【 六十年目の夏 】
◆y7XYmaFpQA




11 :No.03 六十年目の夏 1/2 ◇y7XYmaFpQA:07/05/26 19:18:57 ID:igeIzhVC
 あれはそう、この前の戦争の時の話でね。私が生まれてから五年と三ヶ月と少しが経った、とても暑い夏の日のこと。
 強い日差しの中、海軍航空隊の軍服を着込んで、頭にハチマキ、その上からゴーグルを被った兵隊さんが、私達の前を通り過ぎて行ったの。
そしたらその兵隊さんが突然立ち止まってね、夏の青空を高々と仰いでから、一つ涙をこぼしたのよ。
彼の涙を見た瞬間、蝉が声を伸ばして飛んで行ったのを、今でも鮮明に思い出せるわ。
 隣にいた姉さまが言うにはね、彼の未練がその涙を流させたんだそうよ。未練が彼の意思に置き去りにされたから、涙を流したんだって。
その時は、姉さまが何を言っているのか理解できなかったわ。でも、私がそれを理解するのに、そんなに月日はいらなかった。
空を飛んで行く一式陸攻が、お腹に飛行機を括り付けているのを見てしまったからね。あぁ、あの兵隊さんは死んでしまったんだって。
それに気がついたのは、彼の涙を見てから六日も経った日のことだったわ。

 玉音放送を聴いたのは、それから一ヶ月ばかり過ぎてから。放送を聴いて地面に突っ伏し泣き叫ぶ人もいたけれど、
私は待ちに待った終戦に大喜びだったわ。私も姉さまも、爆弾で焼かれなくてすんだって。
私は喜びを表現したくてね。大きな音をたてて騒いでみたけれど、姉さまは騒ぐ私を尻目に、静かでおしとやかな姉さまのままだった。
 だから聞いてみたの。姉さまは戦争が終わって嬉しくないのかって。どんなに聞いても、姉さまは何も言ってくれなかった。
ただただ泣き崩れる人達を見て、小さく俯くだけだった。
 姉さま自身は、終戦をとても喜んでいた。だけども、素直に喜ぶ事が出来なかったのよ。家族が死地へと向かって行って、
いつ帰るともわからぬ彼等を待つ人達は、この玉音放送を聴いて、どんな気持ちになっていたのかしらね。
 姉さまは優しかったから。その優しさを、涙する人たちに向けていたのね。

 それから、近所の航空基地が解体されてね。高い塀が取り払われて、辺りに大きな広場ができたの。
風通しが良くなって、姉さまも近所の人達も大喜びだったのよ。けど、姉さまにとって、それが大きな仇になってしまった。
 三年もしたら、その広場に道路が作られ始めてね。姉さまの居る場所が悪かったのね。ある日、沢山の人が姉さまの周りに集まってきて、
無理やりに姉さまを連れて行ってしまったの。それを見た近所の人達は、諸手をあげて喜んでいたわ。新しい道路が出来たってね。
 私は、とても悲しかった。長い間、隣にいてくれた姉さまが、突然知らない人達に連れ去られてしまったのだから。
 眼の前の真新しい道路が憎かったわ。でも、姉さまが連れて行かれるのを、嬉しそうに見ていた人達も許せなかった。
小さな頃、姉さまに遊んでもらった人だっていた筈よ。なのに、誰一人として道路工事に異論を唱えてはくれなかったの。
 取り残された私は、毎日不安で一杯だったわ。もし道路の拡張工事が始まったりしたら、今度は、私が連れて行かれるんじゃないかって。
でもね、このままじゃいけないとも思ったの。いつからか、姉さまの様に気丈に生きて行かなくてはと思うようになっていたわ。
 だから目標を立ててみたのよ。いつか、眼の前に通る忌々しい道路を壊してやろうって。私から姉さまを奪ったこの道路に、
一撃をお見舞いしてやろうって。ずっと前に見たあの兵隊さんの様に、未練を残したまま、消えていきたくはなかったのよ。

12 :No.03 六十年目の夏 2/2 ◇y7XYmaFpQA:07/05/26 19:19:13 ID:igeIzhVC
 あの戦争から、もう六十年以上経ったのね。辺りもすっかり変わってしまった。
 後ろにあった小さな長屋は、八階建てのマンションへと姿を変え、車輪を転がして遊んでいた子供達は、サッカーボールを追いかけているわ。
僅か六十年で、こんなに日本が変わるだなんて。それでも私は、この土地に根を張り続けて、なんとかかんとかこの年まで生きてきたわ。
 あの目標も達成できそうなのよ。私の一部がアスファルトにヒビを入れて、ほんの少しだけ盛上げているでしょう。
長年頑張ってはみたのだけれどね、アスファルトは思っていた以上に硬かったわ。
 ソメイヨシノの寿命は六十年と聞いた事があるけれど、私はまだまだ花を咲かせ、根を伸ばす事が出来そうなの。
私の樹齢がどこまで伸びるかわからないけれど、未練を残したまま消えて行くのは、やっぱり忍びない。
志半ばで命を絶たれたあの兵隊さんと姉さまの為にも、私はまだまだ長生きして、せめてアスファルトから根が見える位まで成長したい。
 もうすぐ夏が来る。暑い暑い日本の夏が、大きな入道雲と共に、彼の仰いだ青空に浮かび上がるのでしょう。
私はただ、空に浮かぶ時間の歩みに花を咲かせ、緑を芽吹かせ、葉を散らし、寒気に耐え、そして去年よりも根を伸ばしていきます。
姉さま。私はもう少しだけ、この日本の季節に身を任せ、花を咲かせていたいのです。





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