【 猪勇のノミ 】
◆/7C0zzoEsE




53 :No.13 猪勇のノミ 1/5 ◇/7C0zzoEsE:07/04/29 22:48:13 ID:U7EwskU3
 可愛らしい子犬が精一杯に、ワンと一声鳴いた。
僕の視界の端にも入っていなかったため、
予想だにしなかった伏兵の出現に恐れおののき、
「うひゃあ!」
 と情けなく悲鳴を上げてしまった。
 無性に恥ずかしくなって、挙動不審に辺りを見渡した。
僕の背丈の半分ほどの男の子が、僕の方を見て鼻で笑っていた。

――学校に着くと、そこはもう戦場だった。

 教室に入る前に、友人にいきなり背中を叩かれた。
「よう! ノミ」
 と、一瞬身がすくんだが、馴染みの顔ということで落ち着いた。
 ノミと呼ばれている理由は、チビという容姿からだけでない。
『ノミの心臓』という、非常に小心者という
僕のことを指しているような故事から付けられたあだ名なのだが。
 僕は些細な物音にもびくつく程のそれなのだ。
中学校まで、夜はトイレに行くことができなかった。今でも良い気分はしない。
 そして、ここで制服のボタンを外すことなどできる筈も無い。
無論、ブレザーの下のカッターシャツまで首までボタンを付けている。
この蒸し暑い中……。
 友人は第二ボタンまで堂々と外していたが、
遠くに先輩の姿を見つけると、手馴れた手つきで優等生になる。
挨拶を済ますと、また片手で胸元をはだける。
その一陣の流れはまるで芸術のようだ。
 彼に言わせると、
「見つからなければ、どうということでない」
 らしい。
 僕は、もし見つかったら。という時の事を考えるだけで、
寒気がするので、彼の度胸は尊敬に値する。

54 :No.13 猪勇のノミ 2/5 ◇/7C0zzoEsE:07/04/29 22:48:50 ID:U7EwskU3
 朝礼が始まると、全校生徒は気だるそうに並んだ。
校長が前に立って話すと、時間を潰したいのだろうか。
中身の無い内容を長々と話していた。
 後半の、八割は制服の件についてだったことと思う。
 この学校の制服に対する意識は異常だ。
高価でセンスの良い出来というので、県内でも有名な程。
生徒も多くが、プライベートでも私服代わりに着ているという。
 そして、問題なのが、ボタンを外して胸元をはだけると、
色合い云々でやたらと格好良いという事だ。
 無論、そうなると生徒も第一、第二とボタンを外したくなる。
学校側としては、校則に違反している着こなしは評判を下げ損なう恐れがあるため、
生徒達を説教するのだが、何しろ全校生徒全員に叱っている時間は無い。
 そこで、力のある生徒は、ボタンを外している生徒に懲戒しても良い。
という、禁忌の行動が黙認されるようになってしまったのだ。
 当然の如く、不良達は堂々とボタンを外して、
生徒をシメているという常識が通じてしまった。
 少数が多数の着こなしを整えているということで、教師も口を出せず。
 ボタンを外している数が、この学校での一種のステイタス。
強さを表しているようになった。常時三つもはだけていると、女子生徒にもモテモテだそうだ。

 僕はブレザーのホックまでつけているので、
暑さのあまり汗が額を伝っていった。
 日に照らされているので、ぼうっとしているところ、
目の前にゴキブリを投げ付けられた。
 僕は、それをおもちゃだと気付くまでに、目を回して倒れていた。
気絶する前に見たものは愉快そうに笑っている、同級生のすがた。
彼らはボタンを一つほど外していた。
 保健室で目が覚めると、保険医が
「あ、起きた?」
 と軽く声をかけてくる。もう、すっかり慣れっこなのだ。

55 :No.13 猪勇のノミ 3/5 ◇/7C0zzoEsE:07/04/29 22:49:42 ID:U7EwskU3
「早くしないと、一時限目遅れちゃうわよ」
 時計を見ると、着替えもしないままに一時限目の体育か近づいていた。
これは、マズイ。と、ベッドを飛び出して、保健室から駆けて出る。
すると、保健室の外で、美穂が立っていた。
「どうしたの? 授業始まるよ」
 僕が声をかけると、前髪を掻き分けた。
「やあ、ノミ。まあた、倒れたんだって?」
 幼馴染で、目が覚めるほどの美形である。
が、この口が悪いのだけは、どうにかならないものなのか。
「あんたさ、こんな厚着してるからじゃない」
 そういって、彼女は僕のボタンを一つ、二つと外しだした。
「ちょ……ちょっと! 何してるの」
 僕の胸元は不良さながら、はだけていた。
こうしているだけでも、心臓が破裂しそうになる。
 美穂は、ボタンを全部外して羽織っているだけ。
というのも、彼女がこの学校で一番強い人の女という認識があるから、許されるわけで。
僕がこんな姿でいたら、確実に殴られる。財布を奪われる。
空腹の獅子の群れに兎を投げ込む同然、全力で狩られる。
「やめてよ、僕が小心者だって事は、小さい頃から知ってるでしょ?」
「いいの! 駄目、絶対ボタンつけちゃ駄目だからね。外してたら怒るから」
 彼女はそう言って、スカートを翻して去っていった。
「何なんだよ、全く……」
 ボタンを外しているのは怖いけど、美穂を怒らせるのはもっと恐ろしい。
僕は半泣きで、着替えに行った。
 そうして、一時限目、二時限目と時間が過ぎて行った。
常時、ボタンのもとに手を置いていたが、それでも人目につく。
皆が、物珍しそうに僕の方を見てくる。

