【 妙なるかな、緑 】
◆NCqjSepyTo




2 名前:No.01 妙なるかな、緑 1/4 ◇NCqjSepyTo 投稿日:07/05/12 05:25:42 ID:QxLF67X8
「じゃあ私が投げるから、ちゃんと見ていてね」
少女がそう言った。ぼくは小さく肯く。
少女の手から放たれた小石は放物線を描き、静かな水面を掠めて跳ねていく。
一回、二回。三回目の着水の後、小石は深い藍色の闇の中に吸い込まれていった。緩やかな波紋が、まるで吐息のように広がっていく。
山と山との間に流れる川。その途中に造られたダムとも池ともつかない淀みの淵に、ぼく達は居た。
「ああん、失敗」
 悔しそうな声まで妙に色っぽい。女って言うのはきっと何歳でも女なんだと思った。
彼女が身を翻して次の石を探す。二回も跳ねるなんて初めてにしては上出来だとぼくは思うのだけど、彼女はまだ続けるらしい。
 円型、そして平たく凹凸は出来るだけ少ない方が良い。この場所に通い慣れているぼくはこの辺りに水切りに最適な石が多い事を熟知していたから、手近な所から拾って彼女に手渡した。
「あら、有り難う」
 ふわりと微笑む彼女の顔は幼いながらも女性であることを謳歌しているかのように華やいでいた。都会の香りだ。そんな彼女は、よく似ていた。
知らず知らずのうちにそんな事を考えてしまう。
ぼくは誰にも見せない苦笑いを口の端に浮かべた後自分でも石を拾って、相変わらず嘆いている彼女の後に続いた。
ぼくの小石は反対の岸まで届く。それを見た少女は更に悔しそうに石を探す。
嗚呼、見れば見るほどそっくりなんだ。

3 名前:No.01 妙なるかな、緑 2/4 ◇NCqjSepyTo 投稿日:07/05/12 05:26:43 ID:QxLF67X8
 出会った時、その少女は初夏の香りを纏ってバス停に立っていた。
小花柄の白いワンピースに細いラインのサンダル。透き通るようなうなじの見えるポニーテールは彼女にとても似合っていた。
本当に見間違えるかと思った。
半日に一本バスが来るかどうかのこんな田舎の寂れたバス停、その少女はまるで異質な存在だった。
家出でもしてきたのだろうか。
興味はあったものの知らぬ顔をして通り過ぎようとしたぼくに、話し掛けてきたのは彼女の方だった。
「ねえ、あなた名前は? 」
 まだほんの一時間ほど前の事だ。
彼女はヒナミと名乗った。年齢はぼくの一つ下。ぼくの周りに居る女の子は知美とか雪子とかいう名前ばかりだから、ヒナミというのがどんな字を書くのか、どんな意味なのかぼくには全く分からなかった。
彼女が山に行きたいというのでぼくは此処に連れてきた。
少し急な上り坂を歩く間中、彼女の束ねた髪が揺れ、何処か懐かしい匂いをさせているのにぼくは気付いていた。
だけど気付かない振りをして、何とか此処まで辿り着いた。
ぼくのお気に入りの場所。学校に行っている時以外の殆どの時間をぼくは此処で過ごす。
この深い淀みはきっとぼくの全てを飲み込んでくれると思ったから。
 少女はまだ石を探している。頭の後ろで尻尾が揺れる。ぼくは目の前がくらくらした。
彼女から目を離さない様に足元を探り石を探す。彼女の踊るような姿を少しでも目に焼き付けておきたかった。
丁度良い石を見つけるとぼくはゆっくり立ち上がった。
少女の細いうなじが水面の光を反射した。

4 名前:No.01 妙なるかな、緑 3/4 ◇NCqjSepyTo 投稿日:07/05/12 05:27:37 ID:QxLF67X8
 思ったより大きな音がした。
でも、失敗だった。ぼくの片手にギリギリ収まる大きさのこの石が、彼女のうなじを抉り取る筈だったのに。
直前で音に気付いたのか彼女が振り向いたから、石は彼女の側頭部にめり込んでしまった。
でも、まあ良い。二発目を当てれば良いだけの事だ。
 声にならない声を上げて、少女は倒れる。ぼくは何故かケラケラと笑った。
こんなに笑ったのは久しぶりだ。
そう。母親に捨てられたあの日以来だ。
少女はあの日の母親に良く似ていた。
泣き喚く息子を捨てて若い男に着いて行ったあの女。最後まで女であることを辞められなかったあの女。
あの日のあの女も髪を一つに束ね、白いうなじを光らせていた。ぼくの知らない匂いをさせていた。それだけでもう、十分だった。
 鼻から口から頭から、彼女は血を噴き出す。ぼくの手も、手に持った石も真赤に染まった。彼女の脚と手ががガクガク震えていて、まるでもがいているみたいだとぼくは笑った。
でも実際それが最後の力だった様で、その後彼女はすっかり動くことを止めてしまった。
見る影も無く変形した彼女の顔を覗き込むと、ぼくの心の中は愛おしさでいっぱいになった。
そして、知らない内に自分が吐精していたことに気付いた。

5 名前:No.01 妙なるかな、緑 4/4 ◇NCqjSepyTo 投稿日:07/05/12 05:28:53 ID:QxLF67X8
 深い藍色が何もかもを飲み込んでいく。
ぼくは淀みの淵で手を洗う。彼女にはさっきの石を抱きしめてこの中に沈んでもらおう。
ふと思う。彼女の親はどういう考えを持って彼女にヒナミと名付けたのか。
彼女は親に愛されていたのだろうか。
もし愛されていなかったとしても、大丈夫。彼女はこれから長い間をこの淀みに抱かれ愛されて過ごすのだから。
良かったね。とぼくは小さく微笑み掛けた。
ぼくは足元に転がる沢山の小石の中から一つを選び出して持ち上げた。
いびつでげんこつの様に歪んだ小石。
これは、ぼくだ。
異質なのは、ぼくだった。
 母親に会いたいと、そう思った。
ぼくはきっと今までの思いをぶつけることが出来る。
考えただけで背中に鳥肌が立ち、ぼくはくらくらしてしまう。
彼女を優しい闇に委ねると、墓標代わりに石を一つ投げ込んだ。
まるで口笛を吹きたくなるような清々しい気分だ。
ぼくは、ぼくを見つけた。
待っていてね、母さん。

深き山、深き谷、深き川
妙なるかな、妙なるかな、緑


終わり



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