【 でざろ 】
◆vkc4xj2v7k




30 名前:No.08 でざろ 1/5 ◇vkc4xj2v7k 投稿日:07/05/13 19:14:58 ID:vAiQ2zJY
砂漠のバラで作られたブローチを姉さんに贈った。姉さんにとって最後のコンクールになるだろうから、記念に
砂漠のバラという名前の石を彼女に贈った。彼女の紅いドレスに白いバラはさぞ映えるだろう。
 姉さんがこのコンクールを最後にしようとしたのは、学校の先生になるからだという。ピアノの腕も確かに上手
いものだが、プロの世界で通用するほどのものではないらしい。教職免許の単位取得のために、今日のコンクール
をで最後にすると言っていた。それでも、大学の担当の先生からは一役買われていて、一年の頃からコンクールに
出場させてもらえていた。小さなコンクールでは入賞こそするものの、大きな大会では一次予選なんてあたりまえ
だった。けど、予選で落ちて泣きじゃくる人たちを横目に、まるで自分は予選を通過したかのように笑顔をこぼし
て、楽しかったなどとほうけて言うときは、つくづく無垢な人間だなと僕が自身があきれることもあった。
 小さなコンクールでなら有終の美を飾れたかもしれないが、よりにもよって今回は4年に1度開かれるというコ
ンクールだった。最終的には世界までいくというコンクールの地方予選。地方予選とは言え規模が規模なだけに人
でごった返している。超絶技巧な課題が課されるらしく、難しい曲が好きな彼女にとってはかえって良かったのか
もしれない、演奏前に控え室で姉さんにあったときは好きな曲を弾けて終われるのだから、それはそれで嬉しいも
のだとか言っていた。
 ピアニストたちが鍵盤を叩き、ピアノの中の音を会場に響かせる。観客は演奏中は沈黙を保ち、演奏が終わると
拍手をあげる。際立つ演奏があると、溜息や歓声があがることもあった。予選は課題曲のみの選考が行われている。
同じ曲でも、速度や音の響きが全くと言って違う。微妙な優劣は別として素人なりにも、「音」の良さというものが
掴みとれるほどに違うものなのだ。個性や表現力を技術に上乗せして判断する、審査員はさぞ大変なものだろうと
いつも僕は思っていた。演奏者たちは終了すると、安堵した表情や落胆した表情を見せたあとおじぎをしてステー
ジを去っていく。
 姉さんの順番が回ってきた。胸には僕が挙げたブローチをつけている。真紅のドレスに砂漠のバラは浮きだって
目立つ。砂漠のバラも確かに目立つのだが、いつもと違う姉さんの表情の方が僕は気になった。ピアノを弾く前も
弾いているときもいつも笑っている彼女が、瞳をじっと動かさず鋭く会場のどこか一点を見つめ、何かを睨めつけ
ているかのように見えた。一礼をしてピアノのイスに腰かけた。彼女がイスに座っただけで会場の空気が一瞬凍つ
き、緊迫した空気を作り出したように感じた。姉さんが鍵盤の上に手を添えてペダルの位置を確かめながらイスの
高さを調節すると、深呼吸をするでもなく何の前触れもなく彼女の右手は鍵盤を大きく叩いた。
 ショパンの革命、難しそうな曲だが意外に簡単なのだよと姉さんはいつも僕に言っていた。いつも僕が家で聞い
ていた革命とは全く違う。姉さんがいつも弾く革命は、朗らかで楽しげだった。祖国の革命が失敗に終わり、胸を
痛ませたショパンに申し訳ないくらいの温厚さだった。けれど、今姉さんが弾いている革命は鋭く、残酷で、冷た
い。音の一つ一つが人を突き刺すかのように冷徹だった。会場は戦慄した。演奏後、会場の誰もが音に脅され、動
くことを許可されなかったかのように静まり帰り。余韻だけで誰もが息を飲んでいた。数秒の沈黙が数十秒、数分

31 名前:No.08 でざろ 2/5 ◇vkc4xj2v7k 投稿日:07/05/13 19:15:25 ID:vAiQ2zJY
にも感じられたし、ひょっとしたら本当に会場は静寂だったのかもしれない。一人が立ち上がり、拍手を起こすと
波打つかのように会場のみんなが立ち上がり拍手を送った。姉さんが一礼する。姉さんがステージの裾に行くのを
