【 私と父を殺したもの 】
◆lKR50dZrNg




6 名前:No.02 私と父を殺したもの 1/5 ◇lKR50dZrNg 投稿日:07/05/12 07:38:01 ID:ojEUFQ4g
「ねぇ、お父さん」
 全身全霊で、かわいい声、かわいい仕草を演じた私は、多分アイドル並みのかわいさだと思う。もちろん、この人形みたいと賞賛される顔を持つ私だからこそだけどね。
 しかし。こんな超プリチーな私を前にしながら、この中年じじいは目すら向けようとしない。広げていた日経新聞でさりげなく私の確かな効力を持つ眼力を遮り、いつものように株価を目で追っている。
 子より金なんかい!
 ぴくぴく痙攣しそうな眉毛をなんとか宥めつつ、私はもう一人の頼みの綱に声をかけた。
「おかーさん」
 彼女の好きなアニメ、某小学生探偵ぽい声を真似て呼んでみる。頭脳も体も大人だけど、声だけなら幼女趣味のおじんに襲われる価値があると思う。もちろん、この長年にわたるボイストレーニングにより得たアニメ声がある私だからこそだけどね。
 そのはずなのだが。こんなかわいい声を耳にしながら、この中年ばばあはまったく反応しない。彼女の衣装を縫う手がいっそう早さを増しただけだった。
 子よりコスプレ衣装なんかい!
 バーロー! と口から飛び出そうな罵倒をなんとか飲み込みつつ、私はあまり縋りたくない藁に声をかけた。
「おじーちゃーーーん! おばーちゃーーーーん!!」
 涙ながらに叫び、小船に乗って流れていく感じをだそうとすさささ、とさり気に離れる。奇妙なシンドロームを巻き起こした、かの伝説の朝ドラの名場面を連想しそうなほど真に迫る演技だったと思う。もちろん、このどんな男もだます演技力を持つ私だからこそだけどね。
 にも関わらず。こんなに感動的な場面を目にしながら、このじじばばの視線はまたテレビへと戻ってしまった。
 孫より鬼ばかりの世間かい!
 あんたら、橋田ファミリーならなんでもいいんちゃう? と突っ込みそうな手をなんとか押さえつつ、私はとうとう切れた。
「いい加減にしろ!」


7 名前:No.02 私と父を殺したもの 2/5 ◇lKR50dZrNg 投稿日:07/05/12 07:38:37 ID:ojEUFQ4g
 狭い居間に、響き渡るドスの利いた声。以前付き合っていた取立て屋から学んだ声である。かすかに波立ったコタツの上にあるコップの中の水がその威力の凄まじさを表している。
 ようやく四つの視線が、一斉に私に集まった。
「悲しいね。全くもって悲しいよ」
 静かな声でそう切り出す。爆発は瞬間的に、説得は冷静に、が取立ての定石だ。
「数年ぶりに帰ってきた、あんたたちのたった一人の子供、たった一人の孫に対する態度がソレ?」
 目を閉じると、あの日のことがまるで昨日のことのように脳裏に描かれる。
「確かに家を出たのは私の勝手だよ。でも私は決して家に不満があったわけじゃない。伝えきれない葛藤があったの、悩みがあったの」
 たった一人で夜中のホームに座っていた少年。手荷物はたった一つの黒いスポーツバッグ。
「あの頃の子供だった私が一人で生きていくにはいろいろあったよ? 洋服だって一人じゃ買えないし、お水系で働いてたけど、店にバレてクビになっちゃったり。男にも逃げられるし」
 そんな少年に走りよる女の子。二人は固く手を握り合い、ホームに来た電車に乗り込んだ……。
「でもね、もう一度、家に帰りたいって思ったの。いろいろあったけど、成長した自分を見て欲しい。出戻りみたいだけど、あなたたちの娘としてもう一度、ここで」 
 その光景を物欲しそうに眺めていた無関係な私。
 ロマンチックな光景と自分の台詞にうっとりしながら話していると音を立てて立ち上がる者がいた。父だ。
「私にはお前のような娘はいない!」
 そう恫喝すると一人、玄関へ向かっていってしまった。
 なんていう既視感だろう。まるで数年前を再現しているようだった。自分を二度も否定された悲しみに自然と頬を涙が伝っていた。
 ぽたり。
 ぽたり。

