【 傷心旅行 】
◆SXXLQTFR82




27 :NO.5 傷心旅行1/4 ◇SXXLQTFR82:07/05/06 18:00:31 ID:ZLm0zFHA
 今日、人魚をひろった。嘘じゃない。路上に倒れてたんだ。ご立派なひれをむき出しにして。
 ともあれ、どんなにおかしな格好とはいえ、うら若き乙女を冷たいコンクリの上に放置、って
のもなかなか良心が痛んだから、こうして自分のアパートに連れ込んだけれど、まさか本物の
ひれだったとはね。思いっきりひっぱったら泣かれちゃった。きちんと謝ったら、許してくれたけど。
 汚くなった体を洗うために、彼女がお風呂に入っている間、私は一人考えにふける。
 人魚なんて、私は童話の中でしか知らない。住む世界が違う二人の、実らないはずの恋物語。
最後は泡になることで迎えた永遠の別離。昔は悲しい以外の印象をもてなかった。
 でも今は、泡に消えた彼女の気持ちが、なんとなくわかる気がする。
 報われないとわかっていて、でもその想いを止められなくて。せめて自分の気持ちだけでも
伝えたい……そんな切実な想いが、自分を苦しめる。
 ……今お風呂場にいるあの子も、胸が苦しくなるような恋をしたのかな。
 ふいに好奇心がうずいた。けど、聞くのは止めておこうと思う。今聞いたら、彼女の恋が成就
していても、そうでなくても、私の中で黒い感情がうごめき始めるだろうから。


 つるつるの玉の肌を私に見せつける。体にタオルを一枚しか巻いてないから、決して小さいとは
いえない双丘が見え隠れする。お風呂上りで上気した頬は艶やかな輝きを見せ、とろけたような視線
は宙をさ迷い……なんなんだこの子は、私をゆーわくしてるのか。遠慮なしにむしゃぶりつくぞ貴様。
「たすけていただいて、ほんとーに、ありがとうございましたぁ……」
 お礼をいわれて悪い気はしない。でもそんな甘い声と顔で言われると、思わず勘違いするわ。
恋する百合っこは切なくて、可愛い妹を見るとどきどきしちゃうのよ。スールどころか共学だった
けどね私の高校。あー、ともかく、押し倒してぇ。……彼女の背後でびちびちと躍動するひれが、
そんなヨコシマな考えを打ち砕いていたけど。
「まぁ、なによりよ……それよりもアンタ、これからどうするの?」
 行き倒れていたのを見る限り、帰る家もなさそうだ。かわいそうだとは思うけど、もう一人
女の子を養う余裕は、私にはない。新しく家を探すか、故郷に――海に帰ってもらう他ない。
 話を聞いてくるにつれ、彼女も、もともと海に帰るつもりであそこを歩いていたことがわかった。
でも、途中で魔女にもらった薬が切れ人間の足が消えてしまい、路上に這うはめになったらしい。
 そこまで話が及んだ時、彼女の瞳が子犬のそれよろしく哀願の色に染まった。

28 :NO.5 傷心旅行2/4 ◇SXXLQTFR82:07/05/06 18:01:20 ID:ZLm0zFHA
「……あー。つまり、助けてほしいと?」
 こくこくとうなずく。ううむ……としばし思案。どうせ明日は休みだし、予定もないし、
乗りかかった船なんだ、最後まで面倒みるかな、と思ってしまった。
 それに海も見たかった。どこまでも広がる青の世界。それを見ているうちに、心にばっさりと
ついた傷が、いくらかでも癒えるのを期待した。
 そして私は、彼女の願いを承諾した。とりあえず明日は早いからといって、ベットに寝かしつける。
 窓を開けて、ベランダに出る。夜風が目にしみた。たばこ、一本とって火をつける。これを吸い
終わったら私も寝なきゃな、と思った。
 明日は片道百五十キロの小旅行。連れが人魚の、奇妙な傷心旅行。


「で、念願の夢が叶ったのはわかったけどさ、アンタはどうやって暮らしてたの?」
「普通に働いていましたよ。あ、ちゃんと足は生やして」
「あー、昨日いってた魔女のお薬?」
「はい。アースラさんのお薬は予約数がすごくて、大変だったんですけど、がんばって手に入れました」
「ちょいまち、アースラってあのアースラか」
「あ、こっちでも有名なんですか? わかります、とってもきれいですもんねあの方……銀色の髪に、
すらりと細い肢体、どこまでも深い慈愛に満ちた瞳」
「……ダイエットに成功すると、性格に余裕が出来るのか」
「え?」
「いいや、なんでもないよ」
 道中そんな会話を交わしながら、車を飛ばして海を目指した。車には何回か乗ったことがあるらしく、
久しぶりのドライブにうきうきしながらシートベルトを締めたのもつかのま、彼女は高速に乗ったとたん本性
を現した時速百二十キロの猛スピードを誇る我が愛車の中で、ぐるぐると目を回してへたっていた。
 が、やがてはそれにも慣れ、目にも留まらぬ速さで流れていく景色を楽しんだり、私に故郷の
ことを話すようになった。それで知ったのが、もともと人魚たちの間では、陸地はあまり好ましい場所ではない
らしく、一日二日程度の旅行ならともかく、彼女のように何年も留まるのは考えられない、ということ。


