【 赤いフォッケウルフ 】
◆SXXLQTFR82




279 名前:【品評会作品】赤いフォッケウルフ1/5 ◆SXXLQTFR82 投稿日:2007/05/20(日) 15:41:27.26 ID:kiqwgEee0
 太陽が昇り、一日が始まる。ベットから起きて、クラウスの写真にキスをする。そして朝ごはんを
食べ、仕事のために、私は家を出た。村の広場に置かれたラジオの前に、人だかりが出来ていた。ラ
ジオからは昔のように、歌は流れてこない。今は、固い口調で、戦況の様子を伝えてくる。みな、そ
れが気になってしょうがないという面持ちで、音を流す小箱に集中している。流れてくる戦果は、我
が祖国の華々しい勝利ばかり。だけど、歓声を上げる人は、誰もいなかった。それを鵜呑みにできる
ほど、私達は愚かではなかった。ボルシェヴィキが、村の近くまできているという、噂があったから
だ。子ども老人問わず殺し、女は陵辱されたあと殺されると、誰かがいっていた。たしか、モニカだ
ったと思う。恋人を戦争で失ってしまった、かわいそうなモニカ。彼女のボルシェヴィキへの憎悪は
、目に見えて凄まじかった。
 その人だかりを、少し離れたところから見ていると、モニカがやってきた。私は、モニカに見つか
らないように、隠れた。モニカは、ラジオを囲む人たちを見つけると、ずかずかとその中に分け入っ
た。それがモニカだと気づいた人たちは、すぐにラジオから離れていった。
「いいわ、もっとやりなさい!」
 モニカから目を背け、そこかしこに散っていく人々。哀れみ、悲しみ、疎ましさ、そんな視線を、
彼女に向ける。家に入り、戸を閉じ、カーテンを引いた。ラジオを聴いているのは、モニカだけにな
った。自分ひとりだけになっても、彼女はわめくのを止めない。その声音はいっそう熱を帯び、その
瞳が狂的に輝いた。
「イワンもトミーもアミもプワリュも、すべて殺して! むごたらしく殺して、彼の死に報いるため
に!」
 ロシア人、イギリス人、アメリカ人、フランス人をことごとく蔑称で呼ぶ。かわいそうなモニカ。
彼女の中で、大事な何かが、音を立てて切れてしまった。たった一つの死が、彼女を狂わせてしまっ
た。私は友達から、目を背けることが出来なかった。誰にだって優しく、村の人気者だったのに。彼
女の変貌を、私は耐え切れなかった。逃げるように、その場を立ち去った。

 
 モニカと私は、自分の恋人が戦場へいくのを見送っていた。だから、私達は仲間ね、とモニカはい
っていた。笑いながら、戦争が終わって、平和なときがくるのを信じて待ちましょう、ともいった。
でも、私達は仲間じゃなくなった。恋人の死を告げられたときの彼女の顔が、今も忘れられない。ふ
っと魂が抜けたような顔になり、次の瞬間には、大声を立てて笑って、後はもう、あんなふうになっ
た。私は、ショックだった。あんなに優しく、強くかったモニカが。

281 名前:【品評会作品】赤いフォッケウルフ2/5 ◆SXXLQTFR82 投稿日:2007/05/20(日) 15:43:25.72 ID:kiqwgEee0
 同じ境遇ということで、私はモニカを頼っていた。寂しさと不安に負けそうになるたび、いつも彼
女の家を訪れていた。そこで感情のすべてを吐き出すと、とても楽になった。私の寂しさと不安を、
モニカはすべて受け止めてくれていた。逆に、モニカは、私のように弱さを見せなかった。そんなモ
ニカもまた、強くはなかった。きっと、私の気づかないところで、震えていたんだと思う。そんな彼
女の苦しみを、私がいくらかでも背負えたら、モニカは、あんなふうにならなかったのかもしれない。
 今モニカに気づかれないように逃げてきたのも、どんな顔をして彼女に会えばいいのか、わからな
かったからだ。 
 仕事を終え、家に帰ってきた。簡単に晩御飯を済ませ、床についた。ろうそくを消し、私は考える。
クラウス。あなたはいま、どこの空を飛んでいるの? それとも、もうワルキューレの翼に抱かれた
のかしら。もう一度、あなたの声が聞きたい。まだキスだって、数えるぐらいしかしていないのに。
いつもならばこんなとき、モニカがいてくれた。でも、もう彼女に頼ることはできない。仲間は、も
ういない。私は一人きりで、彼の帰りを待たなくてはならない。でも、本当に帰ってくるのかしら。
クラウスが、モニカの恋人のように、死んでしまったら……。最悪の考えに行き着く前に、私の意識
は暗闇に落ちていた。
次の日、一通の手紙が来た。クラウスの死を告げるものだった。


