【 とある傭兵と月の精 】
◆InwGZIAUcs




73 :No.17 とある傭兵と月の精 1/5 ◇InwGZIAUcs:07/05/06 23:56:14 ID:vXs62cuE
 風に遊ばれ一枚の紙切れが舞い踊る。
 やがてそれは海水にさらわれてしまった。
 大海原を漂う紙切れが一枚。
 やがて迎えるは三日月と星々が煌めく夜。
 すると、澄み渡る空気に風がやむ。波もやむ。雲すら消え失せる。
 夜空を汚すものは全て消えていった。
 海と空の境界線も消えていった。
 縦に並ぶ双月。それを取り囲む星々。
 紙切れは水鏡に写された月と重なり……そして、浮いた。
 浮き上がったのは紙切れと水鏡に写っていた三日月。
 紙切れは再び風に舞い踊りバラバラになって消えていく。
 しかし、その紙切れの中にはいつの間にか人影が現れていた。
 全ての紙が消えた後、残されたのは水鏡から浮き出た三日月の船と優雅に腰を掛ける女性。
 淡い銀と金の色を混ぜた長い髪は美しく、月の光に似ていた。
 また、月と同様に清楚な美しさを滲ませるような顔はこの世の者とは思えない程である。
 それは全て静寂の中での出来事だった。




 爽やかな夜だった。
 どこかの船から奪い取っただろう航海図と羅針盤、ついでに酒を手に私は甲板に出た。
 夜風は心地よいが、心の中までそうはいかない。。
 海賊船に乗り込んで一ヶ月が経った……が、正直退屈だった。
 雇われた傭兵の身である私にしては破格の賃金を貰っているが、
不満を持つ程にこの船は弱い船しか襲わない。
 自分の強さを誇るために生きている私にとってそれは退屈でしかないのだ。
 見事な下弦の月を見上げて溜息をついた。
 思わずその美しさに見とれていた私は、苦笑しながら航海図を持つ。
 その時一陣の風が吹いた。

74 :No.17 とある傭兵と月の精 2/5 ◇InwGZIAUcs:07/05/06 23:56:31 ID:vXs62cuE
 するとその風は、中途な力でつまんでいた航海図を私の手から奪い取ってしまった。
 そして闇夜に紛れ見失う。
 どれほどでこの退屈な生活を抜け出せるか、言い換えるならばどれほどで隠れ家(海賊の基地)につくか、
羅針盤と照らし合わせ見当しようとしていたのだ。
 酒を拝借しながらこの船を降りた後の仕事に思いを馳せるつもりだった。
 だが、勝手に持ち出した航海図はもう無い。
 航海図を失った船など、大樹海に放り出された子供に等しい……。
 私の頭は冷静に働き、そして行動を始めた。


 甲板を後にし、一人で剣の刃を研いでいた乗組員を捕まえ尋ねた。
「あ? あとどれだけで隠れ家に着くかって?」
 彼は眉間にしわを寄せ、私の質問を思い出そうとしている。
「知らないならいいです。他の人に尋ねます」
「フン、馬鹿にするなよ。確かあと三日かそこらだ」
 三日か……。
「まあ波間を漂っていたとしても六日くらいあれば着くだろう」
 冗談半分でその乗組員は言い放った。
 当然男はその冗談が笑えない事に気付いていない。
「どうも……」
「ん? 何だ? ママのおっぱいでも恋しくなったの――がぁ!」
 鮮血を辺りにまき散らし事切れた男を背に私は踵を返した。よく磨がれ、そして赤く染まった剣を手に。


 事は簡単だ。
 六日間波間を漂っていればよい。陸地が見えればなんとかなるだろう。
 問題はただ一つ。
 航海図が無くなった事は朝を待たずに知れ渡るだろう。知らない顔をしておく事もできるが、
目撃者が居なかったとも限らない。もし犯人が私と特定されれば、間違いなく文字通り海の藻屑となるだろう。さらに、
無くなった事を部外者である私に押しつけてくるかもしれない。だとしたら知らぬ顔を通すのは得策とは言えない。

