【 センチメンタル過剰 】
◆p/2XEgrmcs




37 :No.10 センチメンタル過剰 1/4 ◇p/2XEgrmcs:07/05/27 21:56:21 ID:xMt+xUox
 アスファルトに寝そべった三人は、視界の新鮮な角度に感動していた。感じる夏の暑さは、酔いで膨れ上がっている。
乾いていた空気は、もう深夜の闇でしっとりと濡れそぼっていた。
 音、闇、風、温度。その全てがピクリとも動かないので、太朗は時間の停止を錯覚した。
 「車、来ないな」
 彼は寝たまま呟く。ぼーっとしていると、視野が酔いのせいでゆっくりと揺れているのが分かる。そうやって
ふざけるには酒が入りすぎていると思うが、二人が動き出さないのに、自分だけ車道から離れるのも気が引けた。
 「駄目だあ。喉が渇いた」
 いち抜けた、と叫んで、貞夫が立ち上がった。彼は歩道へと向かい、コンビニの袋から缶ビールを出した。
太朗は、助かった、と思った。酔った時の倦怠は、きっかけが無ければ払拭出来ないことを知っていたからだ。
立ち上がり、貞夫と同じように酒を漁り出した太朗は、残りの一人、英樹がまだ立ち上がらないのに気付いた。
 「英樹、死ぬから止めろよ。酔ってんだからさ。こっちで大人しく飲もうよ」
 ビールや酎ハイの炭酸で腹が一杯になっていた太朗は、ワインの小瓶を掴んだ。彼が瓶のキャップを捻って外しても、
英樹は起き上がろうとしなかった。貞夫もジーマを呷りながら、英樹に立ち上がるよう促した。
 「そんな死に方してもキレイじゃないぜ。高校生が酔っ払って轢死なんてよ、芸術の欠片も無いじゃんか」
 「……ジム・モリソンは、轢かれた死体を見たのが原体験だって言ってたぜ」
 英樹はようやく起き上がり、二人の近くに腰掛けた。
 「魂が抜けるところを親友二人に見せながら死ぬっていうのは……憧れるところがあるかも」
 独り言の口調で話す英樹を見れば、大抵の人が酔っ払いと思うだろうが、それは彼の平時の話し口だ。
太朗はワインに思わぬ酸味を覚えて、瓶を英樹に突きつけた。英樹は笑って瓶を受け取り、事も無げにそれを飲んだ。

38 :No.10 センチメンタル過剰 2/4 ◇p/2XEgrmcs:07/05/27 21:56:37 ID:xMt+xUox
 太朗は腕時計を見た。思ったより時間が経っていない。酔った時は大抵、驚くほど早く時間が過ぎるのに。
 「酔っ払ってるのはお前だろ、貞夫。こんな時間に車は来ねえよ」
 先ほど、いの一番に車道に寝転がった貞夫は、チキンレースだ、車が通るまでこの場を離れないと言い出した。
お前らもやれ、お前らもやれとうるさいので、太朗と英樹はそれに付き合ってやっていたのだ。
 英樹にからかわれた貞夫は、痛くもかゆくもない、という顔で笑って、話題を逸らした。
 「しかし、やっぱりこの面子で飲むといいねえ! 中学の頃、思い出すよ」
 三人は中学の同級生だった。三年間クラスを共にして、親友と呼ぶに相応しい間柄になった。
高校はそれぞれ別々の所へ進んだが、頻繁に連絡し合い、遊び、休暇の時には酒を飲むようになった。
 この近くに大型のスタジアムが出来た時、田んぼや川の上を突っ切る二車線の道路が作られた。
そんな目的の道路であるから、夜中に利用する人間は少ない。料金所を越えた道路の中腹は、
誰にも邪魔されない、灰色の原野だ。地上から高い吹きっさらしも、夏の夜にはちょうど良い。
 眼下に広がる真っ暗な田んぼ、更地、川面を見て、太朗の背筋は少し震えた。急いで視線を道路に戻す。
 規則正しく並んだ外灯が、薄いオレンジの光を放っている。酔った太朗の目には、光が真っすぐに伸びているように見えない。
 あのケースの中に光るものがあるのではなくて、光が外灯に張り付いているのではないだろうか。
蜂の巣のように。蛇口から垂れる水のように。重力に逆らわず、自らの重みを尻へ流して溜め込んでいるように――。
 「太朗、トんでるぞ」
 英樹にたしなめられるまで、太朗は外灯の列に目を奪われていた。

