【 家族にまつわる「本当」の話 】
◆wDZmDiBnbU




451 名前:【品】家族にまつわる「本当」の話(1/5) ◆wDZmDiBnbU 投稿日:2007/05/20(日) 22:46:52.05 ID:EXtXRaAd0
「制服なんてはしたないから止しなさい」
 なんて言ったら、なんだか俺のほうがはしたない人みたいだな、と直之は思った。
 しかし思ったからといって見て見ぬ振りなんてできるはずもない。それくらい、香奈には制
服がよく似合っていた。場所がそう感じさせるのだろうか、人影もまばらな夜の大学、それも
工学部のキャンパスにおいて、制服姿の女子高生なんてものはオーロラ以上の怪現象だ。とい
うよりも、ほとんどオーパーツと言っていい。見た目も内面もいろいろとくたびれきってしまっ
た工学部の学生にとって、女子高生は刺激が強すぎる。人道的見地から、これを放置するわけ
にはいかない。そう思ったが故の警告だった。だというのにこののんき娘は、
「直ちゃん、なんか最近、アレだね? おっさんぽくなったね?」
 とか勝手に人のことを分析して評論してみたりするので、直之はそれはもう大変な勢いで落
ち込んだ。とはいえ香奈に悪意など微塵もないのは承知していたし、それにもし悪意があった
としても仕方がないなという立場に直之はいた。ここ最近は意識的に香奈を避けるようにして
いたので、電話で突然「家まで送って」なんて言われたときもなんかすごく適当に断ってしまっ
た。しかしなにやら電車が停電で運休しているとかなんとかで家に帰れないらしく、結局香奈
が大学まで押し掛けてくるのもやむを得ない話だった。免許も車も持っていて、なおかつ兄で
ある直之を頼るのは、香奈にしてみれば当然のことだろう。だが直之にとっては、複雑だった。
 いくらなんでも実の兄をおっさんてことはないよなあ俺これでもまだ二十一歳だし、と直之
は精一杯の反論をひとり言のようにして呟いてみたのだけれど、意外にも返ってきた返事は、
「がんばれ」
 の一言で、そのあと何事もなかったかのように「最近このあたりにおいしいラーメン屋さん
ができたそうですね」みたいな話をしはじめるので、直之の脳内は「もうダメだ」的な考えが
沢山渦巻いてひどいことになった。なんかもう本当に、この子にだけは手も足もでない。なん
とかしなければと思って色々と思慮を巡らせてみたところで、大学のカリキュラムには「険悪
にならない程度に妙齢の妹と軽口を叩き合う方法」なんて講義はなかった。参考になりそうな
のはせいぜい漫画やアニメで得た知識くらいのものだ。意を決して、直之は口を開いた。
「ラーメンというか、あれはもう背油だからな、太るぞ」
 しまった言い過ぎたか、いやしかしきっとこんなもんだろう、という緊張が直之の中に張り
つめる。うまくいったかどうか。直之は香奈の反応を窺った。これで「なによー」なんてちょっ
と気恥ずかしげに膨れられたりしたらもうパーフェクトなのだけれど――。
 しかしその繊細な兄心は、決して妹に伝わるようなものではないらしい。香奈は相変わらず、

452 名前:【品】家族にまつわる「本当」の話(2/5) ◆wDZmDiBnbU 投稿日:2007/05/20(日) 22:47:40.46 ID:EXtXRaAd0
「それは、連れてってくれるって意味に解釈していいのかな?」
 とかなんとか、もうまったく無邪気としか言いようのない笑顔で振り向いたりなんかするの
でもうこれはどうにもならんと直之は覚悟した。もうダメだ、ラーメンはダメだ。妹とラーメ
ンとか妹と背油とか、そういういやらしい想像は絶対にアウトなのだと、直之は悟った。

 そもそもにして「妹」という概念自体がおかしいのだと直之は考える。きっかけは十八歳の
夏のことだった。受験勉強をサボって愉快な漫画を読みふけって、「ああ俺にもこんな可愛い
妹がいたらなあ」なんて考えているところに、突然妹が発生した。なんの予告もなしにいきな
り再婚してみせる父も父だが、問題は新しい母についてきた、香奈という名の娘――つまり世
に言う、伝説の「義妹」だ。昨日まで一人っ子だったのにいきなり妹とか言われても困るし、
なにより四つ下なんて微妙に生々しく歳の離れた女の子を扱うスキルは直之にはなかった。
 結局直之にできたことといえば、香奈とつかず離れずの微妙な距離をキープし続けることく
らいのものだった。せめて香奈が自分と対等に大人になればと思っていたのだけれど、しかし
いくら待ってみたところで四年間の歳の差が縮んだり離れたりするようなことは起こるはずも
なかった。そんな起こりようのない奇跡を待っている間にも女の子はみるみる成長してしまう
ので困る。自宅の自分の部屋、その壁一枚隔てた向こうで、都市伝説だと思っていた「明るく
元気で可愛い妹」がどんどん完成されていくのだから直之にしてみればたまったものではない。
 正直、これで同じ人間なのかというのが直之の感想だった。なんで手足があんなに細いのか、
どうして全体的に柔らかそうな感じがするのかまったく理解できない。出会った頃はショート
カットだった髪も、三年の間にちょっと長めのボブに様変わりしていた。家ではそれを無造作
にまとめあげたりなんかしていて、そのせいで見える白いうなじはどう考えても必要以上に細
くて奇麗だったりして、もう完全ににっちもさっちもいかなくなる自分を直之は感じた。香奈
を避けるようになったのはそれからだ。今では可能な限り大学に籠るようにし、家に帰るとき
も夜中や日中など香奈と鉢合わせないように心がけていた。

