【 旅の途中 】
◆D7Aqr.apsM




388 名前:旅の途中 1/5  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2007/05/20(日) 21:36:44.94 ID:XyecclgU0
 スコップを握る手を休めると、それまで響いていた土を掘り返す音が途絶える。
 これだけの深さがあればいいだろう。
 カルロはスロープを伝って地表に戻った。汗をかいた体に、初夏の風が心地良い。
黒いネクタイをゆるめ、首元に風を送る。
 人が住まなくなって久しい、廃屋の裏庭。軽くテニスコートが二つくらいとれる広さ。
 雑草が生い茂るそこに、ぽっかりと長方形の穴が掘られていた。一片だけがスロープに
なり、深さはカルロの背丈ほどもある。この穴を掘るのに、半日以上を費やしていた。
 穴の横に、掘り返された土が山になっている。
 泣いている男が、その穴の脇に一人。
 嗚咽をかくそうともせず、涙と鼻水で顔中をくしゃくしゃにして、キイは泣いていた。
 黒いズボンのまま泥の上にひざまづいている。
「まあ、気持ちはわかるけどさ。そんなに泣くなよ。まあ、なんだ。泣かれる方も辛いだろう?」
 カルロはキイの少し後ろから、穴の中を見ながら声をかけた。
「クッ……クリスティーン。ごめんよ……ごめん……俺のせいで」
「もうちっとマシな世の中だったら何とかなったかも知れないけれど、こんな時代だ。お前は
やれることをやりつくしたさ。……な? そろそろ手をつけよう。野宿はごめんだ」
「でも、でも、クリスティーンは!」
 そこで声は詰まり、キイはそのまま地面に突っ伏してしまう。
「さあ。送ってやろう。俺たちの手で」
 カルロはキイの肩に手をかけ、立ち上がらせた。二人とも、白のシャツ、黒のズボンに黒いネクタイ。
キイが必死に揃えてきた服。内乱は終わったとはいえ、世の中はまだ混乱の中にあった。
 二人は亡骸に手を添えた。スロープの方へ押していく。二人だけで丁寧に穴の中に降ろすのは
難しい。だから穴の一辺をスロープにして、静かにおろせるようにしていた。
 どん、という柔らかい音をたてて、亡骸は穴の底に収まる。
 クーペスタイル特有の、優雅な曲線で構成されたスカイブルーのボディ。低い車高。バンパーの
クロームメッキが午後の太陽の光を反射していた。
 シェルビーGT350。五リッターのエンジンを持つ、古き良き時代のスポーツカー。
「クリスティーン! ああ――」キイがトランクに突っ伏し、泣き崩れた。
「――今まで言わなかったけど、車にその名前はどうかと思うよ」
 この車で旅した日々を思い返しながら、カルロはタバコに火をつけた。

389 名前:旅の途中 2/5  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2007/05/20(日) 21:38:43.04 ID:XyecclgU0
「あ。王軍のヘリだ」響くエンジン音を聞きつけてキイが顔をあげる。
「ほんとだ。あいかわらず見つけるの早いな」
 二機編隊のヘリコプターがのんびりと空を飛んでいた。機体脇に少しいびつな王軍のマーク。
接収して慌てて塗り直したものだろう。