39 :No.10 センチメンタル過剰 3/4 ◇p/2XEgrmcs:07/05/27 21:56:55 ID:xMt+xUox
 「貞夫、今度のライブ、いつだ?」
 「再来週の木曜……もう英樹にもチケット渡したじゃんか! 覚えといてくれよ」
 貞夫は煙草を取り出し、柵から身を乗り出した後に火を点けた。太朗も英樹も吸わないことを気にしてのことだった。
酔ってふらついて、柵から落ちはしないかと不安になった二人は、彼が落ちそうになったら急いで支えられるように、
貞夫のすぐ後ろに座った。同じ思惑に気付いた二人は、嬉しくなって笑う。
 「太朗、『気狂いピエロ』観たことあるか」
 「うーん、タイトルしか知らない」
 「ゴダールの代表作だよ。観てみろ、ああいうのが芸術だと思ったよ。ナンセンスで、ひたすら美しくってさ」
 英樹は映画の話を続けた。彼の話が石井聰亙の「爆裂都市」に及んだ時、煙草の火を踏み消した貞夫が振り向いて、
八十年代のジャパニーズ・パンクの話をし始めた。酔いのせいで熱っぽい語り口は、早熟な彼らの隠された幼さを顕わにした。
 太朗はまた腕時計を見た。先ほどと同じように、予想より時間が経っていない。彼はその訳を察し始めた。
 知識と技術、才覚に満ちた友人に緊張させられている。再会するたび何かを身につけ話してくれる友人を畏れているからだ。
だから酒に酔っても、どれだけ楽しくても、流れるようには時間が進んでいかないのだ。太朗は自分の拙さを曝け出し、
友人に軽蔑されるのを恐れた。彼らが自分と同じだけの時間しか生きていないことが信じられない、と思うこともあった。
 貞夫は中学の頃からベースを弾いていた。高校に入って、趣味の合う同級生とバンドを組んでいる。
英樹は映画や絵画、文芸、漫画、様々な分野に明るい。自分がやりたい芸術を探すために、色々取り込みたいのだという。
太朗は二人の話題に追従することは出来た。しかし彼らが持つ芯のようなものを、自分は持っていないと感じていた。
二人と話すのは大きな刺激だったが、太朗にとっては自分の無力を知る機会でもあった。
 「やっぱり、二人とも凄いなあ」
 不意に呟かれた言葉を、貞夫も英樹も聞き逃さなかった。自嘲的な語気を汲み取った二人は、太朗を案じた。
 「どうした、太朗?」
 「酔ってんのか?」

40 :No.10 センチメンタル過剰 4/4 ◇p/2XEgrmcs:07/05/27 21:57:10 ID:xMt+xUox
 「いや……二人に久し振りに会うとさ、時間って残酷だなあと思うよ。俺が何にもやらないうちから過ぎていってさ。
何か二人に置いていかれたような気持ちになるんだよなあ。情けない話だ、本当」
 冗談のような口調で誤魔化そうした太朗だったが、二人の眼差しが存外真剣で、酔いが少し引くのを感じた。
自分の失言に気付き始め、恥ずかしさが太朗の中で燃え上がり始める。貞夫と英樹は何も喋らず、沈黙が続いた。
 静かな時間が続くほど、会話を再開しづらくなっていく。太朗はこの沈黙を作ったことを強く悔やんだ。
 貞夫は、柵に背を凭せ掛け、視線を宙に浮かせて話し始めた。
 「楽器やってると分かるけどさ。塵も積もれば、って本当だよ。身につけたい技術は、ちょっとずつしか
身につかないんだ。努力は時間の上にしか成り立たないって、最近気付いたんだ」
 貞夫は、嫌味っぽいかな、と訊くように英樹の顔を見た。英樹も似たような気まずさを覚えて、太朗から目を逸らして言った。
 「時間って、過ぎていくものじゃないだろ。そう思うやつは、自分で時間を突き放してるのさ」
 二人の言葉の含蓄に、太朗は驚いた。何故同い年の人間に、こうも胸を打つ叱咤が出来るのか不思議だった。
そして太朗は、彼らが自分を励まそうとしていることがすぐに分かった。矜持の無い自分の言葉に呆れず、
助言してくれる二人の存在が嬉しく、申し訳なかった。
 「英樹は言い方がきつ過ぎる。俺もまあ、的は射てないかもしれないけど」
 「いや、俺だって励ましたくて言ったんだぞ……。でも、確かに言い方は悪かったな。ゴメン、太朗!」
 太朗は堪え切れず、泣き始めていた。彼の酒が回った目に、涙が染みる。涙の刺激で、また涙が溢れる。
 時間がゆっくり流れるのを、太朗は初めて肌で感じていた。二人に置いていかれないよう焦っていた時とはまるで違う、
とろとろと緩慢な時間の流れを。酩酊による判断の鈍化も、自分の情けなさも、二人の親友の気遣いも、
その緩やかな流れの中で、はっきり認識することが出来た。
 時間とは世界そのものなのではないかと、太朗は思った。誰の周りにも平等に存在して、人間はその中で生きていく。
そう思うと太朗は、貞夫にも英樹にも誇れる何かを、自分も身につけられる気がした。
自分より優れた存在と自分とは、同じ「時間」に生きているのだと初めて気付いたからだ。彼の涙はすぐに止まった。
 眠らずにいる夜は、過ぎていく時間を眼に映らせることがある。そんな夜の出来事だった。
 
-了-



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