 それなのに、と直之は、内心の憤りを感じずにはいられなかった。ようやく兄妹の距離感が
つかめてきた矢先に動かなくなる電車は本当に役立たずだ。もし何か兄妹にあるまじき事態が
起こったらJRは責任を取るべきだ、と思いながら駐車場にたどり着く。その何かを起こしそ
うな香奈がおんぼろの軽自動車に駆け寄って、
「うわー相変わらずぼろっちいね可愛いね」

453 名前:【品】家族にまつわる「本当」の話(3/5) ◆wDZmDiBnbU 投稿日:2007/05/20(日) 22:48:22.85 ID:EXtXRaAd0
 なんて言いながら車の屋根をぺしぺし叩いたりしてなんかもう本当に楽しそうで気が重い。
しかも「この車乗るの初めて」なんて必要以上にニコニコするから直之もつい「それはアレか
俺の車の助手席に座るのがそんなに嬉しいことなのか」とか考えなくてもいいことを考えてし
まう。今まで避けてきたその反動か、妄想は一度始まると際限なく広がっていくようだった。
 直之は首を振って、運転席に乗り込んだ。バックミラーにぶら下げてあるお守りは、交通安
全ともう一つ、家内安全だった。今はむしろ、そっちのほうが重要だ。重要なのだけれどしか
し所詮は五百円の布ぶくろ、たいした効果はないらしい――そう判断せざるを得なかったのは、
ついに香奈が助手席に乗り込んできたせいだ。普段は空っぽの助手席に誰かいるというのは、
ただそれだけで違和感を感じる。ばたん、とドアの締まる音がして、直之の脳内に、
「コンプリート。二人きりの密室が完成しました」
 と、アナウンスが響いた。同時に追い打ちのように警報が鳴り響く。その原因は車内を満た
した予想外の甘い匂い――なんかもう「女の子の匂い」としか言いようのない化学兵器だった。
一体なんの匂いなのか皆目見当もつかないくせにただひたすら甘くて柔らかい。限界だ。
 こういうとき人の脳裏には天使と悪魔が浮かんで小競り合いを繰り広げるものなのだけれど、
直之の中に浮かんだのは悪魔の大軍勢だったからもう始末に負えない。振り切るようにアクセ
ルを踏み込むと、なんか伝説の走り屋みたいなロケットスタートが炸裂した。もう周りを見て
いる余裕などなく、特に助手席に至っては見る以前に考えることすら不可能だ。なんか急発進
のせいでガクンガクンと揺れたあげく「あふぅ」とか悲鳴を上げた妹らしき人が文句を言って
いるけれど、そんなものの相手をしていては身が持たない。
 直之の脳内で生々しい「あふぅ」が数百回リピートされたあたりで、どうにかラーメン屋の
駐車場にたどり着くことができた。隣では相変わらず香奈が「直ちゃん乱暴すぎ」と体を硬直
させているのだけれど見なかったことにした。本当に乱暴になりかねない。早く降りなさいと
促したのだけれど、しかし香奈はドアレバーをがちゃがちゃといじるばかりでいっこうに降り
る気配がない。くるりとこちらを振り向いたその顔は、眉をへにゃっと曲げたとても困ったよ
うな表情で、もう見るからに「開かないんですけど」と言いたげなのが一発で理解できた。
 ドアロックを解除しなさい、と言ったがそれが香奈に通じないのも仕方がなかった。なにし
ろ香奈の乗ったことのある車といえば父のものくらいで、その車のドアロックはレバーのとこ
ろについているのだ。直之の古い軽自動車とはその位置も形状もまったく違う。
「窓のところにある小さなポッチをいじるといいと思うよ」
 と、直之は丁寧に教えたのだけれど、しかし香奈はしばらくきょろきょろしたあとやっぱり

