【 さかしまに映る影 】
◆PUPPETp/a.




18 :No.06 さかしまに映る影 1/5 ◇PUPPETp/a.:07/05/27 16:37:14 ID:xMt+xUox
 重い樫の木の扉がコンコンと軽い音を立てる。
 部屋の住人である男の「入れ」という言葉受けて、部屋へと入るのは屋敷の女中である。
「旦那様、蓬莱堂様がお見えになりました」
 その言葉を聞いて、館の主はようやく書類から目を離した。
 年を幾分重ねてはいるが、覇気が満ちたその顔は年齢よりも若く感じさせる。
「ああ、古道具屋か……。わかった、客間へ通せ。すぐに行く」
 女中は一礼すると、扉を閉める。
 一日中机に向かって目が疲れたのか、眉間に指をあてがった。

 客間では、一人の女性が茶菓子をほお張って満面の笑みを浮かべていた。
 扉が音を立てて開き、男が客間に現れると、食べかけの茶菓子を一口で放り込んだ。
「まいどっ、お世話になっております。蓬莱堂でございます」
 少し調子っ外れで口上を述べ、立ち上がる蓬莱堂。
 肌の曲がり角は過ぎてしまっているが、顔立ちは十人に聞けば十人とも『悪くはない』と言うだろう。ただし
顔に掛かった野暮な眼鏡を外せば、だ。
 その蓬莱堂は、よそ行きの和服姿でにこやかに笑う。
「これはこれは、蓬莱堂さん。よくいらっしゃった」
 元華族、現在でも貿易関係の仕事を手広く勤める館の主人、藤堂佐間之介はそつなく挨拶をこなす。
「蓬莱堂さんの方からいらしたということは、何かいい出物でもありましたかな?」
「ええ、お嬢さんにと思いましてね」
 と風呂敷を解いて取り出し、佐間之介へと手渡した。
「これは……手鏡?」
「ええ、ええ。細工のいいものが入りましてね。佳代子さんもお年頃でございましょう?」
 屋敷の主人は上を下に、表を裏にとその鏡を眺めた。
 精緻な細工が施されたその鏡は、映すもの全てをさかしまに捉える。西に傾いた太陽の光を浴びてきらりと光った。
「ふむ、いい鏡だな。――おい、佳代子を呼んできてくれ」
 後半は蓬莱堂に向けてではなく、部屋の隅で控えていた女中への言葉だ。
 女中はかしこまってお辞儀をすると、部屋から出る。
 それを追うともなく目で追うと、視線を戻して館の主人と雑談に興じた。
「佳代子さんもお美しくなられたでございましょう。確かぁ……」

19 :No.06 さかしまに映る影 2/5 ◇PUPPETp/a.:07/05/27 16:37:31 ID:xMt+xUox
 あやしい言葉使いで、彼女は記憶のレコードに針を落とすように指でこめかみを二度、三度つつく。
「弟夫婦が死んでからだから、うちに来てもう十年も経つよ」
 佐間之介の弟は十年前に事故で亡くなった。夫婦そろっての旅行中、馬車ごと谷に転落。即死だったという。
 しかし不幸中の幸い、とでもいうのか。弟夫婦の一人娘、佳代子は幼い娘に長旅はきつかろうと旅行の間、伯
父である佐間之介の元へ預けられていた。
 客間の扉が機械的に叩かれ「お嬢様をお連れしました」という女中の言葉に佐間之介が返事を返した。
 静かに開かれた扉からは藤堂佐間之介の義娘、佳代子が姿を現す。
「いらっしゃいませ、蓬莱堂さま」
「お久しぶりでございます、佳代子さん。ご機嫌麗しくて?」
「ええ、最近は陽気もよくて心地よくなりましたし」
 佳代子は顔に微笑を貼り付けて、型通りの挨拶を交わす。
 蓬莱堂が『悪くはない』と評されるならば、佳代子を見た人は十人が十人とも『美しい』と評するだろう。
 たおやか、可憐、清らか。彼女を評する言葉は見る人の数ほど出てくる。
 その佳代子の返答に頷く蓬莱堂だった。だがどう見ても「ご機嫌麗しい」とは思えない佳代子に頭の中では
少々首をひねる。
 ――年頃の娘さんだし、何か悩みごとでもあるんかいな?
 佳代子は顔色があまり優れない様子だが、蓬莱堂が思い浮かべるのはその程度だった。
「佳代子、蓬莱堂さんが勧めてくれたんだが、どうだ」
 一人掛けのソファに座る佳代子に手鏡を差し出す。
 佳代子は差し出されたそれがまるで凶器であるかのように、目に怯えの色が見えた。だがすぐに笑顔で取り繕
われ、霞のように表情が伺えない。
「まあ、可愛らしい細工……。伯父様、買ってくださるの?」
 佳代子は手鏡に自分を映し、そして細かな細工にも見入っている。
「ああ、最近忙しくてかまってやれなかったろう。こんなことでは弟に顔向けできんからな」
 そう言うと大声で笑った。
 佳代子もうれしそうに、本当にうれしそうに笑った。