56 :No.13 猪勇のノミ 4/5 ◇/7C0zzoEsE:07/04/29 22:50:26 ID:U7EwskU3
いつもはちょっかい出してくる、ワルの人たちも遠目で睨んでいる。
友人が僕に近づいて、
「よおノミ……お前度胸あるのな」
 と言ってきた。自分でもはっきりと分かるが、顔が青ざめている。
 一人で教室を移動していると、
「おい、お前」
 肩を掴まれた。片手で覆えるほど大きな手。
 一回りも、二回りも大きな先輩が睨んでいた。
大きな声で、目を見て謝罪。ごめんなさい、ごめんなさい!
 僕が頭を下げていると、どこからともなく男子が集まって、彼を連れて行く。
一言、二言。何か説得されると、納得したかのように去っていった。
何が起こっているのか、全くわからなかった。
 だが、この視線を浴びているだけで疲れた。
昼休みになると、身を隠したいがために体育館の裏に一人で弁当を食べに行った。
 暗がりで、誰も来ない僕だけの場所。
このひっそりとした感じがお気に入りで、安心できる。
 そう思っていれば、先客がいるようで。
何か話している。反射的に身を隠して、帰ろうと決めた。

「約束してよね」
 聞きなれた声が、耳に入った。まさかとは思い、
聞き耳を立てた。そこにいたのは、美穂と、その彼氏。中村さんだった。
「ああ、約束するよ、あのノミに手を出させないようにする」
「お願い。あの子、気が弱いから。そうでもしないと、苛められるし……」
「分かったよ、その代わり約束通り今度の土曜のデート付き合えよ」
 美穂は、苦虫を噛み殺したような顔を、した。ほんの、一瞬。すぐに微笑んで、
「ええ、楽しみにしてるわ」
 と言った。
「お前の言うことは聞くんだから、お前も頼むぜ」
 中村さんの低い声は、もう微かしか聞こえない程離れて、逃げていた。

57 :No.13 猪勇のノミ 5/5 ◇/7C0zzoEsE:07/04/29 22:51:25 ID:U7EwskU3
教室に戻ると、いつもの美穂がいて、笑っていた。僕はボタンを付けて、彼女のもとへ行く。
 彼女は、不機嫌そうな顔をした。
「あんたは、ボタン外してなさいっていったでしょ!
それとも、なに? やっぱり苛められたの?」
 彼女は、僕の心配をしてくれている。本当に、昔からずっと。僕のことを一番に心配してくれる。
弟かの様に、息子のように。彼女の瞳は何故か赤みを帯びていた。
「ねえ、美穂。中村さんのこと、好き?」
 誰にも聞こえない、小さな声で言った。彼女は一瞬ハッとしたような顔をしたが、
「あんたに関係ないでしょ!」
 と僕の耳元で叫んだ。鼓膜が痺れる。が、彼女が離れる寸前、僕の頬に唇が触れる感触がした。
気のせいなのかもしれないが。

――朝、目が覚めた。
 近所の家に繋がれている、犬は今日は吼えなかった。
耳から音楽機器の音が漏れている。
 首のネックレスが絡まって、邪魔だ。
「ワックスって、変な匂いするし、チクチクするなあ」
 この姿を友人が見れば、何を思うのだろう。
気が触れたって、思うのだろうな。
 ノミの心臓がバクバク言っている。
遠くで美穂の姿が見えた。
「おい。美穂!」
 近づいていって、おはよう。と声をかけた。
彼女は言葉も無く、目を丸くした挙句。少し間をおいて、大爆笑した。
「あんた、私服、似合わなさすぎる」
 胸をはだけて、大手を振って登校する。
学校に着いたら、もう戦場だ。きっとボコボコにされるだろう。
 顔をあざだらけにして、何一つ怖いものが無くなったら。
今日は金曜日、明日の休日に美穂をデートに誘おう。       
                                (了)



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