【 ある学生の持論 】
◆xhmYOOn0Oc




432 名前:ある学生の持論 ◆xhmYOOn0Oc :2006/04/30(日) 19:46:03.39 ID:c45qVeHe0
 アクセルをベタ踏みしつつ、時計に目をやる。
 午後十一時。待ち合わせ時間はとうに過ぎていた。
「……あぁ、参ったな」
 暗い山道を可能な限り早く走りつつ、青年は言いようのない感情に悩まされていた。
 約束の時間を守れなかった自分への怒りか、それとも情けなさか。はたまた、待たせてしまっている相手への申し訳なさだろうか。
「まったく。いつもの通学路だってのが唯一の救いかな」
 慣れた手つきでハンドルを操作しつつ、程なくして車は山頂付近にある駐車場に着いた。
「学籍番号17番、大山和輝!」
 車から降りると同時に、やや怒気を含んだ声が耳に届いた。
「ごめん! 本当にごめん!この通り!」
 声のした方に両手を合わせ、和輝と呼ばれた青年が必死で頭を下げる。
 その方向から、一人の少女がこちらに歩いてくるのが見えた。
「……もう。私、楽しみで十時前から待ってたんだから。彼女を一時間以上も夜の山で待たせるなんて、彼氏失格なんだからね」
「仰るとおり。僕が悪かった。精一杯準備してきたから、許して、松野さん」
 ふぅ、と溜息が聞こえる。それと同時に、和輝の頭に柔らかい物が触れた。
「もういいよ、許してあげる。……でも、二人っきりの時は昔みたいに呼んでってこの前も言ったじゃない」
 ひとしきり和輝の頭を撫でてから、松野と呼ばれた少女は苦笑いを浮かべた。
「あ、ごめん……くーちゃん」
「はい、よろしい。じゃ、行こっか……カズくん」
 えへへ、と嬉しそうに笑いながら松野が走り出した。
「あ、ちょっと待ってよ、くーちゃん!」
 車のトランクから大型のリュックを取り出しつつ、着込んでいるベストの胸ポケットをちらりと覗く。
 『松野枸杞』と刻印された小箱が入っているのを確認して、和輝は走り出した。
「カズくん、そういえばどうやって屋上まで行くの?」
 一足先に大学にたどり着いていた松野が、首をかしげながら和輝を見た。
「講堂の裏に、屋上まで続く非常階段があるんだ。鍵は昨日、こっそり外しておいた」
 外した南京錠を松野に見せつつ、和輝は楽しそうに階段を上っていった。
「はぁ……その注意力と工夫を、どうして勉強に向けられないのかしら? そうすれば、絶対テストで赤点取らないのに」
「人間はくだらない事にこそ全力を尽くす生き物なんだよ、くーちゃん」
 明るく響く和輝の声に再び大きな溜息をついて、松野は階段を上り始めた。

