【 焦げた制服 】
◆K0pP32gnP6




6 :No.03 焦げた制服 1/6 ◇K0pP32gnP6:07/04/29 13:33:43 ID:XH/icld9
 朝っぱらから暗い空。春らしくない。
 自転車通学を諦め、バスを使う事にする。高校三年目ともなればまともな判断ができる。
 バス停に向かうと、すでに目的の通学専用便はそこに止まっていた。
 早歩きで乗り込み、車内を見まわす。男女ともにブレザーの制服。席は一つしか空いていなかった。
 その席の前席に座っているのは、はげた爺さん――なんで通学専用に乗ってるんだ?
 後席では、佐伯ミナが携帯をいじっていた。一年の時のクラスメイト。向こうに気付く気配が無いので、俺も
気付かないフリをして席についた。まもなくバスは動き出した。
                    ◇
 走り出して数分、佐伯が声をかけてくる事もなく、俺は睡魔のジャブを受け始めていた。
 もう少しで判定負け、と言うところで、
「やあ、堀内。おはよう。こうして話すのも久しぶりだね」
「ああ、佐伯か。ていうか、いつから気付いてた?」
 振り返らずに俺は言った。
「最初から、と言ってもいいだろうね。バスに君が乗ってきたところからだ」
「でも、お前ずっと携帯見てただろ?」
 フフフ、と不敵に笑い佐伯は言う。
「携帯を見ていたからこそ気付いたんだよ。カメラ機能って知ってるかい?」
「知ってるし持ってる。使ったこともあるな」
 振り向かないまま言ったのと、ほぼ同時、ポケットの中の携帯が鳴った。着うた。
 バス利用者達の視線を感じ、ポケットに手を突っ込み、その音源を引っ張り出す。
 スライド式のその大画面には、佐伯からのメールが映っていた。写真付きメール。
『そのカメラ機能で自分の顔を眺めていたら、後ろの方に君が写りこんで来てね。これがその時の写真』
 添付された写真を見ると、佐伯の顔のアップの後ろの方に俺も写っていた。
「バスの中では電源を切るかマナーモードにしないといけないよ、堀内」
 ククッ、と喉で笑いながら佐伯は言った。
 俺は黙って携帯の画面を眺めていた。佐伯の顔を眺めていたわけではない、ない。
 直後、またバス車内に着信音が鳴り響いた。ゴッドファーザー愛のテーマ。
 振り向きはしないが、後ろで慌てて動く音が着信音に混じって聞こえる。
『なんで携帯で自分の顔見てるんだよ? ていうか、車内で携帯を使うな。特にカメラ』
 と言う文章を佐伯は今読んでいるはずだ。まもなく、後ろからの声、

7 :No.03 焦げた制服 2/6 ◇K0pP32gnP6:07/04/29 13:34:04 ID:XH/icld9
「まず最初の質問に答えようか。それは自分の顔が好きだから。たぶん、十人に七人くらいは好印象を持つんじ
ゃないかな?」
 自身に対する評価がやけに高い奴だ。実が伴ってるから厄介なのだが。ここで俺は後ろを振り向く。
「だけど、車内でカメラ機能を使うとか人間的にどうなんだ?」
 右手に持った携帯を顔の横で振る佐伯。
 と、ここで俺はあることに気付いた。佐伯の制服の右手首のあたりに、二センチくらいの焦げたような穴があ
った。俺の記憶だと、一年生の時からその穴はあった、気がする。
「まだ、その制服着てたのかよ」
「ん、まあね。大して身長も体型も変わらないし。それに、思い出、ってやつかな。うん」
 佐伯は俺の顔をじっと見た後、右手首あたりに視線を移し目を細めた。
 バスを降りて、高校に着くまで雑談は続いた。
 理系クラスの佐伯と文系クラスの俺は、昇降口で逆方向に向かった。
「じゃあ、また帰りのバスで」
 なんて言っていたけど。
                    ◇
 放課後。朝の曇り空が嘘のように快晴。
 自転車で来ればよかった、と思いつつ、俺はバス停でバスを待っていた。
 ふと、俺は七時限目の化学の授業で、化学教室に筆記用具を忘れてきた事を思い出した。携帯を取り出して、
時間を確認すると、バスが来るまであと七分。急げば間に合うかもしれない。
 俺は学校に向かって早歩きを始めた。

