【 子どもが大人になるころに 】
◆A9GGz3zJ4U




12 :No.04 子どもが大人になるころに 1/6 ◇A9GGz3zJ4U:07/04/29 14:12:31 ID:XH/icld9
ガタ、ガタ、と無機質な音が響いていた。
窓も日の光も無い部屋で、黙々と部品の点検をする。
僕は高校を出てから工場で働いていた。
とりたてて工場で働きたかったからではない。
僕には吃りがあったから一般の職業につけなかったのだ。
「君は真面目だけど、人と話す時にどうするの?」
とよく聞かれた。
僕は何か言おうとしたが、何も言えず、ただ下唇を噛んで黙り込んだ。

「何を考えてるんだ?」
「ずびまぜん」
「作業中は集中しろ」
「ヴぁい」
僕は小指ほどの大きさの半導体をつまんで、きちんと露光されているか確認する。
半導体工場では4人で作業を回している。
一人が半導体を専用の液体につけ、一人がそれを取り出して液体を適度に落とした後に特殊な光を当てる。
一人がきちんと露光されているかどうか確認し、もし露光が不完全な場合は最初の行程までその半導体を運んで行き、露光ができている場合は箱詰めにする。
最後の一人が、液体濃度のチェックやベルトコンベアの動きの確認といった、3人のバックアップを一身に担う。
慣れてくれば3人で回せないことも無いが半人前の僕はそこまで動けない。だから、4人でチームを組む。
「光には慣れたか?」
「ばだ.......慣でまぜん」
半導体は日中光や蛍光灯下では製作できないため、工場では特殊な黄色い光の下、宇宙飛行士のような防護服とゴム手袋を着用した状態で作業をしている。清潔さと安全性を求められるためだ。
何気なく僕らが作っている物は、1個10万単位の製品なので、壊してしまうとそれだけで大きな損害になる。
そんなプレッシャーの中で、1日8時間以上も暗く黄色い光の中、冷たくも暖かくもない人工的な空間にいると、体よりも精神が参ってくる。
辞めて行く者の大半は、職場環境に耐えられなくなったと言って辞めていくらしい。

さっき、僕を叱ったのはチームリーダーの安原さんと言う。
32歳で正社員では無いがそれぐらいの立場にいるバイトのリーダーだった。

13 :No.04 子どもが大人になるころに 2/6 ◇A9GGz3zJ4U:07/04/29 14:12:48 ID:XH/icld9
その日の作業が終わると先輩の大木さんと山内さんが
あぁじごどがおわっだなぁ、と僕の口調を真似て、僕をからかう。
「お前がもうちょっと使えれば、俺らも楽なんだけどな」
「お前、もうちょっと喋り方をなんとかしろよ。とろいぜ」
吃りは小さい頃からの物で、そんなに簡単に治るものでは無かった。家に帰って声を出して、よく練習してみたが一向に成果が上がらなかった。
とろい、とか、聞き取りにくいと言われると、ますます僕は、どう喋って良いかわからなくなる。
紺色の作業衣を脱ぎながら、自分の目が涙目になっているのは二人に知られたく無い、とただそう思った。
「引き継ぎを終わらせてからにしてくれ」
「......32のくせにまだこの職場にいやがるんだもんなぁ......」
ボソボソと不平を呟き、大木さんと山内さんは尖った獣のような目で年長の安原さんを睨む。

引き継ぎが終わると、食事に行かないか? と安原さんが僕を誘った。
僕はあまり手持ちが無いとそれを断ろうとしたが、それでも良いと言う。
仕事は夜から明け方にかけて行われていて、外に出ると午前8時ぐらいの時間だった。
窓ガラスに写り込む自分の老け込んで疲れた顔が、自分自身を憂鬱にする。
制服姿の高校生が楽しそうに笑って僕らの前を歩いて行く。僕は思わず手で顔を覆った。
「どうしたんだ?」
「ぼぐは......あのじとだぢとはぢがいます」
「同じだよ」
「びえ.....全然ぢがびまず。ぼぐは......がんなぶうに学校にいっだごどがありません。
 学校にいぐどぎはいづも一人でいっでだんでず......。がっごうでば本をごんでだ.......。
 あのひとだぢとは......ぢがひまず......」
僕は、うーうーと、自分の腹から出てくる声を抑えられなかった。
うまく話せないこと。うまく自分の気持ちを伝えられないこと。伝えようとするといつもからかわれること。
僕は自分の汚い嗚咽を抑えようと下唇を噛んだ。
からかわれるのは辛いけど、それに何も言い返せない自分が、いつ、どんな時も、どんな場所でも悔しかった。

14 :No.04 子どもが大人になるころに 3/6 ◇A9GGz3zJ4U:07/04/29 14:13:06 ID:XH/icld9
レストランで安原さんは不意に、お前俺がいなくても仕事はできそうか? と聞いた。
僕は、何と言っていいか一瞬返事に戸惑ったが、無理ですきっとできません、と言った。