436 名前:ある学生の持論 ◆xhmYOOn0Oc :2006/04/30(日) 19:47:23.47 ID:c45qVeHe0
「うわぁ……綺麗」
 屋上に着くなり、松野の視線が上空に固定される。
 満月の光だけが唯一の光源となっている屋上からは、まさに空を埋め尽くす程の星々が確認できた。
「今日は雲も無いし、絶好の天体観測日和だよね」
 リュックから取り出した三脚と望遠鏡を組み立てつつ、和輝が相槌を打つ。
 その声に松野はようやく視線を下に落とし、屋上から下を眺めた。
「何だか変な気分……人が誰もいなくて、明かりがないってだけで、私達がいつも通ってる場所じゃないみたい」
 遠くに見える木々のシルエットや、山々の影。どれもが薄ぼんやりと照らされた景色をざっと眺めてから、松野は和輝に目をやった。
「……よし、できた。くーちゃん、覗いて。双子座が見えるはずだよ」
 先程から一心不乱に望遠鏡の角度やら倍率やらを調節していた和輝が、ようやく声を上げて松野に顔を向けた。
「ありがと。ふふ、一度見てみたかったのよね、私の星座を……えーと、左にある明るいのがポルックス?」
「そう。で、右側にあるのが二等星のカストル。今が一番観察しやすいんだよ」
「へぇ……星占いとは時期が違うのね……っくしゅ!」
 不意に、松野が大きなくしゃみをした。季節はまだ三月、長袖とスカートという春らしい格好では無理も無かった。
「大丈夫? 毛布持ってきてるから一緒に暖まろう、くーちゃん」
 リュックの底から大きめの毛布を取り出して、松野と自分の体を覆うようにかける。
「ごめんね……カズくんはいつも準備が良いね。私、いつも頼ってばっかりで。もう、カズくん依存症かなぁ」
 はぁ、と溜息をつく松野に苦笑しつつ、和輝は空を仰いだ。
「依存症、ねぇ。そう言えばくーちゃん、双子座のポルックスとカストルも、お互いに依存してるって言えるんだよ」
 和輝の話に、松野は黙って耳を傾ける事にした。寒さからか、自然と和輝の腕を抱きしめる。
「神話の話なんだけどね。二人はとても仲の良い兄弟だったんだけど、弟のポルックスは神の力を受け、不死身の体を持ってたんだ。
 ある時戦いが起こった。当然ポルックスは不死身だったから戦いには勝利したけど、兄はその戦いで死んでしまった」
 松野が、腕にぎゅっと力を込めた。
「神様は、悲しむポルックスを天上に連れて行って神の一員にしようとしたけど、ポルックスは兄と一緒でないと嫌だと言い張った。
 仕方なく、神様はカストルも一緒に天上へ連れて行った。それが、今僕たちが見ている双子座だって言われてるんだ」
「……つまり、どういうこと?」
 話が終わったのを感じて、松野が疑問をぶつける。
「人はどんなに強くても、少なくとも一つ、何かに依存してるってこと。物であれ、行為であれ、関係であれ、人であれ。
 どんなに頼りなさそうなものでも、その人にとっては心の支えになっている事もある。逆に言えば、人は依存しないと生きられない」
「……カズくんの持論?」

438 名前:ある学生の持論 ◆xhmYOOn0Oc :2006/04/30(日) 19:48:02.63 ID:c45qVeHe0
 松野の声に応えるように、和輝は大きく頷いた。
「さっき、くーちゃんが僕に依存してるって聞いた時、凄く嬉しかった。僕も誰かの支えになれてるんだって感じたよ」
 満天の星空を眺めながら、実に嬉しそうな顔で呟く。
「……じゃあ、カズくんは何に依存してるの?」
 しばしの沈黙の後、唐突に松野が口を開いた。
「そうだなぁ……僕はそんなに強くないからね。月が見えない日はちょっと落ち込むし、パソコンが使えないと正直することがない。
 でも、一番依存してるのは、くーちゃん、かな」
「え?」
 間の抜けた声が和輝の耳に届いた。
「くーちゃんがいるだけで、僕の大学生活は楽しいよ。たまに学校を休むと、会いたくて仕方なくなるし。もう立派な依存症だよ」
「……そう。お互いに依存してるんだね、私達」
「そういうこと」
 二人で、静かに微笑みあう。
「……そうそう。十四年前の今日、約束した事を果たさなきゃ」
 和輝は胸ポケットから小箱を取り出し、松野に手渡した。
「……? 開けるね」
 満月の光に照らされて、小箱の中身が輝いた。エメラルドで作られた、四つ葉のクローバー型のネックレス。
「十四年前の三月八日、四つ葉のクローバーを一緒に探したでしょ?あの時は、見つけられなかったからね」
 照れくさそうに横を向いて、和輝が頭をかいた。
「……全く、本当にくだらない事ばっかり覚えてるんだから」
 いそいそとネックレスを身につけながら、松野が興味なさそうに告げる。その口元が緩みきっていたのを、和輝は見逃さなかった。
「喜んでもらえて何より。これからもよろしくね、くーちゃん」
「……うん」

 ――三月八日、季節はまだ冬。
 二人きりの天体観測は、何故かとても暖かかった。
                                 (了)



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