【 アネハ 】
◆wDZmDiBnbU




13 :No.04 アネハ 1/4 ◇wDZmDiBnbU:07/05/26 22:33:32 ID:igeIzhVC
 遺伝性サヴァクシーナ型メイソーニ症候群、というのだそうだ。
 姉の病名だ。私には聞いたこともない病気だったけれど、姉の創作なのだから当然だ。つい
でに言うと不治の病で、助かる見込みはまずないらしい。今日も昼間から、私の部屋の窓際に
張り付いて、
「あの葉っぱが落ちたら、私は」
 なんて、新緑の五月の木々を見て言うからどの葉っぱだかさっぱりわからない。正直どの葉っ
ぱでも別に構わないのだけれど、私が気になったのは「遺伝性」という部分だ。ただでさえ瓜
二つと言われる姉妹なのだから、私もそのサバなんとかに罹患している可能性が高い。いい迷
惑だった。せめて自分の死に方くらいは自分で選ばせてほしい。
 私と姉はよく一卵性双生児に間違われるけれど、本当は二卵性の双子だ。そんな話をすると
決まって「うそつくな」と言われるから、端から見ると私たちは大変よく似ているらしかった。
姉はそれを面白がってそこら中で一卵性だと吹いてまわるから、結局私が嘘つきみたいな扱い
になって大変不満だ。こんな客観的な事実レベルで意見が一致しないのだから、一卵性である
はずもないのだけれど、でも賢くて話のうまい姉の言うことを疑うものは少ないようだった。
 その賢いはずの姉は、時折こうしておかしなことを言う。無視しても構わないのだけれど、
「私が死んだら泣いてくれる?」なんて聞くので、私は「泣く」と答えて再び数学のノートに
没頭する。姉が死んだら泣くかもしれないけれど、でもとりあえず今は生きている姉よりも、
高校への進学のほうが今は大事だ。それに、言いたいことがあるのならはっきり言えばいいの
に、とも思う。
 時計に目をやると、針は丁度十二時半を指していた。姉が窓際に張り付いてから、五分くら
いが経っただろう。私が腰を上げて部屋を出ると、姉もその後ろについてくる。正直なところ、
自然に漂ってくる匂いでもう想像はついていた。食卓には、サバの味噌煮があった。
 土曜日は父も母も働きに出ているから、お昼は私たち自身で用意する必要があった。ここ最
近は、それをずっと姉に任せている。私は受験勉強に忙しかった。本来ならそれは双子である
姉も同じであるはずなのだけれど、でも姉は土曜の昼からのんきにサバを煮たりする。もし私
に姉と同じくらいの成績があれば、きっと私もそうしていただろう。
 サバの味噌煮はまだ温かくて、そして想像していたのとはまるで違う味がした。いつの間に
か料理の腕を上げていた姉に、私は少なからず驚いた。サバの味噌煮は、私たち姉妹が最初に
母から教わった料理だ。小学校高学年の頃だったろうか。いくら双子でもキッチンまで二つと
いうわけにはいかないから、私と姉はごく自然に役割を分担することになった。その日の晩の

14 :No.04 アネハ 2/4 ◇wDZmDiBnbU:07/05/26 22:33:48 ID:igeIzhVC
食卓に上がったそれは、母の味とはほど遠いものだったけれど、でも両親には好評だった。そ
れが嬉しかったのは、きっと私だけでなく姉も一緒だったのだろう。その日以来、私たちは何
度か、一緒にサバ味噌を作った。そしてそれは私にとって、姉と私が双子であるということを
最も実感できる時間だった。
 いま私が口にしているのは、少なくともそのときの味ではない――そう言いきる自信だけは
確かにあった。母の味に似ていなくもないけれど、少し違う。でも決して美味しくないという
わけじゃないのは、いつの間にか小鉢が空になっていたことからも明らかだ。だから、ごちそ
うさま、という私の言葉に、嘘偽りは一切なかったと思う。
「お粗末様でした」
 と微笑んで、台所に食器を運ぶ姉。複雑な気持ち、というのはきっと、今の私のような状態
を言うのだろう。勉強の続きのために部屋に戻っても、私の頭には姉とサバがぐるぐる回るば
かりだ。かつて二人で作ったサバ味噌に、父は「すぐに母さんを越えるな」なんて言って、母
は「二人掛かりじゃ勝ち目がないわ」と笑っていたのが懐かしい。さっき姉が見せた笑顔は、
そのときの母によく似ていた。だったらその姉にそっくりであるはずの私も、母に似ているの
だろうか、と考えてみる。考えてはみたものの、でもやっぱり、そんな気は全くしなかった。
 私たち姉妹は、似てなんていないと思う。よく人から「自分とそっくりの人がいる気分」を
聞かれることがあるけれど、そもそも私自身、姉とそっくりだなんて思わないのだから答えよ
うがない。似ている部分もそうでない部分も、今まであまり気にしたことはなかった。確かに
姉を羨んだことなら数えきれないくらいにある。でも、姉と私は別の人間なのだ。羨んだとこ
ろで仕方がないのだということくらい、私は昔から知っていた。
 考えても意味のないことに時間を費やすくらいなら、私はそれを勉強にあてる。ただ姉のサ
バ味噌だけが、私の頭から離れなかった。もし再びそれを口にしたときは、やっぱりまた腕を
あげているのだろうか。別にどうでもいい、といえばそうなのだけれど、でも気にならないな
んていえば嘘になる。でも、私その答えを知ることは、なかった。そのための機会が永遠に失
われてしまったのは、それからしばらくしてのことだった。

