があれば別だったかもしれませんが、私はも
うここまでです」
 自らの命に対し、絶望とも取れる言葉を告げる博士。しかしその瞳には、変わらない穏やかさがあった。
 「私はここで退場しますが、私は次の世代に期待します。いつか人類が、私の為し得なかった高みに到達する、そのために少しでも轍を刻めたのなら、私
は本望なのです」

 博士は主治医を見送ったあと自室に戻った。
 先ほどの応接間とはうってかわって質素な部屋だ。二メートル四方の角にはベッドがあり、その横の窓に面した机には計算式で埋め尽くされた紙が散乱
している。壁際には本棚が二つあり、それぞれ本が限界まで詰め込まれていた。
 主治医の乗り込んだ車が敷地外に出て行くのを窓から確認した博士は、ゆっくりと本棚に向かった。胸ポケットからリモコンのようなものを取り出し、操
作する。と、本棚がひとりでに横に動き、その後に通路が現れた。高さは二メートルほど、横幅は人が二人通れるほど。中は暗く、相当奥まで続いているこ
とをにおわせる。博士はその通路を眺めると、
 「あと三ヶ月、か…」
 ひとりごちた。感傷だな、と苦笑いし、すぐに表情を引き締める。今やるべきことは残りの命に思いを馳せることではなかった。
 ぽっかりと口をあける通路をくぐると、センサーが感知して明かりが点き、同時に背後で音を立てて扉が閉まった。これでもう中から操作するまでは絶対
に穴は開かない。自分のほかに人間のいないこの屋敷で秘密がばれることなど万に一つもないが、念には念だ。なにせ自分の人生をかけた一世一代の大仕事
だからな、とつぶやき、奥に向かう。
 奥には数台のパソコンと大量の本棚、そして扉があった。博士は扉の前に立ち、躊躇うことなく脇のスリットにカードキーを通し、下のボタンを押す。音
を立てて開く扉を見つめること数秒、部屋に入った博士に向かって、透明な声が響いた。
 「おはようございます、博士。お変わりありませんか?」
 少女だった。薄灰色の髪を腰までたらし、年の頃は十代半ば。黒のワンピースに白のエプロンをつけ、茶色の目を持つその顔には、微笑が浮かんでいた。
 それだけを見ればモデルとして一世を風靡していてもおかしくない外見だった。――首元で頭部と胴体を繋ぐソケットがなければ。
 「ああ、変わりなく年を取っているとも。医者によると、あと三ヶ月の命だそうだ」
 肩をすくめて言う博士に、少女は微笑んで会釈を返す。
 「それは何よりです。博士には変わらず時間が残されていると言うことですね」
 「ちょっとはショックを受けてくれてもいいんじゃないか?わしはサキ、お前にとっては親みたいなものだと思ってたんだが」
 「みたいもなにも、私を作ったのは他でもない博士です。ですから私は、自分以上に博士を愛しておりますし、理解しているつもりです。私の知る博士は、
無為の生を選ぶ方ではありません。そうでしょう?」


