【 ローレライのできる理由 】
◆/7C0zzoEsE




36 :No.08 ローレライのできる理由 1/4 ◇/7C0zzoEsE:07/05/06 21:42:11 ID:vXs62cuE

「ごめんよ、うちじゃ飼えなかったんだ……元気でね」
 可愛らしい声をあげる少年が、
私達の家に金魚を放つ姿が見えた。
 おそらく掬ったのは良いが、対処にでも困ったのだろう。
 ここに逃す決心をつけたのはいいが、
金魚は海では生きられないという事をいつか知ったら
一体どんな顔をするのだろうか。
 私はクスリと微笑んで、尾びれを動かして金魚を捕食した。
私の口よりも小さな魚なら、大概美味しく頂ける。
 彼に気付かれない様に手を振って、
再び沖の深くに向かって潜水して行った。
 今日も友人達と歌を歌いながら、楽しく戯れていた。
水草に隠れて鬼ごっこや、貝の胸当てと真珠を探したり。
 この海という我が家は、あまりに広い。
私の生涯をかけても全てを眺めることは不可能だろう。
「あ、この魚面白い容姿してるわよね」
「ちゃんとメモしときなさいよ、どんどん新種が出るんだから」
 見たことの無い魚もどれ程いるのだろうか、
考えるだけで涎がでてくる。
 魚のメモをし終えた後に、口に含んでみた。
これは不味い。二度と食べないと誓って、書き足しておいた。
「もう! メモもいいけど、急がないとそろそろ運動海が始まっちゃうぞ」
 友人が私を促している。口元を拭う、口の中が骨で切れていた。
今年のリレー、自由型はクタクタになろうが絶対優勝を逃さない。
そう意気込んで、皆のもとへ泳いでいった。
 歌を歌って、魚を追って。海の不思議を探索する。
そんな事を延々と続けるだけの毎日だが、充実していた。
 友人達とは、とても仲が良いし、
たまに漁網に引っかかって漁師達を驚かせるのも面白い。

37 :No.08 ローレライのできる理由 2/4 ◇/7C0zzoEsE:07/05/06 21:42:33 ID:vXs62cuE
彼らは、困ったような顔をするが、大抵優しくしてくれる。
前にシシャモを分けて貰ったのは嬉しかった。
 そんな普通の日常が続くだけの筈だった。

――三ヶ月ほど経った。
 体に異変があるように思えた。
どうも泳ぐのに力が入らない。プカプカ浮いているのが楽だ。
 初めは運動海の筋肉痛からかと甘く見ていたが、どうも様子がおかしい。
肌の色も何だか白くなってきたし、美白などと洒落てられない。
 メモの更新ついでに長のもとへ向かった。
「これは……」
 長は顔を青くして、私は医師に診てもらうことになった。
ベッドに寝かされて、医療器具を体につけられる。全身に麻酔も打たれた。  
 緊急オペということらしいが、それからの事はほとんど記憶に残っていない。
 次に目が覚めたときは、体がほとんど思うように動かなかった。
長が沈痛な面持ちで私に呟きかけた。
「君が食した魚は害物として即時に登録されたよ。
可哀相に……運動性エロモナス菌が体内から異常発見された特種だった」
 私は目を見開いた。つもりだったが、実質瞼はほとんど動かなかった。
「半分が魚の私達にとって、運動性エロモナス病は深刻な病気だ。
淡水のみにしか繁殖しないと思って対策を整えていなかった……すまない」
 私が何かを応えるまでも無く、長は続ける。
「その魚を食したとき、どこか怪我は無かったかね?
もしくは体が衰弱してたり、ひどく疲れたりはしていなかっただろうか。
……そういうことだ。残念ながら助かる見込みはまず無い」
 絶望。そんな言葉が私の頭に浮かぶ。
「君はニンゲンに実験体として、渡すことになったよ。
冥土の土産という訳ではないが、君には全てを話そう」

38 :No.08 ローレライのできる理由 3/4 ◇/7C0zzoEsE:07/05/06 21:42:56 ID:vXs62cuE
「そもそも、私達がどうしてこんなところにいると思う?
神様が創りあげたと思うかね? 残念だが、それは間違いだ。
私達はニンゲンの科学力の名の下に生まれたのだ」
 ニンゲン、漁師。彼らの顔が一瞬浮かんだ。
「ニンゲンのクローン技術を駆使して、
魚の遺伝子とニンゲンの遺伝子を組み合わせて、
半人半漁のキマイラの様な存在を作りあげて――……。いや、少し難しすぎるか」
「た……助けて」
 力を振り絞って、なんとか掠れるような悲痛な声が出た。
しかし、いつも優しい長には全く聞いていない様だった。
「つまりは、全てニンゲンの利益の為に作り上げてこの広大な海で飼っているのだ。
主に、観賞用。それと、もう一つ。
ニンゲンですら全てを知らない海の全貌と、
水質汚濁の悪影響が及ぼす魚の変形の研究の為に」
  私は今、自分が書いていたメモの意味が分かった。
しかし、そんな事はどうでも良いことだった。

「ニンゲンは私達の事を、慈しむようにこう呼ぶ」
【人魚】……と。

 突如、頭上でけたたましい音が鳴り響いた。周りの水が震える。
引き網で私の体はベッドごと持ち上げられていった。
嫌だ、嫌だ。イヤだ。死にたくない。歌を歌っテイたい。
 私は壊れたかの様に歌いだした。甲高く、限り無く悲鳴に近い歌声。
喉からはヒーッという空気の漏れたような音が、水を振動して伝うわけも無く。
誰にも届いていなかったが、私は確かに歌っていた。
「多少、お喋りが過ぎたようだ。
それでは君の友人にも、ちゃんと君の別れを告げておくよ。さよなら……マリア君」
 私の体は海面を離れていき、そこからまた暫く意識が飛ぶ。

39 :No.08 ローレライのできる理由 4/4 ◇/7C0zzoEsE:07/05/06 21:43:16 ID:vXs62cuE
――何日経ったか分からない。
 私は今、海岸に立っていた。
人魚の繁殖しているだろう故郷を遠く見ている。
 私は、自らの二本の足でしっかりと立っていた。
どんな手術……いや、実験を施したのかは分からないが、
私は今、間違いなくニンゲンだ。
 魚にしか効かない運動性エロモナス病が完治しているのがその証拠である。
でも、実験対象であることには代わりが無い。

 ゴミが目立つ海岸。落ちてある空き缶を拾った。
 可愛らしい少年が海を見ていた。何か話したかったが、
ニンゲンになるのと引き換えに声を失ってしまっていた。
 私が少年の顔を覗き込むと、少年は目頭一杯に大粒の涙を浮かべて、
「お姉さん、金魚って海に放すと死ぬって本当ですか!」
 と尋ねてくる。
 私は呆気にとられて、にっこり微笑んだ。
(美味しかったよ)
 私の声は、歌は、誰にも届かない。踵を返して、海の方を向く。
手に握り締めている空き缶を沖に向かって思い切り放り投げた。
 手を払う。少年の口が閉じていなかった。
もう休憩時間も終わりか。
 研究所の方で白衣の男性が、にっこり笑って私に手を振っている。
私は彼のもとへとゆっくりと歩き出した。
 
 遠くで人魚の歌声が聞こえた気がした。
だがもう後ろを振り返ることは無かった。
                           (了)



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