 後日、蓬莱堂は藤堂佐間之介に呼び出されることとなる。
 キセル片手に憩いのひと時を満喫していると、屋敷からの使いが「至急来てほしい」と伝えてきたからだ。
 藤堂の屋敷に着いたのは夕刻。日が落ちるまであと少しという時間だった。

20 :No.06 さかしまに映る影 3/5 ◇PUPPETp/a.:07/05/27 16:37:48 ID:xMt+xUox
 蓬莱堂が客間のソファに腰掛けるか、掛けないかの時間ですぐに扉が開き、屋敷の主人が現れた。
「蓬莱堂さん、よく来てくれた。本当によく来てくれた」
「何事です。急な用件のようでございますが」
 藤堂佐間之介は蓬莱堂の向かい側に座り「おい、お茶を持ってきてくれ」と女中に言いつけたきり、口をつぐむ。
 お茶が用意されるや、今度は部屋を出るよう言いつけた。
「それで、わたしは何で呼び出されたんでございましょう?」
「……佳代子が消えたんだ」
 佐間之介の、膝の上で組んだ手に力が篭もる。
 しかし蓬莱堂はお気楽なものだ。出されたお茶に口をつけてから言う。
「あらま、駆け落ちですかい? それじゃわたしなんかより官憲か探偵の方にでもお願いした方が――」
「ちがう!」
 立ち上がり様、ドンと机が大きく打ち鳴らし、茶碗が音を立てる。
 それでも悠然と茶を啜る蓬莱堂を見て、我が振り見たのか、苛立たしげではあるが椅子に腰を戻す。
「すまん。しかしそれはない。いや、わしもそれは考えたのだ」
「ほお」
「屋敷の者たちに聞いて回ったわ。そのような素振りを見せなかったか、と」
 指を絡ませて組んだ手を額に押し当てる。自分を落ち着かせるかように、大きく息を吐いた。
「しかしそんな様子はなかった、ということでしょうかね」
「そう。怪しげな男が立ち入った様子もなかった。ましてあれは一人で出かけるような娘ではない」
「ふーむ」
 またお茶を一口。
「それで、わたしが呼び出される理由になるとは思えませんが、どういったことでございましょう?」
 佐間之介は組んだ手を下ろし、真向かいに座る蓬莱堂の目をじっと見据えた。
 何かないか。何か知っているのではないか。一縷の希望を手繰り寄せようとしている。
「……あれは、あの鏡は、その、物の怪の類が憑いているということはなかったか?」
 ひとつの会社を切り盛りする人物が口にするには、いささか大人げない言葉である。
 そして蓬莱堂は口元に笑みを浮かべる。それはけして佐間之介を嘲笑うものではない。自分の鑑定眼に自信を
持っての笑みである。
「あれはそんな大層なもんじゃございませんよ。ただの鏡。細かな細工が施されたいい鏡です」
「……そうだな。わしも馬鹿なことを言った。忘れてくれ」

21 :No.06 さかしまに映る影 4/5 ◇PUPPETp/a.:07/05/27 16:38:07 ID:xMt+xUox
「いえいえ、古道具屋などをやっておりますと、そういった類も無くはありませんから。ところでなぜに鏡が原
因だと思われたんで?」
 今度は蓬莱堂が真向かいに座る佐間之介の目をじっと見る。
「あれが鏡を手にしてから、昼ともなく夜ともなく、暇があれば鏡を覗き込んでおったんだ」
「ほほお」
 ――昼ともなく夜ともなく、ね。
 蓬莱堂はなぜか引っかかるものを感じる。
 だから首を突っ込んでみようと思った。彼女にとって、それはごく自然な考えであった。
「弟御の忘れ形見がいなくなってしまったのは心苦しいでしょう。微力ながら力をお貸ししたいと思うんですが
いかがですか?」
「しかし、鏡には何も――」
「いえいえ、ちょっと佳代子さんのお部屋を拝見させてほしいだけでございます」
 太陽が赤く照らし、眼鏡の奥の目を隠す。口元には微笑を貼り付けたまま。

