【 Don't leave me 】
◆WGnaka/o0o
※投稿締切時間外により投票選考外です。




309 名前: 犯人(山形県) 投稿日:2007/04/23(月) 00:26:38.58 ID:+GtOkUN10
 今日こそはプロポーズしてやると決めた。大好きだからずっと一緒に居たいと思った。
 僕の生涯をあの人――美雪のために捧げようと、そう決心したのは半月前。
 高校二年の冬から付き合い始めて、美雪との関係はもう五年目になる。
 そろそろ良い頃合だと思った今日が美雪の誕生日。
 渡そうと内緒で買ったプレゼントは、決して高くない給料三ヵ月分の婚約指輪。
 これを見たらいったいどんな顔するのか、今から楽しみで急ぎ足になる。
 意気揚々と待ち合わせの場所へ向かう僕の心とは裏腹に、月が灯り始めた空は機嫌が悪そうだった。


「あのね……私たち、別れたほうがいいと思うんだ」
「――え?」
 用意していたプロポーズの言葉すら言う前に、カウンターパンチを見舞われてしまった。
 言うなればこれは勝てる試合だったはず。婚約することは、もはや必然だとさえ思っていたのに。
 婚約指輪の入った真っ赤なジュエルボックスが、降り始めた五月雨と一緒に地面へと落ちる。
「嘘……だろ?」
 信じまいと取り乱す僕の言葉は、黙って俯いたままの美雪には届かないのだろうか。
 何かあれば、まだ救いがあった。それが例え罵倒であっても。
 溢れてきそうな涙を流し落とすように、雨がその勢いを増して降り頻る。
「どうしてッ……ずっと一緒に居ようって、前に言ってくれたのは、嘘だったのか……」
 気が付いたらそんな残酷な言葉を吐いていた。
 美雪を責めても、自分が悲しくなるだけだと判っているのに。
「……ごめんなさい。でも、ダメなの」
 それは雨音に掻き消されそうな美雪の声。
「僕の何が悪かった? 僕が何かしたかい? 嫌なとこもこれから治すから……だからッ――」
「ダメなの!」
 哀願のような僕の言葉さえも拒まれてしまう。
 理由があればそれを聞きたかったのに、それすら美雪は話してはくれなかった。
「和輝さん、お願い……だから……」
 唇を噛み締めながら涙を流す美雪の顔を見た瞬間、僕はその場から逃げ出すことしか出来なかった。

310 名前: 犯人(山形県) 投稿日:2007/04/23(月) 00:26:59.18 ID:+GtOkUN10
 拒絶――脳裏に浮かんだその二文字が、胸の奥に刺さってズキズキと痛んだ。
 終わったと思った。これまで積み上げてきた美雪との五年間が。
 楽しかったことも、悲しかったことも、辛かったことも、全部音を立てて崩れていってしまう。

 そしてその日から……僕と美雪が二度と会うことは無かった。



 あれから半年以上経った十一月も終わろうという日。
 冷たい雨の降り始めた夕暮れ時、突然に自宅の電話が喧しく鳴り響いた。
 脱ぎかけだったビジネススーツの上着を脱ぎ捨てながら、機械的なコール音の元凶へと近付く。
 携帯電話が普及した今となっては、この電話が鳴るのも珍しいのだが。
「……はい」
 受話器を耳に当てながらそう答えると、向こうから何やらノイズのようなものが聞こえてくる。
「も、もしもし!? 美雪の母ですが、すぐに来てくれますかッ? 美雪が……美雪が!」
 慌てた様子で捲し立てるその言葉に、僕は戸惑いと不安を感じた。
 なぜ今更になって、美雪の母親から電話が掛かってくるのか。そしてなぜ僕を呼んでいるのか。
 本能的に嫌な予感がしたのは、きっと気のせいじゃないのだろう。
「と、とにかく落ち着いてください。とりあえず僕はどこに行けばいいんですか?」
 それは自分自身にも言い聞かせるようでもあった。
「……あ、そう、えっと場所は――」


 傘も差さずに雨の中を、ただがむしゃらに走った。
 いくら僕たちの関係が終わっていたとしても、無関心で居られるほど僕は残酷にはなれない。
 彼方まで続きそうなレインカーテンを駆け抜ければ、もう髪の毛もYシャツもずぶ濡れだった。
 しかし今のこの雨は、僕を冷静にさせてくれるほどの冷たさではなかった。
 道端ですれ違う人々の奇特なものを見るような視線を感じる。

311 名前: 犯人(山形県) 投稿日:2007/04/23(月) 00:27:22.75 ID:+GtOkUN10
 もしも邪魔をする奴が居れば、殴り倒してでも歩を進めることだろう。
 一分一秒でも早く行かなくていけない。それは使命感にも似たもの。
 何も出来なかったのならば、きっと後悔すると思ってたから。
 捨てられて弱った子犬を見殺すような、そんなこと誰だって出来るはずがないのだろう。
 雨粒だったはずの雫たちは、冷気で結晶を創りあげて雪へと姿を変えていた。

