【 友達 】
◆vkc4xj2v7k




37 :No.9 友達 1/5 ◇vkc4xj2v7k:07/04/29 20:30:58 ID:U7EwskU3
十二時を過ぎても携帯電話は鳴らなかった。僕は壁掛け時計から天井に目をやって、そのまま仰向けに倒れこん
だ。手を天井に向けて突き出して、人差し指を立てて空で10という数字を描いた。
 10社連続で落ち続けた。就職活動が難しいというのはニュースや新聞なんかで見ていたので誰もが知っているこ
とだった。けれど、段階の世代が退職する関係で、今年は新卒の採用枠が増えたというのが一般論だった。なぜだ
ろう、僕は内定がもらえていない。僕はお腹を抱えて笑い始めた。自分自身のふがいなさってやつがおかしく思え
たのだろうか。全然楽しくない。懸命さを欠いた僕の日常に報われることがないという自覚はあったし、何しろ普
段から適当なのだから会社に僕を否定されたくらいで悔しさとか悲しさっていうものは微塵も感じなかった。こと
さらに言うなら虚無感はいつも感じていたから、今さら大きな脱力なんてしなかったんだと思う。ただ笑いたかっ
ただけだった。
 こんな僕でも反省はする。現状はよくないと思っているのだ。講義に出て、距離感のある友人とあいさつを交わ
し、家に帰ってご飯を食べて、お風呂に入って、寝る。繰り返す。ただ繰り返すだけだった。目標なくただ繰り返
すことに飽き飽きしていたが、僕は抜け出す術を知らなかったんだと思う。こんなサイクルに突然就活だなんても
のを割り込まれていきなり対処できるはずもない。
 抜け出したい。抜け出せるのなら抜け出したいと思った。自分に笑われる生活から抜け出せたらいいなと切に願
った。いつからサイクルにはまり始めたかを考えてみる。言うまでもなく、大学に入ってからだ。高校の頃は、部
活に大学入試、限られたやるべきことの中で窮屈にすら感じたが、今思えば充実していた毎日だった。あの頃に戻
れたらきっと抜け出せる、あの頃に戻ろう。僕は押し入れから高校の制服を取り出して、着替えだした。学ランに
着替えて僕は鏡の前に立ってみた。意外に様になっていた、留年してしまった高校生くらいには通じるんじゃない
かと思った。そして、20をすぎて制服を着ていることがおかしかった。笑った、本当に笑えたかどうかはわからな
いが笑えた。
スニーカーを履いて、僕は夜の住宅街をかっ歩していた。4月の夜風は湿気もなく、涼しさが本当に気持ちよか
った。国道も朝の風景とは違う、昼は通勤通学バスや自動車が忙しく行きかう、夜は大型トラックが轟音を唸ら
せている。忙しいのに昼も夜もないのが今の社会、僕の淡泊な日常とは本当に無関係だなと再認識させられた。
それでも、夜風は気持ちいい。
「そこの君、待ちなさい」
一瞬全身が硬直したが、すぐに元通りになった。振り返って僕は声の主を確かめる。青い制服を着た警官だった。
歳は40後半、50くらいだろう。中年特有の体系はしておらず、色黒で細身。警察に声をかけられるいわれはな
いので、職務質問だろうとすぐにわかった。憲法の講義で職務質問は任意だけど、個人情報は警察の方に残るか
ら答えなくなければそれで構わないと習ったことを鮮明に覚えている。テストに出たのだから忘れるはずがない。

