【 優勝依存症 】
◆brX42Fwivs




550 名前: ◆brX42Fwivs :2006/05/01(月) 00:44:57.74 ID:JeSuZJbO0
お題:依存症 タイトル【優勝依存症】

 We are the Chanpion〜My Friends.
  We keep on fighting to the end〜
 勝利を喜ぶサポーター達の歌声がスタジアムを席巻する。
 今年のオフには選手達にとって大事な戦いがもうひとつあるので、大事な試合を決定づけた3点目をその30億円の足で叩き出したフォワー
ドの選手を、私は後半早々に交代させていた。けれど昨秋からの長い長いシーズンを「優勝」という最高の結果で終わらせることができた喜び
は、次の戦いに備えるなどという年寄りの気遣いごときでは止めることは難しかったようだ。
 彼はいつの間にか持ち出した10リットル入りのミネラルウォーターポットを、ざばざばと周辺にまき散らしながらピッチ内へと走る。そこ
では喜びを分かち合う選手達が円陣をくんで飛び回り、そこへ近付いた私も彼らに引き込まれ、気がつけば輪の中で飛び跳ねていた。
 英国プレミア・リーグで指揮を執り始めて今期で2シーズン。母国オランダから数えれば、5年間続けて優勝の栄誉を勝ち得た私だが、この瞬間の痺れるような達成感は幾度味わっても飽きることがない。
 疲れ切った貌の対戦相手達が我々のホームスタジアムから姿を消すと、あとにはどこかしらにブルーを身に付けた愛しき同類のみが残った。これから本当に祝勝の宴は催されるのだ。
 けれど私は一足早くこの地を離れ、車で1時間ほどの丘陵地帯にどっしりと鎮座した国立大学へと向か
った。この地に移り住んで以来、シーズン中は毎月欠かさず続けているルーティーンワークだ。

551 名前:優勝依存症02 ◆brX42Fwivs :2006/05/01(月) 00:46:06.79 ID:JeSuZJbO0
「お待ちしていましたよ、モウリナールさん」
 訪れた研究室には細身の体に清潔な白衣をまとった男がひとり。
 私とさほど歳の違わぬこの白衣の男はスポーツ心理学と脳神経学では世界でも指折りの研究者で、ウェイクフォード教授という。
「優勝おめでとうございますモウリナールさん」
 これから数ヶ月は繰り返されるであろうその祝言の、一番最初のものを彼は2年続けて私へともたらした。
「有り難う。ウェイクフォード教授」
「これで寿命がまた1年伸びましたね。私ももう一年、あなたのために研究を続けることができて嬉しいですよ」
 彼はチームとの契約のことを「寿命」と喩えてそう言っているのではない。文字通りの私の命の「刻限」について、1年伸びたと言っているのだ。
「ああ。毎年この時期の数日だけは心から解き放たれた気持ちになるよ。まったく、とんでもない病に冒されたものだ」
「しかし、なんとかリーグのレベルを下げて、目標を低く抑えることは
出来ませんかね? とてもじゃないが、このイングランドで来年もリーグチャンピオンになれる保証など、誰にも出来ないわけですし」
 それほど興味がないとはいえ、英国人ならプレミア・リーグを制することがどれだけ厳しいものなのか、知っているものなのだろう。彼は小さな目をしばたたせて私に聞いた。
「私も幾度もそれで自分が満足できないものかと考えたよ。けれどそれが無理なのはあなたもよく判ってるでしょう? ウェイクフォードさん」
「ええ。けれどプレミアリーグで二度目の優勝を勝ち得たいまなら、なにか心境に変化があったのではないかと期待したのですよ、けれどその
様子では……更なる高みを見つけて、更に危ない橋を渡ることがなかった分だけ、神へ感謝せねばならないのかもしれませんね」

