【 図書室の彼女 】
◆PUPPETp/a.




294 名前:【品評会用】図書室の彼女 1/4 ◇PUPPETp/a. 投稿日:2007/05/20(日) 16:50:16.04 ID:8/PRUBWc0
 授業が終わり、帰り支度を済ませると、僕は図書室へと向かった。
 図書委員というわけではなく、何か約束があったわけでもない。
 図書室の扉を開けると、まだ高い冬の日差しは窓からほんの少しだけ差し込む。
 外の気温とあまり変わらないと思えるくらい寒い。ヒーターをつけたばかりのようだ。
 震えながらも、僕は棚に並ぶたくさんの本をかするように手でなぞっていく。
 その棚の中から、一冊の本を取り出した。何か読みたいものがあったわけではなく、手に取った本も気まぐれ
でしかない。
 流すようにページをめくり、そして閉じる。
 イスに腰掛けると、木のきしむ音が図書室に響いた。
 目の前には一人の生徒が座っている。細い指で薄茶色の本を一ページずつ静かにめくる。
 彼女は顔を上げようとしない。僕も何も言わず本をめくる。
 廊下からは談笑する女子の笑い声が聞こえ、グラウンドでは部活動に精を出している生徒たちが声を出し合っ
ていた。
 僕と彼女はそれをBGMに、ぱらりと紙を鳴らす。
 いつしかそれも途絶え、時計が刻む針の音とページをめくる音しか聞こえなくなっていた。

 彼女を見知ってから一年になる。
 最初は図書室に返却期限が迫った本を返しにやってきただけだった。
 図書委員が常駐するほど図書室の使用率が高い学校でもなく、司書も司書室に篭っていることが多い。
 そんな図書室に人がいることに少しだけ驚いた。
 最初はただそれだけ。それだけの出会いである。
 それから数週間が立ち、何気なく図書室の前を通りかかると扉が開いていた。見ると彼女はまた一人、イスに
腰掛けて本を読んでいる。
 僕は次の日の放課後、図書室に寄ってみた。彼女がいるかどうか。単なる好奇心でしかない。
 そこには予想通りというか、やはり彼女は座っていた。
 僕は図書室に入ると、今日と同じように適当な本を抜き出して、そしてイスに座る。
 何脚も並ぶ机の中で、目の前に腰掛けたのにそのときも彼女は顔を上げなかった。
 その日から僕は図書室に通い、彼女は当然のように本を読んでいる。
 静かに流れる時間が心地よかった。

295 名前:【品評会用】図書室の彼女 2/4 ◇PUPPETp/a. 投稿日:2007/05/20(日) 16:50:56.87 ID:8/PRUBWc0
 今まであまり本を読む方ではなかった僕が、いきなり図書室に通い始めると、友人からは病気かと揶揄される
こともあった。だけどそんなことは気にならなかった。
 いきなり目の前に座られて、迷惑ではないだろうかと考えたこともあった。
 けれど僕が座っても彼女は移動せず、次の日も、その次の日もまた図書室で本を読む。
 そんなことをしているうちに、彼女は本を読み終えると僕の顔を見つめる日があった。
 最初は何を言いたいのかわからなかった。
 当然である。何も言わないのだから。
 僕は見つめられながらも――あまり集中できなかったが、読んでいた本を読み終えて立ち上がると、彼女も立
ち上がった。
 つまりはそういうことである。
 その日から僕と彼女は一緒に帰ることになった。

 机がトンと音を立てて叩かれる。
 顔を上げると、彼女は本を閉じて僕を見ていた。何も言わない。ただ見つめるだけだ。
 僕はまだ読みかけの本を閉じた。
 太陽が鋭角になり、図書室を赤く染める。

 学校から駅までの道のりを、僕と彼女は二人並んで歩く。
 夕焼けに伸びる影を供に連れて、言葉を交わすことはない。
 僕が彼女について知っていることは少ない。
 彼女の名前と、隣のクラスだということ。
 放課後はいつも図書室にいること。
 乱読家――この言葉も図書室に通うようになってから知った――だということ。
 それだけだ。
 どんな声なのかわからない。
 笑った表情を見たことがない。
 何度か話しかけたが、返事をもらえたことがない。
 ただ困ったような顔をするだけだ。
 駅で電車を待つ間も、彼女は僕の隣に佇んでいる。
 今日はいつもとはちがい、彼女の元気がないように思えた。