確認すると同時に僕は控え室まで走った。彼女が本当に彼女であるか不安になった。
演奏後の姉さんは少し、うつむいて疲れた様子だったけど、僕の顔を見るといつものように笑ってくれた。授章
式中、全国予選の切符を手にした姉さんの笑顔は、学内コンクールで銀賞を手にして家に帰ってきたときの笑顔
と何ひとつ変わらない。僕は何も変わってなかった姉さんを見ることが安心した。
 会場から帰る途中の電車の中で、姉さんは爆睡していた。僕じゃない隣の男の人に姉さんの首がもたれ掛らない
か注意しながら僕は彼女を見守っていた。下車する駅がアナウンスされると姉さんは目を開け、立ち上がるとすっ
とドアの方へ向う。いつもながら逆のドアが開いた。拍車をかけて姉さんは姉さんらしく、僕が心配する隙間なん
て1ミリもないんだろう。今回の演奏は最後だったから意気込みが違ったんだ。それが功を奏して、会心の出来に
つながったんだと思う。姉さんもやるときにはやるもんだと関心した。
 駅を出て、家を目指して僕と姉さんは二人並んで歩きだした。
「今日の演奏は凄かったね、僕もだけど、みんな本当に感激してたよ」
「演奏中は何が起こってるかよくわかんなかったな、自分の手じゃないみたい、気持ち悪い」
 いつも楽しかった、しか言わない姉さんの口からそんなことが聞けるのは珍しい。
「頭で思ったように指が動くの、本当に音と指が直結してるみたいにきれいに。でもね、私が期待している音は全
くでないんだ。曲を表現するための音しかでない。今日の私のピアノは私じゃなくて、革命そのものなのよ。これ
って全然面白くないでしょ、私が弾く必要ないんだもの、ショパン本人が弾けばそれで済むことじゃない」
 無茶苦茶なことを言う。彼女が今まで賞という賞にありつけない本当の意味がわかったような気がした。しかし、
作曲者の意図を察して、曲を表現することはクラシックにおいては重要なことで、演奏者名利に尽きるものではな
いかと思った。
「でも、次の全国予選に進んだら、全国は自由曲があるから好きなのが弾けるじゃん、姉さんに合った明るくて楽
しい曲を弾けばいいだろ」
「出るかどうかはわかんないよ。私がでなくても2番の子が出ればいいじゃない。学生は勉強しなくちゃだめなん
だから。教職の授業って卒業の単位に加算できないからきっついのよ」
 それに、教授の授業がだるいったらありゃしないと言いながら、彼女は家のドアを開けた。帰ったは帰ったで、
とにかく疲れた、疲れたを連呼して彼女はお風呂に入るなりすぐに寝てしまった。
 次の日、姉さんから、全国予選に出ざるを得なくなったという話を聞いた。お付きの先生に説得されてしょうが
なくなんて言っていたけど、教職の授業の出席を甘く見てあげるとか……つまるところが、目の前に人参をぶら下
げらたわけだ。僕ももったいないから出とけとは言ったものの、不純な動機から結果は目に見えているような気が

32 名前:No.08 でざろ 3/5 ◇vkc4xj2v7k 投稿日:07/05/13 19:15:47 ID:vAiQ2zJY
してならなかった。僕は姉のそんな姉のためにクリーニング屋にドレスを取りに原付を走らせていた。
 クリーニング屋でドレスを受け取ろうとすると、ブローチが洋服にくっついたままでしたと、砂漠のバラが小さ
な透明のビニールに入れられていた。バラは赤かった。まだ白を基調としているが薄いピンク色をしている。バラ
だから当たり前かと納得しかけたけれども、砂漠のバラは石膏と同じ材質で作られているから白い。何より、姉さ
んのドレスの色とのコントラストを目的に買ったのだから、赤くなられては困るのだ。一緒に洗って、色うつりし
てしまったんですかね、と店員さんに尋ねたが。家庭のように洗濯機で洗うわけじゃないのでそんなことはないら
しい。何より、洗う前に外しますからと言われた。言われてみれば、買ったときからこんな色だったかもしれない。
 家に帰ると、姉さんがピアノの練習をしている。そういえば、課題曲の発表が今日あると言っていた。早速、練
習に取り込んでいるのだろう。邪魔したら悪いかと思ったけども、ドレスを姉さんのクローゼットにしまうために