552 名前:優勝依存症03 ◆brX42Fwivs :2006/05/01(月) 00:47:11.80 ID:JeSuZJbO0
「セリエAにリーガ・エスパニョーラ……EUROCUPにクラブチャンピオンシップ。選手や我々監督は、それぞれに最高の到達点と思える場所を
もうけて1シーズンを戦っているよ。オランダリーグにいた頃は、そこで優勝することが最上の到達点だと思っていたのだが」
「そこへあの方がやってきて、あなたをけしかけて海を渡らせたのですね……世界でも指折りの資産家にして、世界中のスポーツを私ら凡人に
は理解も及ばぬ理由でもって売り買いし続けて、世界中を敵に回しながらも、それらを混乱へと陥れて続けている資本主義の権化」
 ウェイクフォード教授は特に私見を述べている風でもなく、彼に憎しみを持っているわけでもない。それが解ってはいるが、私は彼を弁護した。
「オイラモビート氏は、私にとってはむしろ救世主だよ。彼がオランダの我が家を訪れたあのとき、私はすっかり参っていたんだ」
 3シーズンの間オランダで最高のサッカーチームを維持し、優勝を続け、ついには「戦術」という選手を飼い慣らすために最も効果的な「手
綱」を、己のものに練り上げた私は、その勢いを持って欧州チャンピオンの座をも掴んだ。けれど、あの年のチャンピオンリーグは波乱含みで、優勝の最右翼だったスペインの名門チームが対戦前に調子を落とし
ていたからこそ掴み得たビッグイヤーだった事は、チームの状況を最もよく理解していた私には良くわかっていたのだ。
 けれど、世界はそうは思わなかった。超一流ではない選手を駆使して、最上の戦術と戦略をもって勝ち得たそれは、私の「魔術」のような采配によってもたらされたのだと誰もが思っていた。
 しかし、それは間違いだ。第一同じ人間である以上、一定以上の選手の質は現代サッカーに置いてはさほど重要ではないのだ。99%の努力
と1%の強烈な運によって、サッカーチームの監督であれば、私と同じ結果を得ることは可能だろう。

553 名前:優勝依存症04 ◆brX42Fwivs :2006/05/01(月) 00:48:12.80 ID:JeSuZJbO0
 だが、そのためには何かを捨てなければならない。人間らしくあるためにとても必要な何か……名誉と賞賛を勝ち得るため、私はそれと引き
替えとして、心に悪魔をも手に入れてしまったのだ。
 Victory dependence syndrome……優勝依存症と、いま目の前に立っているウェイクフォード教授によって、その病は名付けられた。
 強烈な強迫観念によってもたらされた職業病、とでも言えば良いのだろうか。だが、この病の質の悪いところは、私がシーズンの優勝を逃し
た場合、どの監督でもやるように心をリフレッシュして、次シーズンへの新たなチャレンジへと心をスイッチすることができないところにある。オランダでの最後のシーズン、人々が私を祝福していたその陰で、私は人知れず死を選ぼうとしていたのだ。
 これほどの幸運を勝ち得なければ、再びあの高み……チャンピオンズリーグ優勝……へは辿り着けないのだ。ならば私にそれがもたらされた
のは、私の人生に置いてこれが最初で最後だったのだろう。そう思えば思うほど、何もする事が出来なくなり、頭の中には苦痛を伴わない死、のみがぐるぐると経巡り、この症状に対し、この国で認められている「尊厳死」を選択することが可能なのか、調べてみたりもした。 
 そこへ彼が訪れたのだ。地球上でも指折りの資産家であるはずのその人は、ひとりのSPもつけず、気さくに妻の作った料理をともに楽しん
だ後、完全に心を閉ざしきっていた私へむけてこう言ったのだ。
「ジョゼ、君は新たな戦いの中で、別の形で高みを目指す必要があるのではないか?」
 別の形……? 私にはもう、そのような幸運は訪れはしないし、新たなものを望む心もないのだ。放っておいてくれ。
「君が今年得たあのビッグイヤーは、たしかに生涯一度の幸運を生かしたことで、君の手に渡った。けれど、もうひとつの戦い方を突き詰めれば、あれは再び君の手に戻ってくるのだよ。ジョゼ」