296 名前:【品評会用】図書室の彼女 3/4 ◇PUPPETp/a. 投稿日:2007/05/20(日) 16:51:40.64 ID:8/PRUBWc0
 ホームの雑踏に紛れて、電車が入るというアナウンスが放送される。
 耳鳴りがするような大きな音を立てて、電車が構内に入ってきた。
 降りる人と乗る人が入れ替わり、僕と彼女は電車に乗り込む。
 幸い、ドアの横が空いていたので、彼女にそこを譲って僕は盾になるようにその前に立った。
 電車が重い音を立てて動き始める。外の風景が灰色のホームから、夕日の照り返しが眩しいビル群へと変わっ
た。
 彼女はドアの手すりにもたれかかるようにして、向かい側のドアガラス越しに外を眺めているようだ。
 駅から駅へ。電車はその度に止まり、乗客が入れ替わる。僕は「ごめん」と言って、乗り降りに邪魔にならな
いように彼女へ身を寄せる。
 他人から見たら、僕と彼女は恋人同士に見えるだろうか。
 僕はそう思われてもかまわない。彼女がどう思っているのか知りたいが、聞いたところでまた困った顔をする
のだろう。
 何度そうして身を寄せたか、制服がクッと引かれる感触を僕に伝える。彼女が僕の制服のすそを引っ張ってい
た。そして彼女は頭を僕の胸の辺りに軽く当てる。
 黒髪が流れ、彼女の表情を覆ってしまう。
 電車の振動に合わせて揺れる髪が、彼女の表情を、考えていることを隠していた。
 電車内にアナウンスが流れた。彼女が降りる駅にもうすぐ到着する。
 彼女は僕の胸から顔を起こすと、僕に背を向けてドアの前に立つ。
 僕は彼女越しにドアガラスの向こう側を眺める。日が落ちて大分暗くなっていた。
「また明日な」
 返事は期待していないが、声を掛けた。
 彼女は降りると軽く振り向くだけで、すぐに改札に向かう。いつもならそうだ。
 けれど今日はちがった。電車を降りるとその場に留まり、ドアが閉まるのを待っている。
 車内にアナウンスが流れ、空気が抜けるような音と共にドアが閉まる。
 外との気温差で曇ったドアガラスには、文字が書かれていた。
『さよなら』
 そこに書かれていた文字を読み、僕は思わず彼女を見た。

297 名前:【品評会用】図書室の彼女 4/4 ◇PUPPETp/a. 投稿日:2007/05/20(日) 16:52:25.51 ID:8/PRUBWc0
 彼女はいつもと同じ困った顔に、いつもとちがう少しだけ笑みを浮かべていたように思える。
 それは曇ったガラスが見せた幻なのだろうか。
 もう電車は発車して、彼女の姿を臨むこともできなくしていた。
 目の前の文字は否応なく目に入り込んでくる。

 僕はまたいつものように図書室へと向かう。
 だがそこには彼女の姿はない。
 風邪でも引いたのかと一人で図書室で本をめくる。談笑と掛け声のBGMを破るガチャリという音が響き、司書
室から人が出てきた。
 学校司書をしている人だ。一年間も図書室に通えば、顔なじみにもなるというものである。
「あれ、今日は一人なの? って、そっか。そういえば――」
 僕はその言葉の続きを聞いたとき、すぐに駆け出した。
 電車に乗り、彼女が降りる駅へと向かう。電車がいつもより遅く思えた。
 明るい日差しに照らされるビル群を抜け、住宅街のすき間を縫うように電車が走る。
 ――そういえばどこだったか遠くの病院に入院するってことだったもんね。
 図書室で司書が言っていた言葉がよみがえった。
 空気の抜ける音と共に電車のドアが開く。それすらもどかしく思えて、こじ開けるように僕は飛び出した。
 彼女がいつも降りる駅。改札を抜けると、僕はその駅の前で立っている。
 僕が彼女について知っていることは少ない。
 彼女が住んでいる家を知らない。
 彼女の声も、うれしそうな笑顔も知らない。
 後ろから彼女の名前を呼ぶ声が聞こえる。
 一粒の希望を抱いて振り返るが、そこには母親がまだ幼い少女を呼ぶ姿があった。
 駅からは音楽が流れ、電車が走り出す重い音が聞こえてくる。
 僕はどうすることもできず、こぼれそうな涙をこらえるのが精一杯だった。

 ――終わり――



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