【 追いかけているのは 】
◆RfDa59yty2




405 名前:【品評会作品】追いかけているのは(1/4) ◆RfDa59yty2 投稿日:2007/05/20(日) 21:59:26.81 ID:b7oKvKVX0
 広い広い庭の中、深い緑の葉を茂らせた高い樹々。季節に沿った沢山の花々。
それらは腕の良い職人によって丁寧に手入れされたであろうことが一目見てわかる。
そしてその広い庭には人影は二つ。
一つは、その庭から続く屋敷から出て行くための長い真っ直ぐな門までの道の中間辺りを走っている。
もう一つはその道と庭の境目辺りを。

 「――お嬢様ッッ!!」
自身を呼ぶ声に振り返り、その少女は呆れたように薄青の目を細めた。
「なに、情けない声出して。せっかく人がいい気分でいたというのに」
「と、止まってください!」
荒い息を吐きながら走っている男からまた進んでいる方向に顔を向きなおし、少女も大きな声で叫び返す。
「やあよ、出かけるの」
「そうさせる訳には…はぁ、は…いきません!」
大分長い距離を、しかも全力で走り続けた所為で苦しげな男と違い、少女は余裕綽々だ。
その理由は一つ。
チリリーンッ――――……
雲一つ無い青い空に、涼やかな高い音が響いた。
それは少女が鳴らした、自転車の、ベルの音。
「自転車とか危ないですよ!いやまじで…お嬢様ってば!!」
「あーもーうるさいのよ!」
少女はハンドルを切ると自分に向かって走ってきていた男を逆に追いかけ始めた。
「ちょっ…お、嬢様ぁ!?」
凄まじい勢いで向かってきた自転車に思わず固まった男は、両手を上げてきつく目を閉じた。
けれど男の体に、いつまで経っても衝撃は襲ってこない。
「……?」
恐る恐る目を開けると、目の前にはぶつかる直前で止まって、先程よりも一層呆れた色を濃くした彼の主の姿。
少女はハンドルに片肘を乗せ、手に顎を付き、はぁ、と一つ溜息。
「なっさけないわね、アル」
「…すんません…」

406 名前:【品評会作品】追いかけているのは(2/5) ◆RfDa59yty2 投稿日:2007/05/20(日) 22:00:28.02 ID:b7oKvKVX0
「懲りた?ならもう黙ってなさい」
再びくるりと半回転し、彼女はペダルに脚を掛ける。
「駄目です!」
手の届く所にいればこちらのもの、といった様子でアルと呼ばれた執事の格好をした男は自転車の前に立ち、その進行を止めた。
さすがに力勝負では敵わないと少女は唇を尖らせ、男から顔を背ける。
「降りましょ、ね?」
「……………」
頬を膨らませて、正に渋々といった様子で少女は自転車から降り、スタンドを立てた。
じっと恨めしげに自分の従者を睨む。彼より背の低い少女は、当たり前に上目遣いになってしまう。
その少し潤んだ目に、アルは色々な意味でたじろぐ。泣かせてしまったらどうしようという不安ともう一つ。
彼の主は文句無しに可愛らしいのだ。
 風にふわりと、少女の身分から考えると意外な、あっさりとしたデザインの長いスカートが揺れる。
金茶の長い髪は甘い香りを漂わせ、アルの鼻を擽った。

 御歳十六を数えるこの巨大な屋敷の末娘である少女の小さな顔の中のパーツは誰から見ても、どれもこれも一級品であろうもの。
薄青の円らな瞳、それを覆う瞼を縁取る長い睫毛。小さな色形の良い唇に、白い肌。
そして体も、良いものだけを集めて作ったかのように綺麗に出来ている。
背は高くもなく低くもなく、華奢な骨格。細く長い手足、小さな肩。括れた腰に反して胸元はその歳で考えると豊か。
髪は痛みなどは感じられず緩く波打って、長い指先は桜貝のように綺麗な爪。
それこそ、頭から爪先までという言葉通り全てが整った少女だ。
それに加え、家は裕福。誰もが彼女を羨むだろう。
 「アルのばかっ」
拗ねられ、困った顔で主を見詰める青年と少年の間にいそうな彼。
彼もまた整った顔をしている。先祖代々少女の家に仕えているが、身分も実はそこそこのものだ。
焦げ茶の髪と薄茶の瞳、細身で高い背、甘い容姿をしている。
主である少女と共に通う学校では彼女と共に生徒達の憧れの対象、仕事も出来、少女の両親達にも信頼されている。
ただ、少女にはまったくもって弱い、というのが玉に瑕。
彼は少女が生まれた時からずっと傍にいる、一番の従者、といったところだろうか。
けれどただのお嬢様とその従者という関係には収まりきらない二人。

407 名前:【品評会作品】追いかけているのは(3/5) ◆RfDa59yty2 投稿日:2007/05/20(日) 22:01:35.08 ID:b7oKvKVX0
二個年上の彼と少女は、今までずっと共にいる。
ずっとずっと、一番傍に。

 「…仕方ないですね」
「?」
苦笑を漏らし、アルは少女の頭を撫でた。
いつもいつも移動は車。自転車なんてあっても過保護な父が危ないからと言う所為で、あまり乗らせてもらえない。
彼女はお嬢様という身分、そして儚げな容姿にも関わらず、活発で明るく、自由を好む。
その彼女にとって、自転車すら満足に乗せてもらえないというのはとても退屈で機嫌を損ねるものなのだろう。
「俺が漕ぎます、んでお嬢様は後ろに。ね?」
「…自分で漕いでうろうろしたいのに…」
「じゃあ今度旦那様にもう一台自転車買って欲しいって言っておいてくださいよ。
そしたら、俺がついていきますから」
だから今日の所は、と言う従者を見返し、彼女は頷いた。
「いいわ。ねえアル、二人乗りって私初めて!」
すぐに機嫌を直し、新しいことにわくわくしているのが伝わってくる明るい声にアルも表情が緩んでしまう。
身分と過保護に由るだろう歳と見た目より少し幼い少女。
けれど屋敷の外では身分のことを考え相応の振る舞いを見せる、ずっと傍で守ってきた愛らしい彼の姫だ。

