【 勧誘 】
◆59gFFi0qMc




80 :No.18 勧誘 1/6 ◇59gFFi0qMc:07/04/29 23:54:54 ID:U7EwskU3
 学祭の最終日。
 一昨日まで、大学一年の今になって再び、学生服へ袖を通すことになるとは思っていなかった。
「高橋君、結構サマになってんじゃん」
 同じく学生服上下で身を固める、三年生で女子空手部の和田さんがいたずらっぽく微笑んだ。
 二人とも大学の門の前に立ち、腕には青地に黒く”警備”の腕章をはめている。
 同じアパートの隣に住む和田さんは、決まって月水金の夜に晩ごはんのおかずを分けてくれたりと、
何かと高橋の面倒を見てくれている。そんな彼女に、”今年の学祭、人が足らないから手伝って”と
いわれては、断るわけにはいかない。
「まあ頑張って、今日で最後だから。そしたら空手部の屋台で、食べ放題飲み放題」
「頑張ります」
 高橋は力なく答えた。
 頑張るといっても、困ってる人がいれば助ける、といった程度の役割だ。おまけに、立っているの
は学生のみ通る通用門。学生が困っているなんて金しかないだろう。
 高橋達の学生服は、標準より上着が長い以外はいたって普通のものだ。かろうじて詰襟についてい
る校章のでかさが、中学高校との差だ。両手にはめている白い手袋が、違いをさらに引き立てている。
 だが、和田さんだけは、そんな野郎共とは雰囲気が明らかに違う。
 高橋とは対照的な背の低さ。そして上半身のラインが、標準以下とはいえ女性らしさを主張してい
る。腰ほどまでに伸びる黒髪は、太い緑色のリボンで束ねている。大人へ一歩踏み込んだ女性が学生
服を着ると、ちょっとした色気を伴って、女子中高生とは違った趣をかもし出すものだ。
 たまに通りかかるお客さんや学生が、和田さんの学生服姿へ釘付けになるのも納得できる。
 高橋は空を仰いだ。つい最近までアパートを蒸し風呂にしてきた太陽も、今は優しげな光を振りま
いている。空はどこまでも透き通った青さを広げている。今日の天気は最終日にふさわしい。
 だが、この三日間、自分は学祭をほとんど見ていない。
 校舎の向こうから聞こえてくるバンドや放送の音。それだけが今、学祭である実感を持たせてくれ
る。だが、何をやっているのだろう、と、少々むなしくなってきた。

81 :No.18 勧誘 2/6 ◇59gFFi0qMc:07/04/29 23:55:44 ID:U7EwskU3
 構内では随分前に人身事故が発生したそうで、それ以来、車の進入が禁止されている。だから屋台
の仕入れを運ぶ学生も、正門前で車から荷物をおろし、徒歩で運び込んでいる。もし進入しようとし
たら制止するのも高橋たちの役目だが、年中掲示板や何かの行事で注意されているので、そういった
ことをする輩は今のところいない。
「和田さん、ここって屋台の匂いすら感じませんね」
「そうね」それまで遠くを眺めていた和田さんは、思い出したように高橋へ鋭い視線を向けた。「と
ころで高橋君、高校まで何かやってたでしょ」
 普段、和田さんはこんな目をしない。それにやっぱり、気付かれていたか。
 高橋は今更と思ったが、だらりと伸ばした両手を後ろに組んだ。
「拳の中指のところ、右手と左手で山の大きさが違ってる。空手?」
 和田さんは鋭い視線のまま、紅色で艶やかな口元を緩ませて言った。
 この表情を前に、隠しとおせそうになかった。それに、あまりシラを切りつづけて和田さんとの関
係を悪くするのも嫌だ。
 高橋は、抵抗することをあきらめた。
「……日拳、日本拳法です」
 顔を伏せがちに、上目遣いで答えた。
 すると、和田さんは高橋の目前まで近づき、眼を細めながら腕を組んだ。
「凄いじゃん、高橋君。フルコンタクトか。で、なんで今は帰宅部なわけ? うちの部はどう?」
「……いえ、いいです」
 距離が近すぎる。高橋は顔を伏せた。気恥ずかしさで耳が熱い。
「どうして?」
 和田さんは妖しげな微笑みを浮かべ、下から覗き込むように言った。
 こうなるのは分かっていた。だから高橋は、日本拳法のことを言いたくなかったのだ。