安原さんは、職場内で唯一僕のことを気にかけてくれていた。
自分がもぞもぞ喋ってうまく伝わらないことがあっても、決して怒ったりはしなかった。
どんな時でも辛抱強く自分の話を聞いてくれる、自分が初めて会った大人の人間だった。
「がんで......ぞんなごど......いうんでずが?」
「ちょっと聞いてみただけだ」
その意味のほどを自分は別の形で知ることになった。
ある日の作業中に、大木さんが仕上がった半導体の箱を別の部署へ運ぼうとした時に落としてしまったのだ。
中に詰まっていた半導体の数は120。
僕は血の気が引くような気分で安原さんの顔を見る。
「あーら、落ちちゃったぁ。すいませんねぇ」
反省の色も見られないような態度で大木さんは謝る。
「わかっているのか?」
「わーってますよ。さーせん」
山内さんの表情は遠目でわからなかったが、ニヤニヤしているような気がした。
この作業はチーム単位で動いている。どんなミスであれチーム全体のミス、主にリーダーの責任になる。
安原さんは事故の対応マニュアル通りに、全ての作業を止め、工場の責任者を呼ぶ。
ホワイトカラーの責任者は威圧するような強い目つきで僕らを見すえた。

15 :No.04 子どもが大人になるころに 4/6 ◇A9GGz3zJ4U:07/04/29 14:13:23 ID:XH/icld9
「リーダーは、どなたですか」
「私です」
残りの方は仕事を続けてください、と言って責任者は冷徹に歩き出す。
安原さんはちらっと僕の方を見て、何の反論もせずについて行こうとする。
大木はへらへらしている。
山内は作業再開の準備をしようと離れて行く。
責任者は凍えたような顔を崩さない。
僕は、静かに拳を握る。
膝が震えて、立っていられないような気がして、唾を飲む。
「ぢがぶ!!
 大木ざん!!落としたのは大木ざんなんべす!!」
大木は僕の前に立ち、慌てて二人に頭を下げる。
「すいません、落としたのは僕です。本当にすいません」
安原さんと責任者は冷静な目でそれを見て、何事も無かったかのように、別のフロアへ続くドアへ潜っていく。
「てめぇ、ドモリのくせにふざけたこと抜かすな!!」
「ぼぐはどもりじゃない!!」
「ドモリじゃねぇか!!」
「ドモリじゃない!!」
「......うるせぇ。安原がいなけりゃ、もっと手ぇ抜けんだろ?」
大木はふんと鼻を鳴らし、作業位置に戻っていく。僕は安原さんがどうなるか不安になる。

16 :No.04 子どもが大人になるころに 5/6 ◇A9GGz3zJ4U:07/04/29 14:13:38 ID:XH/icld9
しばらくして安原さんが戻ってくると
手間をかけたな、と笑って僕の肩を叩き、ポジションへ戻っていった。

引き継ぎが終わると、飯を食いに行くぞ、と安原さんが僕を誘った。
僕は、ハイと言ってついて行く。
外に出るといつものように制服姿の高校生達が歩いている。
僕の鞄の中には洗濯しようと思って持ってきた作業衣が入っている。
僕らの服は、彼等の着ている物とは大違いだ。
薬品の臭いがこびり付いた、シミだらけの、ぼろい紺色の服。
彼等が高校で過ごすような時間も、その先で大学や会社に入って過ごすような時間も、僕は得られない。
遊びも、勉強も、部活も、恋愛も、人並みの人生にある何もかもが、この作業衣からは遠く感じられる。
それでも、今日だけはこの作業衣が誇らしかった。

「ぼく、仕事続けでいけそうな気がずるんでず」
「良かったじゃないか」

安原さんは、人懐っこくニッと笑った。

17 :No.04 子どもが大人になるころに 6/6 ◇A9GGz3zJ4U:07/04/29 14:13:54 ID:XH/icld9
「なぁ、おまえ、頑張れば、ちゃんと物が言えるようになるんじゃないか?」
「ぞうがな......」
「そうさ。今までちゃんと考えなかっただけで、きっと言えるようになるよ。
 伝えたいって本当に思えば、何だって言えるはずだよ。
 伝えたいって気持ちがあれば、きっと口が動くようになる。
 さっきだって俺のために大声を張り上げてくれたじゃないか
 <こんにちは>と<さようなら>だけでいいから言ってみないか?」

ごんにぢが。こんにちは。ごんにぢは。こんにちは。こんにちは。こんにちは。こんにちは......。
ざどうなら。さようなら。ざようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら......。

帰り際、安原さんは身につけていたレザーのベルトを僕に渡した。
どうしても仕事が辛い時に、これをつけて勇気を出していたのだと言う。
次の日、そのベルトをつけて職場に行くと、安原さんはいなくなっていた。
大木と山内は良い気味だと笑っていたが、しばらくして別のトラブルを起こして仕事を辞めた。

僕は、今でも、そのベルトをつけて職場に行く。



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