29 :NO.6 傷心旅行3/4 ◇SXXLQTFR82:07/05/06 18:02:30 ID:ZLm0zFHA
 親の反対を押し切り、慣れない世界にいつまでも留まり、彼女を蝕み続けたモノの正体は、人間に対する
狂おしいほどの愛情だった。
 私は口をつぐんだ。思わず、傷の舐めあう言葉が出かかったからだ。その種族差を越えた愛が、どこか自分の
歪んだ愛情にも似ている、と思うのは、私と同じような女を欲しているからなのか。
 悪いことに、彼女の何年も肌にあわない陸地で過ごした挙句、"人間の恋人"を見つけられなかったという事実が、
その思いに拍車をかけていた。
 よこにいるのはわたしとおなじかわいそうなおんな。喉までせりあがった泥を、私は強引に飲み干した。
 そして、私たちは海についた。 
 

 海を前にして、私たちは気まずい空気を引きずっていた。あの話の後、イヤなコトバしか返すことしかできそうに
なかった私は、車内を無言で通した。あたかも声を奪われた姫のように。それから、彼女も何かをいいだすこと
はなく、車を降りて、砂地に二人で座っている今の今までずっと、二人の間には居心地の悪い空気が流れていた。
 そんな空気が、私を投げやりにさせた。どうせこれきり会うことはないんだし、最後に忌避されるに
違いない己の性情を暴露しても、返ってくる痛みは少ないだろうと思ったから、私は自分の傷を彼女に見せ
ようとした。
「わたし、」
 ちゃんと笑えていただろうか。思う、あの子の笑顔を。
「女の子にふられちゃったんだ」
 そして、泣きながら謝るあの子を。そんな言葉がほしくて、私は告白したんじゃなかった。汚いとか、不潔とか、いっそ
罵ってくれれば、こんな惨めな思いをしなくてもすんだのに。
 私はいった。これまで誰にも明かさなかった心を。女の子が好きだっていう気持ちを。包み隠さず、最後の最後まで。
 人魚は何もいわずに聞いてくれた。
「なんか、疲れるね。お互い、なんだってこんな難しい恋をしちゃったんだろう」
 実らないと気づきつつも告白して、破れる二人。生きる場所がちがう、おんなじ性別、もしもっと器用に立ち回れたら、
こんな痛みを知らずにすんだのかしら。いつになっても訪れない春に、私はすっかり倦んでいた。


30 :NO.6 傷心旅行4/4 ◇SXXLQTFR82:07/05/06 18:03:52 ID:ZLm0zFHA
「このまま生きていてもしょうがないし、いっそ死んじゃおうかな」
 思わず口から転がり出た言葉は、しかしとても魅力的に聞こえた。魔女の薬。それを飲み、泡になって海を漂って
いけるのなら……いつまでも歪な恋を求めるよりは、ずっとずっとましに思えた。惨めな女二人、最後はきれいなままで
終われる、彼女もそう思っているに違いなかった。でも彼女は、力強く「いいえ」と答えた。
「……どうして?」
「確かにそれは簡単で、苦しまずにすむ方法だと思います。でも、私は、この気持ちを否定したくない。何より自分
に負けたくないんです。どんなに苦しくても逃げることだけは絶対にイヤ。だからあきらめるよりも、ここで負け犬
同士で慰めあうことのほうが、何倍もマシに思えます」
 海を見つめながら微笑む彼女の横顔が、とてもまぶしく見えた。強く強く、恐れを知らぬ瞳は、はるか遠くを
むいていた。ああ、子供みたいな子だと思ってたけど、私なんかよりもずっとずっと強い。いつのまにか胸の疼きが
収まっていた。この子のおかげだ。あなたのおかげで、私は顔を上げることができそう。
 でもまだ足りない。また歩きだせるように、また誰かを好きになれるように、ちょっとだけ強さをもらうために、
私は彼女の小さな手を握った。彼女が握り返してくれたから、私の心は救われた。

「そう、そうよね。泣きたかったら泣けばいいのよね。ちっぽけな私たちの涙を受け入れるくらい、この海にとって
はわけないコトだろうから……」


「また、帰ってきます。その時は、素敵な人と一緒に」
「ふん、負けないわよ」
「でも、失敗しちゃった時は」
「わかったわかった。いつでもここに連れてくるわよ。でも、その時は私の愚痴も聞いてもらうからね」
 すがすがしい気持ちで、私は彼女を見送った。それからしばらく、海を見つめていた。気持ちを整理して、また
前に進めるように。そして私は腰を上げ、海に背を向けた。その時、何かが跳ねる音がして、私は振り返った。
輝く水面に彼女が描く、銀色の飛沫。それきり、彼女の面影は波間に消えた。
「頑張りなさいよ」
 その一言で、私と彼女の傷心旅行は終わりを告げたのである。
<了>



BACK−母なるかな◆BLOSSdBcO.  |  INDEXへ  |  NEXT−陽炎の向こう側に◆bvsM5fWeV.