 化学教室の前まで来た俺は、引戸を勢いよく開けようとした。開かなかったけど。
 鍵がかかっていた。
 諦めてバス停に戻ろうとした時、化学教室の中に人影を見つけた。教師だろうか? 見たことのない人だった。
 引戸を叩く。
 中の人はゆっくりとした動きで引戸の鍵を中から開けた。
「筆記用具を忘れちゃって」
 俺が言うのをあっさり無視して、化学教室の中にいた謎の人物は教室を再びウロウロし始めた。
 その後ろ姿を見て、気付いた。謎の人物は朝のバスで俺の前に座っていた爺さん。
「やっぱりここで歪んどるようじゃのう」

8 :No.03 焦げた制服 3/6 ◇K0pP32gnP6:07/04/29 13:34:20 ID:XH/icld9
 不自然に焦げた天井の一部を眺めながら、爺さんはブツブツ言っていた。
「それじゃ、筆記用具も見つかったんで帰ります」
「ちょっと待ちなされ」
 化学教室を一歩出たところで止められた。
「朝のお嬢ちゃんとは、随分仲が良い様じゃの。よし、お主。二年前に行って歪みを直してきてもらおうか」
 爺さんはやはりうわ言のようにブツブツ言っていた。
「あの、俺、ちょっと急いでるんで、行ってもいいですか?」
「佐伯ミナといったか。あの娘がどうなっても良いのなら行くがいい」
 どうなる?
「行って見れば解る。ほれ、サングラスでもしていけ」
 爺さんはサングラスを俺にかけさせた。とっさに目をつぶってしまう。
 次の瞬間、気温が少し下がったような気がした。
                    ◆
 目の前にいたはずの爺さんは忽然と消え、化学教室の中からは何かガラスのぶつかるような音がした。
 ゆっくり中を覗くと、佐伯がいた。今よりわずかに若い、というか幼くみえる佐伯が。
 水道、ガス付きの長机には、様々な実験器具が並べられていた。
 右手で持っているフラスコには、透明な液体が入っていた。左手の匙には黒い粉。
 制服の右手首には、まだ穴はない。
 二年前に行って。数分前にあの爺さんはそんな事を言っていた。いや、いくらなんでもそれは無いでだろう?
 冷静に混乱。
 なぜか化学教室の入り口から動けないまま、俺は佐伯を眺めていた。
「そこで、何してるんですか?」
 俺に気付いた佐伯が恐る恐る、といった口調。しゃべり方が若干違う、気がする。
「いや、別に何も、だね。君こそ何をしているんだい?」
 俺が佐伯――二年後の方の口調になっていた。
「あー。実験器具でコーヒーを入れるのが昔からの夢で……」
 そういう事か。その黒い粉はネスカフェかなんかか。って、どんな夢だ。
「飲みます?」
「い、頂こうかな」
 断れず。というか、これを断れば、ここにいる理由が無くなってしまう。

9 :No.03 焦げた制服 4/6 ◇K0pP32gnP6:07/04/29 13:34:37 ID:XH/icld9
 ここが本当に二年前なら俺の居場所はここ以外にない。ゆっくりと佐伯座ってる椅子の向かい側に移動した。
 佐伯はチャッカマンを手に取った。
 そしてガスバーナーのレバーを操作し、火をバーナーの先に近づける。
 その操作は微妙に間違ってるぞ、と突っ込もうとした。が、その前にさらに多きなミスに気付いた。
 ガスの元栓とガスバーナーのチューブが繋がっていなかった。
 要するに、この部屋の中にはガスが充満しているのだ。何故気付かなかった、俺。
 佐伯は今にも火を点けようとしていた。
「……待てっ」
 言うのが早いか、俺は机を飛び越し佐伯に飛びかかった。フラスコの割れる音。
 頭上で爆発音。聞こえたとかいうレベルじゃない。遅れて背中に熱を感じた。
 そして、俺が佐伯を押し倒したような体勢になっていた。いや、実際押し倒した感じだけど。
 この音なら、すぐに誰かがここに来る。