75 :No.17 とある傭兵と月の精 3/5 ◇InwGZIAUcs:07/05/06 23:56:51 ID:vXs62cuE
 即ちすべき事もただ一つ。
 この船の乗組員を殺す……つまりこの船を占領する事だ。
 万が一の時の食いぶち減らしが大きな理由だ。食料は多ければ多い方がよい。
 先程の男を覗いて十人程だが、不意打ちに対応できる連中でないのは百も承知している。
 だが恐らくそれは、退屈しのぎ程度にはなるだろう。


 結局難なく船は占領することが出来た。
 しかし、最初に殺した乗組員の言葉は当てにならなかった。
 漂流をはじめて十日目の夜、一向に陸地にたどり着く気配が無いのだ。
 食料がまだ残っているとはいえ、不安を隠しきることはできない。
 一人だけ残した乗組員意外は全て海の底に葬った。
 しかし、側に人が居ないと、話し相手が居ないと人は狂うという。
 が、その残った乗組員に食料は最低限しか与えていない。全ては俺が生き残る為だ。
 そんな事を改めて確認し自分に言い聞かせていると、船の動きが止まった。
 波の揺れが無くなったのだ。違和感を覚え私は甲板へと向った。
 慌ただしく階段を駆け上がった先、そこには、そよ風もない、波もない、雲すらない夜空と海が広がっていた。
 そして一瞬後、海に反射していた三日月がいつの間にか船になり、そこには女性が腰を掛けていた。
「こんばんは」
 そのよく響く声の美しさに、容貌の美しさに、私は息がつまり驚愕の声を上げるのも忘れていた。
「私は月の精のルナ……私はあなたに罪滅ぼしをしに参りました」
 微笑む女性が腰を掛ける月形の船がゆっくりと近づいてくる。
 私が制する間は十二分にあったが、何も出来なかった。彼女にはそんな雰囲気があった。
「あなたは……」
「あの日の夜、私……いえ、下弦の月に見とれていたせいで落としてしまった航海図、その罪滅ぼしに参りました」
 優雅にお辞儀をするルナ。
 私は呆然と彼女を見つめる事しかできなかった。


 人魚や海の王、こういった精霊に海の上で遭遇したという話は五万とある。

76 :No.17 とある傭兵と月の精 4/5 ◇InwGZIAUcs:07/05/06 23:57:50 ID:vXs62cuE
 そして今がその時なのだろう。
 そんな事態に頭の回転が追いついていない自分に何とか冷静さを取戻させ、私はルナに尋ねた。
「では何をして頂けるのでしょうか?」
「はい。あなたを、この船を、本来の目的地へと運んで差し上げます」
 この上のない罪滅ぼしと言えた。
 ルナが嘘を言っていないのは見ての通り、大海原に突如として現れた事や、
水面に写った月を船にしてしまったことから明らかである。
「本当はもっと早く案内して差し上げたかったのですが、
三日月の船でしか海に降りることはできないので遅くなってしまいました……ごめんなさい」
 そういって申し訳なさそうにルナは顔を困らせた。
「いえいえ、あなたの美しさに見とれたのは私のミス。その上助けて頂けるとは光栄至極」
 私は頭を下げ手を差し出す。
 一瞬躊躇ってその手を握り替えしたルナを、私は体ごと引き寄せた。
「よかったらついでに私の妾になりませんか?」
 目を見開いて驚くルナ。まさに目前の距離にあるその瞳はとても美しい。
「私は罪滅ぼしに来たのです。それ以上でも以下でもありません……ごめんなさい」 
 ルナの言葉の一句一句に眠気を誘われているのに気付いたのは、地面に膝がぶつかった痛みのおかげだった。
「な……」
 声を紡ぐことももう出来ない。おそらく精霊の術か何かなのだろう。
 しかし、その中でもルナの言葉ははっきりと耳に届く。
「目が覚めた時。この船は目的地に着いています。それでは、おやすみなさい……」
 それが私の記憶に残る最後のルナの言葉だった。




 目を覚ました時、私は大縄で縛られ床に転がっていた。
 生かしておいた乗組員をはじめ、隠れ家で待っていた海賊達に囲まれ睨まれている。
 その時私は、ルナの言葉を思い出した。

77 :No.17 とある傭兵と月の精 5/5 ◇InwGZIAUcs:07/05/06 23:58:15 ID:vXs62cuE

――この船を本来の目的地へと運んで差し上げます。
 
 今度は私が罪滅ぼしをする番かと思うと、それは全く笑えない冗談だ。


終わり



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