 佳代子の部屋は整理整頓の行き届いた清潔な部屋であった。
 蓬莱堂の店が雑然と置かれているのと対照的に、佳代子の性格が反映されているかのようだ。
「ふーん」
 蓬莱堂は部屋に入るなり、ぐるりと見回す。
 部屋の角には木製の机が一脚。その上に一冊の本と、蓬莱堂が持ってきた手鏡が置かれていた。
 そして机の横には大きな姿見。
「ふむふむっと」
 鼻歌を歌いそうなほど上機嫌だが、消沈している佐間之介の手前、おとなしく机の上の本をめくる。
「ありゃ、これは日記だねえ。旦那さん、見てもよろしいですかい?」
 本来ならば日記の持ち主本人に聞くべきだろう。だがその本人が不在なので仕方なし。
「うむ、かまわん」
 蓬莱堂はパラパラとページをめくり、白紙のページになるとそこで指を止める。
「えーっと、最後に書かれたのは昨日か」
 どの日付を読んでも、内容は取りとめもないことばかりである。
「今日は天気がよく庭の花が綺麗に咲いていた」「今日の夕飯は好物が出てうれしかった」等々。
 そして鏡のことも書かれていた。「手鏡の細工がとても綺麗」などと随分気に入ったようである。

22 :No.06 さかしまに映る影 5/5 ◇PUPPETp/a.:07/05/27 16:38:24 ID:xMt+xUox
 問題の手鏡を手に取る。上を下に、表を裏に見ても特に何も起こらない。
「ふうむ」
 椅子に手を掛け、引く。机の横の大きな姿見が目に入った。
 机の前に立つと、姿見には蓬莱堂自身の姿が映る。
 そして――。
 蓬莱堂は手鏡を手にして、佐間之介が立つ場所に戻る。笑みを浮かべ、手鏡を覗いて。
「旦那さん、佳代子さんはそりゃかわいらしい方でしたね」
「ん? あ、ああ。弟の大事な忘れ形見だ。大切に――」
「ええ、ええ。十年もの間、大切に大切に育ててこられた。わたしが初めて彼女を見たときは、まだお宅様に来
たばかりのころだったと思います」
「そうだったかな。よく覚えておらんが」
 日はすっかり傾き、赤い光が佳代子の部屋へと差し込んでいる。
 入り口に立つ佐間之介から、蓬莱堂の顔が影となって表情が見えない。
「たまに寄らせていただいたときも、そりゃお美しくなられると思っておりましたとも」
「だから何だね! 何かわかったのか?」
 蓬莱堂はその手に持つ手鏡の、映るものを全てさかしまに映す鏡を屋敷の主人へ向ける。
「佳代子さんもお年頃。瞬きする度に綺麗になって」
 鏡には佐間之介が映る。驚愕と恐怖に彩られた表情がありありと映し出される。
「――お手をつけられましたね?」
 そしてその後ろには、嬉しそうな顔で笑い、身を寄せる佳代子の姿も。
「もういい年なんですから、分別つけませんと」
 しかしその言葉は、もう屋敷の主人には聞こえない。黄昏時は逢魔が時。鏡から伸びた真白い手が佐間之介を
引き入れてしまったのだから。
 鏡の中の佳代子は、それはそれは幸せそうに笑っている。
 佐間之介が触れたものに触ることすらためらうほど嫌っていた佳代子は、その腕の中に佐間之介を抱いて。
 佳代子を毎夜のように抱いていた佐間之介は、その顔に恐怖の色を浮かべ。
 身も心も、幸も不幸も、鏡は全てさかしまに映す。
「あー、どうしようか」
 蓬莱堂は部屋で一人考える。屋敷の主人が消えたことについて屋敷の人と官憲をどうごまかすか。それが目下
の悩みである。



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