 とりあえず、屋上に出る扉の前まで逃げてきてみた。すでに佐伯の制服の右手首には穴が開いている。
「すいません。わたしの不注意で……」
「いや、大丈夫。こうなるために来たようなもんだからね」
 なんとなく、恥ずかしくなって俺は佐伯に背を向けた。窓からさし込む夕日が眩しい。
 サングラスのおかげでまだマシだけど。
「あ、襟のとこ……」
                    ◆
「見事、助けられたようじゃな」
 サングラス越しにさっきの爺さんが言う。
 気付くと、俺は化学教室の入り口に筆記用具を持って立っていた。
「お主が助けなければ、今の時間のあの娘も存在しないのじゃよ」
 また、動けなくなっている俺の横を、すっと通りぬけ、爺さんはすたすたと歩いていった。
 ポケットから携帯を取り出して、時間を確認した。二時間が経過していた。
 幸い、次のバスまではそれほど待ち時間はない。俺は早足でバス停に向かった。次のバスまで五分。
 いろいろわけの解らない出来事を考察するのには全然時間が足りない、なんてね。
                    ◇
 バス停に到着。空はオレンジ――とは少し違うよな。夕日の色って。

10 :No.03 焦げた制服 5/6 ◇K0pP32gnP6:07/04/29 13:34:56 ID:XH/icld9
 そこには、佐伯がいた。
「ずいぶん遅いね。堀内」
「いろいろあったんだ」
「いろいろ、か。わたし、結構待ったんだけど?」
 俺の頭を、朝に聞いた言葉がよぎった。じゃあ、また帰りのバスで。
「あ、バスが来たみたいだ」
 佐伯は俺の背後を眺めている。俺も振り返って確認する。バスは、かなり遠くに見えた。
「襟、どうしたの?」
 なんとなく、口調がいつもと違う。
「襟?」
 ブレザーを脱いで確認した。焦げ跡。そう言えば、二年前の佐伯もそんな事を言っていたような気もする。
 てことは、今目の前にいる佐伯も、知っていると言う事か? 焦る俺。話を変えなくてはならない。
「こ、これは何でもない!」
「やっぱり、あれは堀内だったんだね」
 やっぱり?
「なんで気付いてんだ、って顔してるね。サングラスぐらいじゃ人相はわかるよ」
「いやでも、それは二年前の話であって、二年前の俺は……とにかく、人違いだと、思う」
 これもミスだった。
「そう、二年前だ。クラスメイトを少し成長させたような、男の人にわたしは助けられた」
 それから佐伯は、俺に兄がいないかを調べて回ったらしい。ちなみに俺に兄はいない。
「その後、ブレザーの襟に焦げ跡のある人も探した。いなかったけどね」
 バスが横に止まっても、気付いていないように佐伯は話続けた。運転手は乗らないのか、という目。
「その後は、恩人似のクラスメイトに積極的に話し掛けてみたりもした」
 突然俺に近づいてきたのはそのためか。
「ブレザーはね、例の恩人さんが見つかるまでは直さないつもりだったんだよ」
「なら今すぐにでも直せ」
 バスが走り出す。
 その姿が見えなくなる位の間、沈黙。
「今のは、答えととって良いのかな?」
「あ、ああ」

11 :No.03 焦げた制服 6/6 ◇K0pP32gnP6:07/04/29 13:35:12 ID:XH/icld9
 俺ははるか彼方、バスが消えていった道と佐伯の顔を交互に見た。
「あの時は、どうもありがとうございました」
「ど、どういたしまして」

「ところでさ、バス行っちゃったね」
 思い出したように佐伯は呟いた。
「気付いてなかったんじゃないのかよ!」
「いや、そこまで我を忘れてはいないから。で、このあとどうする?」
 飄々と答えられた。
「コーヒーでも、飲みに行くか? 化学教室にさ」



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