82 :No.18 勧誘 3/6 ◇59gFFi0qMc:07/04/29 23:56:23 ID:U7EwskU3
 和田さんの勧誘をずっと耐え忍ぶ。話が中断するのは、時折学生の車が来た時くらい。迷子や道案
内は今日のところまだ無い。
 そして、また心の救い、待望の車がやってきた。ゆっくりと人の歩くほどの速度でこちらへ向かっ
てくる、真っ青のベンツだ。
 かなり近づいたところで、フロントガラスから運転者が見えた。金髪で顔のあちこちが銀色。ピア
スかな、ちょっと危なそうな感じがする。
「何でしょうね」
 高橋がつぶやくように言ったが、和田さんから返事は無かった。彼女へ視線を向けると、さっきま
で少し桃色をまじえていた雰囲気は、どこかへ消え去り、少し険しい表情を浮かべている。高橋は再
び運転席を凝視した。運転手の顔が桜色に染まっているのに気付いた。
「多分、飲んでる」
 和田さんはそう言ってから、一歩、二歩と、ゆっくり通用門を塞ぐ位置へついた。
 高橋も慌てて和田さんの横へつく。
 車は、通用門へ鼻先をゆっくりと突っ込み、高橋達へと迫ってきた。
「高橋君、運転席をノックして話し合ってちょうだい」
「それ、和田さんに譲ります」
 高橋は即答した。まさか和田さんに体を張ってもらうわけにはいかない。
 和田さんは一瞬、苦々しげな表情を浮かべながらも数歩進み、運転席の窓をノックした。
 真っ黒の窓が半分程開き、和田さんは窓の枠に手を添えた。
「進入禁止です」「実行委員会長に許可とってんだよ、どけよ」
 嘘だ。例外問わず進入禁止だ。平日でも許可証が無ければ入れないが、この車には無い。
 直後、車は急に唸りをあげ、鼻面を僅かに持ち上げた。和田さんは腕をつかまれているのか、車を
とめようとしたのか、窓に手を入れたまままひきずられた。
「ああっ!」
 和田さんは叫び声を上げ、転倒しそうになったところで車から手が離れ、地面に転がった。その姿
に、高橋は”哀れさ”のようなものを感じた。彼女は自分が守るべき対象だと認識した。こめかみが
脈を打ちはじめ、顔全体が熱く、膨らんだように感じた。
「てめぇ!」
 速度を上げ始めた車のボンネットに飛び乗った。肩膝をつき、瓦割りの要領でフロントガラスへ、
目一杯の右手を打ち下ろした。

83 :No.18 勧誘 4/6 ◇59gFFi0qMc:07/04/29 23:56:53 ID:U7EwskU3
 鈍く、太鼓っぽい音がした。右手に強烈な衝撃が伝わった。
 フロントガラスは綺麗なまま。まだだ、もう一発。それだけしか頭に無かった。痛みを無視し、渾
身の力を込めてもう一撃打ち下ろした。肩甲骨まで痺れたが、まだ割れない。
 車が左へ傾き始めた。高橋の体が右へとずれる。車から振り落とそうとしているのだ。
 最後の一発。今度は少し腰を浮かせてから体重を目一杯乗せて打ち下ろした。衝撃は感じなかった。
当たる直前で、高橋は右のほうへ放り出さたのだ。
 地面へ叩きつけられた。不恰好に何回か転がり、痺れた右腕が変につっかえて止まった。
 車は? 慌てて顔を起こすと、視界に捉える車は間もなくテールランプを真っ赤に染めた。
 どうして止まった? よく見ると、車の向こうに黒い服の人間が立ちふさがっている。やがて、周
囲からさらに黒い服が湧き上がり、車は黒い塊に包まれる。
 何かを叩く音や叫び声が、高橋の耳に届き始めた。

 高橋は、和田さんに手伝ってもらって、並木の一本にもたれかけさせてもらった。
 和田さんは、高橋の隣で膝をついている。まるで自分が痛いような表情で、ずっと高橋の右手を両
手で包んでいる。
「高橋君、やっちゃったね」
 悲しそうにつぶやく和田さんの、その白く細い指の隙間から自分の手を見た。そこには、真っ赤に
膨らんだ自分の手があった。まるで肉まんにソーセージを五本刺したようだ。
 高橋は眉間に皺を寄せ、顔を伏せた。
 これは完全に骨折だ。高校の時も一度やったことがある。腫れが引くまでは二ヶ月以上、痛みが消
えるまで半年ほど。もちろん、練習もまともにできなかった。
 高橋はゆっくりと和田さんの手をはがし、右腕を自分の目の前にかざす。そうしている間にも、だ
んだんと脈に伴って鈍い痛みが走るようになってきた。
「やっちゃった、か」
 片方の眉を歪めながら、高橋はつぶやいた。
 凄い月日が必要とはいえ、一応は直る。そもそも今は格闘技をやっていない。
 だが、やはり悲しかった。和田さんの期待には当分こたえられないからだ。