 高校の制服の丈を測る頃、私はもう姉の言っていた嘘の病名を思い出せなくなっていた。
 当然、その病とはなんの関係もないということはわかっている。交通事故、それもあっけな
い、どこにでもある単純な事故だった。世界にトラックが何台あるのか知らないけれど、その
うちのたった一台が信号を無視したおかげで、私はその日から「双子の妹」ではなくなった。

15 :No.04 アネハ 3/4 ◇wDZmDiBnbU:07/05/26 22:34:03 ID:igeIzhVC
 私が死んだら、なんて、軽い気持ちで言った姉が少し恨めしい。そのとき交わした約束を、
私は果たすことができなかった。通夜と告別式には親戚一同が勢揃いして、彼らは皆一様に暗
い顔つきをしており、中には泣いているものも少なくなかった。彼女にとってたった一人の妹
である私が、その中に混じって同じように涙を流すのは、どうしても嫌だった。
 喪失感というのか、突然の姉との別れは、私たち家族にとって言いようのない痛手をもたら
した。でもそれだけでなく、負荷は物理的現実的な面にも及んだ。事故ということもあってそ
の検証だとか責任や賠償の問題だとか、受け止めたくない現実はむこうからいくらでもやって
くる。そんな目の回るような忙しさの中でも、私は当初からの日程通りに高校への入学を果た
した。姉と一緒に進むはずだったその学校に、予定通りに進学を果たすことは、私にとって最
低限の責務であるかのように思えた。きっと両親も、同じように感じたのだと思う。

 一卵性か二卵性かなんて話は、高校では一切出てこなかった。姉と間違われることもなけれ
ば、「どっち?」なんて冗談を言われることもない。それはきっと普通のことなんだろうけれ
ど、でも私は落ち着かなかった。特に違和感を感じるのは、鏡を目にしたときだった。いまま
で全く似ていないと思っていた姉の面影を、私は鏡の中に感じる。姉の着たことのない制服を
身にまとって、髪も少し短くした私の姿は、本来なら姉とは全くの別人のはずだった。私一人
だけのはずの高校生活に、そこで生じた小さな変化のひとつひとつに、私はいちいち姉の姿を
重ねた。もし姉がまだ私の側にいたなら、彼女はどんな高校生になっていただろう。
 高校にも慣れてきて、事故に関するあれこれが落ち着いても、その違和感は消えなかった。
それでも家にいるときはまだましだったのだけれど、でも土曜日だけは別だった。姉のことを
知らない同級生に囲まれているのと、両親のいない家に一人でいるのとでは、どうやら似たよ
うな効果があるらしい。現に今も、部屋の姿見の中に、姉がいる。いなくなれ、とは言わない
けれど、でも姉はちゃんと姉らしく自分の部屋にいればいいんだと思う。部屋がいやなら、べ
つにどこでもいい。居間でも、私の部屋の窓際でも、キッチンでも。
 試しに去年の服を着てみても、それで姉といた頃の私に戻れるわけではなかった。でも私は
その格好で、近所のスーパーに買い物に出かけた。土曜日のお昼は、一人で作らなくちゃなら
ない。鮮魚売り場で、一尾売りのサバが群れて光っていた。
 一人で料理をしたことがないわけじゃない。でも、サバの味噌煮は初めてだった。記憶をた
よりに、下ごしらえを始める。準備しなきゃいけない道具は多かった。キッチンがいやに広く
感じられて、勝手が分からないと思ったのは初めてだ。

16 :No.04 アネハ 4/4 ◇wDZmDiBnbU:07/05/26 22:34:19 ID:igeIzhVC
 サバ味噌は何度も作っていたし、分担する役割はいつも変えていたから、調理の行程はすべ
て頭の中に入っていた。そのはずなのに、サバの味噌煮はいつまでたっても出来上がる気配が
ない。やらなきゃいけない作業が多すぎる。こんなに時間がかかった覚えは、なかった。
 落としぶたをして火を弱火にする頃には、私はすっかりへとへとになっていた。キッチンタ
イマーを手に取って、何分だったかな、と考える前に、手が勝手に目盛りを十五分にセットし
ていた。そういえば、この行程だけはいつも私の役割だった。姉は機械が苦手で、こんな簡単
な装置も使いこなすことができない。姉が、私がいないとサバ味噌が作れない、なんて言って、
笑っていたのを思い出す。
 使えるようになったのだろうか。いやそもそも、無理にタイマーでなくても時計を見ればい
い。でも、どっちの方法で作ったんだろう――そんなどうでもいいことを考えていたのに、な
ぜかどうしようもなく涙が溢れてきた。どうしてだろう、とも考えず、私はただ、姉との約束
を果たせたな、と思った。涙を止めようとは思わない。出るに任せて自然に流した。キッチン
のティッシュが空になってしまったので、私は自分の部屋へと移動した。
 姿見の中に、ぼろぼろに泣いている人がいた。姉ではなかった。私だ。
 隣には誰もいなかった。後ろにも、家中のどこにも、学校にも、私の探す人はいない。鏡に
私だけが映っている。窓の外に目をやると、そこには青々とした葉が茂っていた。やっぱり嘘
つきは姉のほうだ。文句を言いたいところだけれど、そのかわりに私は外の木々を見つめた。
姉の言った「一枚の葉っぱ」を見つけようとしたけれど、葉が多すぎて何がなにやらわからな
い。そもそも見分けがつかないのは、視界が滲んでいるせいだ。それでも私は、姉の葉を捜す。
滲む緑はどんどん大きくなった。私の視界はやがて緑で埋め尽くされ、一枚の葉っぱになる。
 タイマーが鳴るまであと何分くらいだろうか、私にはもう、わからない。わからないがため
のタイマーなのだ。でも次にサバ味噌を作るときは、もうそれを使わないことに、私は決めた。

<了>



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