【 列車はトンネルを抜けて 】
◆IbGK9fn4k2




426 名前:【品評会作品】列車はトンネルを抜けて(1/5) ◆IbGK9fn4k2 投稿日:2007/05/20(日) 22:24:41.07 ID:VeiF4kFj0
 ごうっと言う風の音と、心地よいリズムで体を揺する振動で気が付いた。どうやら眠っ
てしまっていたらしい。何か、とても眠り込んでいいはずの無い状況だった気がするのだ
が、いまひとつ思い出せない。記憶はまるで柄の無いジグソーパズルのよう。
 やめた。まるで組みあがらない。思考を閉じて、ここで初めて外の世界に関心を向ける
とそこにあったのは、くたびれた長椅子、使い込まれた吊り革、日に焼けた木の床、そし
てタタッタタッ、という周期的な車輪の音。そこはどう考えても年代モノの列車の中であ
った。
 どうしてこんなところにいるのだろうか、相変わらず散らばったままのジグソーパズル
は何のヒントも与えてくれないし、仕方が無いので、なんともなしに向かいの席の方を眺
める。自身のほかに客の姿は無く、トンネルの中なのだろうか、窓の外の黒く塗りつぶさ
れた世界に目を向け、窓に映る自分の姿を見て、
 ぎょっとして自分のすぐ脇の席を振り向いた。
 白い、少女がそこにいた。色白の肌に肩口を過ぎるあたりまで伸ばされた黒髪。純白の
ワンピースを着て、きょとんとこちらを見ていた。
 一体、いつからそこにいたのだろうか、触れ合うほどの近さにいたのに全く気付かなか
った。取り合えず何かを話しかけようとするのと、どこか侵し難い雰囲気に口をつぐもう
とするのとの狭間で、口をパクパクとさせていると、
「ふふ。面白い方ですね」
少女が透き通った声で笑った。その笑顔に何も返せないでいると、少女は驚いたような表
情をして、可愛らしい動作で口元に手を添えた。
「……あ。ご、ごめんなさい。ボクとしたことが自己紹介もまだでした」
ひょいと立ち上がり、一歩二歩と進み、くるりと振り返って微笑む。
「はじめまして、この旅の水先案内人、ワタリと申します。どうぞ気軽に『ワタリ』とお
呼び下さい。短い間ですがよろしくお願いします」
なんと言ってやればいいのだろうか。
「……ええと」
「ワタリ、です」
別に名前を訊いたわけではなくって、
「えっと、ワタリ」
「はいっ! なんでしょうか?」

427 名前:【品評会作品】列車はトンネルを抜けて(1/5) ◆IbGK9fn4k2 投稿日:2007/05/20(日) 22:26:13.19 ID:VeiF4kFj0
名前を呼んでやったのがそんなに嬉しかったのだろうか、にこにこと訊き返してくる。
「……なんでもない」
無性に自分が物凄いどうでもいいことで悩んでいる気がしてきた。
「そうですか……」
露骨にがっくりとうなだれるワタリ。ここまでやられると少し悪い事をした気になった。

 それがワタリという奇妙な旅先案内人との出会いであった。
 列車はタタッタタッとリズミカルに音を立てながら進んでいく。相変わらず窓の外の世
界は黒かった。


「なあ、ワタリ」
「はいっ。なんでしょう?」
隣の席に腰掛けているワタリに、先程から気になっていたことを質問する。
「さっきこの旅って言ってたけど……」
するとワタリは合点がいった、というように微笑して、
「そうですね……そろそろでしょうか、窓の外をご覧下さい」
一体何が、そう問い返そうとして、世界が光の波に洗い流された。

 夕暮れ色の日差しが斜に白い壁を照らす中、コトコトと根菜を刻む音とくつくつという
鍋の音、そして香ばしい味噌の香りがしていた。車窓の向こう側は、紛れもなく我が家の
台所であった。
「あら、晩御飯は豚汁みたいですね」
唖然とする隣で、ワタリが月並みな感想を述べる。
「え…これって……どうして」
こほん、と遮るように咳払いをしてワタリが微笑みながら語り始めた。
「彼女は若くして夫に先立たれてから女手一つで息子を高校生まで育て上げたました。そ
の努力、苦労は第三者の私が言ってもとても伝えきれるものではないでしょう。どんな災
難にも如何なる逆境にも負けなかった彼女が悲しむとしたら、一体どんな時でしょうか?」
「…………」

428 名前:【品評会作品】列車はトンネルを抜けて(3/5) ◆IbGK9fn4k2 投稿日:2007/05/20(日) 22:26:54.15 ID:VeiF4kFj0
彼女とは、やはり母さんのことだろうか。
「あらら、難しかったですか? 一応、問題だったんですが」
「…………」
これが母さんの事だとしたら、尚更答えられない。他人の気持ちなんて、理解したつもり
になってもそれは偽善に過ぎないから。
「ふふ。問題一、保留ですね。あとでまた訊きますけど、ヒントは彼女の宝物、です」
母さんの宝物? それは一体何なのだろうか、そんな話を母さんの口から聞いた記憶は無
い。鍋を持って彼女がこちらを向こうとして、世界が、光に呑まれた。

