【 リボンをむすぶ朝のために彼女は 】
◆D7Aqr.apsM




44 :No.11 リボンをむすぶ朝のために彼女は 1/4 ◇D7Aqr.apsM:07/04/29 20:59:55 ID:U7EwskU3
 静かに暮れていく藍色の空に、赤い光がにじむ。
 石の街。駅前の広場。円形に広場を囲む中央駅の駅舎も、街で一番古い教会も、
その石造の壁に陰影を刻まれていた。
 駅舎の大きな時計は、両脇に祈りを捧げる聖者の彫像を従えていた。大きく黒い旗が
屋根に何本も立てられている。
 もうすぐ午後五時。メアリは街灯に背を預け、空に浮かぶ雲を見上げた。濃紺のスカートが風になびく。
 突如、サイレンの音が響いた。十七時。昔は教会の鐘が鳴らされていた。広場の大きな
教会に従えられるようにして、この街中の教会が鐘を鳴らした。しかし、今、その音は
無粋なサイレンに取って代わられていた。
 道行く人々は、気にもとめずに歩き続けている。
 メアリはスピーカーを見上げ、睨んだ。スピーカーは教会や駅舎の壁面にくくりつけられている。
 信仰制限令が発せられて三ヶ月。教会や寺院などの活動は酷く制限を受けるようになっていた。
メアリはこのサイレンの音が嫌いだった。なぜだか心がざわついた。白いブラウスの胸元に手をやる。
襟には濃紺の生地に金糸で刺繍されたリボンが揺れている。
「酷い音ね?」
 ふと気がつくと、街灯が落とす光の輪の中に、もう一人の女性がいた。
 少したれ目気味の茶色い瞳が、いたずらっ子っぽく笑っている。オリーブ色の軍用コートが、
メアリのスカートと同じように風に揺れる。
 サイレンの音に、遠く爆音が重なった。見上げれば空を三機編隊の戦闘機が低空を飛び
去っていく。
「そうですね。本当に、酷い」
「おや。教会の名を冠する学校の生徒会長様が、そんな顔をしちゃいけないね」
 メアリはふとはにかんだように笑った。
 ふと、その瞳が見開かれる。
 見慣れた小さな背中。人影がメアリの視界を通りすぎていった。
「人は、色々な表情をもつものです」
 小さく会釈をすると、メアリは人影の後を追った。
 濃紺の生地をたっぷりとつかったスカートをゆったりと捌き、歩く。焦げ茶の革靴のかかとが
石畳にあたり、鈍く響いた。スカートよりは少しだけ明るい色をした上着のボタンと、袖につけられた
細い金色のモールが夜の街の灯りに光った。

45 :No.11 リボンをむすぶ朝のために彼女は 2/4 ◇D7Aqr.apsM:07/04/29 21:00:35 ID:U7EwskU3
「こんな所で、何をしてるの? ねえ、まって。……レティシア。止まりなさい!」
 メアリと同じブルネットが揺れて振り返る。逃げようとした足は、質問の後に続けられた一言で、
地面に縫いつけられたように止まった。
「……ねえさま」
 見開かれ、潤んだ二重の瞳から涙があふれ始める。
 そのままメアリの胸に頭を押しつけると、嗚咽はすぐに泣き声にかわっていった。
 
 駅前から一本裏通りに入ったところにあるカフェ。少し奥まった場所にメアリは席を取った。
 運ばれてきたミルクティーを勧め、自らもカップを手に取った。
「それで? どうして家出なんて」
「戦争を、しに行くんです。姉さまも前に言っていましたよね? 『生きるのと戦うのは同義だ』って」
 きつく握りしめられた拳が、華奢なカップの横でふるえている。
 椅子の脇に置かれた、大きなリュックサック。立てかけられた細長い布に納められているのは
おそらく愛用の木刀だろう。
「穏やかじゃないわね。 どうして?」
 メアリはカップを口元に運ぶ。香気が体を包み込むように感じる。
「姉さまと一緒が良かったんです。だから、剣道も習ったし、勉強も沢山して、――姉さまは一年で
卒業してしまわれるけど、それでも同じ学校で、同じ制服を着て、一緒の寮に入って、がんばって
生徒会長になって。そのリボンだって一緒に、いっしょに」
 最後はまた嗚咽にまみれてしまう。ぼろぼろとこぼれる涙が、紅茶のカップの中で波紋を広げた。
メアリはハンカチを差し出す。つやのある白い糸で教会の印がモチーフになった校章が小さく
刺繍されていた。そういえば、これも規制されるものになるのだろう。