 今では『お姫様革命』などと言われている内乱が終結したのは三年前の事だった。
隣国の干渉から国外に追放されていたお姫様は王城に戻り、議会を招集、駐屯していた隣国の
軍を退去させた。市民の自由は徐々に以前と同等に回復してきていたが、それでも密告や
秘密警察におびえなくてもよい、という空気に慣れるのにはまだしばらくかかるだろう。
 カルロとキイは、この内乱に王軍の一員として参加していた。
 作戦中、二人はひょんな事から武功をあげ、乱の終結後にお姫様から直接褒美を賜る事になった。
金髪の、まだ若いお姫様は、国に戻ったばかりで下賜できる金品が十分に無い、という事を恥ずかしそうに
打ち明けた。謁見の間も用意できず、姫の居室に二人は呼び出されていた。直立不動で話を聞く。
 何か、できることがあれば――。
 お気になさらないでください。何も要りません。……といいかけたカルロをさしおいて、キイが口を開いた。
「シンシア姫。もし、できるならですが。この国中を自由に旅する許可をいただけませんでしょうか?」
 治安の回復もままならない今、旅行は制限されていた。
「旅、か?」青い瞳が見開かれる。
「はい。おれた……自分たちが何をしたのか、見ておきたいのです」
 しばらく小首をかしげていたシンシア姫は、にっこりと笑った。背後に控える長身の女性に、
二言三言話すと、二人に向き直った。
「解った。許可証をつくろう。ただ、一つ……頼みたいことがある」
 背後に控える女性が、戸棚から取り出したカメラをシンシア姫に渡す。
「写真を撮ってきてもらえぬだろうか。私も見に行きたいのは山々なのだが、片付けなければならない
事が多いのだ。それに、私とあなた方では見えるものも違うと思う。どうだろう?」
 キイはカルロの顔をのぞき込んだ。
「ここまで来て困るなよ。全く、勝手にきめやがって。……シンシア姫。必ず。お約束します」
 カルロは差し出された小さく、黒いカメラを受け取った。ボディに王族の紋章が彫られている。
「では、頼む。それから、その。今更だが、戦ってくれて本当にありがとう。感謝している」
 二人は直立不動で敬礼を返し、シンシア姫が退室するのを見送った。

390 名前:旅の途中 3/5  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2007/05/20(日) 21:39:43.21 ID:XyecclgU0
「荷物、これで全部か?」
 廃屋の影に、車から降ろした荷物の山があった。
「うん。そう。しっかし、改めてみると色々乗せてたんだなー」

 何の因果か銀行強盗を手助けしたときに、お礼にともらった花瓶。
 産気づいた奥さんとその旦那を医者まで運んだとき、車内に忘れられた妊娠・出産に関する本。
 通りすがりだったのに、反射的に受け取ってしまった花嫁の投げたブーケ。
 途中でふらりと合流し、そのままどこかへ去っていってしまった老犬の首輪。
 ポーカーで手に入れた、怪しいサボテン。
 返し忘れた屋台のどんぶり。
 目覚まし時計
 チャイナドレス
 ネコミミのついたカチューシャ。
 熊のぬいぐるみがついたマシンガン。
 ドライブインで知り合ったばあちゃんがくれた二人おそろいの箸と茶碗。
 などなど。

「色々、あったよなー……三年、だものなー」
 呟きながら、キイはネコミミがついたカチューシャを拾い上げ、自分の頭につけた。
「そうだな。銀行とかな。もう少しで逮捕される所だったし」
「あれはよ!カルロが妙にもりあがって、『村の人の為に頑張ろう』なんて言い出すから
悪いんだろうがよ!」
 キイはカルロの口まねをしながら指さした。
「しかたないだろう? ああでもしないと警察もいないし、あの村、銀行に搾取されっぱなしに
なるんだぜ?」
「すごかったよなあ。結局、しまいには王軍がきたもんな! 総人口が八百人の村によ! 一個中隊!」
「説明っつーか、言い訳が大変だったけどな。……なあ、お別れ、もういいか?」
 カルロはさりげなく声をかけた。
「うん」
 キイは空を見上げて、はねながらそれに答えた。昔からの癖。涙が止まるおまじない。

391 名前:旅の途中 4/5  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2007/05/20(日) 21:41:47.53 ID:XyecclgU0
 スコップを手に取ると、キイはまた泣き始めた。
 泣きながら、土をかけていく。
 エンジンはこれまでで二機、載せ替えた。ボディはゆがみ、助手席側のドアが開かない。シャシーに
大きな亀裂が見つかり、これ以上は修理が不可能になってしまった車体。
 時間にさらされ、ほどよく色あせた青いボディが次第に土にまみれ、埋もれていく。
 キイも、カルロも無言で、少しずつ土をかけていった。
 鼻をすすりあげる音、うぐっ、えぐっ、という嗚咽の声が漏れる。
 