554 名前:優勝依存症05 ◆brX42Fwivs :2006/05/01(月) 00:49:10.94 ID:JeSuZJbO0
 もうひとつの戦い……それは何だ? 新たな戦術? 新たな起用法? オイラモビート氏の言葉が私には理解できなかった。
「それは君が考える領域の話だね。僕はその点では素人だよ。……けれど、私も君と同じものに悩まされている、と言えば興味が沸くのではないかな?」
 同じ……もの。それは、沸き上がる闘争心の源、到達点を越えれば何も残らないほどの、あくなき欲求の塊。いま私を殺そうとしている、この優勝依存症のことだろうか。
「そうだよ、ジョゼ。それを心に備えたものは、嫌でも上を目指さねばならない。私も17年前、一度頂点を極めた事でその存在に気づかされ
たのだ。でも、いまだ私はこうして生きている。何故だか判るかね?」
 決して食後のスコッチが彼を饒舌にしているわけではないことは私にも解った。そしてまた、彼が私と同じ心の持ち主で、今もそれと戦い続
けていると言うことも、普段は絶対に当てにしない「直感」によって理解できた。
「我々にとって最強の敵とは、自分なんだよ、ジョゼ。いまいちどすべての幸運を己のものとすることは難しいかもしれない。けれど、己とい
う最強の敵を倒す好敵手を、わざわざ育ててから叩きつぶすことは、君や私にならやれるだろう。計画し、育て、それを倒す。狩猟生活から農耕生活へと進化を遂げた人類の歩みそのまま、資本主義の現代において
最も自然な行為なのだよ。君は来シーズン、新たな戦場で1段階上の人類となるのだ。そのためなら、使えるものをすべて使って……金や名誉
など、そこでは道具にすぎないのだから。ただ勝利を……己の命を繋ぐ唯一のものを……手にするために、だ」
 そのための協力をオイラモビート氏は惜しみなくするつもりだという。そのためにイングランドで近年伸び悩んではいるが、手駒さえそろ
えればすぐにでも強くなるであろうチームを私のために揃えるとも。
 欧州のサッカー界で、近頃最も忌み嫌われているこの資産家の、言葉一つを信じて英国に渡ったのはこういう経緯からだ。

555 名前:優勝依存症06 ◆brX42Fwivs :2006/05/01(月) 00:50:05.05 ID:JeSuZJbO0
「それではまた、せっかく築きあげた最強のチームを0に戻すのですね、モウリナールさん」
 検査を終え、スーツを着直している私にウェイクフォード教授がそう聞いた。
「ああ。私が生きている限りはね。それしか私に生きる道はないんだ」
 教授は少し困ったようないつもの表情を見せ、私に応じる。
「……わたしも、あなたのその奇病を別のやり方で治癒するすべを探ってゆきますよ。あなたが母国に帰らない限り」
「ああ。それが見つかったら真っ先に私を実験体として使ってもらいたい。一生悪役を続けるのは辛いのでね」
「ええ、約束しましょう。では、今シーズンの治療はこれで終わりです。また新たなチームを揃えた頃、お会いしましょう」
 こうして私は英国の仮住まいへと帰宅した。あと数試合ほど消化試合をこなせば、オランダの愛する家族の元へ帰郷することが出来る。
そこには1年でたった数日の、私が何にもとらわれずくつろげる日々が待っている。

 優勝した次の日、世界一辛辣と評判の英国の新聞各紙は、「金で買える勝利、今年も」とか「サッカー界はビジネスに食い潰された」とか
「ブルーズ、オイルマネーで最強の座を購入」などと見出しが打たれ、その第一の先兵として私の顔も掲載されている。
 だがそれで良いのだ。それでこそ、私を目指して倒しにくる好敵手達が来シーズンも絶えず襲いかかる状況に繋がり、それこそが、私の症状を和らげる現状では最上の薬となるなのだから。

556 名前:優勝依存症07 ◆brX42Fwivs :2006/05/01(月) 00:50:46.99 ID:JeSuZJbO0
 そうしてそれらを私は倒す。ことごとく倒して、優勝する。
 オイラモビート氏が世界中を敵に回してまで、欧米のスポーツ界に金を湯水のごとく注ぎ込んでいるのも、己の地位を揺るがす恐るべきライ
バルをあえて生み出すためなのだ。オランダで何もかもを得た私に足らなかったのは、私を目指して倒しにくる敵であった。オイラモビート氏
とウェイクフォード教授によって作られた秘密の「プレミア・リーグ処方」によって、最後のカンフル剤でもある「チャンピオンズリーグ」へ
と目を向けずとも、私は生きてゆくことができる。

 さて、今年はチームに誰を残そうか。あのフォワードは確実に放出だろう。最も貢献した自分が戦力外と言われる屈辱を胸に、来シーズンの
私を追いつめて貰えるのなら、それ以上の喜びは私にはない。
 もしも私がこの環境にも慣れ、別リーグやチャンピオンズリーグへと目を向けることがあれば、おそらくそれは私の最後のシーズンだろう。
勝っても、負けても、だ。
 人生とは、なんとも酷なものなのだろう。

-おわり-



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