 隣国の干渉によって発せられた信仰制限令。メアリの通う学校は教会に所属しているため、
制服や礼拝など、生活と信仰が密接な関係にあった。生徒会長に代々託される金糸の刺繍が
入ったリボン、袖口に金のモールが入った制服などは、真っ先に規制の対象になった。本年度中は
猶予が与えられたが、来年からは近隣の学校と同じ制服に変更される。
 濃紺のたっぷりと布が使われたビロードのスカート。番手の高い糸で織られた布が使われた、
贅沢なブラウス。着丈の短い、ボレロ風の上着。今、メアリが着用するそれは、全て学校の歴史と
伝統、そして信念につちかわれたものだった。

46 :No.11 リボンをむすぶ朝のために彼女は 3/4 ◇D7Aqr.apsM:07/04/29 21:01:07 ID:U7EwskU3
「姉さまみたいに、姉さまと同じがよかったんです。それを……国ごときが」
「あら、国は大切でしょう?」
 メアリはそうっとテーブルの上で握られていた拳に手を重ねた。
「それに。そんなに泣くものではありません」
 固く握られた拳を、両手で包み込むようにする。目と目を合わせた。
「『目が溶けてなくなっちゃう』 ね? だから泣きやんで」

 カフェを後にして、駅前に戻る。バス停へ二人は歩いた。
 街はすっかり夜に包まれている。駅舎の灯りと、街灯があたりを照らす。
「姉さま。ごめんなさい」
「そういえば、あなたは昔から泣き虫だったわね。こんな風に二人で歩いたのを思い出すわ」
 メアリは繋いだ手をわざと大きくふってみせた。そうしているうちに、バス停にたどり着く。
 うつむく頭を、メアリはそっと抱き寄せた。出発までの時間待ちをしているバスのタラップに立たせる。
「いいのよ。私に、何ができるというわけではないけれど。父様と母様には『メアリに学校のことを
聞いていて遅くなった』って言えばいいわ。 あなたが合格したことを、それは喜ばれていたのだから。ね?」
 メアリは襟元を飾っていたリボンをするりと解く。
「姉さま?」
「国も、少し時間はかかるかも知れないけれど、変わるかもしれない。だから、少しだけ時間をちょうだい。
これを、あげるわ。大事にして。我慢できるでしょう? 結び方は、そうね。いつか教えてあげる」
 メアリはつづけて上着も脱いで、ブラウス姿になった。小さなドレープが施され、女性らしいゆったりとした
曲線を包み込んでいる。
「これも、あげる。先生方が困るから、着て行っちゃだめよ?」
 とん、と胸を押し、メアリがバスから離れると、扉が閉じられた。涙を目に一杯に溜めたレティシアが
ドアの向こうで手を振った。硝子越しに言葉を続ける。
「私はあそこにいた。それだけで充分なの」
 駅の時計を見上げる。もうすぐ午後六時。

 広場の中央にある街灯の下、メアリはスカートのままひざまづいて、頭を垂れた。胸元で手を組み、呟く。
「昨日を忘れ、今日を涙にぬらし、明日のために剣を取ります。敵を滅し、友と、信じるものの為に戦います。
いつか、いつか御身の前に帰る事ができるなら、神よ――お慈悲を」

47 :No.11 リボンをむすぶ朝のために彼女は 4/4 ◇D7Aqr.apsM:07/04/29 21:01:42 ID:U7EwskU3
 時計の針が午後六時丁度を指した。
 時を告げる鐘の音は聞こえず、サイレンが唸り声を上げ始める。
 しかし。
 サイレンは最大音量を迎える前に、爆発音にかき消された。
 広場を囲む建物に取り付けられたスピーカーが炎を吐き出しながら燃えていく。
 人々の悲鳴が響いた。
 夜の空をオレンジ色の炎が焦がしていく。
 
 ふと気づくと、メアリの横に軍用コートを着た女性が立っていた。
 メアリは顔をあげ、周囲を見渡す。
 人々はそれ以上の爆発がなさそうだ、とわかると燃えさかるスピーカーを、ただ呆然と
見上げていた。
「はじめてで、一人で仕掛けたにしちゃ上出来だよ」
「知り合いが広場にいるのを見て、動揺してしまいました。まだまだです」
「まあ、いいんじゃない? あたし達はゲリラでテロリストじゃあないんだから」
 コートの女性は傍らに置いたスクーターにまたがり、ヘルメットとゴーグルを身につけた。
 後席をぽん、と叩く。
「ハイ、シスター。天国の門まで一緒にどう?」
「ええ、よろこんで。でもその前に、戦場までお願いできるかしら?」
 メアリはシートに横座りになった。
 遠くから聞こえてくるのはサイレンとヘリコプターの音。拡声器が一般人に避難を呼びかけていた。
 スクーターが勢いよく走り出し、広場を後にする。
 ブラウス一枚の体が夜の風にさらされる。
 メアリは遠くなる街の灯を見ながら、小さな声で教会で習った歌を口ずさんだ。
 朝はまだ遠い。

<リボンをむすぶ朝のために彼女は 了> ◆D7Aqr.apsM



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