部屋に入った。ノックは聞こえないと思いしなかった、ドアを開けてクローゼットに手をかけた。僕の背後から、
分厚くて不快な音が伸しかかる。
「気が散る」
姉さんは、ピアノの音にも負けない声で叫ぶ、それだけ言うとまたピアノを弾きだした。僕は謝ろうと思ったが、
また怒鳴られる気がしたので何も言わずにそのまま出て行った。ノックしなかったのがそこまでいけなかったも
のだろうか。
 僕が朝起きると早朝練習で大学に行っているようで朝会うことはほとんどなくなった。食事も姉さんは大学でず
っと練習していて時間が合わない、家に帰ってきてもピアノの前に座りっぱなし。たまに僕が食事の時間を遅らせ
て待っていても、ほとんど箸に手をつけずにすぐにピアノを弾きに部屋に籠る。ずっとこんな調子だから困る、ノ
ックの件を謝ったときも気にしてないとしか言わなかったし。怒り過ぎにも程がある。ここまで顕著な態度を取ら
れると僕の方はどうしようもない。コンクールに対するプレッシャーでこんなになってしまったのだろうか。
 土曜の朝、僕の心配をよそにして、姉さんが寝ぼけた様子でおはようと話しかけてきた。緊迫感を欠いた状況に
拍子ぬけしたが、ひさびさに姉さんとあいさつを交わした。僕はほっとしかけたところ、姉さんから、一枚の紙を
渡された。
「学校で私の日本予選の壮行会があるらしいんだけどさ、私が主役ってのはなかなかないからさ、来てよ」
 壮行会の会場は、大講堂と名を掲げる建物だった。中に入るとぎっしり人が詰まっていた。世界まで通じている
大会とはいえ、予選でここまで大騒ぎするほどのことなのかと驚いた。空いている席を見つけるのが大変だったが、
なんとか前方の方で空席にありつくことができた。壮行会が開かれることも少し唖然としたけれど、それ以上に会
場や人の規模から姉さんにかかる期待の大きさや、コンクールの重要さをうかがうことができた。隣のおばさんた
ちの方へ耳をそばだてていると、日本代表はおろか、世界コンクールで入賞確実と言われた男性を押しのけて地方
予選を突破したらしい。姉さんからは、曲のことや歴代作曲者を聞くが。コンクールに関することなんてほとんど

33 名前:No.08 でざろ 4/5 ◇vkc4xj2v7k 投稿日:07/05/13 19:16:20 ID:vAiQ2zJY
聞いたことなかった。
 一通り偉い人たちの挨拶が終わると、姉さんの演奏が始まるらしく、姉さんが壇上のピアノの前に立った。赤い
ドレスに真赤なブローチ。おかしい。姉さんの真紅のドレスよりも赤い、燃え盛るような紅蓮の赤だ。それに、顔
の表情もおかしい。冷笑している。姉さんは冷やかに観客を見つめる。それでも、姉さんが描きだす世界に歓声が
あがった。
 あと1曲残っていたが、僕は会場から出た。吐き気がした。不快さもあったが、それ以上に砂漠のバラのことが
気になった。あの石は普通じゃなかった。図書館の前に原付を捨てるように置き、僕は中へ駈け出した。自然石に
関する本を適当に持ち出して、勢い良く閲覧するための机の上に置く。静寂そのものだった図書館に轟音がうなっ
た。どの本にも、愛を成就させる、平常心を保つ、災厄を払う、病気を抑止させるとしか書いていない。仕方なく
本を戻しに行こうと立ち上がる。本を返しに行く途中で音をたてたことやら、走り回っていることで注意を受けた。
いけないことはわかっているが、なぜか僕は焦っていた。姉さんが遠くへ行ってしまう気がしたから本当に焦って
いた。焦りのあまり自分の足でつまづいた。大声を出して泣きたくなった、やり場がない不安に叫んでやりたくな
った。ここではそんなことはできないとわかっている、悲しい。うつ伏せの状態じゃあまりにもみっともないので、
落ちた本を拾い立ち上がろうとした。立ち上がる途中、中東の伝承という本が目についた。
「砂漠のバラ赤に憧れ、憧れを喰らい、食らった憧れを赤にする」
砂漠のバラに関する詩。解説には、砂漠のバラは願いを叶える石で、願いを叶える代価として人を喰らうらしい。