84 :No.18 勧誘 5/6 ◇59gFFi0qMc:07/04/29 23:57:22 ID:U7EwskU3
 夜の九時。構内からざわめきが消え、関係者の奇声が時折響く。
 空手部運営の屋台では、学生服とジャージの集団に占拠されていた。
 高橋は、ギプスで固められた手を首からぶら下げていた。カッターシャツに学生ズボンの格好で、
肩を小さくし、人から少し離れて座っていた。
 高橋は自分が情けなかった。コップ酒や焼き鳥にも手をつけていない。
「就職内定のお祝いで買ってもらった車を見せたかったらしいね。車の修理代は警備上の物損だから、
学校負担だって。あ、高橋君、串が進んでないよ?」
 和田さんは額を手の甲で拭きながら言った。そしてカウンターの向こうから、高橋の前にネギマを
置く。
「ああ、和田さん。ボクもボクも」「和田っさあーん、おにいちゃんにもちょーだい」
 それを見た空手部の酔っ払い達が、しらじらしく甘える口調で騒ぎだした。
「はーい、お兄さん達。私のことは和田ママって呼んでね」
 調子を合わせて楽しそうだ。
 高橋は、苦々しげにベンチから立ち上がった。少しカウンターへ身を乗り出すようにして、和田さ
んを真っ直ぐ見つめた。
「今日はどうもありがとうございました。もうおなかいっぱいなので、これで帰ります」
「ええ、もう? でも、お酒全然飲んでないよ?」
「アルコールが駄目なもので。すいません、それじゃ」
 この苛立ち、明らかに嫉妬だ。別につきあってもいないのに。割れないフロントガラスを殴ったこ
ともそうだが、今日の自分は、馬鹿の塊だ。
 まるで小学生のような感情に嫌気がさし、ポケットに両手を突っ込んで屋台を後にした。
 後ろから呼びかけられた。誰だろうと振り返った。淡く黄色に光る屋台を塞ぐように、和田さんが
追いかけてきた。
「送っていくから。一緒に帰ろう」
 和田さんの言葉に、自分の意地を通すか折るか一瞬迷った。が、高橋は、自分の意志をへし折った。
「はい」
 何の役にも立たず、間抜けにも骨折した自分に気を使っているのだ。和田さんは皆に優しい。だか
らこれも、特別な意味を持たないのだろう。
 そこまで分かっていても、彼女の優しさが嬉しかった。

85 :No.18 勧誘 6/6 ◇59gFFi0qMc:07/04/29 23:57:54 ID:U7EwskU3
 学校の正門を抜け、人通りの無い住宅街にさしかかった。
「フロントガラスのことだけど。他の人が駆けつけたときには既に、うっすらとクモの巣状のヒビが
入ってたって。さっき四年生が、お前らは何をしたんだ、って聞いてきたよ。私は答えなかったけど」
 街灯に照らされた和田さんが、真っ直ぐ視線を動かさずに言った。
 何故答えなかったのだろう。素朴に疑問を感じた。骨折したとはいえ強靭なフロントガラスを拳で
割ったのだ、それなりに評価されているはずだ。
「俺を勧誘しないんですか?」
 少し嫌味を込めて和田さんへ言った。嫌味に言うあたり、やはり自分は馬鹿だ。
「ん? 誘わないよ。今回はね、男子の先輩に高橋君のことを知ってる人がいて、学祭で空手部員と
一緒に手伝わせながら説得しろ、って言われたから誘ったの。普通、警備なんて女子がやるもんじゃ
ないし。学生服なんて初めて着たよ? それに高橋君だって、やりたい訳じゃないんでしょ」
 肩をすくめながら、和田さんが言った。
 一連の警備手伝いは、俺を勧誘しようとする先輩への義理立てか。
 高橋は胸が苦しくなり、生ぬるいため息をひとつついた。
「でもね」和田さんはそう言って、高橋に触れないぎりぎりまで寄った。「空手部男子と女子って、
練習日が違うからお互いに会うことが無いって知ってた? 男子は月水金で女子は火木。しかも、男
子は深夜に終わるし」
 あまり入る意味が無さそうに思えた。格闘技に興味を失った今ではなおさらだ。
「入部したら、私が月水金に作る晩御飯を食べられなくなるよ。それでもいいの?」
 そう言ってから、和田さんは真っ直ぐ高橋を見据える。
 その言葉にどういう意味をこめているのか。高橋は期待をしたかった。だが心が怯えている。
 とっさに、無難かつ微妙な返答を思いついた。
「和田さんの料理、好きですから。それを逃すくらいなら入部は遠慮しときます」
 日頃口下手だと思ってた自分をほめてやりたい。
 和田さんは立ち止まり、高橋へ視線を向けた。柔らかな笑顔を湛えている彼女から、髪をまとめる
リボンがほどけ、足元へゆっくりと流れるように落ちた。
「じゃあ、来年一杯までだけど」和田さんは少し顔を伏せた。「晩ご飯をずっと届けようか」
「はい」
 高橋は、はっきりと遠慮のない返事をした。



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