 クラウスは、空が好きだった。小さな頃から、どこまでも広がる群青に想いをはせていた。私は、
いつも彼にくっついていた。体力がなかったから、足手まといになるのは常だった。それでも、彼は
私が追いついてくるのを、いつまでも待っていた。そうして最後は手をつないで、丘のてっぺんに上
る。丘から見る風景はとても大きく、心が震えた。でも、クラウスはそれに満足しなかった。彼は、
遠い遠い、ここではないどこかを見ていた。私はクラウスの視線を追ったけど、同じものが見えてい
たかは、わからない。
「空の騎士になる」
 唐突にそう告げられたのは、彼が、戦場に行く直前。
「そして、君を守りたい」
 戦争が、私達に忍び寄っていた。村からも、幾人かの若者が、軍に入隊した。クラウスもその一人
だった。空挺団に志願したらしかった。
 丘の上で聞いた、空の騎士の物語。彼が目を輝かせてしゃべったのは、リヒトホーフェンの武勇だ

282 名前:【品評会作品】赤いフォッケウルフ3/5 ◆SXXLQTFR82 投稿日:2007/05/20(日) 15:44:47.11 ID:kiqwgEee0
った。一番の英雄さ、とクラウスは自分のことのように得意げだった。いつか、リヒトホーフェンみ
たいな英雄になるんだ。敵機を落として、祖国を守る。フォッケウルフの尾翼は赤く塗るんだ。君が
僕だって、わかるように。
 ああ、どうしてこんな夢をみるんだろう。決まってる、彼が死んでしまったからだ。最後に見たク
ラウスの姿を、思い出しているんだ。


 クラウスが死んだと知ってから二日間、私は抜け殻のように過ごしていた。涙は不思議と出てこな
かった。モニカもそうだった。でも、モニカは泣いていた。あの狂った笑いの裏で、見えない涙を流
していた。そこで気づく。ああ、また仲間になれたね、モニカ。私のクラウスも、しんじゃったよ。
そのとき初めて、涙がでた。あふれ出るそれを、止めることはできなかった。
 
 さらに一日がたった。私は、あることを思い立って、家を出た。村の広場を通り過ぎる。ラジオの
前には、いつものように人だかり。その中の一人が、「あっ」声を出してこちらを指差すと、人だか
り全員の視線が私に集まった。彼らは、私の動向を注視していた。モニカと同じように恋人を失って
狂ってしまったのか、と思われたのだろう。私はそれを無視した。人だかりは私に興味を失ったのか、
ラジオに注意を戻した。 

 私は、モニカの家に来ていた。少し躊躇して、ドアを叩いた。返事はなかった。鍵がかかっていな
かったから、私は家に入り込んだ。奥の方に、モニカがいた。テーブルに突っ伏していたのが、私に
気づいたらしく、顔を上げて胡乱な目で、こちらを見つめる。その無言の圧力に気おされたけど、私
はやっとの思いで、口を開いた。
「モニカ――話したいことがあるんだけれど」
「クラウスのことでしょ」
 どうして、といわさず、モニカが続けていた。
「もう三日もたったのよ。村中に伝わるのは当然でしょ。それで、どうしたの? また前みたいに悩
みを聞いてくれって? よしてよ、あなたも知ってるでしょ。私は自分のことで精一杯なの。これ以
上、誰かの死を、私に聞かせないで」
「そうじゃない、そうじゃないよモニカ。私はただ――」
 あなたの苦しみを、分かちあいたいと思って、ここにきたの。

283 名前:【品評会作品】赤いフォッケウルフ4/5 ◆SXXLQTFR82 投稿日:2007/05/20(日) 15:45:52.92 ID:kiqwgEee0
 その言葉を、怒号が遮った。
 遠くから、空襲だ、という声が聞こえてきた。
 空の向こうから、戦闘機の編隊が迫っていた。