8 名前:No.02 私と父を殺したもの 3/5 ◇lKR50dZrNg 投稿日:07/05/12 07:39:12 ID:ojEUFQ4g
 床に落ちる涙を見てはっとする。
 何のためにここへ戻ってきたのか。何のために、もう一度家族との復縁を望んだのか。全ては目的のため、手段を選ぶ余裕はない。
 何度否定されても、諦めない!
 自分の心をもう一度確認した私は、慌てて父を追おうと居間を出た。
「薫!」
 振り向くと母が立っていた。
「頑張れ。私はあんたを応援することにしたよ。お金は心配すんな」
 アニヲタでも、コスプレ趣味でも、母なのだ。十数年以上一緒に過ごしてきた、母なのだ。私は今こそ、この母に感謝の気持ちを抱いたことはない。ありがとう、母さん。
 温まる心と共に暖かい涙を流しながらアパートの階段を駆け下り、どうにか駐車場で追いつくことが出来た。
「父さん、待ってよ!」
 じゃり。
 ケチって作られた駐車場は、大きめの石が全体に敷き詰められ少し不安定な足場になっていた。滴る汗を拭きながら、精一杯の大声を出す。
 その声を受けて、車に向かう父の足が止まった。
「……話を、聞いてよ」
「話すことはなにもない」
 瞬時に答えが返ってくる。全く取り付く島がない。
「お願いだよ。昔からの夢だったんだ。それを叶えたいんだ」
「ふざけるな! そんなぴらぴらした格好して、恥ずかしくないのか? 私はお前をそんな風に育てた覚えはない!」
 泣いちゃダメだ。泣いちゃダメだ。泣いちゃダメだ。
 呪文のように心の中でそう繰り返すのだが、否応なく目の前の映像は揺れてぼやけていく。
「お前は昔っからそうだったな」
 せっかく決心を再確認してダイヤモンドのように固くなった意思だったのに、厳しい父の前では、粘土のように柔らかくなってしまった。

9 名前:No.02 私と父を殺したもの 4/5 ◇lKR50dZrNg 投稿日:07/05/12 07:39:41 ID:ojEUFQ4g
 そう、昔からそうなのだ。頑固で厳格な父を目の前にすると縮みあがってしまうのだ。
「ぴーぴー、ぴーぴー泣いてばかりいて」
 頑張れ、私、頑張れ。
 今は違うよ。もう昔の私じゃない。きちんとした目標がある一人の大人だよ。
 負けるんじゃないよ、こんな頑固爺に!
 自分を叱咤激励して私は、父を睨んだ。
 この戦いはどちらの意思がより固いかで決まる。そういう戦いだ。
「違う。今は違う。私は一人の大人だから」
「ほぉ。なら大人なりの頼み方、誠意の見せ方ってもんがあるよな」
 ざっ。
 膝に当たった石がぶつかり合って音を立てる。
「どうか、お願いします。手術を受けさせてください」
 額に触れた石は冷たく、手の平で触れた石も同様だった。
「たとえ死んでも認めん」
 石と同様に冷たいその返事を聞いて、私の中で何かが弾けた。

「う……うぅ」
 微かな唸り声にを耳にし、意識がはっきりした。
 気づくと手の中には血のついた石が収められており、目の前には血を流す父が居た。
「と、父さん!!」
 僕は、何てことをしてしてしまったんだ!
 父の体を抱き起こすと、どうやら意識を取り戻したようだった。
 私の襟をつかみ、必死に何かを言おうとしている。耳を父の口に近づけると、か細くもしっかりとした声が聞こえた。
「お……、お前は、俺の……、一人息子だ」

10 名前:No.02 私と父を殺したもの 5/5 ◇lKR50dZrNg 投稿日:07/05/12 07:40:11 ID:ojEUFQ4g
 それが最後に聞いた父の言葉となった。
 もう私は、負けを認めるしかなかった。
 世界一固い意思は、父の方だった。
 僕は口紅を手で拭い、死出の旅へと旅立つ父へはなむけの言葉を送った。
「この石頭」

―了―



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