 執事の服では少々動き辛い、ということでラフな格好に着替えてきたアルに駆け寄り、
少女は楽しげに笑みを浮かべる。彼は自転車にまたがり、彼女が乗るのを待つ。
「ちゃんと?まりましたか?」
後ろの荷台に横乗りで腰掛け、行きましょと答えた彼女の声に反応して、彼はペダルを漕ぎ出した。
大きな門を出ると、二人でくすくすと笑い合う。
「フラン」
「なぁに?」
門を出て、そして周りに気を使う相手がいないのならば呼び捨てにして。
そんな彼女との昔からの約束の通りに彼女の名前を呼ぶ。
「満足した?」
「だめ、私の望みは自分で漕いでってことだもの」

408 名前:【品評会作品】追いかけているのは(4/5) ◆RfDa59yty2 投稿日:2007/05/20(日) 22:02:59.25 ID:b7oKvKVX0
問いにフランはふふと微笑みながら答える。
「手厳しいなあ」
「今度は」
「?」
「二人で、一台ずつ。それでどこかに行こうね?」
自分の腰に腕を回し抱きついている大切な存在、その可愛らしい声にアルは後ろにいるフランに
見えないのをいいことに、思う存分満面の笑みを浮かべた。
「そうだな…それで、少し遠出でも」

 そういえば、フランがそんなに自転車が好きだとは思っていなかったよ。
前を向いたまま言うアルのその言葉にフランはこっそりと微笑んだ。
自由に自転車で出かけてみたい、その気持ちは事実だった。でももう一つ。
『気持ちは絶対にいつも私が追いかけてばっかり。でも、自転車に乗って一人で出かけようとしたら絶対に
アルは追いかけてくるでしょう?たまには、追いかけてもらいたいものなの、女の子は』
なんて。思っていても、言ってあげない。
 そんなことをフランは思うものの、実際は互いに追いかけあっている関係に気付いていないだけ。

 フランは、彼の言葉にただ一言そうね、と答えるに止めた。
そっけない答えに首を傾げ、アルは不思議そうにフランに呼びかけるが、彼女はただ楽しげに笑うだけ。
「隠し事?」
「どうかしら?」
「まったく…それじゃあ、そろそろ引き返すか」
こうなるとしっかりした答えが返ってこないだろうことを長年の付き合いで分かっているアルは早々に
諦め、そう尋ねる。
「うん…また今度、来ようね」
「あぁ、約束」

 門をくぐれば、ちゃんと敬語で様付けで。
それを寂しいとはフランもアルも特には思っていなかった。その差すら、二人にとっては楽しめる愉快なもの。
それでも、結局二人の仲は変わらないのだ。

409 名前:【品評会作品】追いかけているのは(5/5) ◆RfDa59yty2 投稿日:2007/05/20(日) 22:03:46.61 ID:b7oKvKVX0
 屋敷の窓から二人を眺める姿が二つ。
アルとフラン、楽しげな二人の様子に落ち着いた美しさの婦人は釣られたように楽しげに微笑んだ。
その面影はフランによく似ている。
「ふふふ、本当にあの子達は仲が良いこと。あなた、いつ二人に言ってあげるんです?
早く教えてあげればよろしいのに」
からかうように問われた男の方も同じように自転車に乗る二人を見て微笑んでいたが、
妻からの問いに顔を不満そうに歪めた。
「だって…寂しいじゃないか。可愛いわたし達のフランをアルにやると認めるのは…」
「いい加減に子離れしてくださいな、あなた。…まぁでも、まだこのままでもいいのかもしれませんね」
いつもは威厳たっぷりの夫の情けない姿に苦笑しながら、また彼女…フランの母親は窓の外の二人に目をやる。
「本当はずうっと昔から婚約者で、二人が望めば結婚出来ることが決まっていて。本人達だけがそれを知らない、
と言うより好き合ってることすらお互い自覚していない。それもそれで見ているほうは楽しいんですもの。
でもきっと悩んでいるわ。特にアルはね。少し身分が低いだけなのに、馬鹿な子ねぇ…それに」
フランはもうアル以外の男と結婚だなんてこれっぽっちも考えていないでしょうけど。
そんな妻の止めのような一言にフランの父は項垂れつつも笑った。
「そうだな…教えてやるのは切羽詰ったアルが嫁にくれと頼みに来たらでいいかな」
「じゃあ嘘のフランの婚約者を作ってみるとかも楽しそうではありません?」
「それはいいな、面白そうだ。やってみるか」
子供がいたずらを考えるように仲の良い夫婦は談笑する。いかにもフランの両親といったところだ。
 そんな企みがあるとも、自分達がいずれ結ばれることが出来るとも知らずに、窓の外の二人は
まだ二人乗りを続けながら無邪気に笑い合っている。
「あぁでもきっと」
ふっと婦人は吹き出して可笑しそうに、柔らかく目を細めた。
「?なんだ」
「そんなことしたら切羽詰ったアルが来る前に、きっとフランが怒鳴りに来ますわ」
その姿がありありと浮かんで、二人は暫く見詰め合うと、堪え切れずに大きな声で笑った。
 窓の外ではバランスを崩した二人が慌てていた。
気持ちという名の乗り物と、自転車、そして親の企みに振り回されながら。



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