僕の不安を納得させるには充分の記述だった。しかし、僕を納得させたところで姉さんが石に食われる手立てを
止める術は載ってない。
図書館を出ると、横倒しになった原付がきれいに立てられ、地面で擦れたあとがむなしく際立っている。よ姉さ
んの壮行会も終わってるだろうな、今何時だろう。僕は携帯電話で時間を確認しようとした。着信通知十七件、
姉さんの大学からだ。
姉さんは演奏中に倒れたらしい。極度の疲労や栄養失調のせいだそうだ。朝見たときとは別人のように、姉さん
はやつれ果てている。一時的に気絶しているようで、致命的な病状ではないらしい。意識もすぐに戻るという。
医者の言うことは科学的すぎて僕にとっては逆に不安だった。論拠があるからこその根拠は、論理の通用しない
ような現象に太刀打ちできるのだろうか。太刀打ちしてもらわなくては困るのだ、姉さんがこのまま起きないな
んてことはあっちゃいけない。
僕は不可思議な考え方を捨てざるを得なくなった。馬鹿げている。何もかも。よくよく考えれば、ブローチが
赤く見えたのは他のをつけていて、姉さんがあんなに無機質だったのはコンクールのせいだったのだろう。今
日の朝元通りになっていたのは、コンクールにめどがたったからきっと安心して、いつも通りになったんだ。
倒れたのだってお医者さんが言ってた通りだ。僕はうつむいたまま、自分に言い聞かせることに必死だった。

34 名前:No.08 でざろ 5/5 ◇vkc4xj2v7k 投稿日:07/05/13 19:16:52 ID:vAiQ2zJY
「プレゼントのブローチ、壊れちゃった、ごめんね」
 姉さんはいつの間にか意識が戻っていた。僕は安堵よりも先に嬉しさがこみあげてきた。僕が言葉を口にしよう
とすると焦点を合わせていない目で空を見つめながら遮るように続けた。
「私さ、本当はすっごく嬉しかった。あんな演奏ができたのも、予選突破できたのも。どんなに頑張っても、一番
って無理だったから。控え室に帰ったらガッツポーズなんてしちゃってさ」
 僕は、ただ頷いているだけ、姉さんは続ける
「砂漠のバラ、あれのおかげなんだよね、私の演奏。電車で帰る途中にあの石でできたバラが喋りかけてきて、夢
の続きを見せてあげるから俺にも夢を見せてくれって言ったの。夢の中で夢、夢、夢って言われて私、訳わかんな
くなっちゃったんだけどさ、何となくピアノのことかなって思って、いいよって言っちゃった」
「それで、夢は見れたの」
「どうだろうね、あんまり覚えてないの。長くは続かない夢って言われてたから。弾けるだけ弾いとこうと思って、
ひたすら弾いてた。どれだけ自分が弾けるんだろうって、限界が知りたくなった。でもね、全部おぼろげにしか覚
えてないの。意識がはっきりするときとぼんやりするときがあって、特にピアノを目の前にするとほとんど意識が
なくなっててね、それじゃ意味ないのにね」
 僕がバラに関する詩のことを話すと、成程と言わんばかりに左の掌に右手の拳を叩きつけた。
「壮行会で倒れたじゃない。あの時、夢はここで終わりだ。これはお前の実力じゃない、俺がいたからここまでや
れるんだ。なんて言うの。わかってたけどさ、この後のコンクールはどうすんだってね。全部終わったなってわか
ったわ。でもさ、あいつさ、最後にありがとうって言ったんだよね。いい夢見れたって。私もいい夢見れたから、
お前も頑張れって言ってやったよ。謝られたら許すしかないじゃん。ずるいよね」
 姉さんは涙を我慢してたけど、僕がいなかったらきっと泣いてると思う。
「それじゃ、コンクールどうするの」
 聞いちゃいけないとは思ったけど、僕は反射的に聞いてしまった。しまったと思ったけど、遅い。
「諦めるよ、諦めるしかないんだ」
「出ればいいじゃない、姉さんならやれるよ」
 僕は心にもないことを言った、普段の姉さんなら予選一次突破も無理だった。
「夢は夢よ」
 覇気のない、冷やかな声だった。姉さんの胸についたブローチは白く朽ち果てている。ドレスに白い灰がついた
ようだった。



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