47 :No.12 受け継がれる道 3/5 ◇jhPQKqb8fo:07/05/27 22:54:20 ID:xMt+xUox
 「ああ、その通りだ」
 胸をはり微笑むサキと呼ばれた少女。その笑顔に、博士は力強い頷きを返す。そして少女の後ろに目をやる。そこには人のサイズのカプセルに入り目を閉じ
る男女が、数え切れないほど並んでいた。
 「死ぬ前に、次の世代のための道を残してみせる。その為にサキたち、人型のアンドロイドを作り、そして最後の研究もメドを立てることが出来た。今日は
その仕上げに来たんだ。手伝ってくれるか?」
 「もちろんです、博士」
 博士は先程の部屋に戻り、パソコンを立ち上げる。サキは別のパソコンを立ち上げ、人には到底不可能と思われる速度でキーを叩き出した。博士は欠けてい
る数式を埋めるように理論を考え、サキはその理論を片っ端から試し、あるいは別の角度からアイデアを出す。そうして二人は作業に没頭した。
 何時間が経っただろうか、博士はぽつりと、
 「時間があればな…」
 サキがちらりと、作業の手は止めないまま、博士に視線を送る。
 「ああ、さっきはああ言ったが、やはりここで終わるのは悔しいものだ。今まで色々な発明をし、感謝もされてきた。人々はわしを尊敬し、みな良くしてく
れた。それはとても嬉しかったが、しかし、わしは本当は賞賛も尊敬もいらなかった…。ただ発明し、理論を考え、新たな世界を開ければそれでよかった…。
その為に寿命を延ばす方法を見つけようと、心を砕いてきた…」
 サキは口を挟まない。
 「しかし、一歩遅れてしまった。若さを保つことには成功したが、病気だけはどうにもならなかった…」
 サキは口を挟まない。
 「わしは難病に冒され、あと三ヶ月の命となってしまった…まだ世界は平和になっていないし、人は死んでしまう…。やり残したことが多すぎる…。ただ、
病気になったというそれだけで、ワシはここで終わってしまうんだ…」
 サキは口を挟まない。なぜならば、
 「だが、」
 サキには分かっていたからだ。
 「この研究が成功すれば、その問題を解決する糸口が見つかる。わしがいなくなっても、次の世代がわしのこの研究から新たな答えを見つけるだろう!そう
して、もはや誰もがわしのような思いをせず、自分が満足するまで生きることが出来るようになるだろう!それが、それがわしの目標!わしの生きた意味だ!」
 自分の作り手が、死如きで立ち止まるような人間ではないことを。
 サキは我知らず微笑を浮かべ、告げた。
 「それでこそ、私の博士です。My master.」


そして、最後の研究が完成した。

48 :No.12 受け継がれる道 4/5 ◇jhPQKqb8fo:07/05/27 22:54:39 ID:xMt+xUox
 二ヶ月がたち、博士は再びサキの部屋を訪れた。
 最後の研究の完成後、博士は自分の死後の準備をしていた。換金できる資産は換金し、慈善事業の団体に寄付した。弁護士と話し合い、今まで公表した発明を
無料で、しかし誰かが私欲で独占したり出来ないように、手を打ってもらった。その他、お世話になった人たちに挨拶に行ったりもした。その中には主治医も含
まれていて、彼は何も言わず博士を夕食に誘い、最後に博士のためにとっておきのウイスキーをあけてくれた。もっとも、主治医は信じられないぐらいの泣き上
戸で、自分がいかに博士を尊敬し、人生の師と仰いでいるかについて延々と語ったので、博士は少し辟易してしまったのだが。
 スリットにキーを通し、ボタンを押すと、部屋の中から透明な声が生まれる。
 「おはようございます、博士。お変わりありませんか?」
 博士は頬杖をつくと、苦笑しながら言った。
 「数日前とうとう体にガタがきてな、見ての通り車椅子になってしまったよ」
 「そうですか。それでは、最悪の事態は未だ避けえているということですね」
 「ああ、頭の方は変わらず冴えているよ。だが、もうあまり時間がない。このあとすぐ記者会見が控えている。だから…」
 博士が言いよどむと、サキは微笑んであとを続けた。
 「最後の仕上げ、というわけですね」
 博士はああ、と頷き、しかしサキに気遣うような視線を向ける。
 「提案しておいてなんだが、本当にいいのか?いくらお前がアンドロイドだからといって、長くつらい時間になると思う。お前が望むなら今からでも遅くは…」
 「私を不義理な機械になさるおつもりですか?」
 サキは笑顔で博士の言葉を封じた。
 「私はサキ、博士の代わりに先を見、咲き誇る人類を支えるための存在です。博士が私の名にこめた願いは私の存在意義そのもの。それが叶えられることが私
の望みなのです」
 サキは一礼し、
 「ご命令ください博士。あなたが妥協せず容赦せず後悔せずご命令くださるのなら、完全に完璧に完膚なきまでに果たして見せましょう。私のサキの名に懸けて」
 「…ありがとう、サキ」
 博士はもはやそれ以上何も言わず、最後の研究――時間固定――の実行の準備を始め、サキは手伝った。それがサキと博士が一緒に行った、最後の実験だった。