38 :No.9 友達 2/5 ◇vkc4xj2v7k:07/04/29 20:31:47 ID:U7EwskU3
「職質は任意でしょ。僕はやましいことをしている訳じゃないし、拘束される必要もありませんね」
 少し仰々しい対応の仕方でまずいかと思ったけど、交番とか警察署に連れて行かれるということはご免だった。
警察官は少し癇に障ったのだろうか、唇を真一文字にしてこちらに距離をつめる。
「そういう問題じゃないだろ。いったい君、何時だと思っているんだ、高校生だろ」
「僕は高校生じゃない、だいが……」
 そういうことか。僕は顔を真っ赤にしたんだろうと思う。恥ずかしくなった。もう喋ることはできなかった。街
灯が僕と警察官の間に流れる空気を暗く照らしている。
 恥ずかしさのあまりその場で弁解することができず、僕は高校生として交番に連れて行かれた。しょうがなく大
学の学生証を渡し、自分の身分を明かした。身分を明かすと同時にそれまでの経緯を話さざるを得なかった。コス
プレ好きの回顧主義というレッテルこそ貼られたものの、それに犯罪者予備軍を付け加えて警察に警戒されるより
はましだった。けれど、他人から10社落ちたということを笑われるのは癪だった。
 警察官は大笑いした。国道沿いの交番で、トラックの走行する轟音でかき消されるはずだけど、それでも近隣住
宅に迷惑がかかるのかと僕が心配したくなるほどだった。しかし、そんなことよりも自分を心配する方が先決だっ
た。罪に問われることはないにしろ、恥ずかしさのあまり叫びだしたいくらいだ。笑われるのは当然だろう。自分
が痛々しかった。
 警察官は僕の学生証をじっくりと見つめたあとに、財布から何かを取り出した。それを僕に手渡しながら口を開
いた。
「実はね、わたしも君と同じ学校の学生なんだ」
 僕は手にとったプラスチックのカードに目をやる。僕と同じ学部の学生証だ。
「とは言っても、夜間なんだがね。今年で8年目だよ。あと2単位で卒業なんだ。必修が取れないんだよ。数理計
量学の先生が出席に厳しくてね。この前期の授業を落とせば放校だよ」
 また、大笑いをする。
「うちの学部はそれなりにどの先生も厳しいですよ、取れないのは勉強しないからですよ」
「確かにそうかもしれないな」
 今度は小さく笑い、警察官は手を差し出して僕に学生証の返却を求めた。
 僕はこの後に、軽い注意を受けて、アパートに帰ることを許された。学ランなんて二度と着るかと思ったのは後
悔や恥からではなく、それ以上に高校のときの思い出に泥が塗られるような気がしたからだった。
 翌日、いつも通りに学校へ行った。キャンパスはサークルの勧誘だとか、ゼミの新歓とかの話題でもちきり、キ
ャンパス内が普段よりも賑わっているように見えたのは気のせいじゃないはず。ゼミが必修じゃなかったし、サー
クルにも入らなかった。僕には縁がないことだ。

39 :No.9 友達 3/5 ◇vkc4xj2v7k:07/04/29 20:33:17 ID:U7EwskU3
単位の履修登録が今週いっぱいだということを学生掲示板で確認した。今日が水曜だったので、気づかなければ
危なかったのかもしれない。とは言っても、3年までに必要な単位はほとんど取得しているので、2単位だけとれ
ばよかった。授業1コマ分。
2単位と言えば、昨晩の警察官も授業1つで卒業とか言っていたことを思い出した。夜間の授業も履修すること
が確か可能だったんじゃないかと記憶の隅に残っていた。学生課に聞いてみると、教養科目としてなら履修が可
能らしかった。
 昼の授業を取らず僕は夜間の講義にでることにしてみた。夜のキャンパスは静かだった。講義室の扉を開けてみ
ると意外にも生徒の数は多かった。単なる僕のイメージの中ではいても二、三十人ほどだと思っていたが、その倍
以上は居た。昼の人気のない授業くらいの人数はいる。ひょっとしたら、夜間でも人気のない授業で、ほかの講義
はもっと多いのかもしれない。受講者数よりも僕と同い年だと思われる人が多くいたことの方に驚いた、サラリー
マンだとか退職後の人たちが来るのが夜間大学だと思っていたが、そうでもないのだろうか。確かにそういった人
たちはいるにはいるが、少なかった。
 僕は警察官のおっさんを探したが、よくよく考えれば、顔を覚えていない。顔を覚えていなくとも、年配の人は
少ないし探すのは簡単だっただろうけど、別にあの人に会うために講義を受けに来た訳でもないから、探すことを
やめた。一番後ろの席を陣取り、僕は窓の外の月を見ていた。あと数日したら奇麗な満月が見られるのだろう。
 講義は昼の内容をそのまま夜に行っているだけなのだろう。配られたシラバスに目を通すとこれは統計学の授業
のようだ。昼と夜とで講義名こそ違うが、内容はほとんど一緒なのだろう。統計は高校時代に数Uを一生懸命やっ
た人ですら積分・確率の複雑な計算を行うために難しい。あの警察官が放校寸前になるまで単位を落とし続けてき
たのも無理はないかなと思う。出席を毎回とって、1回につき3点をくれる。全部で10回の講義を出ればもれなく
30点がもらえる仕組みだった。逆にいえば、1回も授業に出なければ、70点満点でテストを受けなければならな
い。軽いガイダンスが終了するとそのまま講義にうつった。
 しばらく授業を受けていると、講義室の入口が開いた。昼の講義で遅刻は珍しくなかったが、夜間の授業ではこ
の遅刻者が最初だった。40分ほど受け続けていて、遅刻者がいないことに関心していたところだっただけに腑抜け
な感じがした。
 遅刻者は僕と同じ列の席に腰かけた。顔は忘れていてもすぐにわかった。こいつが僕を補導した警察官である。
青い制服を脱いでいるとあの時の威圧感はまるでなく、本当に冴えないおっさんだった。まだ、恰幅がいい電車で
みかけるサラリーマンの方が迫力がある。
 僕がずっとおっさんの方を見ていると、向こうも僕の方に気づいた。目と口を大きく開けて驚いたような表情を
見せた。いや、実際に驚いたんだと思う。僕とおっさんは一番端と端に腰かけていたが、おっさんの方からにじり
寄ってきた。