 列車は長距離走者のように、テンポよく足を進めていく。窓の外の世界が少し、明るく
なってきていた。出口が近いのかもしれない。


 ジグソーパズルの四隅は見つけた。しかしまだまだ足りない。
「なあ、ワタリ」
「はいっ、なんでしょうか?」
隣の席に座る少女は、ときにより幼く見えたり、大人びて見えたりと不思議な存在であっ
たが、今はまた幼く見えた。
「この旅ってもしかして……」
くすりと笑い、不意に大人びた少女は微笑みながら言った。
「その答えは、あなた自身が確かめるものですよ。また、窓の外をご覧下さい」
また光が、世界を洗い流した。

 今度は朝日が差し込む教室を見ていた。幾年もの酷使に耐えてきた机、傷だらけの床に、
元の色合いを残していない壁。それはやはり、自分の教室であった。
「なあ、どうしてここなんだ?」
率直な疑問を口にすると、少女はその疑問には答えず、けろっとした顔で、
「あ、誰か来たみたいですよ」
と、誰かの到来を告げた。
 がららっ。扉を開けて入ってきたのは、二本の三つ編みと眼鏡がトレードマークの、学

429 名前:【品評会作品】列車はトンネルを抜けて(4/5) ◆IbGK9fn4k2 投稿日:2007/05/20(日) 22:27:37.59 ID:VeiF4kFj0
級委員長だった。登校時間の二時間前に学校に来る物好きなど居ないのだろう、教室には
委員長一人しか居ない。でも彼女は何のためにこんなに早く来たのだろうか。その問いに
答えるように、委員長は荷物を置くと真っ直ぐに俺の机へと向かった。
「あー、やっぱり今日もか。全く嫌な連中ね」
彼女が怒りを向ける先、俺の机の上は、『死ね』『親無し』『転校しろ』などといった言
葉が絵の具で幾つも幾つも書き殴られていた。いつの間に持って来たのか、濡れ雑巾を片
手に委員長が慣れた手つきで落書きを消し始めた。
 そんな彼女の後姿を見つつ、ワタリが解説を加える。
「大体の状況は把握出来ているようですので、少しだけ情報の補足を入れますと、もう二
ヶ月くらい、毎日こんな事を続けているみたいですね」
二ヶ月、言ってしまえばたったそれだけだが、こんな事を二ヶ月も続けていれば彼女の負
担にならない筈が無いのに、何故。
「では問題二、何故彼女は彼のためにこんな事を続けているのでしょうか?」
ワタリが微笑みながら、問いかけてくる。
「………………」
彼、それは恐らく自分のことだろう。だとするとやはり、わからなかった。委員長とは、
家が隣だということもあって、昔からよく一緒に遊んだ。学校に行くようになってからも、
男の子と女の子なんてこと気にせずに一緒になって遊んでいた。ずっとそばに居たけれど、
ただ居ただけ。それに、ここ三ヶ月ほど話を全くしていなかった。彼女を巻き込みたくな
かったから。そんな些細なことで、彼女の信頼に応えられなかった自分に、彼女の親切を
受け取る資格は無かった。
「問題二も保留ですね。当事者には分かり難いんでしょうか? ヒントは彼女の彼に対す
る気持ち、です」
彼女の彼に対する、気持ち。多分、それは友人へのものとも、幼馴染へのものとも違うん
だろう。なんとなくそう思って、わからなかった。わかりたくなかった。
 作業を終えた彼女が振り向こうとしたところで、世界が、光に呑まれた。

 なおも列車は進んでいく。先程までは周囲が明るくなっているのかと思ったが、どうや
ら世界そのものが白んできているらしい。


430 名前:【品評会作品】列車はトンネルを抜けて(5/5) ◆IbGK9fn4k2 投稿日:2007/05/20(日) 22:28:19.65 ID:VeiF4kFj0

 柄の無いジグソーパズルも、そろそろ完成像が見えてきた。足りないピースはわかる。
「なあ、ワタリ」
「はいっ、なんでしょうか?」
わからない事だらけだったが、確信を持って問いかける
「次で……最後だよな」
そう言うと、少女は穏やかに微笑んで、窓の外を示した。
「では、窓の外をご覧下さい」
光が、世界を洗い流した。

 大きな夕陽があった。赤く赤く、何もかも惹き込んでしまうような、夕陽があった。昼
と夜の間、明と暗のどちらでもない世界。そんな中、一つの影が柵に寄りかかって遠くを
見ていた。僅か五十センチ程の足場に立ち、外側から柵に身を預けるようにして。
 それが誰であるかは確かめるまでも無い。
「さて、三つ目の問題です。彼がこれから取るべき行動はなんでしょうか?」
微笑みながらこちらを見る少女。
「………………」
その瞳を、言葉もなくじっと見つめ返す。
「ふふ。その意気です。では最後に一つだけ、ここでならまだ引き返せますが、戻りたい
ですか?」
戻りたい、そう思ったが、口をついて出たのは、
「生きたい」
という言葉だった。それに対して少女は微笑みながら応えた。
「上出来です。やはり貴方を迎えに来るには早すぎたようです。それがいつかはわかりま
せんが、次にお会いする日が遠い事を願っていますよ」
だんだん、だんだんと世界が白くなり、夕陽も校舎も自分もを呑みこんでいって、最後に
見たのはワタリの励ますような、無邪気な笑顔だった。

白い光が引いて、夕焼けの空に、なんともなしに一言呟く。
「帰ろう」



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