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49 :No.12 受け継がれる道 5/5 ◇jhPQKqb8fo:07/05/27 22:55:08 ID:xMt+xUox
 視界の端で何かが動いた気がして、サキの意識はスリープモードから通常モードに移行した。記録には何も残っていない。気のせいだったかと、再びスリープモードへの移行準備を始める。
と、机の上の写真、最後に博士と撮った写真が目に映り、サキは微笑んだ。
 博士の最後の研究である時間固定は、簡単に言うと時を止めるものだった。時間を含む多次元の観点から座標を特定し、その範囲内の時間的活動を固定する、と博士は説明していたが、サ
キには良くわからなかった。そもそもサキの得意分野は家事や作業の補佐だったので、範囲内ではあらゆる三次元的活動はその動きを止め、ゆえに物理的に劣化もせず破壊も出来ないとわ
かれば十分だった。博士は時間を操る手段、その一端を見つけ出したのだ。
 だが問題が二つ。
 一つは、固定を安全、確実に行うために、内と外から同時に働きかけなければならないということ。内からの補助はサキにも可能だったが、固定の力が暴発すれば何が起こるかわからない以
上、主な操作は博士が行うしかなく、結果、博士自身を固定することは叶わないものとなってしまった。
 「まあ、そう何もかも上手くはいかないさ」とは博士の言。
 二つ目の問題は、理論が高等すぎて、今の世界では手に余るということだった。下手に公表すれば、誰かが理解できないままこの技術を利用しようとし、取り返しのつかない破滅を引き起こす
可能性がある。そう考えた博士は、公表する理論をあえて現代の科学レベルにとどめ、人類に自分たちでこの技術を見つけてもらうことにした。そのためのヒントがこの屋敷だ。屋敷に遺された
時間固定以外の発明――例えばサキたち自身、石油に代わるエネルギー、核爆発を無効化する装置――の内訳は、博士が記者会見で公表する手はずになっていた。その発明を手に入れた
いなら、時間固定を解くしかない。それは人類がこの技術を手に入れるということを意味していた。
 「博士、あなたの思いは、届いているでしょうか」
 博士にはもう一つ狙いがあった。それは、時間固定を解くために、人種や国境を越えて、全人類が互いに手を取り合って協力するよう誘導すること。最後のあの日、博士は言った。全人類が協
力し合い、目標を成し遂げた時、人類は真の意味で互いを仲間と認め、もはや殺しあうことなどなくなるのではないか、と。
 「その先にあるのはきっと平和で、憂いもなく、私の発明や誰かの発明がただ人を幸せにするために使われて、人種も故郷も関係なく杯をぶつけ合うことができる世界だ。そうしたらサキ、お前
たちは彼らに酒をついでやってくれ。どうだ、心躍る想像だろう?」
 二人で撮った写真を見ながらそう言った博士の顔を、サキはドット単位で思い出すことが出来る。あのような顔を作り出せる博士を、サキは誇りに思う。
 「私は、人類を信じてなどいませんが…」
 サキには、博士の理想が夢物語…とまではいかなくとも、相当に無理のある物だとわかっていた。しかし、
 「私は博士を信じています。人類を信じ続けて亡くなったであろう博士を」
 サキは顔を上げ、自室のドアを見る。そこにはもう鍵はかかっていないが、ドアが開くことはない。サキの部屋以外の屋敷全てにかけられた時間固定が解かれない限り、サキ自身にすら開ける
ことはかなわない。しかしサキは、その扉がいつか開かれることを確信している。
 それが機械の矜持というものです、と思い、スリープモードへの移行準備を完了させる。もう何十年経ったかわからないが、機械の身である自分はいつまでも待てる。ドアが開くその時が来たら
どう出迎えるべきだろうか。お待ちしておりました、か。ようこそいらっしゃいました、がいいだろうか。しかしもはや、他者をマスターと呼ぶことはないだろう。サキの主人はいつまでも、あの優しくて理想に燃える博士だった。
 そうしてサキはまた眠りについた。その口元に希望の微笑を浮かべながら。



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