40 :No.9 友達 4/5 ◇vkc4xj2v7k:07/04/29 20:34:25 ID:U7EwskU3
「昨日の制服の子だよな」
「まぁ、そうなりますね」
「昼間の生徒も夜間の授業を取れるってことは聞いてたけど、珍しいね」
「いないんじゃないですかね、僕以外、わざわざ夜に行きませんよ」
おっさんは声を出さずに笑顔だけを見せた。
「この講義難しいだろ、6年間も落とし続けているんだよ」
「難しいとわかっていて、遅刻するあなたの方が少しおかしいんじゃないですか」
 報道の精一杯の報復が僕にとってのこの一言だったと思う。
「内容も確かに難しいけど、おれ、夜も仕事しなくちゃいけないからね。毎回毎回出れるとは限らないんだ、これ
だけ単位が取れたことも自分で驚いているくらいだ」
 僕ははっとした。この人は働きながら大学に通っているんだ。そのことを落として、あのとき最低なことを言っ
ていたんだなと気づかされた。僕は言葉がでなかった…。授業に集中するふりをして残りの時間をやりすごすこと
に専念するしかなかった。講義が終わる寸前で、出席確認用の紙が配布され、学生番号を記入し提出した。
 統計は一回取っていたので言っている内容は耳を半分傾けるだけで理解できた。講義よりも、ぼくはおっさんに
対する申し訳なさでいっぱいだった。謝らなければと思ったが、口がいうことを聞くはずもなかった。
「あの、授業、わからないなら教えますよ、出席点は30点ですし。テストで点数取れば問題ないと思います」
 僕は気持ちとは裏腹に、上からの態度だった。おっさんは僕の申し出を快く受け入れてくれた。自分の器の小さ
さをさらに思い知らされる。
「毎回出れるわけじゃないんですよね。僕がノート取っておきますから、こられなかったり、わからなかったりし
たら僕が教えますよ」
 おっさんは僕にありがとうと言った。僕はまた恥ずかしくなったが、昨日の夜みたいな気持ち悪さは微塵もなか
った。
 毎週毎週、おっさんは遅刻しながらも授業に参加していた。僕も、就職活動はあったけど、夜に授業があるので
何の問題もなく講義に参加することはできた。講義が終わると、僕とおっさんでさらに統計の授業を行っていた。
正直なところ、数Uがわからないおっさんに統計は無謀で、理解を示さないときはいらだつことさえもあった。け
れど、何か今までとは大きく違った充足は得られた気がしていた。
 GWに入ってとうとう僕の内定が決まった。携帯電話を切ると、ベッドの上で跳ねまわった。体の内側から高揚
した気持ちがわきあがってくるのは久しぶりだった。ようやく結果が出た。結果がでたというのはおかしいのかも
しれない、僕が大学生活で残したものなんて何もなかったのだから。それでも、先が見え、少々の不安というもの
は拭えたのかなと思う。あとは夜の授業に出て単位をとれば次に進むことがようやくできる。

41 :No.9 友達 5/5 ◇vkc4xj2v7k:07/04/29 20:35:10 ID:U7EwskU3
まずは内定をおっさんに伝えようと思って、連休の合間の平日の講義に参加した。おっさんはその日こなかった、
GW色んな輩が増えて仕事も大変なんだろう。僕はおっさんのためにノートを取り続けた。携帯で連絡を取れたか
もしれないが、面と向かって伝えたかった。
 おっさんは3週連続で講義にこなかった。確かに忙しいのかもしれない。僕は、少々抵抗はあったものの補導さ
れて連れていかれた交番に出向いてみた。おっさんはそこにもいなかった。駐在している別の警官が言うには、お
っさんは病院にいるらしい。僕はおっさんが刺されたということを聞いて、いてもたってもいられなくなり。原付
を飛ばしておっさんが入院しているという病院に向かった。
 病室につくとおっさんは笑っていた、ほかの病人と談笑していたところだった。
一時期は生死をさまよったらしいが、おっさんは笑顔だった。大声を出して笑うたびに傷口の痛みが顔を歪ませ
ていたが、それでもおっさんは元気だった。おっさんの笑顔を見て僕も声を出して笑いたかったが、病室で笑う
ことは失礼だろうと思った。それでも嬉しかった。
「ノート置いておきますよ、あんまり講義さぼってると卒業できませんからね、最低でも講義内容くらい頭に入れ
て置いてください」
 僕はおっさんにそう言い残して、病室を出て行った。僕の去り際におっさんは大きな声でありがとうと叫んでい
た。傷口が痛むのだろうに、やめておけばいいのに。僕は心からおかしくなって、大声で笑いたかった。
 今週の講義にもおっさんは来なかったけど、来週来るかどうかもわからないけれど、僕は自分のためにひたすら
ノートをとった。窓から夜空を見るときれいな満月だった。



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