 息も切れ切れに辿り着いたのは、この街で一番大きな病院。
 正面玄関すぐの受付で面会の手続きをし、美雪の母親から聞かされた病室へと急ぐ。
 階段を何度も上り近付くにつれて、やがて人気と明かりが少なくなる廊下に出る。
 微かに遠くで聞こえるのは機械的な電子音ばかりだった。
 生唾を飲み込みながら、闇に溶け込むような長い廊下を静かに歩き出す。
 やけにハッキリと自分の心臓の鼓動音が、体の内側から警告音のように鳴り響いていた。
 しばらく歩くと、一つのドアが目の前に現れる。プレートには705号室。
 深呼吸を一回してからドアを軽く二度ノックすると、すぐに「どうぞ」という返事が。
 銀色の取っ手を握ってスライド式のドアを滑らせた瞬間、消毒薬のような匂いが鼻を衝いた。
 室内は電灯を点けていないのか薄暗く、目立つ大窓からは綺麗な満月が覗き込んでいる。
 その月明かりでベッドに寝ているのが美雪だと知っても、僕は未だに状況を理解できないでいた。
「よく来たね、和輝君」
 ベッド脇でパイプ椅子に腰掛けていた、作業着姿の男性がそう声を掛けてくる。
 あまり会ったことが無かったが、記憶を蘇らせてこの人は美雪の父親だと思い出す。
 隣には母親が流す涙を拭うこともせずに、横たわる美雪をずっと見つめていた。
「あの、美雪は……」
 そう言うと父親は首を横に振るだけだった。
 たったそれだけのことで、僕はこの状況を理解してしまう。
 驚愕と疑心が葛藤していた中で考えていたはずだが、これはもっとも最悪な結末だった。
 約半年前に別れを告げられたときとは、全く比べ物にならないほどの衝撃。
 僕の体は糸が切れた操り人形のように膝から崩れ落ち、そのまま力無く冷たい床にへたり込んだ。
「美雪……」
 静まり返っていた室内に、僕の呟く言葉だけが響いていた。

312 名前: 犯人(山形県) 投稿日:2007/04/23(月) 00:27:51.18 ID:+GtOkUN10
 【 第55回週末品評会お題「モトカレ モトカノ」/ Don't leave me 】

 その後、美雪の両親から聞かされた話によれば、一年も前から美雪は病を患っていたそうだ。
 その病は死亡率の一番高いと言われる癌。発見当初はもう末期状態だったらしい。
 別れを告げられたあの日の以前に、美雪には残された時間が判ってしまっていた。
 長くて半年――それが医者からの悲痛告知。
 だから僕に心配をかけさせまいとして、別れようと決断したとのことだった。
 美雪が両親に毎晩のように相談をし、そして決断をして僕から離れた。
 きっとそれは美雪の優しさだろう。ときには辛いことも受け入れてしまう優しさ。
 苦渋の選択をしてしまったと、両親は申し訳なさそうに僕に謝罪をした。
 そんなことを聞かされたら、逆に僕が謝りたいくらいだった。
 もしも、美雪の傍に居れたのなら。無理矢理にでも関係を続けていたのなら。
 きっと違う結末もあったのだと、今になってそう思ってしまう。
 せめて美雪が癌のことを告白してくれれば、こんな僕でも励ますことくらいはできたのに。
 独りで抱え込んでいた苦しみも悲しみも分かち合えれば、少しは希望があったのではないのか。
 それこそ奇跡と呼べるものが起こったら――いや、やめておこう。
 いまさらそんなことを考えても、もう美雪は帰ってこないのだから。
 辛い闘病生活を終えた美雪の安らかな寝顔を、僕は決して忘れることが無いだろう。

 そして、僕と美雪が別れていた間のことを話し終えた両親から、最後に手渡されたものがある。
 美雪が最後にこれを渡してほしいと両親に頼んだそれは、ラッピングされた小さな箱だった。
 なんとなくすぐにラッピングを解くのが怖くて、丸一日そのままの状態。
 だけど、今決心した。きっとこれは美雪が生きていた証になると思った。
 紙のラッピングを丁寧に解いていくと、次第に露になるその姿に僕の胸は驚きで高鳴る。
 それは少し汚れた赤いジュエルボックス。僕が美雪にプレゼントしようとしていたものだった。
 中身は贈られることの無かった婚約指輪。九号サイズの小さなリングが今も光輝いている。
 その婚約指輪を取り出して良く見ると、リングの内側に無かったはずの文字が小さく刻印されていた。
 一字一字がローマ字で連なったものだということが、目を凝らして見てみると判る。
 読み解いていくと次第に文章が浮き彫りになり、僕はそれゆっくりと黙読した。

314 名前: 絢香(チリ) 投稿日:2007/04/23(月) 00:31:38.10 ID:Z5So85Xm0


 『I love you to eternity.』


 その言葉は、魔法のように僕の胸へと沁み込んでいく。
 ――やっぱり嘘だったんじゃないか。
 銀色に輝く指輪を握り締め、震える唇を噛んで零れそうな涙を堪えた。



 あくる日に美雪の葬儀が始まり、僕はあの婚約指輪を棺の中に手向ける。
 これで本当に贈ったことになるのか心配だったけれど。
 ペアの片割れだった僕の婚約指輪には、新たな刻印を。


 『You don't leave to alone. 』



   了



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