 埋める、と主張したのはキイだった。小さな頃から自分が手に入れた乗り物は乗り潰すまで
使い込み、そしてどうにも修理ができなくなると、自宅の裏庭に埋めていた。三輪車、自転車、オートバイ。
――部品をはぎ取られて、残りカスみたいになっていくよりも、潰されて、何が何だか解らない鉄の
塊にされるよりも、埋めて土に返して、地球に戻してやる方がいいと思うんだ。
 いつになく真剣な表情で、キイはそんな事を言った。
 カルロは、どこか間違っていると思いながらも、動かなくなった車を前に、その考えにうなずいていた。
 だから、無言でスコップをつかい、土をかけ、弔う。
 三年間、二人で走らせ続けた車を。共に旅した仲間を。
 
 車体の分だけ盛り上がった土のてっぺんに、キイはオイルを一缶と、花を供えた。
 墓標は置かない。祈りの言葉を呟こうとするカルロをキイが止めた。
「良い車だったよな」
「うん。クリスティーンは最高だった。……これ以上のGT350は、無い」
 キイはぐいっと二の腕で涙をぬぐった。

 ひたすら荷物を詰め込み終えると、地面に腰を下ろした。横に並び、車が埋まった場所を眺める。
「そういえばさ、これ、忘れてたぞ。運転席のシートの裏側。……元祖クリスティーン嬢」
 カルロは鞄のポケットから本を取り出した。ヌードが巻頭を飾る、グラビア雑誌。
「……知ってたのかよ」
「まあなあ。とはいっても、そのモデルの娘の名前がクリスティーンだって解るのには時間がかかったよ」
 カルロは笑いながら空を見上げた。カルロを睨みつけながらキイが立ち上がる。
「ちくしょう! おまえも、これ、隠してたろうがよー! トランクの内張の裏によ!」

392 名前:旅の途中 5/5  ◆D7Aqr.apsM 投稿日:2007/05/20(日) 21:43:11.33 ID:XyecclgU0
 キイはカルロの目の前にそれをぶら下げた。東洋の文字が白い小さな袋の表に刺繍されている。
「聞いたぞ! これ! 『ナリタサン』だろ! お守りだってドライブインのばあちゃんが教えてくれた!
 いつも『神頼みして運転するほど下手じゃねえ』とか言ってたくせによ!」
「今回はさ。俺ら二人だけじゃなくて、姫様から頼まれ事もしてただろ?」
「まあなあ。姫様の件はそうだけどなあ。……隠し場所とか作りすぎたなあどこに何入れたか
覚えてなかったよ」
 キイはグラビア誌を大切そうに鞄にしまった。お気に入りだったのだ。
 
「あー……と。次のバスまであと一時間後だな。良かったな。バスあるし、野宿しなくて済む」
 カルロは小さなバス停のベンチに、座り込んだ。肩に食い込む鞄に毒づきながら、二人は
国道沿いのバス停まで歩いた。夜があたりを包みはじめていた。
「んー? 野宿っても敵がいるわけじゃあねーし楽勝じゃねえ……あ!もしもし?」
 バス停に備え付けられた公衆電話と格闘していたキイの声がはねた。
「はい……見つかった? 六十九年式のGT500? 色は……黄色! すぐ、すぐ取りにいきます!」
 受話器を置くと、キイは腰を落とし、両手を振り上げ、ガッツポーズを決めた。目が爛々と輝いている。
「やあったー! 夢のイエローバードだぜー!」
 カルロが咥えかけていたタバコを取り落とした。
「おまえ……あの車以上の車は」
「GT500は別物だろうがよー! シリーズ最高の六十九年式だぜ!」
 早速名前を考えはじめたキイを見ながら、カルロは一つため息を吐いた。
「わかったわかった。しかたねえなあ。……アルバム出せよ。行けなかった場所リスト、あっただろ」
「アルバム? ……なに?」キイはきょとんとした顔で、腰を落としたまま振り返った。
「今週はお前がカメラ係だから、アルバム預かるって言ってただろ? 大事だから、リアシート裏の
隠しポケットに入れておくって……」
 中空をさまよっていたキイの目が、『ああ!』というように静止する。
「おい、お前まさか」カルロは絶句する。
「『行き先は星の下で決める』 これよくねえ? かっこいいだろうがよー! な! な!」
 カルロは荷物を抱えて逃げるキイを追い、走り始めた。

<旅の途中> 了 ◆D7Aqr.apsM



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