454 名前:【品】家族にまつわる「本当」の話(4/5) ◆wDZmDiBnbU 投稿日:2007/05/20(日) 22:49:06.61 ID:EXtXRaAd0
直之のほうを振り向いて、
「直ちゃんが小さなポッチをいじったほうがいいと思うよ」
 と、さも「小さなポッチはお前のほうがいじりなれていますよね?」みたいな感じで言い返
してくるので、直之は自分の中に「直接指で触れなくてもポッチをいじれるサイコキネシス的
な未知のパワー」が目覚めないかと心の底から願う羽目になった。
 問題のポッチは助手席側の窓のわりと後ろ目のあたりにあるので、それを「ほいよ」と気軽
にいじるには相当な手の長さが必要になる。長さが足りないなら身を乗り出せばいいじゃない
と人は言うかもしれないが、しかしポッチの位置の都合上、そんなことをすれば大変なことが
起きる。このまま身を乗り出したらまるで被いかぶさるような体勢になってしまって、超至近
距離というかもう絶対に温かい家族のふれあい(物理的な)が発生してしまうのは目に見えて
いるわけで、もしそんなことになればドアロックより先に優しいお兄さんロックが解除されて
しまうのは間違いない。もう打つ手がなかった。
 香奈はもう自力での脱出を完全に諦めたらしく、「はやくはやくー」と兄によるポッチいじ
りをせがむばかりだ。スカートから伸びた細い足が無邪気にぱたぱたしているのを見て、直之
の心の中に「ほたるの光」が流れる。もう考えている余裕などない、兄の自制心が閉店してし
まう前にこの空間から脱出しなければ。そう思いドアから転げるように飛び出したとき、直之
の脳裏にほとんど一休さんと言ってもいいレベルの天啓がひらめいた。
 直之は車を出ると、そのまま車の反対側に回り込んだ。助手席のドアにキーを差し込み、捻
る。がちゃりという音はドアロックが解除された証だ。押してだめなら引いてみな、というや
つだ。ドアレバーに手をかけ、外から開く。大成功だ。中から香奈が「お嬢様みたいだねー」
と満足そうに微笑んだこと以外はパーフェクトだ。いっそのこと本当に満足そうにしてればい
いものを、なんか微妙に照れくさそうにしているからものすごい威力だ。
 もう頼むから今すぐ降りてくださいお願いしますと促すと、香奈は「ちぇー」とでも言いた
げな様子で助手席から身を乗り出した。というか、乗り出そうとして、止まった。
「お?」
 という香奈の声と、がちん、という妙な音が重なった。どうやらシートベルトを外し忘れて
いたらしい。「いまのなし」と照れ笑いを浮かべる香奈の顔は心なしか赤いような気がして、
むしろそっちをなしにしてくれないと困ると直之は思った。シートベルトを外そうと、座席の
辺りを必死でがちゃがちゃといじる香奈。そのがちゃがちゃがしばらく続いたあと、急に振り
返った香奈の表情に、直之の心臓は串刺しにされた。

455 名前:【品】家族にまつわる「本当」の話(5/5) ◆wDZmDiBnbU 投稿日:2007/05/20(日) 22:49:49.86 ID:EXtXRaAd0
 いくらなんでも、そんなはずはない。シートベルトの構造は父の車と変わらないはずだ。だっ
たら――とそこまで考えて、直之は一つの可能性に思い当たった。なにしろ相当に古い中古車
だ、どこに欠陥があるかわからない。運転席のシートベルトも引っ掛けるのにちょっとしたコ
ツのようなものがいるのだ、だとしたら、一度も使ったことのない助手席のシートベルトだっ
て、似たようなことがあるかもしれない。
 香奈のその表情は「外れないんですけど」と――いや、むしろ「外れなくて不安で不安でしょ
うがないんですけど」と語っていた。これを意訳すると、つまり「助けて」ということになる。
しかし一体どうしろと言うのか。かがみ込むようにして助手席に身を乗り出して、密着しなが
らシートベルトを外せと言うのか。いやそもそもそれ以前に、そのごく自然に「今にも泣き出
しそうです」と言わんばかりの涙目をなんとかするべきだ。なんとかしないと、俺がなんとか
なる、と、直之は思わず目を背けた。そして――それが、いけなかった。
「な、直ちゃん」
 しおらしい、という単語を百倍の濃度にしたような声が聞こえて、立て続けに右手の指を容
赦ない温もりが襲う。なんで裾を引っ張らずに小指なんか握ったりするんだ、なんて思う間も
なく、ほとんど光速で「兄の自制心直之店」のシャッターが降りた。悪魔の大軍勢は増える一
方だし、脳内アナウンスが告げるのは突撃の命令だけだ。それくらい香奈の、いや『女の子の
手のひら』は柔らかく温かかった。玉砕、の二文字が脳内に点滅し、目の前が真っ白になった。

 気付いたときにはもうすっかり手遅れだった。冷静に考えればわかることなのだけれど、シー
トベルトが外れなくなったにしても、引っ張って体を上か下にずらせばすぐに抜け出せるはず
なのだ。涙目になるほどのことではない。そもそもシートベルト自体、そう簡単に壊れるよう
なものだろうか。つまり、直之は担がれたのだ。それに気付いたのは、もう左手を香奈の手に
添えてしまったあとだった。それも大真面目な顔で。
 直之が香奈にからかわれるのは、まあいつものことだった。香奈は毎度毎度飽きもせず、にっ
こり笑って「うそでしたー」なんて言ったりするのだ。だが直之にとっては、そんなことはも
うどうでもよかった。嘘だろうとなんだろうともう駄目だ、こうなったらもうとことんまで行
くぞ――と、そう覚悟を決めた瞬間に、香奈がいつもの宣言を、告げる。
「……う、うそでした」
 ぎゅっと小指を握りしめるその真っ赤な顔は、嘘でも本当でも、正直、困る。
<了>



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