 モニカを伴って、家の外に出た。
「逃げろ! 地下壕に向かえ!」
 私は、モニカの手をとって、走り出していた。村人が絶叫を上げ、逃げていく。その中に混じり、
必死に、逃げた。でも、私達は間に合わなかった。
 爆撃機の轟音。爆音と地響き。それらが混ざり合い、嵐となって私達を襲った。紙のように吹き飛
ばされた。一瞬、意識を失った。次に自分を取り戻したときには、そこは地獄だった。瓦礫が山をな
し、その隙間を、ちぎれた四肢や、つぶれた頭部や、あふれた内蔵が埋めていた。爆撃を受けなかっ
た建物の向こうに太い火柱がゆらぎながらのぼり、地も空も真紅になっていた。直撃を受けたのは、
随分と遠くだったらしい。だけど、それは人の命を奪うには十分だった。モニカは……無事だった。
それでも、地に強く叩きつけられたから、全身が痛みで悲鳴を上げていた。空を見る。爆撃機が、ゆ
っくりと迂回し、こちらへ戻ってきていた。今度は、本気で、殺しにかかるのだろう。今のは、ほん
の挨拶代わり。私は痛みに耐えながら、立ち上がった。そしてモニカを起こそうとして、拒絶された。
「もう、だめよ……」
 モニカの、弱音。
「もう、走りたくない。今のを見れば、女の私達に、逃げ切れないのはわかるでしょ。もう苦しみた
くない。これで一思いに死ねるなら、そのほうがいい。それに、ここで死んでしまえば、ギュンター
に会えるわ」
「何いってるのよ!」
 私は、叫んでいた。
「今死んだら、あなたの恋人の死はどうなるの!? あなたを守るために、命を投げ出したんでしょ
う! そのあなたが、あきらめてどうするのよ、立って、立ちなさい!」
 そうだ、私達がここで犠牲になれば、クラウスの死が無駄になる。きっと彼は、こんなことは望ん
でいない。私を守るといってくれたクラウス。でも死んでしまったクラウス。なら、あなたの願いは、
私がかなえる。私は、生きて生きて、生き延びる。それが最期にあなたと交わした、約束だから。

284 名前:【品評会作品】赤いフォッケウルフ5/5 ◆SXXLQTFR82 投稿日:2007/05/20(日) 15:46:53.54 ID:kiqwgEee0
 そのときだった。爆撃機の彼方から、一つのシルエットが見えた。何かがちかっと光り、そして爆
撃機が炎上した。撃墜され地めがけて落ちていくそれを、シルエットが追い抜いていく。
 フォッケウルフ。私達の頭上を通り抜け、残った爆撃機へ向かっていった。私は、はっきりと、みた。
そのフォッケウルフの尾翼が、赤に染まっていたのを。
「クラウス……?」
 フォッケウルフは、爆撃機の護衛と交戦し始めていた。敵は三機。多勢に無勢だ。それでも、フォッ
ケウルフは善戦していた。自在に機体を操り、敵の攻撃をかわしていた。でも、長くは持たなかった。
敵は散開し、その行動に注意を取られた隙に、背後を取られた。私が悲鳴を上げるのと、もう一つのフ
ォッケウルフが出現したのは、同時だった。突然の増援に編隊を乱され、三機のヤーボは次々と撃ち落
されていった。二つのフォッケウルフ。交差し、操縦席で互いに親指を立てているのが、見えたような
気がした。
「あの、マーク……ギュンター、あなたなの?」
 いつのまにか、モニカが立っていた。私と同じように、呆然と、空を見上げていた。そして、彼女の
口からこぼれたのは、恋人の名前。もう一つのフォッケウルフには、ワルキューレが翼を広げていた。
 護衛を蹴散らした二機は、そのまま爆撃機の編隊に肉薄し、瞬く間にそれらを炎にした。歓声があち
こちから上がっていた。空中で彼らは旋回した後、もといた場所へ帰っていった。遠い遠い、群青の彼
方へと。

 それからしばらくして、戦争は終わった。戦禍の傷跡は深いけど、癒せないものじゃない。ゆっくり
と時間をかけていけばいい。モニカは、昔の彼女に戻った。あの誰にでも優しい、村の人気者になった。
時々あの体験を、二人で語る。あのフォッケウルフは、なんだったのだろうと。ギュンターでも、
クラウスでもない、別人だったのかもしれない。でも、私達はこう思うのだ。彼らは、私達を守ると、
約束してくれた。きっと、ワルキューレが、その願いを汲み取ってくれたのだと。
 ありがとう、クラウス。赤いフォッケウルフに乗った、私の英雄。
<了>



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